救世軍神戸小隊は1903(明治36)年の開設時、神戸駅と湊川神社の間(現・神戸市中央区中町通)にあり、300人以上入る会館は国内最大規模だったという。
07年には創立者のW・ブース大将が来神。市長があいさつし、数千人が出迎える人気ぶりは、神戸新聞にも連日報じられた。
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救世軍神戸小隊は1903(明治36)年の開設時、神戸駅と湊川神社の間(現・神戸市中央区中町通)にあり、300人以上入る会館は国内最大規模だったという。
07年には創立者のW・ブース大将が来神。市長があいさつし、数千人が出迎える人気ぶりは、神戸新聞にも連日報じられた。
災害被災者に浄財を届けようと、臨済宗妙心寺派の「京都両丹教区青年僧の会」が、兵庫県丹波市山南町谷川で歳末助け合い托鉢を行った。地元・正覚寺の村井俊章住職(52)を先頭に、計15人の僧が約1時間半をかけて地域を歩いた。
同会は毎年、各地で托鉢を行い、「妙心寺おかげさま献金」として浄財を寄付している。同寺周辺で行うのは10年以上ぶりという。
網代笠をかぶり、神鈴を鳴らしながら歩いた。仏の教えを浸透させるという意味で、「法雨(ほうう)」と大きな声で唱えながら托鉢に回った。
地域住民は自宅前などで待ち、僧侶が首から下げた「看板袋」に浄財を入れ、「ご苦労さまです」などと声をかけていた。
村井住職は「世の中の役に立つ活動になるとともに、困っている方に檀家の気持ちも浄財と一緒に届けられたら」と話していた。
熱海市伊豆山で2021年7月に発生した大規模土石流を巡り、遺族や被災者が土石流起点の現旧土地所有者や県、熱海市に損害賠償を求めた訴訟の弁論準備手続きが13日、静岡地裁沼津支部であり、原告の一部が新たな弁護団を選任したことを明らかにした。新弁護団は終了後に記者会見し、従来の弁護団の主張を補充する形で追加提訴する意向を示し、真相究明に力点を置いた主張を展開していくと説明した。従来の弁護団は一部の原告以外の代理人を引き続き務める。
新弁護団によると、原告のうち10人が、公害訴訟の経験のある弁護士7人で構成する新弁護団に代理人を交代した。これまで現旧土地所有者だけを相手取っていた原告の場合は行政機関を被告に追加するなどして、新たな訴状を提出する方針。
追加提訴は発災3年を迎える来年7月までに予定している。内容は今後詰めるが、開発業者を規制する権限のあった県や市の検証結果以外の事実関係も独自に調べる。盛り土上流側の集水域については表流水や違法開発の影響も考慮し、被告側の法的責任を明確化するという。従来の弁護団を代理人とする他の原告とも連携していく。
新弁護団の池田直樹弁護士は「(これまでの裁判では)早期和解、早期解決を掲げる中で真相究明を行政の報告書にそのまま頼り、独自の検証がされていないと原告の一部は感じている。これまでの原告や弁護団を補充してバックアップする形で活動していく」と説明し、裁判の透明性確保も求めていくとした。
この日の弁論準備手続きでは従来の原告弁護団から崩落盛り土に関する詳細な主張が示された。来年7月10日に口頭弁論を初めて公開で開くことも決まった。
12日、建て直した家で家事をする黒竜江省尚志市老街基郷基豊村の村民、宋暁菊(そう・ぎょうぎく)さん。(尚志=新華社記者/謝剣飛)
【新華社尚志12月15日】中国黒竜江省尚志市は8月に台風の影響で深刻な水害に見舞われ、市内の複数の郷や鎮が被災した。一部の村では家屋の損壊が激しく、冬を迎える前に被災者向けの暖かい家を確保することが同市の災害復興作業の重点になっていた。同市はこれまでに家屋159戸を新築、3710戸を補修、強化したほか、在庫住宅371戸を購入して被災者に割り当て、暖かい家の確保を完了した。
上:黒竜江省尚志市老街基郷竜王廟村で、村民の趙志山(ちょう・しざん)さん、車喜華(しゃ・きか)さん夫妻の家屋を再建する作業員。(9月7日撮影)
下:11日、完成した家の中で、花に水をやる車喜華さん。(組み合わせ写真、尚志=新華社記者/謝剣飛)
12日、黒竜江省尚志市老街基郷の一角。(小型無人機から、尚志=新華社記者/謝剣飛)
12日、補修が済んだ家でテレビを見る、黒竜江省尚志市老街基郷基豊村の村民、梁永善(りょう・えいぜん)さん(左)、姜淑芹(きょう・しゅくきん)さん夫妻。(尚志=新華社記者/謝剣飛)
