トルコ大地震から1カ月 被災者146万人がテント生活 大量のがれき撤去も課題[2023/03/05 22:37] - テレビ朝日

トルコ大地震から1カ月 被災者146万人がテント生活 大量のがれき撤去も課題[2023/03/05 22:37] - テレビ朝日

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 トルコとシリアで合わせて5万2000人以上が死亡した大地震から6日で1カ月になります。被災地ではテント暮らしを余儀なくされている人が146万人余りいて、政府の対応の遅れを批判する声も上がっています。

 トルコ大地震では、国内だけでも21万棟以上の建物が倒壊もしくは大きく損傷し、家を失った被災者の支援が課題となっています。

 トルコ政府によりますと、家を失った159万人余りが避難生活を送っていますが、仮設住宅が割り当てられたのは4万人余りにとどまっていて、ほとんどの被災者がテント暮らしを余儀なくされています。

 エルドアン大統領は1年以内に住宅を提供することを約束していますが、進まない復興に政府の対応を批判する声も上がっています。

 一方、被災地で大量に発生したがれきの処理も悩ましい課題となっています。

 国連は倒壊した建物などをすべて取り壊した場合、最大で約2億1000万トンのがれきが発生すると推計しています。

 これは1メートルの高さで100平方キロメートルの面積が必要になる量です。

 集積場所の確保の問題とともに、専門家はがれきの中に、人体に悪影響を及ぼすアスベストが含まれている恐れがあると警告します。

 がれき撤去を巡り、スピードと安全性のどちらを優先させるのか、被災地は難しい課題に直面しています。

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全国の被災者に無償レンタル 石巻の1台から始まったカーシェア支援:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル

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08.31
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 静岡市中心部の幹線道路沿いにある空き地に今年1月、車約30台が並んでいた。ボンネットには、足が車輪になったアルパカがモチーフのキャラクター「シェアルパカー」のイラスト。ナンバープレートは宮城、新潟、佐賀とバラバラだ。

 昨年9月の台風15号で被災した人に車を無償で貸し出すため、「一般社団法人日本カーシェアリング協会」(宮城県石巻市)が設けた臨時拠点だ。全国から寄付された車を集め、多い時は100台以上が貸し出された。利用者はガソリン代だけ負担すれば借りられる。

 浸水した住宅の改修は年が明けても続いていた。代表理事の吉沢武彦(44)はこの日、岐阜県長野県での連携協定締結式に向かう途中で拠点に寄り、現地スタッフと話し合った。「まだ車を必要としている人は多いから、継続しよう」

 近くの団体職員の男性(62)は協会の車を借りた一人。川沿いの自宅が浸水して自家用車が壊れ、レンタカーを借りられずにいたところ、同僚が紹介してくれた。買い出しや家具搬出での足を確保でき、「普段の生活は車なしでは保てない。本当に助かった」と言う。

 同市清水区の高校教諭の男性(57)は協会を訪れて「東日本大震災の被災地だった石巻の人たちがやってくれているのか」と驚いた。浸水した自宅から荷物を運び出すために利用した。「震災の時、自分は無関心だったんだなあと反省した。被災者になって初めて気づくことばかりだ」と振り返る。

 吉沢が協会を立ち上げるきっかけになったのは12年前の震災だ。

自然災害で被災した人に車を無償で貸し出すカーシェアリングが、東日本大震災の最大の被災地だった宮城県石巻市から広がっています。平時は違う形での活躍も。取り組みが、どのように支えられているかに迫ります。

「神戸元気村」元代表から突然の呼び出し

 震災約1カ月後の2011年…

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ガーシー 被災者支援のためトルコ入り表明も…ネットで賛否の声 | 東スポWEB - 東スポWEB

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20.31
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 参院議員で昨年7月の初当選以来、一度も登院せずに参院議院運営委員会から8日の本会議で懲罰として「陳謝」するよう求められているガーシーが、滞在先のドバイから先日大地震が発生したトルコに炊き出しのため渡航すると4日に報じられたことで、ネットでは賛否両論が巻き起こっている。

 ガーシーのトルコ行きを報じたのは4日のFNNプライムオンラインで、インタビューでガーシーは炊き出しのためトルコに行くと表明。その上で「1日2日で(炊き出しが)できないなら、数日滞在するつもりでいる。それで除名されるのだったら仕方がない」などと明かしていた。

