元米海兵隊員のザカリー・A・バーガート(36)がウクライナに到着したのは3月1日、ロシアの侵攻開始から6日後のことだった。辺りには雪が降っていた。
ルーマニアから、陸路でウクライナ南西部に入った。持ち物は、綿のガーゼや包帯、火傷用のクリームといった医薬品など。柔術道場のオーナーで、同じく元海兵隊員のマーク・ターナーら2人と一緒だった。雪に覆われた野原を横切り、自動小銃「AK47」を携えた兵士たちのいる検問所を通過する。
バーガートの頭に浮かんだのは、第2次世界大戦だった。
「こんな寒い冬に、この地域で戦った人たちがいたのか。彼らはどれだけ嫌な思いをしたことだろう」
目的地は、米国からともにやってきた友人のユーリ・シュパレイの故郷だった。シュパレイはウクライナ出身で、現在は米国籍を取得している。
安全上の理由から、故郷がどこかは明らかにできない。シュパレイがその小さな町に着くと、母親も祖母も泣いたのだと、バーガートは言う。
ただ、そんな涙の再会も、長くは続かなかった。荷物の一部をシュパレイの家に置き、シャワーを浴び、「すぐに仕事に取りかかった」。ルーマニアから携えてきた医薬品などを持って。
主な活動の場所は学校だった。市民らは体育館で迷彩柄のネットを作り、また、近くで戦闘のための訓練をしたりしていた。海兵隊で偵察部隊にいたバーガートとターナーには、これまで十数カ国で外国の兵士を訓練した経験がある。ウクライナでは7日間にわたり、地元市民に歩兵としての基本的な技術を伝えたり、負傷した場合の応急処置について指導したりした。また、現地に滞在する米国人のための食料の配給や、宿泊先の調整にも尽力したという。
ウクライナに赴く米国人は少なくない。ワシントン・ポスト紙によると、3月上旬までに4千人に上った。動機はそれぞれだが、バーガートは「ロシアの侵略を黙って見ていられなかった」と話す。
シュパレイという友人がいたことも大きい。「ウクライナに行くという選択肢があって、それを見過ごすことは絶対にできないと感じた」。すでに米国に戻ったが、支援は続ける。
バーガートは日本とも縁がある。2000年代初頭、彼は沖縄のキャンプ・シュワブで5年間を過ごし、長男はそこで誕生した。愛する誰かを守りたい。その気持ちが彼の原動力だ。
「ウクライナにも、愛する人たちや家族、土地を守ろうとするひとたちがいる。これからも、彼らを支えていくつもりだ」
ウクライナ人の1千万人が家を追われた。学校や病院が爆撃されている。一般市民が殺害されている。街が包囲されているーー。米国ではそんな報道が日々流れ、退役軍人らを突き動かす。
「命を守るほど名誉なことはない」。50代前半のマシュー・パーカーはそう話す。短髪で、筋骨隆々。祖父も父親も軍人だったというパーカーは、20年以上米軍に所属し、イラクやクウェートに派遣された。パーカーがウクライナ行きを決心したのは、ウクライナ出身の知人男性がいるためだ。20代のその男性とはイラクで知り合い、彼は運転手だった。
「彼の家族は(2014年の)クリミア侵攻を受けて、(ウクライナ南部の)オデッサに逃れたんだ。ある年のクリスマスにね、彼の幼い妹に帽子を送ってあげたことがある。確か、ミッキーマウスか何かの帽子だったと思う。『喜んでいました。かぶって眠っていました』って、彼がうれしそうに教えてくれたんだ」
パーカーは、知人男性との思い出を語った後、深呼吸し、言葉を続ける。
「地政学的なナンセンスの向こう側に見えるのは、クリミアから逃れてきた彼の妹だ。またロシアがやってきた、と。彼女はまた逃げるのだろうか。家族みんなでまた、家を追われるのか。全員が生きていられるだろうか。地下のシェルターにいるのだろうか。そんなことを考える」
パーカーはロシアによるウクライナ侵攻が始まる数週間前、他の退役軍人らとともに、救命キットをウクライナのボランティア団体に送っていた。実際に侵攻が始まり、ゼレンスキー大統領が外国人に「領土防衛隊外国人部隊」への参加を求めると、「断れない」と感じたという。
パーカーには、米軍や外国の軍隊での指導歴がある。退役後も仕事として、政財界の要人保護を担ってきた。「兵士だった頃は、国を守っていた。人の命を守る。命を守るために人びとに訓練をする。そうしたことの延長線上にあります。誰か、何かを守ることが私の仕事なんです」
パーカーはウクライナに向かう前、当局者に協力し、領土防衛隊への応募者の審査も担った。また、応募者の装備の準備を手伝い、防護服やブーツといった必需品を購入するために、資金調達をする必要性も痛感したと話していた。
資金援助を必要とするボランティアたちを手助けできないかーー。ニューヨークで医療関係の会社を経営しているアンソニー・カポネはそんな思いから、”Ukrainian Democracy”(ウクライナの民主主義)と名付けた団体を設立した。15万ドル(約1800万円)の資金を調達し、130人のボランティアを現地に派遣した。彼らの出身国は41カ国にもなった。
どこに行って、なにをすればいいのか。身辺調査のためになにが必要で、どうやって行けばいいのか。カポネは、そうした面を支える。
「行ったことがない国に行って、会ったことがないひとたちのために身を粉にする。それは」。カポネは言う。「自分たちが大切にしている、理想のためなんですよ」
その理想とは、自由であり、民主主義なのだという。(文中敬称略)
からの記事と詳細 ( ウクライナに行ったアメリカの退役軍人たち 彼らに聞いた「誰のために、何のために」:朝日新聞GLOBE+ - GLOBE+ )
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