一里野温泉スキー場に泳ぐ こいのぼり 被災者を元気に:北陸中日新聞Web - 中日新聞

一里野温泉スキー場に泳ぐ こいのぼり 被災者を元気に:北陸中日新聞Web - 中日新聞

05.31
taritkar.blogspot.com 「避難者が少しでも元気になれば」と掲げられたこいのぼり=白山市尾添で  能登半島地震で2次避難している被災者に少しでも明るい気持ちになってもらおうと、白山市尾添の白山一里野温泉スキー場ゲレンデに29日、こいのぼりが揚げられた。  この日はスキー場職員らが、吹き流し4本と大中小のこいのぼり12匹をリフトのワイヤに登山ロープで結び付けた。5月下旬まで掲げられる。  こいのぼりは、金沢市の堅田商店が白山市に寄贈した。堅田商店は当初、被災地に贈ろうと考えたが、現地の状況などから断念し、避難者がいる白山市に寄贈することになったという。  白山一里野温泉では1月の地震以降、避難者を受け入れ、現在、80人ほどが避難生活を送る。白山一里野温泉観光協会長の穴田慎一さん(55)は「避難者はこの先も見えず大変な思いをされていると思う。こいのぼりが、少しでも前を向くことにつながれば」と話す。岩間山荘女将(おかみ)の北村祐子さん(62)は「避難者に元気を出してもらえれば」と願った。  約350匹のこいのぼりが川の上を泳ぐ大谷川鯉(こい)のぼり川渡しで知られる珠洲市大谷町から避難している堀田久子さん(75)は「家も川も壊れ、山の木も流され、どうしようもないが、仮設住宅に入れるようになれば早く戻りたい」と話し、風になびくこいのぼりを見て「木々の緑に映えて本当にきれい。こいのぼりも喜んでいる」と笑顔を見せた。 (萩原誠) <ユースクが調べます!> 北陸中日新聞「Your...
「いつか笑い合える。厚真町もそうだったから」 5年前、地震に山をえぐられた被災地から能登へ、復興のエール ... - 東京新聞

