「いつか笑い合える。厚真町もそうだったから」 5年前、地震に山をえぐられた被災地から能登へ、復興のエール ... - 東京新聞

「いつか笑い合える。厚真町もそうだったから」 5年前、地震に山をえぐられた被災地から能登へ、復興のエール ... - 東京新聞

01.32
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 能登半島地震からまもなく4カ月。復興の歩みは今も道半ばだ。2018年9月に最大震度7を観測し、44人が死亡した北海道胆振(いぶり)東部地震も過疎化が進む農業地域だった。あれから5年半以上がたち、かつての被災地は今、どうなっているのか。能登の復興に生かす術(すべ)はあるか。震源地となった厚真(あつま)町の職員とともに現場を巡った。(木原育子)

 北海道胆振東部地震 2018年9月6日午前3時7分、マグニチュード(M)6.7の地震が発生。道内で初めて最大震度7を観測した。広範囲な土砂崩れで、崩壊土量は3000万立方メートルで明治以来最大。火力発電所が停止するなどし、道内のほぼ全域が停電する「ブラックアウト」に。全域復旧に2日を要した。

かつての被災地を案内してくれた厚真町職員の小山さん

かつての被災地を案内してくれた厚真町職員の小山さん

◆一時孤立、能登と似た状況

 「今走っているこの道路も通行できず、一時は能登と似て孤立に近い状況でした」。車で案内してくれたのは厚真町職員の小山敏史さん(47)。復興計画を策定するまちづくり推進課に身を置き、町の復興を間近で見てきた。

 北海道の地震と言えば、広範囲にわたって豊かな山の緑が崩れた無残な光景が象徴的。被害が大きかった現場に立ち、周囲を見渡すと、山肌は不自然な急カーブを保ってえぐられたまま。山ののり面は、「ばんそうこうを貼ったような」(小山さん)吹き付け施工で保護されているが、痛々しい。移植された木々は産毛が生えた状態で、山を形成するには後何十年もかかりそうだ。

◆「木が怖い」心に残る被災者の言葉

 発災当初、小山さんは被災者のこんな言葉を覚えている。「動くはずのない木々が大きな体を揺らして猛スピードで大切な家屋や生活をなぎ倒していった。『木が怖い』って」

 さらに車を走らせると、町内で最も被害が大きかった吉野地区にたどり着いた。13世帯34人が暮らしていたが、19人が亡くなった。再建の見込みは立たず、今は誰も住んでいない。

かつて土砂にまみれた現場で農作業に励む早坂さん=北海道厚真町吉野地区で

かつて土砂にまみれた現場で農作業に励む早坂さん=北海道厚真町吉野地区で

 そんな集落で、記者を待っていてくれたのは早坂信一さん(59)だ。

 地震で父清さん=当時(81)=と母艶子さん=当時(80)=を亡くした。清さんは長年地元農協で理事を務め、艶子さんも農協で町の特産みそ「おふくろみそ」の開発に携わった地区のリーダー的存在。早坂さんは両親と少し離れた場所で暮らし、親子で米作りにいそしんできた。

◆「ぼくの両親よりこの子たちの家族を」

 発災直後、早坂さんが夢中で駆けつけたが、実家は黒い土砂の中。実家の隣に住んでいた高校生が妹の名を泣き叫んでいる。救急隊に「ぼくの両親よりこの子たちの家族を」。両親の死さえ泣くに泣けなかった。

 葬儀の後、辺りを見渡すと、大量の土砂が流れ込んだ田んぼの片隅で、金色の稲穂が風に揺れていた。「稲刈りをあきらめることは、亡くなった人たちが丹精込めて育てたお米まで無にすること」。地震で稲刈りできなくなった地域の若い人らにも協力をあおぎ、農協や共済と相談してメーカーから農機具を借り、地割れで凸凹になった大地を前に進んだ。

 収穫しながら芽生えた農業者としての自負。「へこたれているわけにはいかない」。地震で農業を続けられなくなった人らの田畑も託され、無住の被災地で、一人で農業を続けている。

 早坂さんは言う。「復興は必ず定住しなくてはならないという原則はなく、日常の取り戻し方はきっといろいろある」としつつ、被災した者同士、能登を思う。「本当に困っている人はわかりにくい。簡単に割り切れない気持ちもあるだろうが、いつか笑い合える。厚真町もそうだったから」

◆地域を支える「なごみ力」

コミュニティーセンターに集う人たちが能登の被災者に向けて書いたメッセージカード

コミュニティーセンターに集う人たちが能登の被災者に向けて書いたメッセージカード

 地震で新たに生まれたものもある。吉野など周辺3地区の公民館として生まれ変わった「厚北地域防災コミュニティーセンターならやま」もそのひとつだ。

 「ようこそ」。明るい声のトーンで地域の人らを出迎えるのはセンターの集落支援員の山口純子さん(62)。高齢者の多い地域で、震災前は介護職員だったが、災害後は災害ボランティアセンターの運営や生活支援相談員としての仮設住宅の見回りなど地域の声に耳を傾け続けてきた。

 ふわっと相手の心に入っていく山口さんの「なごみ力」に、地域は支えられてきた。「『助けてほしい』と言えない人ばかりになるのが被災現場です」

 現在、センターに集う人らが夢中になるのは毛糸の小物作りだ。「能登の被災者向けに一針ずつ願いを込めている。厚真町も当時、全国から寄せられた小物に励まされた。恩送りです」と目を細め、「どんなことでもOK。自分以外の誰かのために動けることが明日への活力です」と、能登とともにあることを伝える。

◆トヨタを退社し故郷で起業

 当時は仮設住宅が至る所に建てられ、現在は町営住宅に。そんな町の中心部に、空き家を活用してできたコミュニティースペース「イチカラ」も軌道に乗り始めていた。

空き家を利用して運営するコミュニティースペース「イチカラ」。老若男女が集う=北海道厚真町で

空き家を利用して運営するコミュニティースペース「イチカラ」。老若男女が集う=北海道厚真町で

 運営するのは成田智哉さん(35)。東大卒業後、トヨタ自動車に入社し、駐在員としてブラジルに赴任した。何不自由ない生活でありがたかったが、現地社員との「差」は歴然。もやもやを感じ始めていた頃、故郷での地震も重なり、思い切って退社した。

 震災から半年後、起業を決意し、北海道に帰郷。ローカルベンチャー制度に応募した。雪かきや通院の足の確保など地域の困り事を地域で解決するマッチングアプリの開発など、テクノロジーを駆使しながら、これまでにない社会の仕組みをイチカラから発信しようと試みている。

 「東京ばかりが豊かになってもしょうがない。地域こそ元気にならないとこの国は終わる」と語る。「厚真町でも能登でも、もうわかったはず。災害時に本当に大切なことは人と人とのつながり。普段からつながり合っている町こそ強い」