 先月6日に発生したトルコ大地震では、南部を中心に死者が4万5000人以上が死亡。多くの住宅が倒壊したことで、キャンプ暮らしを余儀なくされる人も多数いる。それだけに日本の国会議員として現地に入り、炊き出しをする意義は大きいが、ネットでは「トルコを理由に欠席するかもてうまいとこ突いたな」「何カッコつけてそれらしいこと言うてんねん! オマエが一番にすべきは国会への出席だろうが!」と、うがった見方をする人が続出。

 一方で「しない偽善より、する偽善の方がいい」「トルコの人たちの役に立つなら偽善者だろうと何だろうといいだろうに…」などと、擁護する声も集まっている。

 果たしてガーシーは8日の参院本会議で陳謝のため帰国するのか?

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被災者のスマホ信号ドローンで捉える訓練 東日本大震災12年を前に - au Webポータル

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21.31
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東日本大震災から12年となるのを前に、KDDIはドローンを活用した被災者の捜索訓練を公開した。 神奈...

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被災者のスマホ信号ドローンで捉える訓練 東日本大震災12年を前に - ニッポンドットコム

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02.31
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東日本大震災から12年となるのを前に、KDDIはドローンを活用した被災者の捜索訓練を公開した。

神奈川・横浜市で公開されたのは、アンテナを搭載したドローンから電波を飛ばすことで、被災者のスマホから発信される信号を捉えて、救助をサポートする訓練。

キャリアを問わず、端末を識別するIDを特定し、被災者の位置を推定する。

KDDI 技術統括本部・山本和弘副統括本部長「他キャリアとも連携して進めていく内容だと思っているので、なるべく早い形で商用できるか含め検討進めていきたい」

また、人工衛星による通信システム「Starlink」を活用した小型の基地局も公開され、陸路や空路が断たれた場合を想定して、船から通信を復旧する訓練も行われた。

KDDIは、「Starlink」の基地局を春以降に順次、全国に導入するとしている。

(FNNプライムオンライン3月3日掲載。元記事はこちら

https://www.fnn.jp/

[© Fuji News Network, Inc. All rights reserved.]

FNNニュース

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震災から12年「あの時、死んでいたかも」 間接的被災者と映画製作の巡り合い #知り続ける - 映画.com

20.31
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2023年2月28日 11:00

映画『漂流ポスト』
映画『漂流ポスト』

かばんに、カメラを忍ばせていたが、何も撮影はできなかった―。

当時28歳の青年が2011年5月、岩手県の避難所にいた時の思いだ。その人物は、清水健斗(39)。被災地を舞台にした作品を撮り、国内外の映画祭で数々の賞に輝いた映画監督だ。

清水健斗
清水健斗

そうだ、ボランティアに行こう。そんなことを思った理由は、ふと見たテレビでアナウンサーがこう告げていたからだ

「ゴールデンウィーク明けにはボランティアの数が足りなくなります」

当時、清水は大手映像制作会社の制作部に所属していた。主な仕事はCM制作だ。納品を済ませたばかりで、有給休暇もたまっていた。


●被災地に行かなければ……身近に感じた「生と死」

清水には、被災地に行かずにはいられない理由があった。当時、彼は毎週のように岩手に足を運んでいた。4月に撮影予定のCMのため、1月からロケハンを始めていた。3月12日もその予定が入っていた。

「では、明日伺いますので、よろしくお願いしますね」

仕事相手への電話を切った約5分後、都内で大きな揺れを感じた。震源地は宮城県沖。お世話になった岩手の人たちは無事だろうか。慌てて電話をかけたが、つながらなかった。テレビをつけると、つい最近まで訪れていた多くの場所が被災していると分かった。

清水が瓦礫作業時に撮影。被害を受けた釜石保育園。日常が一瞬で壊れる恐ろしさを感じた。
清水が瓦礫作業時に撮影。被害を受けた釜石保育園。日常が一瞬で壊れる恐ろしさを感じた。

もしかしたら、自分も死んでいたのかもしれない。初めて「生と死」を身近に感じた。自分は生かされたんだ。1週間後、音信不通だった仕事相手の無事も確認できた。


●ボランティアとしての日々

こうして、ボランティアとしての生活が始まった。学校の避難所では大学時代のアメリカンフットボールでの経験を生かし、被災者にストレッチを教え、日を追うごとに被災者と会話できる機会も増えた。