「いつか笑い合える。厚真町もそうだったから」 5年前、地震に山をえぐられた被災地から能登へ、復興のエール ... - 東京新聞

01.32
taritkar.blogspot.com  能登半島地震からまもなく4カ月。復興の歩みは今も道半ばだ。2018年9月に最大震度7を観測し、44人が死亡した北海道胆振(いぶり)東部地震も過疎化が進む農業地域だった。あれから5年半以上がたち、かつての被災地は今、どうなっているのか。能登の復興に生かす術(すべ)はあるか。震源地となった厚真(あつま)町の職員とともに現場を巡った。(木原育子)  北海道胆振東部地震 2018年9月6日午前3時7分、マグニチュード(M)6.7の地震が発生。道内で初めて最大震度7を観測した。広範囲な土砂崩れで、崩壊土量は3000万立方メートルで明治以来最大。火力発電所が停止するなどし、道内のほぼ全域が停電する「ブラックアウト」に。全域復旧に2日を要した。 かつての被災地を案内してくれた厚真町職員の小山さん ◆一時孤立、能登と似た状況  「今走っているこの道路も通行できず、一時は能登と似て孤立に近い状況でした」。車で案内してくれたのは厚真町職員の小山敏史さん(47)。復興計画を策定するまちづくり推進課に身を置き、町の復興を間近で見てきた。  北海道の地震と言えば、広範囲にわたって豊かな山の緑が崩れた無残な光景が象徴的。被害が大きかった現場に立ち、周囲を見渡すと、山肌は不自然な急カーブを保ってえぐられたまま。山ののり面は、「ばんそうこうを貼ったような」(小山さん)吹き付け施工で保護されているが、痛々しい。移植された木々は産毛が生えた状態で、山を形成するには後何十年もかかりそうだ。 ◆「木が怖い」心に残る被災者の言葉  発災当初、小山さんは被災者のこんな言葉を覚えている。「動くはずのない木々が大きな体を揺らして猛スピードで大切な家屋や生活をなぎ倒していった。『木が怖い』って」  さらに車を走らせると、町内で最も被害が大きかった吉野地区にたどり着いた。13世帯34人が暮らしていたが、19人が亡くなった。再建の見込みは立たず、今は誰も住んでいない。 かつて土砂にまみれた現場で農作業に励む早坂さん=北海道厚真町吉野地区で  そんな集落で、記者を待っていてくれたのは早坂信一さん(59)だ。  地震で父清さん=当時(81)=と母艶子さん=当時(80)=を亡くした。清さんは長年地元農協で理事を務め、艶子さんも農協で町の特産みそ「おふくろみそ」の開発に携わった地区のリーダー的存在。早坂さんは両親と少し離れた場所で暮らし、親子で米作りにいそしんできた。 ◆「ぼくの両親よりこの子たちの家族を」  発災直後、早坂さんが夢中で駆けつけたが、実家は黒い土砂の中。実家の隣に住んでいた高校生が妹の名を泣き叫んでいる。救急隊に「ぼくの両親よりこの子たちの家族を」。両親の死さえ泣くに泣けなかった。  葬儀の後、辺りを見渡すと、大量の土砂が流れ込んだ田んぼの片隅で、金色の稲穂が風に揺れていた。「稲刈りをあきらめることは、亡くなった人たちが丹精込めて育てたお米まで無にすること」。地震で稲刈りできなくなった地域の若い人らにも協力をあおぎ、農協や共済と相談してメーカーから農機具を借り、地割れで凸凹になった大地を前に進んだ。  収穫しながら芽生えた農業者としての自負。「へこたれているわけにはいかない」。地震で農業を続けられなくなった人らの田畑も託され、無住の被災地で、一人で農業を続けている。  早坂さんは言う。「復興は必ず定住しなくてはならないという原則はなく、日常の取り戻し方はきっといろいろある」としつつ、被災した者同士、能登を思う。「本当に困っている人はわかりにくい。簡単に割り切れない気持ちもあるだろうが、いつか笑い合える。厚真町もそうだったから」 ◆地域を支える「なごみ力」 コミュニティーセンターに集う人たちが能登の被災者に向けて書いたメッセージカード  地震で新たに生まれたものもある。吉野など周辺3地区の公民館として生まれ変わった「厚北地域防災コミュニティーセンターならやま」もそのひとつだ。  「ようこそ」。明るい声のトーンで地域の人らを出迎えるのはセンターの集落支援員の山口純子さん(62)。高齢者の多い地域で、震災前は介護職員だったが、災害後は災害ボランティアセンターの運営や生活支援相談員としての仮設住宅の見回りなど地域の声に耳を傾け続けてきた。  ふわっと相手の心に入っていく山口さんの「なごみ力」に、地域は支えられてきた。「『助けてほしい』と言えない人ばかりになるのが被災現場です」  現在、センターに集う人らが夢中になるのは毛糸の小物作りだ。「能登の被災者向けに一針ずつ願いを込めている。厚真町も当時、全国から寄せられた小物に励まされた。恩送りです」と目を細め、「どんなことでもOK。自分以外の誰かのために動けることが明日への活力です」と、能登とともにあることを伝える。 ◆トヨタを退社し故郷で起業  当時は仮設住宅が至る所に建てられ、現在は町営住宅に。そんな町の中心部に、空き家を活用してできたコミュニティースペース「イチカラ」も軌道に乗り始めていた。 空き家を利用して運営するコミュニティースペース「イチカラ」。老若男女が集う=北海道厚真町で  運営するのは成田智哉さん(35)。東大卒業後、トヨタ自動車に入社し、駐在員としてブラジルに赴任した。何不自由ない生活でありがたかったが、現地社員との「差」は歴然。もやもやを感じ始めていた頃、故郷での地震も重なり、思い切って退社した。  震災から半年後、起業を決意し、北海道に帰郷。ローカルベンチャー制度に応募した。雪かきや通院の足の確保など地域の困り事を地域で解決するマッチングアプリの開発など、テクノロジーを駆使しながら、これまでにない社会の仕組みをイチカラから発信しようと試みている。  「東京ばかりが豊かになってもしょうがない。地域こそ元気にならないとこの国は終わる」と語る。「厚真町でも能登でも、もうわかったはず。災害時に本当に大切なことは人と人とのつながり。普段からつながり合っている町こそ強い」 ◆いつか満開のサクラを  つながり合いは無住の吉野地区にも芽吹く。山ののり面の一部には、冬の厳しい外気から守られるように、白い袋で覆われた若木が並ぶ場所があった。  震災前、地区名の由来となる吉野神社があり、春に満開に咲く桜が地域の憩いの場だった。「吉野という地名の縁もあり、桜の名所として有名な奈良の吉野山にあやかり、桜を植えることになった」と前出の小山さん。奈良からシロヤマザクラが寄贈され、道内のオオヤマザクラなども含め計約80本が移植された。 地震の影響で起きた土砂崩れ=2018年、北海道厚真町(本社ヘリ「まなづる」から)  小山さん自身も香川出身で、厚真町とは縁もゆかりもなかった。スポーツ関連企業で働いていた時、たまたま厚真町近くの市に赴任。知人から公務員を勧められ、「穏やかで住みやすい」と家族で移住した。入庁7年後に被災自治体に。直属の上司だったまちづくり推進課長も地震で亡くなり、司令塔を失った悲しみの中での支援活動だった。  「桜はやっと葉がついた段階で花はまだまだ。いつか満開の桜を咲かし、多くの人が訪れてくださった時が本当の復興でしょうか」と語り、続けた。「能登にも笑顔咲く日が来ることを願っています。何か厚真町にできることはないですか。いつでも連絡ください」 ◆デスクメモ  能登半島地震で10日間孤立した集落の避難者を取材した。地域の人たちが食べ物を持ち寄って、皆で支え合ったという。自分以外の誰かのために。山口さんの言葉は、地域に根付いた「結いの心」の強さを示す。次の世代にどう伝えていくか。日本全体の課題ととらえたい。(拓) 関連キーワード  おすすめ情報 Adblock...
「甲子園ヒーロー揚げ」能登被災者の力に 阪神・淡路大震災の記憶に動かされ、生みの親らが1300個炊き出し - 神戸新聞NEXT

