1月に起きた能登半島地震の被災地、石川県珠洲市へ支援のため派遣された淡路市職員4人が家屋調査の任務を終えて戻り、現地で目の当たりにした被害の大きさなどについて門康彦市長らに報告した。被災者と言葉を交わしたことも伝え「倒壊した家に『再建して戻る』と話した人がいた。力強い口調が印象的だった」などと振り返った。(古田真央子)
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1月に起きた能登半島地震の被災地、石川県珠洲市へ支援のため派遣された淡路市職員4人が家屋調査の任務を終えて戻り、現地で目の当たりにした被害の大きさなどについて門康彦市長らに報告した。被災者と言葉を交わしたことも伝え「倒壊した家に『再建して戻る』と話した人がいた。力強い口調が印象的だった」などと振り返った。(古田真央子)
2月末、能登半島地震で液状化被害に見舞われた氷見市北大町は、多くの住宅がブルーシートで覆われたままだった。住民の女性(86)は近所の人が何人も町を離れていると...
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能登半島地震で被災し、3月、陸上自衛隊に入隊する石川県穴水町の高校生が、1日、卒業を迎え、「被災地の人々を助けていけるような、頼りがいのある自衛隊員になりたい」と決意を新たにしています。
震度6強の揺れを観測した穴水町では、地震の揺れによる土砂崩れなどで、20人が死亡し、全壊や半壊などの被害を受けた住宅は3900棟あまりにのぼっています。
こうした中、町内にある県立穴水高校の卒業式が、1日行われました。
校舎の体育館が壊れて使用できないため、卒業式は穴水中学校の体育館を借りて行われ、卒業生34人と在校生、あわせて約90人が出席しました。
卒業生の1人の薮優人さんは、自衛隊員だった父親の影響を受け、高校を卒業後、陸上自衛隊に入隊することを決めていました。
そうした矢先に地震で自宅が半壊。
断水が続く中、薮さんは給水や入浴の支援などで懸命に被災者を支える自衛隊員の姿を目にし、「自分もいつか被災地に恩返しがしたい」と強く感じるようになったといいます。
薮さんは3月31日に入隊する予定で、「自衛隊の人たちにお世話になったので、自分も被災地の人々を助けていけるような頼りがいのある自衛隊員になりたい」と力強く話していました。
また、息子の晴れ姿を見守った母親の記三子さんは「苦しんでいる人たちや被災地の状況を身にしみて感じていると思うので、この経験をいかして、自衛隊員としてがんばってほしい」と話していました。
能登半島地震に見舞われた石川県立高校の多くで1日、卒業式があった。高校生活の最後の2カ月を避難に費やした生徒もいる。県外へ進学する人、地元に残る人。それぞれの夢を追って若者たちが旅立った。
「個人的な話ができるのは、お前しかいないんだよ」。卒業式を3日後に控えた2月27日、同県珠洲(すず)市の県立飯田高校3年、川端健太郎さん(18)はつぶやいた。部活のウエートリフティングで培った体重150キロの堂々たる体格。同じ部活で汗を流した船章登(しょうと)さん(18)は「東京で活躍してほしいけれど、まずは友達をつくれよ」と励ました。こちらは体重55キロの引き締まった体形だ。
同学年の部員は2人だけ。練習後はお笑い芸人の話題で盛り上がるなど、いつも一緒だった。だが、今年になって顔を合わせたのはこの日が初めて。元日の夕方、それぞれの自宅にいたところを激震に襲われ、別々の避難所に向かった。スマートフォンで互いの安否を確認しようとしたが、つながらない。「家の下敷きになっていないだろうか」と案じ続けた。
避難所は寒かった。川端さんは、上着を何枚も重ね着して凍えながら眠った。倒れかかった住宅に入って中にいた人を助けようとした時に余震に遭い、死を意識したこともあったという。船さんは上着を着る余裕もなく「怖くて震えているのか、寒くて震えているのか分からなかった」と振り返る。互いに電話がつながったのは地震から5日目。「元気にしてるよ」「よかった」。ほっとして、いつものように冗談を言い合った。川端さんは富山市のホテルに2次避難する一方、船さんは自宅に戻った。
川端さんは、重量挙げの強豪・法政大に進学する。2023年国体の少年男子102キロ超級で総合優勝しており、避難中も体幹トレーニングなどに励んだ。「活躍することで地域を元気づけたい」と決意する。
一方、船さんは地元の郵便局に就職する。地元で毎年9月にある祭りに登場する巨大な奉燈(ほうとう)「キリコ」の担ぎ手を続けるためだ。みなぎる活気の中で、日々の忙しさを忘れて地域が一体となる。その一員であり続けたかった。町中の電線が垂れ下がったままではキリコが通れないのではないか、といった心配は尽きないが、「祭りを続けるためにできることはやる」と意気込む。