◆いつか満開のサクラを

 つながり合いは無住の吉野地区にも芽吹く。山ののり面の一部には、冬の厳しい外気から守られるように、白い袋で覆われた若木が並ぶ場所があった。

 震災前、地区名の由来となる吉野神社があり、春に満開に咲く桜が地域の憩いの場だった。「吉野という地名の縁もあり、桜の名所として有名な奈良の吉野山にあやかり、桜を植えることになった」と前出の小山さん。奈良からシロヤマザクラが寄贈され、道内のオオヤマザクラなども含め計約80本が移植された。

地震の影響で起きた土砂崩れ=2018年、北海道厚真町(本社ヘリ「まなづる」から)

地震の影響で起きた土砂崩れ=2018年、北海道厚真町(本社ヘリ「まなづる」から)

 小山さん自身も香川出身で、厚真町とは縁もゆかりもなかった。スポーツ関連企業で働いていた時、たまたま厚真町近くの市に赴任。知人から公務員を勧められ、「穏やかで住みやすい」と家族で移住した。入庁7年後に被災自治体に。直属の上司だったまちづくり推進課長も地震で亡くなり、司令塔を失った悲しみの中での支援活動だった。

 「桜はやっと葉がついた段階で花はまだまだ。いつか満開の桜を咲かし、多くの人が訪れてくださった時が本当の復興でしょうか」と語り、続けた。「能登にも笑顔咲く日が来ることを願っています。何か厚真町にできることはないですか。いつでも連絡ください」

◆デスクメモ

 能登半島地震で10日間孤立した集落の避難者を取材した。地域の人たちが食べ物を持ち寄って、皆で支え合ったという。自分以外の誰かのために。山口さんの言葉は、地域に根付いた「結いの心」の強さを示す。次の世代にどう伝えていくか。日本全体の課題ととらえたい。(拓)

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「甲子園ヒーロー揚げ」能登被災者の力に 阪神・淡路大震災の記憶に動かされ、生みの親らが1300個炊き出し - 神戸新聞NEXT

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05.31
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蛸島小学校で甲子園ヒーロー揚げを調理する山崎哲さん=2月19日、石川県珠洲市(山崎さん提供)

 ご当地グルメ「甲子園ヒーロー揚げ」を販売する兵庫県西宮市の飲食店主ら4人が、能登半島地震の被災地で炊き出しをした。生みの親の山崎哲(あきら)さん(55)が呼びかけ、名物を避難所で提供した。「自己満足じゃないのか」との思いもよぎったが、それでも山崎さんを動かしたのは、阪神・淡路大震災の記憶だった。(地道優樹)

 2月19日、山崎さんは倒壊した家々が残る石川県珠洲市内を車で走っていた。住民が身を寄せる蛸島小学校にヒーロー揚げを届けるためだ。珠洲市では103人が亡くなり、2400戸以上の住宅が全壊。半壊も2千戸近くに上った。撤去が追い付かず、山積みになったがれきを見て、29年前を思い出していた。

 1995年1月17日、神戸市東灘区の自宅で激しい揺れに襲われた。幸い家族は無事だったが、4階建てマンションは全壊。部屋を出ると、目の前で阪神高速道路が横倒しになっていた。

 当時25歳。陸上自衛隊を退職後、料理店で修業し、西宮市内に焼き鳥店を開いたばかりだった。震災直後は親族が住む神戸市長田区に向かい、生き埋めになった人たちの救助を手伝った。その後も店は再開できず、代わりに各地で炊き出しをし、バイクで避難所に救援物資を届けて回る日々を送った。

 ボランティア活動は4カ月ほど続けた。焼き鳥店の開業で約2千万円の借金を抱えていたが、「人の役に立てている」という実感が将来への不安を消してくれた。ようやく日常を戻り戻した時、「なぜか心に穴が開いたような、取り残されたような感覚になった」

    ■  ■

 今年の元日。能登の被害映像を見た瞬間に「行こう」と思った。コロナ禍による経営悪化が長引き、心を病みかけていた。「能登に行けば何かが変わるかもしれない」。奔走した阪神・淡路の記憶がよみがえった。

 しかし地震直後、石川県が個人のボランティアを自粛するよう呼びかけていた。山崎さんも自問を重ねたが「いても立ってもいられなかった」。人づてに珠洲市の市議を紹介してもらい、食材の準備から撤去まで「自己完結する」という条件で「炊き出しをしたい」と相談。避難所に寄せられる救援物資はおにぎりやカップ麺などが多いといい、「肉はありがたい」と歓迎された。

 7時間かけてたどり着き、約1300個のヒーロー揚げを調理した。生活の場に立ち入らないようスタッフに配ってもらったから、味の感想は聞いていない。住民と話す機会もあったが、「頑張ってください」とは言えなかった。やることは山積みだけど気持ちが追いつかない。あの頃の自分と重なった。

 「遠いのにありがとうね」。自宅が断水し、学校までシャワーを浴びに来ていた高齢男性から声をかけられた。「甲子園行きたいなあ」

 石川県では現在も4500人以上が避難所暮らしを余儀なくされている。炊き出しの後、「やはり1回限りの支援ではどうにもならない」と痛感した。次は6月ごろにも現地入りを考えているという。

甲子園ヒーロー揚げ】二つに割って食べられる▽サクサクの衣▽にんにくダレ-の3カ条からなる手羽の唐揚げ。中国語で鶏肉を意味する「ジーロウ」が名前の由来で、甲子園を中心に市内の13飲食店が販売する。店主らでつくる「西宮・甲子園ヒーロー揚げ推進委員会」が普及を目指している。

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公費で被災者の洗濯支援、石川 - 中国新聞デジタル

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18.31
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 震災発生から3週間が経過した1月24日に石川県珠洲市の小学校で稼働した移動式ランドリー

 能登半島地震に伴う断水被害が大きかった石川県で、避難所に身を寄せる被災者の衣類をクリーニング業者が回収し、洗濯を代行する取り組みが公費で実施されていることが27日までに内閣府と県への取材で分かった。災害救助法に基づく対応で、断水が長期化した県内5市町で実施。内閣府によると「直近10年で事例はない」といい、初のケースとみられる。関係者からは被災者支援として定着させるべきだとの声が出ている。

 洗濯支援の公費負担は、災害救助法で規定する被災住民への「応急救助」のうち避難所の運営費用として扱われ、珠洲市や能登町などで対象となった。業者が衣類を回収し、洗濯して返す形で支援が実施された。

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石川 大型連休で多くのボランティア見込み “遠慮せず依頼を” | NHK - nhk.or.jp

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16.31
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27日からの大型連休の期間中、ことし1月に起きた能登半島地震の被災地に向かうボランティアの大学生もいます。

都内の大学では被災地の現状や被災者と接する際の注意点などに関する説明会が開かれました。

東京 八王子にある中央大学では、能登半島地震の被災地に有志の学生を募って災害ボランティアを派遣する取り組みを行っていて、大型連休期間中も5月1日から3日までの間、石川県能登町に派遣します。