「甲子園ヒーロー揚げ」能登被災者の力に 阪神・淡路大震災の記憶に動かされ、生みの親らが1300個炊き出し - 神戸新聞NEXT

05.31
taritkar.blogspot.com 蛸島小学校で甲子園ヒーロー揚げを調理する山崎哲さん=2月19日、石川県珠洲市(山崎さん提供)  ご当地グルメ「甲子園ヒーロー揚げ」を販売する兵庫県西宮市の飲食店主ら4人が、能登半島地震の被災地で炊き出しをした。生みの親の山崎哲(あきら)さん(55)が呼びかけ、名物を避難所で提供した。「自己満足じゃないのか」との思いもよぎったが、それでも山崎さんを動かしたのは、阪神・淡路大震災の記憶だった。(地道優樹)  2月19日、山崎さんは倒壊した家々が残る石川県珠洲市内を車で走っていた。住民が身を寄せる蛸島小学校にヒーロー揚げを届けるためだ。珠洲市では103人が亡くなり、2400戸以上の住宅が全壊。半壊も2千戸近くに上った。撤去が追い付かず、山積みになったがれきを見て、29年前を思い出していた。  1995年1月17日、神戸市東灘区の自宅で激しい揺れに襲われた。幸い家族は無事だったが、4階建てマンションは全壊。部屋を出ると、目の前で阪神高速道路が横倒しになっていた。  当時25歳。陸上自衛隊を退職後、料理店で修業し、西宮市内に焼き鳥店を開いたばかりだった。震災直後は親族が住む神戸市長田区に向かい、生き埋めになった人たちの救助を手伝った。その後も店は再開できず、代わりに各地で炊き出しをし、バイクで避難所に救援物資を届けて回る日々を送った。  ボランティア活動は4カ月ほど続けた。焼き鳥店の開業で約2千万円の借金を抱えていたが、「人の役に立てている」という実感が将来への不安を消してくれた。ようやく日常を戻り戻した時、「なぜか心に穴が開いたような、取り残されたような感覚になった」     ■  ■  今年の元日。能登の被害映像を見た瞬間に「行こう」と思った。コロナ禍による経営悪化が長引き、心を病みかけていた。「能登に行けば何かが変わるかもしれない」。奔走した阪神・淡路の記憶がよみがえった。  しかし地震直後、石川県が個人のボランティアを自粛するよう呼びかけていた。山崎さんも自問を重ねたが「いても立ってもいられなかった」。人づてに珠洲市の市議を紹介してもらい、食材の準備から撤去まで「自己完結する」という条件で「炊き出しをしたい」と相談。避難所に寄せられる救援物資はおにぎりやカップ麺などが多いといい、「肉はありがたい」と歓迎された。  7時間かけてたどり着き、約1300個のヒーロー揚げを調理した。生活の場に立ち入らないようスタッフに配ってもらったから、味の感想は聞いていない。住民と話す機会もあったが、「頑張ってください」とは言えなかった。やることは山積みだけど気持ちが追いつかない。あの頃の自分と重なった。  「遠いのにありがとうね」。自宅が断水し、学校までシャワーを浴びに来ていた高齢男性から声をかけられた。「甲子園行きたいなあ」  石川県では現在も4500人以上が避難所暮らしを余儀なくされている。炊き出しの後、「やはり1回限りの支援ではどうにもならない」と痛感した。次は6月ごろにも現地入りを考えているという。 【甲子園ヒーロー揚げ】二つに割って食べられる▽サクサクの衣▽にんにくダレ-の3カ条からなる手羽の唐揚げ。中国語で鶏肉を意味する「ジーロウ」が名前の由来で、甲子園を中心に市内の13飲食店が販売する。店主らでつくる「西宮・甲子園ヒーロー揚げ推進委員会」が普及を目指している。 Adblock...
公費で被災者の洗濯支援、石川 - 中国新聞デジタル

