一里野温泉スキー場に泳ぐ こいのぼり 被災者を元気に:北陸中日新聞Web - 中日新聞

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05.31
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「避難者が少しでも元気になれば」と掲げられたこいのぼり=白山市尾添で

「避難者が少しでも元気になれば」と掲げられたこいのぼり=白山市尾添で


 能登半島地震で2次避難している被災者に少しでも明るい気持ちになってもらおうと、白山市尾添の白山一里野温泉スキー場ゲレンデに29日、こいのぼりが揚げられた。

 この日はスキー場職員らが、吹き流し4本と大中小のこいのぼり12匹をリフトのワイヤに登山ロープで結び付けた。5月下旬まで掲げられる。

 こいのぼりは、金沢市の堅田商店が白山市に寄贈した。堅田商店は当初、被災地に贈ろうと考えたが、現地の状況などから断念し、避難者がいる白山市に寄贈することになったという。

 白山一里野温泉では1月の地震以降、避難者を受け入れ、現在、80人ほどが避難生活を送る。白山一里野温泉観光協会長の穴田慎一さん(55)は「避難者はこの先も見えず大変な思いをされていると思う。こいのぼりが、少しでも前を向くことにつながれば」と話す。岩間山荘女将(おかみ)の北村祐子さん(62)は「避難者に元気を出してもらえれば」と願った。

 約350匹のこいのぼりが川の上を泳ぐ大谷川鯉(こい)のぼり川渡しで知られる珠洲市大谷町から避難している堀田久子さん(75)は「家も川も壊れ、山の木も流され、どうしようもないが、仮設住宅に入れるようになれば早く戻りたい」と話し、風になびくこいのぼりを見て「木々の緑に映えて本当にきれい。こいのぼりも喜んでいる」と笑顔を見せた。 (萩原誠)

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「いつか笑い合える。厚真町もそうだったから」 5年前、地震に山をえぐられた被災地から能登へ、復興のエール ... - 東京新聞

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01.32
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 能登半島地震からまもなく4カ月。復興の歩みは今も道半ばだ。2018年9月に最大震度7を観測し、44人が死亡した北海道胆振(いぶり)東部地震も過疎化が進む農業地域だった。あれから5年半以上がたち、かつての被災地は今、どうなっているのか。能登の復興に生かす術(すべ)はあるか。震源地となった厚真(あつま)町の職員とともに現場を巡った。(木原育子)

 北海道胆振東部地震 2018年9月6日午前3時7分、マグニチュード(M)6.7の地震が発生。道内で初めて最大震度7を観測した。広範囲な土砂崩れで、崩壊土量は3000万立方メートルで明治以来最大。火力発電所が停止するなどし、道内のほぼ全域が停電する「ブラックアウト」に。全域復旧に2日を要した。

かつての被災地を案内してくれた厚真町職員の小山さん

かつての被災地を案内してくれた厚真町職員の小山さん

◆一時孤立、能登と似た状況

 「今走っているこの道路も通行できず、一時は能登と似て孤立に近い状況でした」。車で案内してくれたのは厚真町職員の小山敏史さん(47)。復興計画を策定するまちづくり推進課に身を置き、町の復興を間近で見てきた。

 北海道の地震と言えば、広範囲にわたって豊かな山の緑が崩れた無残な光景が象徴的。被害が大きかった現場に立ち、周囲を見渡すと、山肌は不自然な急カーブを保ってえぐられたまま。山ののり面は、「ばんそうこうを貼ったような」(小山さん)吹き付け施工で保護されているが、痛々しい。移植された木々は産毛が生えた状態で、山を形成するには後何十年もかかりそうだ。

◆「木が怖い」心に残る被災者の言葉

 発災当初、小山さんは被災者のこんな言葉を覚えている。「動くはずのない木々が大きな体を揺らして猛スピードで大切な家屋や生活をなぎ倒していった。『木が怖い』って」

 さらに車を走らせると、町内で最も被害が大きかった吉野地区にたどり着いた。13世帯34人が暮らしていたが、19人が亡くなった。再建の見込みは立たず、今は誰も住んでいない。