26日は参加する学生を対象にオンラインを交えた説明会が開かれ担当者が
▽ボランティアを行う地区は水道が先週、復旧したばかりであることや
▽被災者と話す際は、無理に何かを聞くのではなく相手が話したいタイミングを待つ方がよいことなどを説明していました。

大学によりますと、大型連休中の活動には78人の申し込みがありましたが、安全面を考慮して16人に絞り込んだということです。

参加を予定している大学2年の女子学生は「被災地のことは人伝いに聞いていたが、自分の足で直接訪れて今できることをしたいと考えて応募しました。少しでも現地の人を笑顔にできるように力になってきたいと思います」と話していました。

また、大学3年の男子学生は「去年、金沢に住んでいる友人を訪ねて、ことしは輪島に行く約束をしていましたが行けませんでした。現地の人がなるべく楽になるように力仕事を頑張りたい」と話していました。

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被災者負担抑え必要な支援を…ボランティア増加見込まれるGW 石川県が被災者のニーズ掘り起こしテコ入れ|FNN ... - FNNプライムオンライン

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07.31
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今週末から始まるゴールデンウィーク。県は多くのボランティアに来てもらうと被災者のニーズの掘り起こしに力を入れています。どうすれば必要な支援が届くのか
。ニーズ調査の現場を取材すると課題が見えてきました。

馳知事:
「ニーズを掘り起こしてさらなる受け入れを加速化させていきたい」

先週の会見でこう強調した馳知事。ボランティアが増えると見込まれるゴールデンウィークを控え、県がテコ入れしているのが被災者のニーズの掘り起こしです。

ニーズ調査:
「今ボランティアのニーズ調査をお伺いしていまして。」

珠洲市大谷(おおたに)地区。住民のもとを訪れたのは市の社会福祉協議会から委託を受けた労働組合・連合の職員です。今月15日から市内1軒1軒を回り、困っていることがないかなどを聞いて回っています。

職員:
「お優しい方が多いのでうち大丈夫って方が多いんです。なので積極的に言っていただけたらボランティア派遣するっていうのをしていますので」
住民:
「またお願いします」

取材班が同行している間、困っているという声はあったもののボランティアの依頼はありませんでした。

ボランティアの依頼をしたことがない人:
「うちの中やわくそやわね、でも重たいものはないから。(ボランティア)してもらえばいいんやけど…すぐ片付くわねえ

調査の担当者:
「遠慮深いのかなと。もっとひどい家に行ってくださいと言われるので。ボランティアをする人もいっぱい来ていると思うのでぜひ頼っていただいて利用していただければ、より復興も進むのかなと思いますので」

こうしたニーズをとりまとめてボランティアに作業を依頼する役割を担うのが各地の社会福祉協議会です。今回のニーズ調査によってボランティアの依頼はおよそ2倍に増えたそうです。このため珠洲市はゴールデンウイーク期間中、ボランティアの受け入れを現在のおよそ70人から100人ほどに増やして対応する予定です。

ただ、ここでも課題が…

珠洲市社会福祉協議会 塩井豊事務局長:
「市外、県外に避難されている方、お仕事されている方のご都合もあるということで、実際にはボランティアに来てほしいという方は何人もいらっしゃるんですけど、日が決まっているということであれば、その日に入ってくるボランティアさんも数が決まっているので、そこが課題といえば課題」

例えば被災者が、自宅の片付けボランティアを依頼する場合事前調査と活動日の2度、立ち合いが必要になります。このため、日程調整に時間がかかっているのだといいます。

二次避難者からもこんな声が…

二次避難している人:
「今、ボランティアを頼んでるだけれども、ボランティアが来るときに(自宅に)行こうかと。」
二次避難している人:
「連絡が来ればね」
二次避難している人:
「一遍に(ボランティアを)寄せられないもんね」
記者:
ボランティア依頼の申し込みは?
二次避難した人:
「してあります。してあるが手付かずだわ、みんな」

一方、断水している地域に自宅がある人からはこんな声も聞かれました。

避難している女性:
「水が出ないもんで、だから何にも片づけるにもトイレもだめやし。家の中はがちゃがちゃやけど(ボランティアを頼む)までまだ考えられん」

被災者の負担を抑えながら必要な支援を受けられるようにするにはどうすればよいのか。県にはきめ細やかな対応が求められます。

石川テレビ

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能登地震で被災した映像作家 映画で伝えたかった珠洲の姿とは - 毎日新聞

能登地震で被災した映像作家 映画で伝えたかった珠洲の姿とは - 毎日新聞

14.31
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珠洲を舞台にしたドキュメンタリー映画を製作する有馬尚史さん=石川県珠洲市蛸島町で2024年4月1日午後3時32分、阿部弘賢撮影
珠洲を舞台にしたドキュメンタリー映画を製作する有馬尚史さん=石川県珠洲市蛸島町で2024年4月1日午後3時32分、阿部弘賢撮影

 2023年5月5日、石川県珠洲(すず)市は震度6強の揺れに見舞われ、300棟以上が全半壊するなど被害が出た。映像作家の有馬尚史(ひさし)さん(36)=東京都町田市=は、珠洲の祭りを通じて復興へ歩む人々をドキュメンタリー映画にしようと被災地に通っていた。そのさなかで、今年1月の能登半島地震に遭遇した。

巨大なキリコが町を巡る宝立七夕キリコまつり=石川県珠洲市で2023年8月5日、国本ようこ撮影
巨大なキリコが町を巡る宝立七夕キリコまつり=石川県珠洲市で2023年8月5日、国本ようこ撮影

キリコの撮影から始まった

 映画は「凪(なぎ)が灯(とも)るころ」。能登地方では夏の伝統行事として、大きい物では重さ約4トン、高さ15メートルを超える灯籠(とうろう)を引き回す「キリコ祭り」が催される。キリコとは、この灯籠のことだ。

 有馬さんは、珠洲にボランティアに入っていた知人から映画の話を持ちかけられ、23年5月下旬からカメラを回し始めた。住民らは当初、祭りをやるべきか悩んでいたものの、時期が近づくにつれ次第に団結していった。

 有馬さんは8月と9月には市内3地区に密着し、住民らが勇壮にキリコを巡行させる姿を撮影した。「誰もが真剣に祭りと向き合っていた。祭りを通じて街の雰囲気が変わっていくのを感じた」

 以前のような明るさを取り戻した年末年始を撮るため、12月28日に再び珠洲に入った。住民らが除夜の鐘を鳴らしたり、元旦に初詣をしたりする様子などを撮った。

突然の大きな揺れ

能登半島地震後の石川県珠洲市内の様子=2024年1月2日午前11時52分(有馬尚史さん提供)
能登半島地震後の石川県珠洲市内の様子=2024年1月2日午前11時52分(有馬尚史さん提供)