公費で被災者の洗濯支援、石川 - 中国新聞デジタル

18.31
taritkar.blogspot.com  震災発生から3週間が経過した1月24日に石川県珠洲市の小学校で稼働した移動式ランドリー  能登半島地震に伴う断水被害が大きかった石川県で、避難所に身を寄せる被災者の衣類をクリーニング業者が回収し、洗濯を代行する取り組みが公費で実施されていることが27日までに内閣府と県への取材で分かった。災害救助法に基づく対応で、断水が長期化した県内5市町で実施。内閣府によると「直近10年で事例はない」といい、初のケースとみられる。関係者からは被災者支援として定着させるべきだとの声が出ている。  洗濯支援の公費負担は、災害救助法で規定する被災住民への「応急救助」のうち避難所の運営費用として扱われ、珠洲市や能登町などで対象となった。業者が衣類を回収し、洗濯して返す形で支援が実施された。 Adblock...
石川 大型連休で多くのボランティア見込み “遠慮せず依頼を” | NHK - nhk.or.jp

石川 大型連休で多くのボランティア見込み “遠慮せず依頼を” | NHK - nhk.or.jp

16.31
taritkar.blogspot.com 27日からの大型連休の期間中、ことし1月に起きた能登半島地震の被災地に向かうボランティアの大学生もいます。 都内の大学では被災地の現状や被災者と接する際の注意点などに関する説明会が開かれました。 東京...
被災者負担抑え必要な支援を…ボランティア増加見込まれるGW 石川県が被災者のニーズ掘り起こしテコ入れ|FNN ... - FNNプライムオンライン

被災者負担抑え必要な支援を…ボランティア増加見込まれるGW 石川県が被災者のニーズ掘り起こしテコ入れ|FNN ... - FNNプライムオンライン

07.31
taritkar.blogspot.com 今週末から始まるゴールデンウィーク。県は多くのボランティアに来てもらうと被災者のニーズの掘り起こしに力を入れています。どうすれば必要な支援が届くのか 。ニーズ調査の現場を取材すると課題が見えてきました。 馳知事: 「ニーズを掘り起こしてさらなる受け入れを加速化させていきたい」 先週の会見でこう強調した馳知事。ボランティアが増えると見込まれるゴールデンウィークを控え、県がテコ入れしているのが被災者のニーズの掘り起こしです。 ニーズ調査: 「今ボランティアのニーズ調査をお伺いしていまして。」 珠洲市大谷(おおたに)地区。住民のもとを訪れたのは市の社会福祉協議会から委託を受けた労働組合・連合の職員です。今月15日から市内1軒1軒を回り、困っていることがないかなどを聞いて回っています。 職員: 「お優しい方が多いのでうち大丈夫って方が多いんです。なので積極的に言っていただけたらボランティア派遣するっていうのをしていますので」 住民: 「またお願いします」 取材班が同行している間、困っているという声はあったもののボランティアの依頼はありませんでした。 ボランティアの依頼をしたことがない人: 「うちの中やわくそやわね、でも重たいものはないから。(ボランティア)してもらえばいいんやけど…すぐ片付くわねえ 調査の担当者: 「遠慮深いのかなと。もっとひどい家に行ってくださいと言われるので。ボランティアをする人もいっぱい来ていると思うのでぜひ頼っていただいて利用していただければ、より復興も進むのかなと思いますので」 こうしたニーズをとりまとめてボランティアに作業を依頼する役割を担うのが各地の社会福祉協議会です。今回のニーズ調査によってボランティアの依頼はおよそ2倍に増えたそうです。このため珠洲市はゴールデンウイーク期間中、ボランティアの受け入れを現在のおよそ70人から100人ほどに増やして対応する予定です。 ただ、ここでも課題が… 珠洲市社会福祉協議会 塩井豊事務局長: 「市外、県外に避難されている方、お仕事されている方のご都合もあるということで、実際にはボランティアに来てほしいという方は何人もいらっしゃるんですけど、日が決まっているということであれば、その日に入ってくるボランティアさんも数が決まっているので、そこが課題といえば課題」 例えば被災者が、自宅の片付けボランティアを依頼する場合事前調査と活動日の2度、立ち合いが必要になります。このため、日程調整に時間がかかっているのだといいます。 二次避難者からもこんな声が… 二次避難している人: 「今、ボランティアを頼んでるだけれども、ボランティアが来るときに(自宅に)行こうかと。」 二次避難している人: 「連絡が来ればね」 二次避難している人: 「一遍に(ボランティアを)寄せられないもんね」 記者: ボランティア依頼の申し込みは? 二次避難した人: 「してあります。してあるが手付かずだわ、みんな」 一方、断水している地域に自宅がある人からはこんな声も聞かれました。 避難している女性: 「水が出ないもんで、だから何にも片づけるにもトイレもだめやし。家の中はがちゃがちゃやけど(ボランティアを頼む)までまだ考えられん」 被災者の負担を抑えながら必要な支援を受けられるようにするにはどうすればよいのか。県にはきめ細やかな対応が求められます。 石川テレビ 石川の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。 Adblock...
能登地震で被災した映像作家 映画で伝えたかった珠洲の姿とは - 毎日新聞