かつて土砂にまみれた現場で農作業に励む早坂さん=北海道厚真町吉野地区で

かつて土砂にまみれた現場で農作業に励む早坂さん=北海道厚真町吉野地区で

 そんな集落で、記者を待っていてくれたのは早坂信一さん(59)だ。

 地震で父清さん=当時(81)=と母艶子さん=当時(80)=を亡くした。清さんは長年地元農協で理事を務め、艶子さんも農協で町の特産みそ「おふくろみそ」の開発に携わった地区のリーダー的存在。早坂さんは両親と少し離れた場所で暮らし、親子で米作りにいそしんできた。

◆「ぼくの両親よりこの子たちの家族を」

 発災直後、早坂さんが夢中で駆けつけたが、実家は黒い土砂の中。実家の隣に住んでいた高校生が妹の名を泣き叫んでいる。救急隊に「ぼくの両親よりこの子たちの家族を」。両親の死さえ泣くに泣けなかった。

 葬儀の後、辺りを見渡すと、大量の土砂が流れ込んだ田んぼの片隅で、金色の稲穂が風に揺れていた。「稲刈りをあきらめることは、亡くなった人たちが丹精込めて育てたお米まで無にすること」。地震で稲刈りできなくなった地域の若い人らにも協力をあおぎ、農協や共済と相談してメーカーから農機具を借り、地割れで凸凹になった大地を前に進んだ。

 収穫しながら芽生えた農業者としての自負。「へこたれているわけにはいかない」。地震で農業を続けられなくなった人らの田畑も託され、無住の被災地で、一人で農業を続けている。

 早坂さんは言う。「復興は必ず定住しなくてはならないという原則はなく、日常の取り戻し方はきっといろいろある」としつつ、被災した者同士、能登を思う。「本当に困っている人はわかりにくい。簡単に割り切れない気持ちもあるだろうが、いつか笑い合える。厚真町もそうだったから」

◆地域を支える「なごみ力」

コミュニティーセンターに集う人たちが能登の被災者に向けて書いたメッセージカード

コミュニティーセンターに集う人たちが能登の被災者に向けて書いたメッセージカード

 地震で新たに生まれたものもある。吉野など周辺3地区の公民館として生まれ変わった「厚北地域防災コミュニティーセンターならやま」もそのひとつだ。

 「ようこそ」。明るい声のトーンで地域の人らを出迎えるのはセンターの集落支援員の山口純子さん(62)。高齢者の多い地域で、震災前は介護職員だったが、災害後は災害ボランティアセンターの運営や生活支援相談員としての仮設住宅の見回りなど地域の声に耳を傾け続けてきた。

 ふわっと相手の心に入っていく山口さんの「なごみ力」に、地域は支えられてきた。「『助けてほしい』と言えない人ばかりになるのが被災現場です」

 現在、センターに集う人らが夢中になるのは毛糸の小物作りだ。「能登の被災者向けに一針ずつ願いを込めている。厚真町も当時、全国から寄せられた小物に励まされた。恩送りです」と目を細め、「どんなことでもOK。自分以外の誰かのために動けることが明日への活力です」と、能登とともにあることを伝える。

◆トヨタを退社し故郷で起業

 当時は仮設住宅が至る所に建てられ、現在は町営住宅に。そんな町の中心部に、空き家を活用してできたコミュニティースペース「イチカラ」も軌道に乗り始めていた。

空き家を利用して運営するコミュニティースペース「イチカラ」。老若男女が集う=北海道厚真町で

空き家を利用して運営するコミュニティースペース「イチカラ」。老若男女が集う=北海道厚真町で

 運営するのは成田智哉さん(35)。東大卒業後、トヨタ自動車に入社し、駐在員としてブラジルに赴任した。何不自由ない生活でありがたかったが、現地社員との「差」は歴然。もやもやを感じ始めていた頃、故郷での地震も重なり、思い切って退社した。

 震災から半年後、起業を決意し、北海道に帰郷。ローカルベンチャー制度に応募した。雪かきや通院の足の確保など地域の困り事を地域で解決するマッチングアプリの開発など、テクノロジーを駆使しながら、これまでにない社会の仕組みをイチカラから発信しようと試みている。