 その日の午後4時過ぎは、撮影の合間で市内の民家で仮眠していた。突然の大きな揺れで跳び起き、慌ててカメラを回し始めた。

 直後に、更に強烈な揺れに襲われた。「ガタガタ」と建物がきしみ、瓦などが崩れ落ちて砕ける音が響いた。身の危険を感じて外へ飛び出した。

 生き物のように動く地面。建物が倒壊して舞い上がる土ぼこり。目に飛び込んできたのは、信じられない光景だった。

 その後、車で高台に避難し、そのまま車中で夜を過ごした。

 翌2日、海沿いの珠洲市蛸島(たこじま)町地区を歩いた。辺りはほとんどの建物が倒壊し、壊滅状態だった。「街はどうなってしまうのか」。絶望感がこみ上げてきた。

 その夜、避難所になった小学校に避難し、被災者らと一緒におにぎりを作った。懐中電灯の明かりの下、持ち寄った米と釜でご飯を炊いて、1人1個ずつ配った。自分も一つ食べた。「皆が大変だったが、部外者を優しく受け入れてくれてありがたかった」

被災地の現実を伝える映画に

珠洲を舞台にしたドキュメンタリー映画を製作する有馬尚史さん(右)。漁港を補修する人を撮影した=石川県珠洲市蛸島町で2024年4月1日午後3時27分、阿部弘賢撮影
珠洲を舞台にしたドキュメンタリー映画を製作する有馬尚史さん(右)。漁港を補修する人を撮影した=石川県珠洲市蛸島町で2024年4月1日午後3時27分、阿部弘賢撮影

 当初の予定より1週間ほど遅れて1月14日に東京に戻ると、すぐに本格的な編集作業に入った。

 何度も通って撮影した街並みや風景の多くは、今回の地震で大きく傷つき、失われた。その中で、どう映画製作を進めていけばいいのか悩み、落ち込んだ。

 3月下旬に約1週間、珠洲で追加の撮影をした時だった。「こんな時こそ、キリコを出さないと」。被災した住民らが今夏の祭りのことを話していた。「これが珠洲の人たちだ。自分も頑張らないと」と住民に勇気づけられた。

 今は完成に向けて、作業に追われるが「昨年の祭りから今年の地震まで撮ったのは自分だけ。映画を完成させられるのは自分しかいない」と気持ちは前向きだ。

 映画は6月にも、被災者向けの金沢市の試写会で先行公開される。「希望が見える作品にはならないかもしれないが、被災地の現実を伝え、困難に遭っても負けない人がいることを知ってもらうことで、多くの人の励みになってほしい」【阿部弘賢】

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【熊本地震8年・被災者は思う⑨】大津町の上妻千穂さん(67) 南阿蘇の空気や水が恋しい|熊本日日新聞社 - 熊本日日新聞

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00.31
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被災者の生活再建へ公助の制度も きっかけは阪神大震災 覚えておきたい「応急修理」やローン減免のガイドライン【まね得 地震とお金・後編】 

熊本日日新聞2024年4月19日 06:01

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「危険」でも自宅で生活 2次避難者の半数帰宅 〈1.1大震災 どうなる被災地〉|社会|石川のニュース|北國新聞 - 北國新聞デジタル

「危険」でも自宅で生活 2次避難者の半数帰宅 〈1.1大震災 どうなる被災地〉|社会|石川のニュース|北國新聞 - 北國新聞デジタル

14.31
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応急危険度判定で「要注意」の紙が貼られた住宅。2次被害のリスクがある自宅に戻る被災者もいる=輪島市内

応急危険度判定で「要注意」の紙が貼られた住宅。2次被害のリスクがある自宅に戻る被災者もいる=輪島市内

  ●県、損傷状況把握せず

  ●「孤立」で体調急変も懸念

 能登半島地震後、2次避難先から被災者の半数が自宅に戻り、その帰宅先の家屋の被災状況を石川県が把握できていないことが22日分かった。余震による倒壊などの恐れがあるにもかかわらず、修繕や安全確認を行わないまま暮らし始めるケースもある。専門家は2次被害の危険性に加え、「大勢が過ごす避難所に比べ、在宅では体調の急変に気付くのが遅れやすい」と孤立に伴うリスクを指摘。災害関連死の増加につながりかねないとして警鐘を鳴らす。

 県によると、これまでに県内外のホテルや旅館に2次避難した人は最大5275人で、このうち3043人が今月16日時点で退所した。退所者を対象に実施したアンケートによると、49%が自宅に戻り、29%がみなし仮設住宅に入居。被災地の仮設住宅に入ったのは全体の8%だった。

 アンケートでは、自宅の応急危険度判定の結果や罹災証明書について尋ねておらず、帰宅した被災者の自宅の損傷状況は分からない。このため県は自宅に戻る人に対し、建築関係者の助言を事前に受けるよう呼び掛けているが、「建物が危険と判断されても立ち入りを禁止することはできない」(建築住宅課)という。

 3月末に金沢市の2次避難先から輪島市の自宅に戻った男性(78)は、帰宅後に罹災証明書の交付を受けて自宅が「半壊」と知ったが、そのまま生活を続ける。男性は「直したくても業者が見つかりにくく、費用もかかる」と悩ましげに話した。

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V1岡山シーガルズ 能登半島地震の被災地支援で義援金を寄付|NHK 岡山県のニュース - nhk.or.jp

V1岡山シーガルズ 能登半島地震の被災地支援で義援金を寄付|NHK 岡山県のニュース - nhk.or.jp

11.31
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バレーボール女子のVリーグ1部V1の岡山シーガルズの選手が能登半島地震の被災地を支援しようと試合会場で義援金を集め、日本赤十字社に寄付しました。

岡山シーガルズの高柳有里選手らが22日に、岡山市北区の日本赤十字社岡山県支部を訪れ「被災地のために何かできることはないかと募金活動を行った。被災地に思いが届いてほしい」と述べて、義援金を寄付しました。
チームは、ことし1月から3月にかけて、岡山市などで行われた7回のホームゲームで、能登半島地震の被災者支援の募金活動を行い、あわせて78万5968円が集まったということです。
日本赤十字社によりますと、岡山県支部には3月末までに4億7300万円あまりが集まっていて、引き続き県内の金融機関や窓口などで受け付けています。
義援金は被災した県に設置された配分委員会を通じて、全額が被災者に現金で渡されるということです。
高柳選手は「直接的なかかわりは難しいかもしれないが、こういった活動やスポーツの力で少しでも被災者の皆さんに元気を与えられたら」と話していました。

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被災者遺族の思いに応える業者、出棺時に自宅跡地へバス走らせる…葬儀に心込めつつ「いつか結婚式再開したい」 - 読売新聞オンライン

被災者遺族の思いに応える業者、出棺時に自宅跡地へバス走らせる…葬儀に心込めつつ「いつか結婚式再開したい」 - 読売新聞オンライン

10.31
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 福島第一原発事故で避難を余儀なくされた住民の中には、古里に戻れないまま、避難先で亡くなった人も多い。「自宅の跡地に寄ってもらえますか」。福島県浪江町の葬祭業「 如水じょすい 」の社長朝田英謙さん(48)は、出棺時に遺族からこんな要望を受けることがあるという。