避難所での一コマ。顔見知りになり、井戸端会議に参加。苦しい状況にありながらインスタント・コーヒーで労ってくれたり人の暖かさを感じた。
避難所での一コマ。顔見知りになり、井戸端会議に参加。苦しい状況にありながらインスタント・コーヒーで労ってくれたり人の暖かさを感じた。

ボランティアには決まりがある。被災者には震災の話はしないこと、被災者自らが震災について語る時だけ答えること、被災者にできない約束はしないこと……。

顔なじみになると、自然と身の上話にも花が咲く。

「実は映像の仕事をしているんです」と言うと、おばあさんはこういった。

「それは素晴らしい仕事だね。外の人に被災地を伝えてもらうことはすごい重要なことよ。それは、あなたしかできないことよ。だから、撮れる時は撮ってね」

ボランティアからのメッセージ:いたるところに応援幕が掲げられていた。
ボランティアからのメッセージ:いたるところに応援幕が掲げられていた。

●エンターテインメントが無意味なものに思えた

映像を通じて、外の人々に被災地を伝える。そこで初めて映像の力を再認識し、自分にしかできないことは何かを自問自答した。しかし、答えはなかなか見つからなかった。

清水「当時、『映像に残さないといけない』という気持ちはありませんでした。あの光景を目の当たりにすると、そんなことはとても……。映像を残すこと自体、正しいのかと思いました。と同時に、自分がやっているエンターテインメントが無意味なものに思えたんです」

瓦礫作業時に撮影。山の上まで瓦礫が押し寄せていて、海水がたまり磯の匂いがした。津波の高さを実感した。
瓦礫作業時に撮影。山の上まで瓦礫が押し寄せていて、海水がたまり磯の匂いがした。津波の高さを実感した。

●終わっていたかもしれない人生 自分自身にかけてみよう

そんな時に長年の夢だった映画監督のオファーをもらった。エンタメは本当に無力なのか? 自分の力を試してみたい、との思いに駆られた。だが、CM制作部と監督は異職種であり、CMと映画では拘束期間も大きく違う。悩んだ末、会社に相談すると休職してもいいと背中を押してくれた。

しかし、休職となれば、会社の先輩・同僚にも負担をかけてしまう。それは本意ではなかった。1度、終わってしまったかもしれない人生だ。自分自身にかけてみよう。

『瞬間少女』メインカット
『瞬間少女』メインカット

2012年3月には会社を辞めて、フリーのディレクターに転身。映像作家として生きると決め、2013年『瞬間少女』を公開。

この映画デビュー作は、余命わずかな少女2人が残された時間を生きる中で友情を育み、生や死と向き合うことで成長していく物語。この作品にも、震災ボランティアでの経験、当時培った死生観が反映されている。


漂流ポストとの出合い「今だからこそ、撮るべき作品だ」

復興とともに、ボランティアの数も減っていく。それでも清水は断続的に被災地に足を運び続けた。

実際の漂流ポスト
実際の漂流ポスト

そして、震災から6年が経過した2017年夏、世間で震災記憶の風化が懸念される中、たまたま“漂流ポスト”のテレビドキュメンタリーを目にした。

漂流ポストとは陸前高田の山奥で喫茶店を経営する赤川勇治さんが2014年3月11日に設置した実在する郵便ポスト。震災で大切な人を失った人々がその思いを手紙にしたため、投函していく。

映画『漂流ポスト』のワンシーン
映画『漂流ポスト』のワンシーン

これだ、と思った。ストーリーがパッと頭に浮かんだ。

震災から数年後、ヒロインのもとに思い出の品が届けられる。中身は中学時代、親友と一緒に書いた手紙が入ったタイムカプセルの小箱。大人になってから、一緒に開けようと約束していた。ヒロインはそれを見て涙する。

劇中のタイムカプセルの小箱
劇中のタイムカプセルの小箱

実は震災の直前に親友から電話がかかってきたが、大人になったヒロインは電話に出なかった。恋人との時間を優先してしまったのだ。「いつでも話せるから」と思っていた。

でも、実際は“いつでも”は話せなかった。親友はその直後に起こった震災で亡くなってしまった。ケータイの留守録には今も、親友の声が残っている。ヒロインは親友を偲んで漂流ポストを訪れる……。30分の短い物語だ。