 「東京ばかりが豊かになってもしょうがない。地域こそ元気にならないとこの国は終わる」と語る。「厚真町でも能登でも、もうわかったはず。災害時に本当に大切なことは人と人とのつながり。普段からつながり合っている町こそ強い」

◆いつか満開のサクラを

 つながり合いは無住の吉野地区にも芽吹く。山ののり面の一部には、冬の厳しい外気から守られるように、白い袋で覆われた若木が並ぶ場所があった。

 震災前、地区名の由来となる吉野神社があり、春に満開に咲く桜が地域の憩いの場だった。「吉野という地名の縁もあり、桜の名所として有名な奈良の吉野山にあやかり、桜を植えることになった」と前出の小山さん。奈良からシロヤマザクラが寄贈され、道内のオオヤマザクラなども含め計約80本が移植された。

地震の影響で起きた土砂崩れ=2018年、北海道厚真町(本社ヘリ「まなづる」から)

地震の影響で起きた土砂崩れ=2018年、北海道厚真町(本社ヘリ「まなづる」から)

 小山さん自身も香川出身で、厚真町とは縁もゆかりもなかった。スポーツ関連企業で働いていた時、たまたま厚真町近くの市に赴任。知人から公務員を勧められ、「穏やかで住みやすい」と家族で移住した。入庁7年後に被災自治体に。直属の上司だったまちづくり推進課長も地震で亡くなり、司令塔を失った悲しみの中での支援活動だった。

 「桜はやっと葉がついた段階で花はまだまだ。いつか満開の桜を咲かし、多くの人が訪れてくださった時が本当の復興でしょうか」と語り、続けた。「能登にも笑顔咲く日が来ることを願っています。何か厚真町にできることはないですか。いつでも連絡ください」

◆デスクメモ

 能登半島地震で10日間孤立した集落の避難者を取材した。地域の人たちが食べ物を持ち寄って、皆で支え合ったという。自分以外の誰かのために。山口さんの言葉は、地域に根付いた「結いの心」の強さを示す。次の世代にどう伝えていくか。日本全体の課題ととらえたい。(拓)

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「甲子園ヒーロー揚げ」能登被災者の力に 阪神・淡路大震災の記憶に動かされ、生みの親らが1300個炊き出し - 神戸新聞NEXT

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05.31
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蛸島小学校で甲子園ヒーロー揚げを調理する山崎哲さん=2月19日、石川県珠洲市(山崎さん提供)

 ご当地グルメ「甲子園ヒーロー揚げ」を販売する兵庫県西宮市の飲食店主ら4人が、能登半島地震の被災地で炊き出しをした。生みの親の山崎哲(あきら)さん(55)が呼びかけ、名物を避難所で提供した。「自己満足じゃないのか」との思いもよぎったが、それでも山崎さんを動かしたのは、阪神・淡路大震災の記憶だった。(地道優樹)

 2月19日、山崎さんは倒壊した家々が残る石川県珠洲市内を車で走っていた。住民が身を寄せる蛸島小学校にヒーロー揚げを届けるためだ。珠洲市では103人が亡くなり、2400戸以上の住宅が全壊。半壊も2千戸近くに上った。撤去が追い付かず、山積みになったがれきを見て、29年前を思い出していた。

 1995年1月17日、神戸市東灘区の自宅で激しい揺れに襲われた。幸い家族は無事だったが、4階建てマンションは全壊。部屋を出ると、目の前で阪神高速道路が横倒しになっていた。

 当時25歳。陸上自衛隊を退職後、料理店で修業し、西宮市内に焼き鳥店を開いたばかりだった。震災直後は親族が住む神戸市長田区に向かい、生き埋めになった人たちの救助を手伝った。その後も店は再開できず、代わりに各地で炊き出しをし、バイクで避難所に救援物資を届けて回る日々を送った。

 ボランティア活動は4カ月ほど続けた。焼き鳥店の開業で約2千万円の借金を抱えていたが、「人の役に立てている」という実感が将来への不安を消してくれた。ようやく日常を戻り戻した時、「なぜか心に穴が開いたような、取り残されたような感覚になった」