 元々住んでいた町で葬儀を行い、 荼毘だび に伏す前に自宅の跡地を故人に見せたい。朝田さんはそんな思いに応え、遺族を乗せたバスを運転する。一周忌の法事でも、親族が故人の自宅跡地に寄った後で墓地に納骨することがあり、朝田さんは「慣れ親しんだ土地を突然失い、そのまま亡くなって。気持ちはよく分かる」と話す。

 如水は1988年、結婚式場として出発した。朝田さんの祖父が創業者から経営を引き継ぎ、2003年頃に葬儀場も運営。かつては数百人が参列した結婚式だったが、不況となって参列者が減り、利益が上がりにくくなった。そこで、一定の需要が見込める葬式や法事も手がけるようになった。

 葬式などの司会は、母親で常務の邦子さん(79)が務めた。故人の生前の様子を遺族から聞き取って紹介したり、カラオケ好きな故人の場合は生前の歌声を流したりと、心のこもった葬儀を目指してきた。

 震災後、事業を再開できたのは17年。居住人口が震災前の10分の1になった浪江町での営業は苦境が続いている。震災前は年150件程度あった葬儀が、いまは年に数件程度。結婚式は需要がないため、再開できていない。「結婚式は幸せをつくる仕事。本当はやりたいんですけどね」。朝田さんは寂しそうに語る。

 地元の同級生や先輩、後輩はみんな如水で結婚式を挙げた。朝田さんが司会を務めたが、「『お前は飲み過ぎるから』と断られたこともあった」と笑う。自身の結婚式も、もちろん如水で挙げた。みんな笑顔で、「こんなに祝福されるものなのか」と初めて高砂から見る景色に胸がいっぱいになった。震災の半年前のことだ。

 建設会社に貸していた施設が今後返却される予定で、7月には300人程度が入る宴会場を再び利用できるようになる。「これから町の復興が進めば、多くの人が集まれる場所が必要になる。いつか結婚式が再開できれば」。朝田さんはその日を待ち望んでいる。(山口優夢)

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復興へ地震被災者の心ケアを - カナロコ by 神奈川新聞

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18.31
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 能登半島地震の被災地支援に当たる金沢大の教員や学生らが開いた報告会=21日午後、金沢市

 能登半島地震の被災地支援に当たる金沢大の教員や学生らが21日、金沢市内で報告会を開催した。ボランティアに参加する学生や2次避難の児童・生徒をサポートしている教員からは、子どもとの交流の場をつくる大切さを強調する意見が出た。復興に向けては、被災者の心のケアの重要性を訴えた。

 被災地の医療を支援している金沢大病院神経科精神科長の菊知充教授は「過去の災害では、人とのつながりが薄くなるとストレスの度合いが高まることが分かっている」と指摘。被災者の心理的負荷を継続して調査する必要があると強調した。

 ボランティア団体に所属する学生は家財の片付け、避難者への炊き出しなどを報告した。

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能登被災地の片付けに汗 発生3か月半 高齢者支援も課題 記者ボランティア参加 - 読売新聞オンライン

能登被災地の片付けに汗 発生3か月半 高齢者支援も課題 記者ボランティア参加 - 読売新聞オンライン

06.31
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 能登半島地震の発生から3か月半。被災地では今も、県内の複数のボランティア団体が復興支援の活動を続けている。現地は今どんな状況で、被災者は何に困っているのか。NPO法人「被災者応援 愛知ボランティアセンター」(ボラセン、名古屋市)の活動に参加して、現在、必要とされている支援を探った。(中村亜貴)

 道には地割れが残り、瓦屋根が地面につくほど潰れた家も目立つ。ボラセンが活動する石川県七尾市の能登島。この島の東部に位置する野崎町では、約100軒ある住宅の2割が全壊した。半壊や一部損壊を含めればほとんどに被害があったという。

 ボラセンのボランティアは週末夜にバスで名古屋を出発して、車中泊後の朝から作業を始め、その夜に名古屋に戻る。14日朝、高校生から70歳代までの約40人が参加した今回の活動に、現地で合流した。

 最初の作業は田んぼ脇の水路の掃除。例年は、田植え前の3月に住民が協力して泥をさらうのだが、今年は手が回っていない。地震で崩れた土砂も流入しており、家の片付けが少し進んでも、他にもやらなければならない作業が山積しているのだと改めて知った。

 「片足を側溝の縁にかけて半身になると力が入るよ」。スコップを手によろよろと重い泥と格闘していると、傍らの男性が教えてくれた。

 他の参加者は夜行バスで来たのに疲れた様子がない。3度目という名古屋市、伊藤謙介さん(73)は「一人で大きなことはできないが、皆でなら作業は早い。被災者に喜んでもらえて学びも多いボランティアをできる限り続けたい」と話す。

 午後は富山県砺波市、森田恭弘さん(53)と、松田征治さん(79)宅の災害廃棄物を島外の仮置き場に車で運んだ。仮置き場で並んだのは15分ほど。しかし、森田さんによると3月は3時間待ったという。積み荷は年代物のミシンや美しい柄の器の破片などで、松田さん一家の思い出が詰まっているはず。それらを「小型家電」や「陶磁器」の山に分別する時、一言で「廃棄物」と呼んでしまっているものは、被災者の生きた証しなのだと胸に迫ってきた。

 活動を終えて帰路に就く前に、同町の住民でボラセンとの連絡役を務める聖川つぼみさん(50)が「今や94歳のおばあちゃんも愛知ボラセンを知っている。片付けがはるかに早く進み、住民も前向きになった」とねぎらってくれた。住民の片付けはまだ続くが、島の仮設住宅には独居の高齢者もおり、ボラセンの活動は次の段階に入っていく。ボラセンの久田光政理事長(67)は「今後は住民のコミュニティー作りを応援したい」と話す。

 野崎町では幸いに死者はいなかった。町内会の点呼に応答がない世帯へ、無事な人が駆けつけ、チェーンソーで倒壊家屋を切断して助けたという。農業でも協力する地域ならではの連携だ。南海トラフ地震に備え、都市部でも学ぶべきヒントがあるように感じた。

 石川県穴水町で活動する「レスキューストックヤード」(名古屋市)も、ボランティア希望者を団体のブログで募っている。同県もボランティアの事前登録サイトを設け、登録者に活動案内の電子メールを送っている。

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秋篠宮さまが石川・穴水の被災農家をお見舞い…被害状況を聞き「つらかったですね」 - 読売新聞オンライン

秋篠宮さまが石川・穴水の被災農家をお見舞い…被害状況を聞き「つらかったですね」 - 読売新聞オンライン

20.31
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 秋篠宮さまは18日、石川県穴水町を日帰りで訪れ、能登半島地震で被災した農家を見舞われた。同地震の被災者を見舞うのは2月に金沢市の病院で入院患者らと面会されて以来2度目。

