2024年2月5日 05:00
ニュースプラン記事
能登半島地震で被害を受けた石川県七尾市の避難所で、食料などの物的支援とは別に、観賞用の花やアイヌ民族の音楽を届けるといった心を豊かにする文化的な支援活動が行わ...
残り660文字(全文:740文字)
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2024年2月5日 05:00
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能登半島地震で被害を受けた石川県七尾市の避難所で、食料などの物的支援とは別に、観賞用の花やアイヌ民族の音楽を届けるといった心を豊かにする文化的な支援活動が行わ...
残り660文字(全文:740文字)
政府は2日の閣議で、能登半島地震の被災者向けの税制支援策を決定した。住宅や家財、個人事業主の事業用資...
02/02 09:31 共同通信
各地の消防では、患者の搬送にあたって病院に4回以上照会し、現場に30分以上滞在したケースを「救急搬送困難事案」として、件数を集計しています。
金沢市消防局によりますと今回の地震が発生した先月1日から28日までの4週間の「救急搬送困難事案」は105件と、去年1月の4週間に比べて17件多くなっています。
金沢市消防局は「地震の影響で病床の空きがなくなり、搬送先の決定に時間がかかるケースが相次いでいる」としていて、救急車を本当に必要とする人のため、ふだん以上に適正に利用してほしいと呼びかけています。
一方、石川県によりますと、本来なら退院しているはずの人などがどれくらいいるかは詳しく把握できていないということですが、病床がひっ迫する医療機関から対応を求められているということです。
県では、地震で自宅を失い退院できずにいる高齢者のため新しい受け入れ施設を探したり、県外の病院への転院を調整したりしているということです。
能登半島地震の発生から1か月となりましたが、今も1万4000人以上が避難生活を続けています。そうした中、避難所などで暮らす被災者に寄り添いながら支援を行う神戸市の男性がいます。
神戸市にあるボランティアNGO「CODE海外災害援助市民センター」。この日、被災地・能登へ向かうための準備が進められていました。
事務局長の吉椿雅道さん。地震翌日に被災地に入り、今回で2回目です。吉椿さんは29年前の阪神・淡路大震災をきっかけに活動をはじめ、2008年の四川大地震、2023年に発生したトルコ・シリア地震など、国内海外問わず被災地での支援を続けています。
(吉椿雅道さん)「(持っていくのは)在宅避難している人が困っているのでバッテリーとか毛布とか、あとは炊き出し用の米とかですね。僕は別に何がしたいとかはあまりなくて、被災者たちが助けあっているのを後ろからそっと支えるという感じですかね」
NGO協働センターとともに5日間、これまでの経験を生かした支援をするつもりです。
今回、活動の中心となるのは能登半島の中心部に位置する七尾市。震度6強が観測され、1万棟以上の建物が被害を受け、5人が亡くなりました。
1月20日、訪れたのは地域の公民館。自宅に戻れない高齢者ら30人以上が避難生活を続けています。ただ、山あいに位置するため「市からの援助が十分ではない」という住民の声を受けてやってきたのです。
到着するとすぐに、“ある準備”にとりかかります。「足湯」です。東洋医学を学んでいた吉椿さんが阪神・淡路大震災の時から29年続けている支援の1つです。
(吉椿雅道さん)「足湯ってお湯に足をつけるだけなんだけど、被災者の人が…僕らは『つぶやき』と呼んでいますけど、心に溜まってるものを吐き出すことに意味があると思ったので。皆さんいろんなものを(胸に)詰めている」
早速、80代の女性がやってきました。地震が発生した日からここで避難生活を続けています。足湯に入ってもらうと、手のマッサージも行います。そして、優しく語りかけます。
(吉椿さん)「立派な手ですね。農業か何かやっていたの?」
(女性)「田んぼと畑をやっていた。82歳まで田んぼして、畑は今でもやっている。食べる分だけ」
(吉椿さん)「食べる分だけ作ってるんですね。何を作ってるの?」
(女性)「玉ねぎとか、ほうれん草、大根や白菜、ジャガイモ」
約10分間、女性の声に耳を傾けます。すると次第に…
(女性)「親戚も周りにいて良かったけど、出ていってしまった。いとこもバラバラに、ここから出ていってしまった。地震の日に一緒にここに来たんやけど。子どものところに行った方がいいって言われて、行ったみたいやけど」
(吉椿さん)「離れたくないもんですか?」
(女性)「やっぱり近いところにいたいです」