川端さんは、急な体調不良で卒業式を欠席した。欠席を知らせてきた川端さんに、船さんは「ドンマイ」と返した。式後、船さんは「一緒に出席したかったな」と少し寂しげだった。
同県輪島市の県立門前高校では、全3年生12人がそろって卒業証書を受け取った。それぞれが読み上げた答辞で、中角(なかかど)春香さん(17)は言葉を詰まらせながら、地震で失った日常に思いをはせた。
3学期は一度も全員そろっての授業がなかった。中角さんは近くの避難所から通学したが、同級生の大半はオンラインでの出席。答辞で「もしかなうならもう一度、みんなで授業を受けたかった。震災前のあの日に戻りたいのが今の正直な気持ちです」と吐露した。
保育士資格を取るため、親元を離れて県内の短大に進む。地元に戻って働きたかったが、変わり果てた町並みに気持ちが沈むこともある。「町は復興するのか」という気にもなり、働き口が多い金沢市で就職すべきかと悩んでいる。
それでも、海や山が近く自然豊かな地元が好きだ。最後に、参列した後輩や地域の人々に力強く語りかけた。「みんなの人生はこれからも続いていく。希望を持って助け合いながら、一歩一歩前へ進んでいきましょう」【木谷郁佳、川原聖史、野田樹】
●住み慣れた故郷に愛着
北國新聞社は、能登半島地震発生から2カ月を迎えるのに合わせ、被災者にアンケートを行った。365人が回答し、「今後住みたい場所はどこか」との質問に242人が「自宅または自宅があった場所」、69人が「自宅ではないが震災前と同じ市町」を選び、合わせて85・2%が同じ市町へ戻りたいと答えた。最も多かった理由が「住み慣れているから」となり、避難先の慣れない生活が、故郷への愛着を深めている様子が浮かび上がった。
アンケートは20~29日に石川、富山の1次、2次避難所で行い、10~90代が答えた。
今後住みたい場所は31人が「石川県内」、3人が「能登の市町」とし、2人が「県外」を選んだ。
自宅や同じ市町に戻りたいと答えた311人に理由を尋ねると「住み慣れている」が207人を占め、「仕事があるから」(60人)「ふるさと以外で暮らすのは不安」(30人)が続いた。
年代別では、60代以上の多くが、住み慣れているとして自宅や同じ市町を望んだ。珠洲市の60代男性は「先祖代々の土地と家を守るのが役割だと思っている」とし、輪島市の60代男性は地元の「海の音」を理由に挙げた。30~60代は「仕事があるから」を選んだ割合が高かった。
震災前に住んでいた自治体から離れたいと回答したのは計36人で、理由は「余震が怖い」が最も多い17人で、「早期の生活再建のため」が8人、「新たな仕事を得るため」が7人、「介護のため」が3人だった。
白山市に身を寄せる珠洲市の80代女性は「避難所のある地域に住み慣れてきた」と能登以外の県内を選択肢とし、「水道や道路などの復旧が遅れているから」(同市・70代男性)との意見もあった。
残りのアンケート結果は2日付で掲載する。
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厚生労働省は1日、能登半島地震を受けた石川県内の雇用情勢を発表した。求職中の被災者855人のうち4割が、被害の大きかった能登北部での就職を希望。地震から2カ月たっても断水が続き、事業所の復旧がままならない中でも、地元に残って働こうとする被災者の姿が浮かんだ。
雇用情勢は2月22日時点。ハローワークで職探しする被災者は855人おり、希望の勤務地は、能登北部(輪島市など)が41・1%、能登中部(七尾市など)が17・8%、石川中央(金沢市など)が28・4%だった。県外は2・1%にとどまった。
被災者を積極的に雇い入れようとする事業所がハローワークに登録した求人は1026件。しかし、勤務先の75・3%が石川中央に集中し、被災者の希望とはミスマッチが起きていた。石川中央では経済活動が再開して求人や求職の件数が被災前に戻りつつある一方、断水が続く能登北部や中部では事業所の復旧が遅れ、求人も減っている。
厚労省は「被災地ではフルタイムの求人が少なく、当面は短期の求人も含めて対応するしかない。本格復旧するまでのつなぎとして、関連企業などへの出向を活用し、落ちついたら被災地に戻る動きも出ている」と分析している。【奥山はるな】
発生2カ月となった能登半島地震で、札幌の市民団体が道内で調達した支援物資を石川県内で被災者支援に当たる熊本県の一般社団法人に送り続けている。受け取った熊本の法人が被災者に配布する形で、被災地側の要請を待たずに送る「プッシュ型支援」。寸断された道路の復旧が遅れ、ボランティアの被災地入りが難しいための工夫で、現地での支援を熊本の法人に託した。...