 秋篠宮さまは空路で石川県入りし、午前11時20分頃、車で穴水町の前田忠男さん(69)の農園に到着。園内の休憩所で前田さん親子と輪島市の米農家の川原義正さん(73)夫妻と懇談された。

 前田さんは地震に伴う停電の影響で暖房が使えず、野菜の苗に被害を受けた。輪島市の義父は家屋の倒壊で亡くなったと話すと、秋篠宮さまからは「つらかったですね」といたわりの言葉があったという。

 川原さんの自宅周辺は道路に地割れやゆがみが出たといい、秋篠宮さまは「外に出るのも大変だったでしょう」と気遣われた。前田さんは「心の支えと仕事の励みになった」と語った。

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被災者7割 家賃立て替え 「みなし仮設」本来 公費負担ですが…:北陸中日新聞Web - 中日新聞

被災者7割 家賃立て替え 「みなし仮設」本来 公費負担ですが…:北陸中日新聞Web - 中日新聞

14.31
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 能登半島地震で被災し、自分で見つけた「みなし仮設」に入りました。今のところ家賃を立て替えていますが、いつごろ支払われるのでしょうか。(複数の被災者)

着の身着のまま「みなし仮設」に入居した被災者。電子レンジや冷蔵庫などの家電製品、食卓なども買いそろえなければならなかった=金沢市内で(奥田哲平撮影)

着の身着のまま「みなし仮設」に入居した被災者。電子レンジや冷蔵庫などの家電製品、食卓なども買いそろえなければならなかった=金沢市内で(奥田哲平撮影)


3155世帯利用 石川県内自治体、手続き遅れ

 能登半島地震で避難し「みなし仮設住宅」で暮らす被災者から、本紙の「Your Scoop(ユースク)~みんなの取材班」に切なる声が届いた。石川県によると、本来は市町が負担する家賃を被災者が立て替えている事例が7割超に上ることが判明。避難先で始まった新生活で出費を余儀なくされる被災者からは、早期の支払いを望む声が上がる。(奥田哲平、広田和也、西浦梓司、西村理紗)

 同県輪島市で被災した湊口由起美さん(56)は金沢市に避難し、2月上旬に家賃5万9千円の1LDKのアパートに入居。契約する際に家賃2カ月分や礼金などで三十数万円を払い、4月分も家賃を立て替えた。「子どもの教育費もあり、すぐに動かせるお金を用意するのが難しい。これなら2次避難先のホテルにいた方が良かったのかも」とこぼす。

 みなし仮設は、自治体が民間の賃貸住宅を借り上げ、被災者が最長2年住める制度。「住宅の被害認定調査で半壊以上」「ライフラインが途絶し、長期間居住できないと市町が認める人」などが対象だ。富山、福井、新潟各県に避難した人を含め、15日時点で石川県内の被災者3155世帯が利用する。

 本来の入居手順は、入居を希望する被災者が住民票のある市町に申請した後に県が書類を審査し、県から決定通知が出たら、被災者と市町、物件の貸主の3者で賃貸契約を結んでから入居する。ただ、広域避難が呼びかけられた能登半島地震では、罹災(りさい)証明書が発行される前に被災者がいち早く自分で物件を探して入居を始めた事例が多い。

 その場合は、一般的な民間賃貸と同じように貸主と入居者の2者契約になるが、後からさかのぼっての手続きも可能。罹災証明書などを提出した上で「みなし仮設」として3者契約に切り替え、被災者がそれまで支払った家賃や礼金なども返金されるはずだった。

 だが、3者契約の事務作業が遅れている。県が10日時点で集計した約2100世帯のうち、73%が2者契約のままだった。

 輪島市の自宅が全壊し、1月下旬から金沢市内のアパートに暮らす70代の高齢者夫婦は、2月21日に3者契約のための書類を避難先の金沢市役所に提出した。だが、何の連絡もなく、家賃の支払いが続く。

 さらに3者契約書がないため、公費で支援対象となる家電製品(テレビ、冷蔵庫、洗濯機)の購入費(上限13万円)の申請もできない状態だという。「リタイアした私たちは年金があり、少しの蓄えがある。若い人は仕事を失い、子どもの教育費もある。早く返金してあげてほしい」と望む。

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能登に広がる160棟のハウス……被災者の願いと開発者の思い | NHK | WEB特集 - nhk.or.jp

能登に広がる160棟のハウス……被災者の願いと開発者の思い | NHK | WEB特集 - nhk.or.jp

08.31
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能登に広がる160棟のハウス……被災者の願いと開発者の思い
「やっと自分の家ができるなっていう喜びを感じました」

能登半島地震で自宅が全壊し、簡易住宅を建ててもらった人の声です。

その簡易住宅とは、ふわふわなメレンゲのような白い建物。でも実は、人が寝泊まりしたりすることができる、頑丈な“おうち”です。

被災した人に安心できる空間を届ける開発者の思いとは――。
(名古屋局記者 鈴木博子)

「本当の自分のおうちみたい」

「寒さもしのげるし、快適です。本当の自分のおうちというか、部屋みたい」

地震で自宅が全壊した石川県輪島市の保(ぼう)靖夫さん。涙ぐみながらこう話しました。

震災後、所有する農業用ハウスに自主避難していましたが、3月上旬からはハウスの隣に建ててもらった「インスタントハウス」に妻と2人で過ごしています。

インスタントハウスとは、角が立っている泡立てたメレンゲにも見える、白い簡易住宅のことです。

防水性の白いテントで覆われ、高さは4.3メートル。床面積は20平方メートルで、最大10人ほど入れます。

被災した人に落ち着けるプライベート空間を提供しようと、1月上旬から輪島市内に建てられはじめました。

保さんは近所の人らと農業用ハウスに避難する中、口コミでインスタントハウスのことを知り、「ここにも建ててほしい」と思ったそうです。

2月下旬、希望がかなって3棟が建ちました。その1棟を保さん夫婦がおもに寝室として使っています。

保靖夫さん
「自分のは最後に建てていただいたのですが、やっと自分のやつだって、家ができるなっていう喜びを半分感じました」

開発のきっかけ 東日本大震災

ハウスは能登半島の被災地に160棟ほど建っています(4月10日現在)。開発したのは、名古屋工業大学の北川啓介教授(建築設計)です。

開発のもともとのきっかけは、2011年の東日本大震災でした。

地震から1か月後、宮城県石巻市の避難所になっている中学校を訪ねた北川さん。そこで小学生の男の子から声をかけられました。

「なんで、仮設住宅が建つのに3か月も6か月もかかるの。大学の先生なら来週建ててよ」

北川さん
「そのとき、私の人生は180度変わりましたね。こんなに困っている人がいるのに、仮設住宅ができるのに時間がかかるってどういうことなのかなと。子どもたちが声をかけてくれたので、素直に応えてあげたいなって心一つで動きました」

研究と開発の日々

そこから、研究と開発の日々が続きます。

まず、仮設住宅の特性の“対義語”から考えました。仮設住宅は「たくさんの職人さんが建設に関わる」、対義語は「一人でも建てられる」。こうした対になる言葉を40個書き出したりしました。