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●震災を商売の道具にはしない

清水はすぐに陸前高田を取材した。漂流ポストの事情は何も知らずに書いたストーリーだったが、ポストを設置した赤川さんからは、ほぼ同じ話を耳にした。フィクションと事実がひとつに重なった。

「避難所で大切な人を亡くされた方の話を聴いていたから、同じ目線で書けたのかもしれない」

『漂流ポスト』メイキング 撮影前に手紙を読む主演・雪中梨世と、監督の清水
『漂流ポスト』メイキング 撮影前に手紙を読む主演・雪中梨世と、監督の清水

余計な作り込みは必要なかった。震災が風化している今だからこそ、撮るべき作品だ。

すぐに製作へと動き出した。やるなら、商業映画ではなく自主映画だ。震災を商売の道具にはしたくなかった。


●映像作家として生きる“自分”にしかできないこと

企画から撮影まで約3カ月というハイペース。CM制作の経験が生きた。スケジュール決め、ロケ先の許可取りなど実務は慣れたものだった。仲間に協力を求め、重要なヒロイン役とその恋人役のキャスティングには3日間のワークショップで約50人を集めた。

『漂流ポスト』ヒロインが手紙を出すかどうかで迷うシーン。短編では考えられないほどの長回しで、感情の起伏と臨場感を大事にした。
『漂流ポスト』ヒロインが手紙を出すかどうかで迷うシーン。短編では考えられないほどの長回しで、感情の起伏と臨場感を大事にした。

最後には大切な人に宛てた手紙も書いてもらった。10月には神奈川、千葉、陸前高田でロケ。ヒロインが親友への思いを伝えるシーンは大雨の直後に撮った。その海は津波を起こした、自然の厳しさを物語っていた。

「まったく偶然の産物ですけど、あの海のシーンがなかったら、こんなに評価されることはなかったかもしれない」

被災地での経験から映像作家として生きることになった。では、あのおばあさんに言われた「あなたにしかできないこと」とはなんだろう? それは、映像を通じて被災地を伝え、被災した人々の思いをも伝えること――映画『漂流ポスト』で形になったような気がした。

これがどのように受け入れられるか。作品を世界に託すことにした。


●海外で気づかされた“共通の思い”
ニース国際映画祭での授賞式の時の写真。
ニース国際映画祭での授賞式の時の写真。

映画は日本より先に海外で火がついた。2019年、ニース国際映画祭最優秀短編外国語賞をスタートに、ロサンゼルス・インディペンデント・フィルム・アワーズ最優秀外国語短編賞などを受賞した。

当時のバージョンには震災シーンはあえて挿入されておらず、東日本大震災がモチーフになった作品だと気が付かない人もいた。だが、突然、失った大切な人を思う気持ちは万国共通だったのだ。

「ちょうど海外ではテロなどで日常が急に奪われることがあったので、人間ドラマ的な部分が響いたのかもしれない」

震災の事実を知ってもらおうと、海外版には震災のカットを挿入し、国内の上映版の同様のバージョンだったが、現在配信中の国内版(U-NEXT)にはそのカットは入れていない。それには特別な思いがある。

「被災者の方に限らず、いまだに震災の映像を見られないという方も多いんですね。僕には、『被災者の方にも見られるものを』という思いがありました。たまたま映画館で被災した方が見てくれたのですが、その方が『辛い過去を思い出すのが嫌だったけれど、映画を見て、もう少し向き合ってみようと思いました』と言ってくださったのが嬉しかったです」

●2つの被災者の心に寄り添って

海外の評価を受けて、短編映画として異例の劇場公開も決まった。清水自身も、海外に向けた作品作りをさらに意識するようになった。

『漂流ポスト』海外向けビジュアル
『漂流ポスト』海外向けビジュアル

清水によれば、被災者には2種類あるという。直接被害に遭った被災者と、その場にはいなかったが、震災によって、精神的なショックや物理的負担など何らかの影響を受けている「間接的な被災者」だ。