    ■  ■

 今年の元日。能登の被害映像を見た瞬間に「行こう」と思った。コロナ禍による経営悪化が長引き、心を病みかけていた。「能登に行けば何かが変わるかもしれない」。奔走した阪神・淡路の記憶がよみがえった。

 しかし地震直後、石川県が個人のボランティアを自粛するよう呼びかけていた。山崎さんも自問を重ねたが「いても立ってもいられなかった」。人づてに珠洲市の市議を紹介してもらい、食材の準備から撤去まで「自己完結する」という条件で「炊き出しをしたい」と相談。避難所に寄せられる救援物資はおにぎりやカップ麺などが多いといい、「肉はありがたい」と歓迎された。

 7時間かけてたどり着き、約1300個のヒーロー揚げを調理した。生活の場に立ち入らないようスタッフに配ってもらったから、味の感想は聞いていない。住民と話す機会もあったが、「頑張ってください」とは言えなかった。やることは山積みだけど気持ちが追いつかない。あの頃の自分と重なった。

 「遠いのにありがとうね」。自宅が断水し、学校までシャワーを浴びに来ていた高齢男性から声をかけられた。「甲子園行きたいなあ」

 石川県では現在も4500人以上が避難所暮らしを余儀なくされている。炊き出しの後、「やはり1回限りの支援ではどうにもならない」と痛感した。次は6月ごろにも現地入りを考えているという。

甲子園ヒーロー揚げ】二つに割って食べられる▽サクサクの衣▽にんにくダレ-の3カ条からなる手羽の唐揚げ。中国語で鶏肉を意味する「ジーロウ」が名前の由来で、甲子園を中心に市内の13飲食店が販売する。店主らでつくる「西宮・甲子園ヒーロー揚げ推進委員会」が普及を目指している。

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公費で被災者の洗濯支援、石川 - 中国新聞デジタル

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18.31
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 震災発生から3週間が経過した1月24日に石川県珠洲市の小学校で稼働した移動式ランドリー

 能登半島地震に伴う断水被害が大きかった石川県で、避難所に身を寄せる被災者の衣類をクリーニング業者が回収し、洗濯を代行する取り組みが公費で実施されていることが27日までに内閣府と県への取材で分かった。災害救助法に基づく対応で、断水が長期化した県内5市町で実施。内閣府によると「直近10年で事例はない」といい、初のケースとみられる。関係者からは被災者支援として定着させるべきだとの声が出ている。

 洗濯支援の公費負担は、災害救助法で規定する被災住民への「応急救助」のうち避難所の運営費用として扱われ、珠洲市や能登町などで対象となった。業者が衣類を回収し、洗濯して返す形で支援が実施された。

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石川 大型連休で多くのボランティア見込み “遠慮せず依頼を” | NHK - nhk.or.jp

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16.31
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27日からの大型連休の期間中、ことし1月に起きた能登半島地震の被災地に向かうボランティアの大学生もいます。

都内の大学では被災地の現状や被災者と接する際の注意点などに関する説明会が開かれました。

東京 八王子にある中央大学では、能登半島地震の被災地に有志の学生を募って災害ボランティアを派遣する取り組みを行っていて、大型連休期間中も5月1日から3日までの間、石川県能登町に派遣します。

26日は参加する学生を対象にオンラインを交えた説明会が開かれ担当者が
▽ボランティアを行う地区は水道が先週、復旧したばかりであることや
▽被災者と話す際は、無理に何かを聞くのではなく相手が話したいタイミングを待つ方がよいことなどを説明していました。

大学によりますと、大型連休中の活動には78人の申し込みがありましたが、安全面を考慮して16人に絞り込んだということです。

参加を予定している大学2年の女子学生は「被災地のことは人伝いに聞いていたが、自分の足で直接訪れて今できることをしたいと考えて応募しました。少しでも現地の人を笑顔にできるように力になってきたいと思います」と話していました。

また、大学3年の男子学生は「去年、金沢に住んでいる友人を訪ねて、ことしは輪島に行く約束をしていましたが行けませんでした。現地の人がなるべく楽になるように力仕事を頑張りたい」と話していました。

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被災者負担抑え必要な支援を…ボランティア増加見込まれるGW 石川県が被災者のニーズ掘り起こしテコ入れ|FNN ... - FNNプライムオンライン