能登地震で被災した映像作家 映画で伝えたかった珠洲の姿とは - 毎日新聞

14.31
taritkar.blogspot.com 珠洲を舞台にしたドキュメンタリー映画を製作する有馬尚史さん=石川県珠洲市蛸島町で2024年4月1日午後3時32分、阿部弘賢撮影 写真一覧  2023年5月5日、石川県珠洲(すず)市は震度6強の揺れに見舞われ、300棟以上が全半壊するなど被害が出た。映像作家の有馬尚史(ひさし)さん(36)=東京都町田市=は、珠洲の祭りを通じて復興へ歩む人々をドキュメンタリー映画にしようと被災地に通っていた。そのさなかで、今年1月の能登半島地震に遭遇した。 ...
【熊本地震8年・被災者は思う⑨】大津町の上妻千穂さん(67) 南阿蘇の空気や水が恋しい|熊本日日新聞社 - 熊本日日新聞

【熊本地震8年・被災者は思う⑨】大津町の上妻千穂さん(67) 南阿蘇の空気や水が恋しい|熊本日日新聞社 - 熊本日日新聞

00.31
taritkar.blogspot.com 被災者の生活再建へ公助の制度も きっかけは阪神大震災 覚えておきたい「応急修理」やローン減免のガイドライン【まね得 地震とお金・後編】  熊本日日新聞2024年4月19日 06:01 Adblock...
「危険」でも自宅で生活 2次避難者の半数帰宅 〈1.1大震災 どうなる被災地〉|社会|石川のニュース|北國新聞 - 北國新聞デジタル

「危険」でも自宅で生活 2次避難者の半数帰宅 〈1.1大震災 どうなる被災地〉|社会|石川のニュース|北國新聞 - 北國新聞デジタル

14.31
taritkar.blogspot.com 応急危険度判定で「要注意」の紙が貼られた住宅。2次被害のリスクがある自宅に戻る被災者もいる=輪島市内   ●県、損傷状況把握せず   ●「孤立」で体調急変も懸念  能登半島地震後、2次避難先から被災者の半数が自宅に戻り、その帰宅先の家屋の被災状況を石川県が把握できていないことが22日分かった。余震による倒壊などの恐れがあるにもかかわらず、修繕や安全確認を行わないまま暮らし始めるケースもある。専門家は2次被害の危険性に加え、「大勢が過ごす避難所に比べ、在宅では体調の急変に気付くのが遅れやすい」と孤立に伴うリスクを指摘。災害関連死の増加につながりかねないとして警鐘を鳴らす。  県によると、これまでに県内外のホテルや旅館に2次避難した人は最大5275人で、このうち3043人が今月16日時点で退所した。退所者を対象に実施したアンケートによると、49%が自宅に戻り、29%がみなし仮設住宅に入居。被災地の仮設住宅に入ったのは全体の8%だった。  アンケートでは、自宅の応急危険度判定の結果や罹災証明書について尋ねておらず、帰宅した被災者の自宅の損傷状況は分からない。このため県は自宅に戻る人に対し、建築関係者の助言を事前に受けるよう呼び掛けているが、「建物が危険と判断されても立ち入りを禁止することはできない」(建築住宅課)という。  3月末に金沢市の2次避難先から輪島市の自宅に戻った男性(78)は、帰宅後に罹災証明書の交付を受けて自宅が「半壊」と知ったが、そのまま生活を続ける。男性は「直したくても業者が見つかりにくく、費用もかかる」と悩ましげに話した。 無断転載・複製を禁じます Adblock...
V1岡山シーガルズ 能登半島地震の被災地支援で義援金を寄付|NHK 岡山県のニュース - nhk.or.jp