自身を「間接的な被災者」と呼ぶ清水は、その2つの被災者の心に寄り添って、映像を作っていかなければいけないと感じている。

『漂流ポスト』のワンシーン すべて実際の手紙を使用し、人々の想いを込めた。
『漂流ポスト』のワンシーン すべて実際の手紙を使用し、人々の想いを込めた。

漂流ポスト』が、世界の人々に届いたのも、その間接的な被災者の目線があったからこそだろう。映画を見て、心を動かされた人が涙する、そして、終映後に拍手を送る、東日本大震災の事実を知り、何かのアクションを起こす。

2011年3月11日当日を思い出す人もいるだろう。映画は、閉じられた世界の入り口であり、そこに差す一筋の光でもある。今、清水は表現者として新たな取り組みを行っている。

『漂流ポスト』のワンシーン
『漂流ポスト』のワンシーン

●当たり前だと思っていたことは当たり前じゃない

清水の頭に強く残っている言葉がある。

「今まで当たり前だと思っていたことは当たり前じゃないんだ」

小学校4年生の時に岩手・陸前高田で震災に遭い、今は看護師を目指す金澤楓さん(21)が口にした言葉だ。

オンラインインタビューに応じる金澤楓さん。
オンラインインタビューに応じる金澤楓さん。

清水は、表現者として新たに取り組んでいるプロジェクトの製作中に彼女と出会った。

残すべき「時代の記憶」が消えつつある日本の灯火を消さないために、薄れゆく明治・大正・昭和・平成の「記録・記憶・文化・想い」を、最新技術(3DVR)を取り入れた映像で記録し、令和へ引き継ぐドキュメンタリー「タイムカプセルプロジェクト」。

今は亡き人々へ向けた鎮魂の思いでもあり、未来を紡ぐ人々への手紙でもあるのだろう。

プロジェクト・ロゴ
プロジェクト・ロゴ

この中に登場する金澤さんは広田小学校で被災し、高台の道路から黒い濁流のような津波を目撃した。

もともと看護師になることが夢だったが、震災、その後に参加した地域活動を経て、その想いはさらに強くなった。すべての人がストレスなく生きることができる環境を作っていくのが今の目標だ。

家族は無事だったが、親の家業である漁業関連の船や施設は津波で流された。クラスメイトの中には家族を失った人もいた。震災を機に、関東へ引っ越した親戚もいた。小さい頃、仲良く遊んでいた従兄弟にもずっと会えていない。

“奇跡の一本松”
“奇跡の一本松”

金澤さんは今も震災時の映像を見ると、当時の衝撃が走るのだという。

「正直、映像を見るだけで涙が止まらない時もあります。中には震災のことを忘れたいという人もいると思います。でも、伝えていかないと、体験していない人の命は救えないと思います。自分より年齡が下の子たちは震災の記憶がない子もいますが、自分たちの体験を次の世代の人には生かして欲しいとは思っています」。

●歳月の区切りはないけれど……“今”の願い

ドキュメンタリー「タイムカプセルプロジェクト」Web版は昨年3月11日に公開、現在は長編映画として公開を目指し、再編集とスポンサー探しを続けている。

清水「震災、被災者には歳月の区切りはないのですが、何かを考える時期にしてほしいんです。僕は、震災で死んでいたかもしれない人間なので、一日一日を大事に生きていきたい、と思っています」。

思いを閉じ込めたタイムカプセルを開けた時、自分の大切な人を思って欲しい。それが清水の願いだ。あなたは3・11のあの日、何をしていて、何を考えていただろうか?


清水健斗(しみず・けんと)
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神奈川県横浜市出身。CM制作会社のPMとしてCM・MV・Webムービーと数々の有名作品を手がけ、国内外で多数の賞を受賞。

2012年にフリーディレクターへ転身。2013年、監督作品『瞬間少女』が公開。同作がハリウッドで上映されたのを機に、世界を意識した作品創りにも取り組み、複数の作品で海外上映を果たす。

美しくアーティスティックな画作りと繊細な人間の機微を切り取る演出は世界からも評価されている。近年は映画演出と広告演出両方の経験を生かし、通常の映画・広告・企業VPに加え、映画的要素を取り入れたブランデットムービーやVR映像作品など多面的に活動。