その後、ダウンジャケットから大きなヒントを得ます。

北川さん
「ダウンジャケットをまとった時に『あ、空気なんだ』と思ったんですよ。空気は私たちが行き着くところにある。しかも無料です」

人が入ることのできる空間を、空気を利用してどのようにつくるか。何百回も実験を行いました。風船や時にはシャボン玉や爆竹も使用したといいます。

最終的には、外側はカリっとしているのに内側はふんわりとしているフランスパンに着想を得て、ハウスの原型が完成しました。

シートに空気をいれてふくらませ、内側からはウレタン製の断熱材を吹きつけます。断熱材が空気の層をつくることで冬は暖かく、夏は涼しくなります。

また、柱がなくても外側のシートがしなやかな“引っ張り材”となって、頑丈さも持ち合わせています。

ここまでたどり着くのに、5年半かかりました。

海外の被災地でもハウス設置

去年2月にトルコ・シリア大地震が発生すると、北川さんは被災地へ。日本から送ってもらったハウス3棟を、現地の人と組み立てました。

「オスマントルコ時代のドームのような雰囲気」「心が安まる」と多くの人が喜んでくれたといいます。しかし、ハウスには“弱点”もありました。

北川さん
「現地の自治体のトップから『100棟お願いしたい』と言われました。でも、やばいなって思ったんですよ。1棟の値段は車が買えるくらいで……」

高い価格がネックでした。

震災で多くのハウスを建てるには、もっと安価でなくてはいけない。北川さんはその後も改良を重ねました。

外側のシートや断熱材の素材を変えることなどで、費用は約6分の1の20万円に。完成までの時間も、1時間ほどに短縮されました。

能登の“3ステップ”を重視して広める

能登半島地震の発生から2日たった1月3日、北川さんは400人以上が避難生活を送っていた輪島市の輪島中学校に足を運びました。

当時、避難所には電気が通っておらず、毛布も足りていなかったといいます。

避難している人たちがプライバシーを保って寒さをしのげるよう、北川さんはまず、持ち込んだ10棟の段ボール製ハウスの設置に取りかかりました。

合わせて、屋外用のインスタントハウスのことも説明しました。いずれ、足を伸ばして寝泊まりできる広いハウスが必要になると考えたからです。

被災した人たちから口々に言われたのは、「多くの人がインスタントハウスを使うようになるには、能登ならではの“3ステップ”が重要」ということでした。

北川さん
「1ステップは『1棟目を見てみたい』。見た上で『使ってみる』のが2ステップ。そこで気に入れば10倍、100倍のニーズが生まれる3ステップ。この“能登の3ステップ”が大事だよって言われたんですね。一日でも早く届けたいと気持ちが先走っていたんですけど、言葉のとおり各地に一つずつお届けしていたら、皆さんが見に来るようになりました」

ハウスの評判は瞬く間に広がり、連絡先を公開している北川さんのもとに直接、設置の依頼が届くようになりました。

ハウスの外枠のテントは大阪の会社に発注し、直接被災地に運んでもらいました。

ハウスの設置や断熱材の吹きつけは地元企業などに発注することで、北川さんがその場にいなくても次々と建てられるようになりました。

想定とは違う使われ方も

北川さんは避難している人に安心して過ごせる場所を届けたいという思いでしたが、意外にも多かったのは「コミュニティーの場所」として使いたいという要望でした。

輪島市中心部で、地元の仲間たちと炊き出しのボランティアをしている橋本由紀さん。

食事をとれる部屋などがなかったため、調理施設のすぐ横に1棟建ててもらいました。

橋本さん
「ご飯を食べにきた人が毎日のように使っていました。炊き出しのメンバーも打ち合わせで使いましたが、地震後にはじめて腰を下ろして話ができて、居酒屋にいったような、うちに帰ったような感覚でした。集会所や公民館が避難所になっているので、こうして集まって話せる場所があってよかったです」

寄付金を使っての設置 限界も……

被災地で多様な使われ方をしているインスタントハウス。施工費は、名古屋工業大学への寄付金ですべてまかなわれています。

4月10日までに5328万円が集まり、インスタントハウスが160棟、段ボール製ハウスが900棟ほど建ちました。

ただし、設置したハウスの倍以上の依頼が、北川さんのもとに新たに届いています。仮設住宅の建設はどうしても時間がかかるため、依頼は今後も増える可能性があります。

北川さん
「政府とか自治体とかそういったところのお金は1円も入っていない。本当に集まったお金だけで動かしているんですね。皆さんにすぐにお届けしたいところなんですけど、『もうちょっと待っていてくださいね』っていう話しかできないんですよ」

東日本大震災のあと、段ボールベッドは避難所で使われるようになりましたが、それと同じように「災害時の物資」として位置づけてもらえれば、ハウスの設置が進むのではないかとも考えていました。

しかし、被災自治体などによると、仮設住宅の建設が進むなかでハウスを公費で設置するような新たな仕組みは難しい状況だといいます。

新たな方法を模索中

仮設住宅ができる前の“簡易住宅”としてインスタントハウスを機能させたいという北川さん。愛知県の企業に協力を求めて、実費に近い価格で販売してもらうことも計画しています。

これですべてが解決するわけではありませんが、被災地からも「購入したい」という声が届いていて、今必要としている人に早く届けるための新たな方法になればと考えています。

北川さん
「設置にかかる実費のみをいただいて、販売するという形があってもいいのではないかと考えています。本当は必要な支援をもっと柔軟に届けられるような、国全体としての仕組みづくりが必要なんじゃないかと思っています」

希望にもなれば

今回の地震で被災した輪島市の保靖夫さんに、改めて思いを聞きました。

保さん
「いずれ仮設住宅ができれば、そっちに移りたい気持ちもある。でも、移ってもちょくちょく、ここ(インスタントハウスがある場所)に顔を出そうかなって思っています。ほかに避難しているみんなの顔を見たいし、輪っちゅうか、そういう感じがいい」

北川さんはハウスが人と人とのつながりを保つ役目を果たしながら、復興に向けた足がかりの一つになってほしいという思いを抱いています。

北川さん
「ハウスでほっとできる温かさや、そこに集う人々の心の温かさを感じられるでしょうし、そういったものが皆さんの中で深く、広く、信頼関係をもって次の世代にも受け継いでいけると、もっと新しい未来につながっていけるような能登半島になるかもしれない。そんなことを期待しながら、これからも尽力していきます」

(3月13日「まるっと!」で放送)

名古屋放送局 記者
鈴木博子
2017年入局
高松局を経て名古屋局遊軍
記者を志したきっかけは東日本大震災。能登半島地震では、名古屋からの被災地支援の動きなどを取材

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天皇陛下 現実味帯びる前例なき「被災地への三連続ご慰問」背景に雅子さまの「ご嘆願」も - 女性自身