V1岡山シーガルズ 能登半島地震の被災地支援で義援金を寄付|NHK 岡山県のニュース - nhk.or.jp

11.31
taritkar.blogspot.com バレーボール女子のVリーグ1部V1の岡山シーガルズの選手が能登半島地震の被災地を支援しようと試合会場で義援金を集め、日本赤十字社に寄付しました。 岡山シーガルズの高柳有里選手らが22日に、岡山市北区の日本赤十字社岡山県支部を訪れ「被災地のために何かできることはないかと募金活動を行った。被災地に思いが届いてほしい」と述べて、義援金を寄付しました。 チームは、ことし1月から3月にかけて、岡山市などで行われた7回のホームゲームで、能登半島地震の被災者支援の募金活動を行い、あわせて78万5968円が集まったということです。 日本赤十字社によりますと、岡山県支部には3月末までに4億7300万円あまりが集まっていて、引き続き県内の金融機関や窓口などで受け付けています。 義援金は被災した県に設置された配分委員会を通じて、全額が被災者に現金で渡されるということです。 高柳選手は「直接的なかかわりは難しいかもしれないが、こういった活動やスポーツの力で少しでも被災者の皆さんに元気を与えられたら」と話していました。 Adblock...
被災者遺族の思いに応える業者、出棺時に自宅跡地へバス走らせる…葬儀に心込めつつ「いつか結婚式再開したい」 - 読売新聞オンライン

被災者遺族の思いに応える業者、出棺時に自宅跡地へバス走らせる…葬儀に心込めつつ「いつか結婚式再開したい」 - 読売新聞オンライン

10.31
taritkar.blogspot.com  福島第一原発事故で避難を余儀なくされた住民の中には、古里に戻れないまま、避難先で亡くなった人も多い。「自宅の跡地に寄ってもらえますか」。福島県浪江町の葬祭業「 如水(じょすい) 」の社長朝田英謙さん(48)は、出棺時に遺族からこんな要望を受けることがあるという。  元々住んでいた町で葬儀を行い、...
復興へ地震被災者の心ケアを - カナロコ by 神奈川新聞

復興へ地震被災者の心ケアを - カナロコ by 神奈川新聞

18.31
taritkar.blogspot.com  能登半島地震の被災地支援に当たる金沢大の教員や学生らが開いた報告会=21日午後、金沢市  能登半島地震の被災地支援に当たる金沢大の教員や学生らが21日、金沢市内で報告会を開催した。ボランティアに参加する学生や2次避難の児童・生徒をサポートしている教員からは、子どもとの交流の場をつくる大切さを強調する意見が出た。復興に向けては、被災者の心のケアの重要性を訴えた。  被災地の医療を支援している金沢大病院神経科精神科長の菊知充教授は「過去の災害では、人とのつながりが薄くなるとストレスの度合いが高まることが分かっている」と指摘。被災者の心理的負荷を継続して調査する必要があると強調した。  ボランティア団体に所属する学生は家財の片付け、避難者への炊き出しなどを報告した。 Adblock...
能登被災地の片付けに汗 発生3か月半 高齢者支援も課題 記者ボランティア参加 - 読売新聞オンライン

能登被災地の片付けに汗 発生3か月半 高齢者支援も課題 記者ボランティア参加 - 読売新聞オンライン

06.31
taritkar.blogspot.com  能登半島地震の発生から3か月半。被災地では今も、県内の複数のボランティア団体が復興支援の活動を続けている。現地は今どんな状況で、被災者は何に困っているのか。NPO法人「被災者応援 愛知ボランティアセンター」(ボラセン、名古屋市)の活動に参加して、現在、必要とされている支援を探った。(中村亜貴)  道には地割れが残り、瓦屋根が地面につくほど潰れた家も目立つ。ボラセンが活動する石川県七尾市の能登島。この島の東部に位置する野崎町では、約100軒ある住宅の2割が全壊した。半壊や一部損壊を含めればほとんどに被害があったという。  ボラセンのボランティアは週末夜にバスで名古屋を出発して、車中泊後の朝から作業を始め、その夜に名古屋に戻る。14日朝、高校生から70歳代までの約40人が参加した今回の活動に、現地で合流した。  最初の作業は田んぼ脇の水路の掃除。例年は、田植え前の3月に住民が協力して泥をさらうのだが、今年は手が回っていない。地震で崩れた土砂も流入しており、家の片付けが少し進んでも、他にもやらなければならない作業が山積しているのだと改めて知った。  「片足を側溝の縁にかけて半身になると力が入るよ」。スコップを手によろよろと重い泥と格闘していると、傍らの男性が教えてくれた。  他の参加者は夜行バスで来たのに疲れた様子がない。3度目という名古屋市、伊藤謙介さん(73)は「一人で大きなことはできないが、皆でなら作業は早い。被災者に喜んでもらえて学びも多いボランティアをできる限り続けたい」と話す。  午後は富山県砺波市、森田恭弘さん(53)と、松田征治さん(79)宅の災害廃棄物を島外の仮置き場に車で運んだ。仮置き場で並んだのは15分ほど。しかし、森田さんによると3月は3時間待ったという。積み荷は年代物のミシンや美しい柄の器の破片などで、松田さん一家の思い出が詰まっているはず。それらを「小型家電」や「陶磁器」の山に分別する時、一言で「廃棄物」と呼んでしまっているものは、被災者の生きた証しなのだと胸に迫ってきた。  活動を終えて帰路に就く前に、同町の住民でボラセンとの連絡役を務める聖川つぼみさん(50)が「今や94歳のおばあちゃんも愛知ボラセンを知っている。片付けがはるかに早く進み、住民も前向きになった」とねぎらってくれた。住民の片付けはまだ続くが、島の仮設住宅には独居の高齢者もおり、ボラセンの活動は次の段階に入っていく。ボラセンの久田光政理事長(67)は「今後は住民のコミュニティー作りを応援したい」と話す。  野崎町では幸いに死者はいなかった。町内会の点呼に応答がない世帯へ、無事な人が駆けつけ、チェーンソーで倒壊家屋を切断して助けたという。農業でも協力する地域ならではの連携だ。南海トラフ地震に備え、都市部でも学ぶべきヒントがあるように感じた。  石川県穴水町で活動する「レスキューストックヤード」(名古屋市)も、ボランティア希望者を団体のブログで募っている。同県もボランティアの事前登録サイトを設け、登録者に活動案内の電子メールを送っている。 Adblock...
秋篠宮さまが石川・穴水の被災農家をお見舞い…被害状況を聞き「つらかったですね」 - 読売新聞オンライン