NBCユニバーサル「シネマティックVRアイデアコンペ」「WOWOWシナリオ大賞ファイナリスト」やGoogleが行った世界的なプロジェクト「YouTube VR Creator Lab」などに名を連ねる。

HP:https://ift.tt/Kbz32yr


[取材・文=平辻哲也、企画・構成=映画.com編集部(岡田寛司、尾崎秋彦)]

※この記事は、映画.comによるLINE NEWS向け「東日本大震災特集」です。

(映画.com速報)

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被災地の買い物支援 支え続けるには - nhk.or.jp

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04.31
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食料品や生活必需品を買うために歩いてスーパーやコンビニへ出かける。私たちの日常生活の中で欠かすことが出来ない「買い物」。しかし気軽に買い物に行くことができない、いわゆる“買い物弱者”が年々増加しています。人口減少、さらには進む高齢化で岩手県沿岸部の被災地では、より顕著となっています。こうした“買い物弱者”を助けることになる「買い物支援」の“いま”と“これから”を考えます。
(NHK盛岡放送局 記者 橋野朝奈)

被災地の買い物支援のいま

山田町田の浜地区

岩手県沿岸部にある山田町田の浜地区は、東日本大震災で津波の被害に遭い、2019年の台風19号でも水につかる被害が出ました。地区を襲う度重なる災害で2011年3月1日時点で1275人いた住民が、ことし2月1日時点では591人と、半分以下に減少しました。震災での被害や人口減少もあり、地区の商店は次々と閉店していき、いまは最寄りのスーパーまで約7キロ。バスの本数も限られていて、朝に買い物に出ると、帰りは夕方になるといいます。車を持っていない高齢者にとっては1人で買い物をしようとするならば、1日がかり、さらにまとめて買おうと思っても、持ち帰れる量はわずかとなってしまい、非常に不便な状況です。

そんな中、被災者支援を行う財団法人が3年前に買い物支援を始めました。この地区への支援は4年前の台風19号がきっかけで、当時、「仮設住宅の交通の便が悪い」「バスの本数が少ない」「タクシーの往復料金は負担」などという声が多く上がっていました。東日本大震災に続いての被災で、経済的にも精神的にも大きな負担を抱える住民を支えようと、始まった取り組みでした。

買い物支援は、自宅に訪れるスタッフにお金を預けて欲しいものを買ってきてもらう“代行”か、スタッフが運転する車でスーパーなどに連れて行ってもらう“送迎”の2つの方法があります。利用者のニーズに合わせて支援を無償で行っています。

住民の佐々木テル子さん(86)は、ケガで腰を痛めたことを機に外出が難しくなり、買い物の代行を依頼するようになりました。

佐々木テル子さん
震災前は商店がいくつかあって近所でよく買い物をしていましたが、津波で全部流されてしまいました。代行では頼んだ物をちゃんと買ってきてもらえて、とても信用しています。

鈴木リヤ子さん(81)は、1人暮らしで足が悪く、車も持っていないことから送迎を利用しています。料理が好きだというリヤ子さん。取材に訪れた日は、送り先のスーパーで状態の良いイワシを見つけて買い、甘露煮を作るんだと嬉しそうに話していました。

鈴木リヤ子さん
やっぱり、自分で商品を見て買い物をしたいです。週に1回の送迎はとても楽しみです。バスだと重いものは買えないので、本当に助かっています。感謝しかないです。

しかし、順調に続いていた買い物支援はいま、存亡の危機に瀕しています。民間団体からの助成金を人件費などの運営資金に充てていましたが、ことし3月に助成金の期限が切れ、スタッフによる買い物支援は終了せざるをえませんでした。買い物が難しい住民を支えてきましたが、資金がなくては助け続けることはできないのです。いまは、山田町や宮古市のスーパーや公共施設などにチラシを貼るなどして、支援を続けてもらえるボランティアを募集しています。

共生地域創造財団 芳賀美智子さん
支援を続けていくには、人手も必要だし、財源も必要です。利用者の方があんなに喜んでいるのに活動をお休みせざるをえなくなったのは残念です。一刻も早くみなさんが買い物にいけるようにしていきたいです。

“買い物困難” 岩手県の状況は

いわゆる“買い物弱者”と言われる人たちが岩手県内にはどれくらいいるのか。それを表すデータが農林水産省が発表しています。スーパーなど店舗まで500メートル以上かつ自動車の利用が困難な65歳以上の高齢者を“食料品アクセス困難人口”としています。