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07.31
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今週末から始まるゴールデンウィーク。県は多くのボランティアに来てもらうと被災者のニーズの掘り起こしに力を入れています。どうすれば必要な支援が届くのか
。ニーズ調査の現場を取材すると課題が見えてきました。

馳知事:
「ニーズを掘り起こしてさらなる受け入れを加速化させていきたい」

先週の会見でこう強調した馳知事。ボランティアが増えると見込まれるゴールデンウィークを控え、県がテコ入れしているのが被災者のニーズの掘り起こしです。

ニーズ調査:
「今ボランティアのニーズ調査をお伺いしていまして。」

珠洲市大谷(おおたに)地区。住民のもとを訪れたのは市の社会福祉協議会から委託を受けた労働組合・連合の職員です。今月15日から市内1軒1軒を回り、困っていることがないかなどを聞いて回っています。

職員:
「お優しい方が多いのでうち大丈夫って方が多いんです。なので積極的に言っていただけたらボランティア派遣するっていうのをしていますので」
住民:
「またお願いします」

取材班が同行している間、困っているという声はあったもののボランティアの依頼はありませんでした。

ボランティアの依頼をしたことがない人:
「うちの中やわくそやわね、でも重たいものはないから。(ボランティア)してもらえばいいんやけど…すぐ片付くわねえ

調査の担当者:
「遠慮深いのかなと。もっとひどい家に行ってくださいと言われるので。ボランティアをする人もいっぱい来ていると思うのでぜひ頼っていただいて利用していただければ、より復興も進むのかなと思いますので」

こうしたニーズをとりまとめてボランティアに作業を依頼する役割を担うのが各地の社会福祉協議会です。今回のニーズ調査によってボランティアの依頼はおよそ2倍に増えたそうです。このため珠洲市はゴールデンウイーク期間中、ボランティアの受け入れを現在のおよそ70人から100人ほどに増やして対応する予定です。

ただ、ここでも課題が…

珠洲市社会福祉協議会 塩井豊事務局長:
「市外、県外に避難されている方、お仕事されている方のご都合もあるということで、実際にはボランティアに来てほしいという方は何人もいらっしゃるんですけど、日が決まっているということであれば、その日に入ってくるボランティアさんも数が決まっているので、そこが課題といえば課題」

例えば被災者が、自宅の片付けボランティアを依頼する場合事前調査と活動日の2度、立ち合いが必要になります。このため、日程調整に時間がかかっているのだといいます。

二次避難者からもこんな声が…

二次避難している人:
「今、ボランティアを頼んでるだけれども、ボランティアが来るときに(自宅に)行こうかと。」
二次避難している人:
「連絡が来ればね」
二次避難している人:
「一遍に(ボランティアを)寄せられないもんね」
記者:
ボランティア依頼の申し込みは?
二次避難した人:
「してあります。してあるが手付かずだわ、みんな」

一方、断水している地域に自宅がある人からはこんな声も聞かれました。

避難している女性:
「水が出ないもんで、だから何にも片づけるにもトイレもだめやし。家の中はがちゃがちゃやけど(ボランティアを頼む)までまだ考えられん」

被災者の負担を抑えながら必要な支援を受けられるようにするにはどうすればよいのか。県にはきめ細やかな対応が求められます。

石川テレビ

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能登地震で被災した映像作家 映画で伝えたかった珠洲の姿とは - 毎日新聞

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14.31
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珠洲を舞台にしたドキュメンタリー映画を製作する有馬尚史さん=石川県珠洲市蛸島町で2024年4月1日午後3時32分、阿部弘賢撮影
珠洲を舞台にしたドキュメンタリー映画を製作する有馬尚史さん=石川県珠洲市蛸島町で2024年4月1日午後3時32分、阿部弘賢撮影

 2023年5月5日、石川県珠洲(すず)市は震度6強の揺れに見舞われ、300棟以上が全半壊するなど被害が出た。映像作家の有馬尚史(ひさし)さん(36)=東京都町田市=は、珠洲の祭りを通じて復興へ歩む人々をドキュメンタリー映画にしようと被災地に通っていた。そのさなかで、今年1月の能登半島地震に遭遇した。