秋篠宮さまが石川・穴水の被災農家をお見舞い…被害状況を聞き「つらかったですね」 - 読売新聞オンライン

20.31
taritkar.blogspot.com  秋篠宮さまは18日、石川県穴水町を日帰りで訪れ、能登半島地震で被災した農家を見舞われた。同地震の被災者を見舞うのは2月に金沢市の病院で入院患者らと面会されて以来2度目。  秋篠宮さまは空路で石川県入りし、午前11時20分頃、車で穴水町の前田忠男さん(69)の農園に到着。園内の休憩所で前田さん親子と輪島市の米農家の川原義正さん(73)夫妻と懇談された。  前田さんは地震に伴う停電の影響で暖房が使えず、野菜の苗に被害を受けた。輪島市の義父は家屋の倒壊で亡くなったと話すと、秋篠宮さまからは「つらかったですね」といたわりの言葉があったという。  川原さんの自宅周辺は道路に地割れやゆがみが出たといい、秋篠宮さまは「外に出るのも大変だったでしょう」と気遣われた。前田さんは「心の支えと仕事の励みになった」と語った。 Adblock...
被災者7割 家賃立て替え 「みなし仮設」本来 公費負担ですが…:北陸中日新聞Web - 中日新聞

被災者7割 家賃立て替え 「みなし仮設」本来 公費負担ですが…:北陸中日新聞Web - 中日新聞

14.31
taritkar.blogspot.com  能登半島地震で被災し、自分で見つけた「みなし仮設」に入りました。今のところ家賃を立て替えていますが、いつごろ支払われるのでしょうか。(複数の被災者) 着の身着のまま「みなし仮設」に入居した被災者。電子レンジや冷蔵庫などの家電製品、食卓なども買いそろえなければならなかった=金沢市内で(奥田哲平撮影) 3155世帯利用 石川県内自治体、手続き遅れ  能登半島地震で避難し「みなし仮設住宅」で暮らす被災者から、本紙の「Your Scoop(ユースク)~みんなの取材班」に切なる声が届いた。石川県によると、本来は市町が負担する家賃を被災者が立て替えている事例が7割超に上ることが判明。避難先で始まった新生活で出費を余儀なくされる被災者からは、早期の支払いを望む声が上がる。(奥田哲平、広田和也、西浦梓司、西村理紗)  同県輪島市で被災した湊口由起美さん(56)は金沢市に避難し、2月上旬に家賃5万9千円の1LDKのアパートに入居。契約する際に家賃2カ月分や礼金などで三十数万円を払い、4月分も家賃を立て替えた。「子どもの教育費もあり、すぐに動かせるお金を用意するのが難しい。これなら2次避難先のホテルにいた方が良かったのかも」とこぼす。  みなし仮設は、自治体が民間の賃貸住宅を借り上げ、被災者が最長2年住める制度。「住宅の被害認定調査で半壊以上」「ライフラインが途絶し、長期間居住できないと市町が認める人」などが対象だ。富山、福井、新潟各県に避難した人を含め、15日時点で石川県内の被災者3155世帯が利用する。  本来の入居手順は、入居を希望する被災者が住民票のある市町に申請した後に県が書類を審査し、県から決定通知が出たら、被災者と市町、物件の貸主の3者で賃貸契約を結んでから入居する。ただ、広域避難が呼びかけられた能登半島地震では、罹災(りさい)証明書が発行される前に被災者がいち早く自分で物件を探して入居を始めた事例が多い。  その場合は、一般的な民間賃貸と同じように貸主と入居者の2者契約になるが、後からさかのぼっての手続きも可能。罹災証明書などを提出した上で「みなし仮設」として3者契約に切り替え、被災者がそれまで支払った家賃や礼金なども返金されるはずだった。  だが、3者契約の事務作業が遅れている。県が10日時点で集計した約2100世帯のうち、73%が2者契約のままだった。  輪島市の自宅が全壊し、1月下旬から金沢市内のアパートに暮らす70代の高齢者夫婦は、2月21日に3者契約のための書類を避難先の金沢市役所に提出した。だが、何の連絡もなく、家賃の支払いが続く。  さらに3者契約書がないため、公費で支援対象となる家電製品(テレビ、冷蔵庫、洗濯機)の購入費(上限13万円)の申請もできない状態だという。「リタイアした私たちは年金があり、少しの蓄えがある。若い人は仕事を失い、子どもの教育費もある。早く返金してあげてほしい」と望む。 関連キーワード おすすめ情報 Adblock...
能登に広がる160棟のハウス……被災者の願いと開発者の思い | NHK | WEB特集 - nhk.or.jp