この地図では、65歳以上の人口全体に占める“食料品アクセス困難人口”を、割合別に色で示しています。内陸の山間部では40%以上のオレンジ色となっていますが、沿岸部では50%以上の高い割合の赤色が目立ちます。

このデータは2015年時点のもので、農林水産政策研究所では2020年時点のデータを現在分析中です。分析チームの担当者は、「過疎化や高齢化が進む地域では、2015年で既に“食料品アクセス困難人口”は増えきっていて、今後は都市部での増加が顕著にみられると考えられる」と指摘しています。つまり沿岸部ではより高い割合となっていますが、決して沿岸部だけの問題ではないのです。

震災直後は、被災地で買い物の代行や送迎、それに移動販売などの買い物支援事業が各地でみられるようになりました。ただ、仮設住宅の解体や、運営資金としていた助成金の打ち切りなどのタイミングで撤退するケースもあり、当初から持続性が課題となっていました。買い物弱者はどこにどれだけいるのか?実は行政も実態を具体的には把握できていない状況です。

行政が補助金交付も 今後の担い手に不安

買い物支援には、どうしても必要な「資金」。行政からの補助金で、安定的に買い物支援を行う地域もあります。陸前高田市横田地区では、週に1度、ボランティアの地域住民が高齢者を商業施設や病院に送迎しています。

送迎に使うのはレンタカー。地元のレンタカー会社の協力で、出発地点の集会所に配車してもらい、さらに通常よりも割安の値段で借りています。レンタカー代などの運営費用は年間およそ70万円。このうち、市が補助金として50万円を支給し、残りは地区の資金でまかなっています。

ボランティアでドライバーをしている1人の多田幸喜さんは67歳。「少しの手助けができれば」という思いで、支援にあたっています。お年寄りたちを支えるドライバーも自らの仕事を退職した人たちなどが中心で、多田さんも今後、支援が続くかを危惧している面もあります。

ボランティア 多田幸喜さん
私たちはいまこうして元気にドライバーをしていますが、そのうち年齢を重ねていくとどうしても運転できなくなってくる。若い人たちがいかにこの取り組みに関わってくれるかどうかが課題だと思います。

陸前高田市は、買い物支援を重要施策としていて、来年度は横田地区など3つの地域に、それぞれ50万円ずつ、計150万円を支給する予定です。買い物支援を支えている市も継続的な支援が出来ていくのか課題を感じています。

陸前高田市 市民協働部 山田壮史部長
今は一定数ボランティアのドライバーさんに支えられていますが、このまま継続していけるかは、ひとつの課題だと思っています。また、仕組みを継続していくためには金銭的、財政的な部分も課題です。地区によって事情が違うので、どういった仕組みが望ましいかということは、住民のみなさんと一緒に考えていきたいと思っています。

専門家は

買い物支援には、どうしても必要となってくる「資金」と車を運転する「人員」の課題。買い物支援について研究する専門家は、持続的な取り組みにしていくためにはボランティア側のスタンスが重要で、今の基本的な支援の態勢を見直す時期に来ていると指摘しています。

流通経済研究所 折笠俊輔 主席研究員
誰かの為に無償で働くという気持ちだけだと、なかなか続かないのが実情です。『自分の住んでいる地域を住みやすくしたい』とか、『将来自分の親が支援を受けるなら、今から自分が支え手になろう』などという思いで、単なる奉仕型のボランティアではなくて地域の支え合いの中で支援が続いていくのが理想的です。お金が潤沢にあって取り組めている買い物支援は少ないです。ある程度ビジネスとして回るような仕組みを考えていく必要もあり、ビジネス的な側面と地域の助け合いをどのように融合していくかが買い物支援対策としては重要です

おわりに

買い物支援の現場を取材する中で、利用者の方が嬉しそうに買い物をする様子が印象的で、買い物が生きがいのひとつになっているのだと感じました。“買い物弱者”は、沿岸被災地に限らず、少子高齢化に伴う人口減少、各地で進む過疎化に伴い、日本全体で起こりうる問題です。いまはまだ決定的な解決策が見えていないからこそ、「買い物支援」について今後も取材を続けていきたいです。

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