巨大なキリコが町を巡る宝立七夕キリコまつり=石川県珠洲市で2023年8月5日、国本ようこ撮影
巨大なキリコが町を巡る宝立七夕キリコまつり=石川県珠洲市で2023年8月5日、国本ようこ撮影

キリコの撮影から始まった

 映画は「凪(なぎ)が灯(とも)るころ」。能登地方では夏の伝統行事として、大きい物では重さ約4トン、高さ15メートルを超える灯籠(とうろう)を引き回す「キリコ祭り」が催される。キリコとは、この灯籠のことだ。

 有馬さんは、珠洲にボランティアに入っていた知人から映画の話を持ちかけられ、23年5月下旬からカメラを回し始めた。住民らは当初、祭りをやるべきか悩んでいたものの、時期が近づくにつれ次第に団結していった。

 有馬さんは8月と9月には市内3地区に密着し、住民らが勇壮にキリコを巡行させる姿を撮影した。「誰もが真剣に祭りと向き合っていた。祭りを通じて街の雰囲気が変わっていくのを感じた」

 以前のような明るさを取り戻した年末年始を撮るため、12月28日に再び珠洲に入った。住民らが除夜の鐘を鳴らしたり、元旦に初詣をしたりする様子などを撮った。

突然の大きな揺れ

能登半島地震後の石川県珠洲市内の様子=2024年1月2日午前11時52分(有馬尚史さん提供)
能登半島地震後の石川県珠洲市内の様子=2024年1月2日午前11時52分(有馬尚史さん提供)

 その日の午後4時過ぎは、撮影の合間で市内の民家で仮眠していた。突然の大きな揺れで跳び起き、慌ててカメラを回し始めた。

 直後に、更に強烈な揺れに襲われた。「ガタガタ」と建物がきしみ、瓦などが崩れ落ちて砕ける音が響いた。身の危険を感じて外へ飛び出した。

 生き物のように動く地面。建物が倒壊して舞い上がる土ぼこり。目に飛び込んできたのは、信じられない光景だった。

 その後、車で高台に避難し、そのまま車中で夜を過ごした。

 翌2日、海沿いの珠洲市蛸島(たこじま)町地区を歩いた。辺りはほとんどの建物が倒壊し、壊滅状態だった。「街はどうなってしまうのか」。絶望感がこみ上げてきた。

 その夜、避難所になった小学校に避難し、被災者らと一緒におにぎりを作った。懐中電灯の明かりの下、持ち寄った米と釜でご飯を炊いて、1人1個ずつ配った。自分も一つ食べた。「皆が大変だったが、部外者を優しく受け入れてくれてありがたかった」

被災地の現実を伝える映画に

珠洲を舞台にしたドキュメンタリー映画を製作する有馬尚史さん(右)。漁港を補修する人を撮影した=石川県珠洲市蛸島町で2024年4月1日午後3時27分、阿部弘賢撮影
珠洲を舞台にしたドキュメンタリー映画を製作する有馬尚史さん(右)。漁港を補修する人を撮影した=石川県珠洲市蛸島町で2024年4月1日午後3時27分、阿部弘賢撮影

 当初の予定より1週間ほど遅れて1月14日に東京に戻ると、すぐに本格的な編集作業に入った。

 何度も通って撮影した街並みや風景の多くは、今回の地震で大きく傷つき、失われた。その中で、どう映画製作を進めていけばいいのか悩み、落ち込んだ。

 3月下旬に約1週間、珠洲で追加の撮影をした時だった。「こんな時こそ、キリコを出さないと」。被災した住民らが今夏の祭りのことを話していた。「これが珠洲の人たちだ。自分も頑張らないと」と住民に勇気づけられた。

 今は完成に向けて、作業に追われるが「昨年の祭りから今年の地震まで撮ったのは自分だけ。映画を完成させられるのは自分しかいない」と気持ちは前向きだ。

 映画は6月にも、被災者向けの金沢市の試写会で先行公開される。「希望が見える作品にはならないかもしれないが、被災地の現実を伝え、困難に遭っても負けない人がいることを知ってもらうことで、多くの人の励みになってほしい」【阿部弘賢】

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