(80代の女性)「どうしようどうしようとため息ばっかり出ていた。ここまで遠いところから来てくださって、足がぽかぽかして体も温まるし、ありがたいです」
その後も途切れることなく、人が訪れます。
(吉椿さん)「自分でどこか逃げて?車とか?それは大変やったね」
(女性)「びっくりやね。長いよね、余震がね」
(吉椿さん)「そうやね、何回も余震がね。夜は眠れてます?」
(女性)「まぁまぁ」
(吉椿雅道さん)「足湯してると、会話は10分なんですが、いろんなことが見えてくる。ここに足湯で会話していく中で地域のことが見えてくるし、そこから僕たちができることは何か考えていきたいと思います」
今回、吉椿さんにはもう1つの目的がありました。七尾市中島町にある小牧という地区を訪れることです。実は、CODEは2007年に能登半島で起きた最大震度6強の地震で支援に来て以降、高齢化の進む小牧の祭りに毎年参加することで地域の活性化を図ってきました。
そうした繋がりから「ここにいる多くの人が被災後、1回もお風呂に入れていない」という声を聞き、この避難所にユニットバスを設置することにしたのです。
(吉椿雅道さん)「自宅にも帰れないし、もう自宅を諦めている方も結構多い。自衛隊のお風呂もあるが遠いし、予約券も取らないといけないし。近くですぐ入れたら喜ばれるんじゃないですかね」
ほかのボランティア団体から熊本地震の避難所で役目を終えたユニットバスをゆずってもらい、ここまで運んできました。
(避難所を運営する赤坂美香さん)「すてき!わが家より快適なお風呂や。本当にまだお風呂に入っていない方がいるので」
(吉椿雅道さん)「いろんな人たちの協力でユニットバスも提供していただいて、ありがたいですよね。やれることは大したことないけど、いろんな繋がりで少しずつやっていけたらいいかなと思う」
1月26日、神戸市の事務所に吉椿さんの姿がありました。活動の報告をしていました。
(吉椿雅道さん)「足湯で被災者ひとりひとりが語った言葉を発信している。今どんなふうに思って暮らしているのかが分かってくるので、それを発信して被災地のことを知ってもらう」
被災地支援は神戸に戻ってきてからも続きます。募金活動やSNSなどを通じて支援の輪を広げることが重要だと考えています。
(吉椿雅道さん)「神戸の人は昔に被災した人が多いから、やっぱりひと事じゃないんですよ。『私も被災者やから能登の人の気持ちがよく分かるわ』と募金される。いつ自分が被災者と呼ばれるかもしれない。そういうことをひと事と考えるんじゃなくて、自分事として考えられるように僕らは間を繋いでいく」
富山県警察本部生活安全企画課の宮腰龍峰係長は「被災地域を中心に防犯カメラの設置を進めパトロールも強化しています。外出するときは家に貴重品を置かないことや戸締まりすることを心がけてもらいたい」と話していました。
警察は今月中に氷見市と高岡市にすでに設置されたものも含めて、合わせて10台の防犯カメラを設置する予定です。
能登半島地震の後、被災地で救助活動などを行ってきた大阪府の緊急消防援助隊が2日、活動を終え、報告を行いました。
「緊急消防援助隊 大阪府大隊、石川派遣より帰還しました!」
能登半島地震が発生した元日から石川県輪島市に向かい、救助活動を続けてきた大阪府の緊急消防援助隊。この日午後、1月28日から被災地で安否不明者の捜索などを行った103人が大阪に戻り、のべ33日間にわたる活動を終えました。
緊急消防援助隊 大阪府大隊 山中隆行 大隊長
「毎日、活動を見守ってくれる被災者の方のもとに行き、『申し訳ございません。きょうも発見に至ることができませんでした』と頭を下げて、報告を毎日していました。ただ、被災者の方から『どうぞ皆さんの安全を優先して活動してください』と温かい励ましの言葉をいただいたことが、我々の活動の励みとなりました」
大阪府の緊急消防援助隊は約1500人を派遣し、137件の救助活動を行いました。余震の続く厳しい環境の中、倒壊した建物などから13人を救出しましたが、うち11人はすでに心肺が停止した状態だったということです。
緊急消防援助隊 大阪府大隊 山中隆行 大隊長
「土砂災害の中から救出できた方もいますが、最終的には発見に至らずに帰って来たというところが非常に悔しい思いを持っております。私たちの後を引き継いだ他府県隊が引き続き捜索を続けておりますので、1日も早い発見をお願いしたいと思っています」
このほか、ヘリコプターでのけが人の搬送や応急の手当てなど、被災地での様々な活動を行ってきた援助隊。この日で解散することになりましたが、今後は大阪市消防局が被災地からの要望に応じて、支援を続けていくということです。