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18.31
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4月12日、穴水町の避難所でお見舞いをされた天皇陛下と雅子さま /(C)JMPA 画像を見る

全壊した建物、半ば崩れている家屋……地震の爪痕がそのまま残された石川県の穴水町商店街。

町長からの説明を受けながら、真剣な表情で視察されていた天皇陛下雅子さまが目を留められたのが、営業中の美容室「しらふじ」だった。店の中に人の姿があることに気づいた両陛下は、予定にはなかったが、町長に確認をとり、美容室に歩み寄られた――。

皇室担当記者はこう語る。

「4月12日、天皇皇后両陛下は能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県の穴水町と能登町を訪問されました。石川県への慰問は3月22日の輪島市と珠洲市に続き、2度目です。同一県での被災地連続ご訪問は、’95年、阪神・淡路大震災後の2月と3月に兵庫県を連続で訪問されて以来、29年ぶりとなりました」

前回同様、ヘリコプターとマイクロバスを乗り継いで移動されるハードスケジュールとなった。

「能登半島地震の被害は広範囲に及びます。1日だけのお見舞いでは足りないとお考えだったのでしょう。実は3月22日のお見舞いでは、避難所付近の住民たちでも、両陛下のご訪問を知らなかった人が多かったのです。両陛下としては“もっと多くの被災地の住民たちを励ましたい”というお気持ちも抱かれていたと思います」(前出・皇室担当記者)

予定外の美容室へのお立ち寄りも、そうしたお気持ちの表れだったのかもしれない。

雅子さまは美容室のオーナー・宮下由里重さん(49)に「大変でしたね。大丈夫でしたか? いつからお店を営業されているのですか?」などと声をかけられたという。

お店に『女性自身』も置いてくれている宮下さんは、本誌の取材に次のように話してくれた。

「雅子さまの声はおやさしくて、本当に心配してくださっている気持ちが伝わってきました。ご質問には、『2月から水が通ったので、2月から営業しています』と、お答えしました。雅子さまのお姿は雑誌やテレビでも拝見しています。でも実際にお会いすると、やっぱり写真や映像とは全然違いますね。お声をかけていただいたことで、元気になりましたし、力を与えていただいたように感じました」

次ページ >両陛下が守られる「一視同仁」の思想

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熊本地震の前震から8年 遺族や被災者「寄り添う行政を」 - au Webポータル

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06.31
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熊本地震の前震から14日で8年となりました。益城町の県道の4車線化など復旧・復興が進む一方で、遺族や...

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珠洲市 支援の要望把握へ 被災者から聞き取り調査|NHK 石川県のニュース - nhk.or.jp

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14.31
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ボランティアの増加が見込まれる大型連休を前に、珠洲市では具体的な支援の要望を把握しようと被災者への聞き取り調査を行っています。

珠洲市の災害ボランティアセンターでは、被災した住民から片づけなどの依頼を受け付けていますが、最近は1日に20件ほどと最も多かったときの4分の1程度に減少しています。
16日はボランティアの増加が予想される大型連休を前に被災者の具体的な支援の要望を把握しようと、およそ20人が参加して聞き取り調査を行いました。
参加した人たちは2人1組で住宅を1軒ずつ回り、住民から困っていることがないかなどを確認していました。
また住民が避難などで不在にしている住宅には、荷物の片づけなどで戻ってきたときに作業依頼を申し込めるよう、案内の紙をポストに投かんしていました。
被災した70代の住民は「ボランティアの人たちには以前、仕事場の片づけを手伝ってもらったことがあり、1人では難しいので、とても安心できる存在です」と話していました。
聞き取り調査を行った秋元成さんは「いまできることをやっていくことが大切なので、被災者のニーズを把握して適切な支援につなげていきたいです」と話していました。
聞き取り調査は4月中に珠洲市のすべての地域で実施する予定で、調査結果などをもとに住民とボランティアのマッチングを行うことにしています。

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思い出戻り「感謝」 多摩川氾濫で水没の卒アル、4年半ぶり川崎の被災者へ - カナロコ by 神奈川新聞

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11.31
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 2019年秋の台風19号(東日本台風)で水没した卒業アルバムがボランティアの手で修復され、4年半ぶりに被災者に返却された。作業を依頼していたのは、多摩川流域の大規模氾濫で川崎市中原区の自宅が床上浸水した坂井良成さん(60)。今月14日、アルバムを届けに来たボランティアと共にページを繰り、「ここまで復元できるなんて」と学生時代の思い出に浸った。
 坂井さんが託していたのは、…

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避難者が売り子 復興市 加賀温泉駅前 能登の特産品 週替わりで:北陸中日新聞Web - 中日新聞

避難者が売り子 復興市 加賀温泉駅前 能登の特産品 週替わりで:北陸中日新聞Web - 中日新聞

05.31
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被災者が売り子となって販売する能登地方の特産品を手にする観光客たち(右)=加賀市の加賀温泉駅前で

被災者が売り子となって販売する能登地方の特産品を手にする観光客たち(右)=加賀市の加賀温泉駅前で


 能登半島地震の復興支援につなげようと、能登地方の特産品を販売する「能登復興市」が15日、加賀市の加賀温泉駅前で始まった。被災した9市町の特産品を週替わりで販売し、売り上げは全額、仕入れた商店などに贈る。市内の旅館などに2次避難する被災者が売り子として立ち、観光客たちに復興支援を呼びかける。5月12日まで。 (小川祥)

 リシャールミルジャパン財団(東京都)からの寄付金を基に、市内3温泉地の旅館経営者らでつくる加賀温泉郷協議会が開いた。

 特産品は、協議会の会員が自ら被災市町に出向き、買い集めた。15日は羽咋、宝達志水、中能登の3市町で仕入れた「のとうしカレー」、イチジクやハトムギ茶を練り込んだクッキー、ジャムなどが並び、観光客たちがお気に入りの品を買い込んでいた。

 売り子には、被災者4人が立った。地震前には輪島朝市の露店で海藻やアワビを販売していた井上岳登さん(20)=輪島市横地町=は「人と触れ合うことができるので気分が晴れる」と話した。協議会が時給千円で雇われているが、井上さんは「自分でしっかり稼ぐことで、心の余裕にもつながる」と語った。輪島朝市で干物を販売していた池澄田津子さん(69)=同市鳳至町=は「4カ月ぶりに物を売った。ドキドキだけど、仕事としてできてうれしいね」と笑顔を浮かべた。

 福島県いわき市から観光に来ていた女性はせんべいやお茶を買い求め「東日本大震災の時はお世話になった分、恩返しを少しでもできたら」と話した。

 物産展では22日からは珠洲、能登、29日からは輪島、穴水、5月6日からは七尾、志賀の各市町の特産品を販売する。企画に関わった加賀市山代温泉の旅館「加賀百万石」の吉田久彦社長は「北陸新幹線が開業したことで多くの観光客が降りてくれる。能登の支援を呼びかけ、復興の後押しになれば」と話した。

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