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08.31
taritkar.blogspot.com 「やっと自分の家ができるなっていう喜びを感じました」 能登半島地震で自宅が全壊し、簡易住宅を建ててもらった人の声です。 その簡易住宅とは、ふわふわなメレンゲのような白い建物。でも実は、人が寝泊まりしたりすることができる、頑丈な“おうち”です。 被災した人に安心できる空間を届ける開発者の思いとは――。 (名古屋局記者...
天皇陛下 現実味帯びる前例なき「被災地への三連続ご慰問」背景に雅子さまの「ご嘆願」も - 女性自身

天皇陛下 現実味帯びる前例なき「被災地への三連続ご慰問」背景に雅子さまの「ご嘆願」も - 女性自身

18.31
taritkar.blogspot.com 4月12日、穴水町の避難所でお見舞いをされた天皇陛下と雅子さま /(C)JMPA 全壊した建物、半ば崩れている家屋……地震の爪痕がそのまま残された石川県の穴水町商店街。 町長からの説明を受けながら、真剣な表情で視察されていた天皇陛下と雅子さまが目を留められたのが、営業中の美容室「しらふじ」だった。店の中に人の姿があることに気づいた両陛下は、予定にはなかったが、町長に確認をとり、美容室に歩み寄られた――。 皇室担当記者はこう語る。 「4月12日、天皇皇后両陛下は能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県の穴水町と能登町を訪問されました。石川県への慰問は3月22日の輪島市と珠洲市に続き、2度目です。同一県での被災地連続ご訪問は、’95年、阪神・淡路大震災後の2月と3月に兵庫県を連続で訪問されて以来、29年ぶりとなりました」 前回同様、ヘリコプターとマイクロバスを乗り継いで移動されるハードスケジュールとなった。 「能登半島地震の被害は広範囲に及びます。1日だけのお見舞いでは足りないとお考えだったのでしょう。実は3月22日のお見舞いでは、避難所付近の住民たちでも、両陛下のご訪問を知らなかった人が多かったのです。両陛下としては“もっと多くの被災地の住民たちを励ましたい”というお気持ちも抱かれていたと思います」(前出・皇室担当記者) 予定外の美容室へのお立ち寄りも、そうしたお気持ちの表れだったのかもしれない。 雅子さまは美容室のオーナー・宮下由里重さん(49)に「大変でしたね。大丈夫でしたか? いつからお店を営業されているのですか?」などと声をかけられたという。 お店に『女性自身』も置いてくれている宮下さんは、本誌の取材に次のように話してくれた。 「雅子さまの声はおやさしくて、本当に心配してくださっている気持ちが伝わってきました。ご質問には、『2月から水が通ったので、2月から営業しています』と、お答えしました。雅子さまのお姿は雑誌やテレビでも拝見しています。でも実際にお会いすると、やっぱり写真や映像とは全然違いますね。お声をかけていただいたことで、元気になりましたし、力を与えていただいたように感じました」 次ページ...
熊本地震の前震から8年 遺族や被災者「寄り添う行政を」 - au Webポータル

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06.31
taritkar.blogspot.com 熊本地震の前震から14日で8年となりました。益城町の県道の4車線化など復旧・復興が進む一方で、遺族や... 04/15 20:58 テレビ熊本 Adblock test (Why?) からの記事と詳細...