11日、建て直した家の外でまきを取る、黒竜江省尚志市老街基郷竜王廟村の村民、車喜華(しゃ・きか)さん。(尚志=新華社記者/謝剣飛)
12日、建て直した家でテレビを見る、黒竜江省尚志市老街基郷竜王廟村の村民、趙志山(ちょう・しざん)さん(右)、車喜華(しゃ・きか)さん夫妻。(尚志=新華社記者/謝剣飛)
上:洪水被害を受けた黒竜江省尚志市老街基郷竜王廟村の村民、趙志山(ちょう・しざん)さん、車喜華(しゃ・きか)さん夫妻の家屋。(8月3日撮影、尚志=新華社配信/任春艷)
下:11日、建て直した趙志山さん、車喜華さん夫妻の家屋。(組み合わせ写真、尚志=新華社記者/謝剣飛)
12日、黒竜江省尚志市老街基郷の一角。(小型無人機から、尚志=新華社記者/謝剣飛)
12日、黒竜江省尚志市の建て直された家屋。(尚志=新華社記者/謝剣飛)
上:洪水で押しつぶされた黒竜江省尚志市老街基郷基豊村の村民、劉環茂(りゅう・かんも)さんの住宅。(8月5日撮影、尚志=新華社配信/任春艷)
下:12日、建て直された劉環茂さんの住宅。(尚志=新華社記者/謝剣飛)
上:建て直し中の家を確認する黒竜江省尚志市老街基郷基豊村の村民、劉環茂(りゅう・かんも)さん。(9月4日撮影)
下:12日、建て直した家の中で、水害被災家屋の再建に関する協議書を確認する劉環茂さん。(組み合わせ写真、尚志=新華社記者/謝剣飛)
黒竜江省尚志市老街基郷竜王廟村の村民、楊春貴(よう・しゅんき)さんの損傷した住宅にしっくいを塗る作業員。(9月7日撮影、尚志=新華社記者/謝剣飛)
12日、建て直した家で家事をする黒竜江省尚志市老街基郷基豊村の村民、劉環茂(りゅう・かんも)さん。(尚志=新華社記者/謝剣飛)
黒竜江省尚志市老街基郷竜王廟村で、村民の趙志山(ちょう・しざん)さん、車喜華(しゃ・きか)さん夫妻の家屋を再建する作業員。(9月7日撮影、尚志=新華社記者/謝剣飛)
11日、建て直した家の中で、花に水をやる車喜華(しゃ・きか)さん。(尚志=新華社記者/謝剣飛)
【宮城】仙台市の中心街のほど近く、一つの街が今年、姿を消した。77年前、戦争被災者のための仮設住宅団地として生まれ、人々が共同体を築き、苦楽を共にした。だが行政は移転を迫り、最後の最後の1軒が2月、解体された。街の跡は観光客を呼び込む公園になった。
仙台城跡と広瀬川にはさまれた同市青葉区・追廻(おいまわし)地区。その歴史と暮らしを振り返る展覧会「自治とバケツと、さいかちの実」が24日まで、同区のせんだいメディアテークで開催中だ。
「リュック負いアジヤの果より辿(たど)りつき 隣人となりし三千の住民」「アヒル小屋スラム街よとののしるばかり 今尚(なお)政治の外におかるる」。展示は元住民・狩野兼雄さんのこんな短歌で始まる。
追廻は戦前、旧陸軍の練兵場だった。敗戦翌年の1946年、国策でそこに約600戸のバラック長屋が「応急簡易住宅」として建てられる。アジア各地からの引き揚げ者や、空襲で焼け出された人たちが、着の身着のままで身を寄せた。
追廻住宅を建てた住宅営団は、その後解散。住民は建物を買い取り、国に借地料を払って住み続けることにした。一方、仙台市は都市計画で公園にすることに決めていたため、インフラ整備を十分行わなかった。住民は資金を出し合い、自ら道路を舗装し、水道を引くなどした。
最大約4千人が暮らした街では「自治」が確かに息づいていた。そのさまが、住民たちの記録や様々なエピソード、多数の写真で描かれる。
市は、動物園や日本庭園の整備といった構想を打ち出しては、住民と移転の話し合いを続けた。追廻を去る人は次第に増え、宮城野区新田には、集団移転用の団地もつくられた。
美術家の佐々瞬さん(37)は、元住民から追廻の思い出を聞き取り、移転を拒み続けた男性とも交流を続けてきた。会場では、最後の1軒の解体の様子が映像で紹介されている。
展示は、観(み)る人にこう問いかけてくるようだ。街が終わるとは、どういうことだろう――。
佐々さんと一緒に構成・制作を担った伊達伸明さん(59)は「この展示できれいに『終わり』にできるかというと、そうではない。物体としては終わったけれど、記憶の始まりなのかもしれない」と話す。
思えば、東日本大震災でも多くの街が失われ、戻れない土地になった。その記憶をどうつなぐか、各地で模索が続く。そのことも想起される。
追廻地区は青葉山公園に姿を変え、ビジターセンター「仙臺緑彩館」ができている。片隅に、街だったことを示す小さな「ふるさとの碑」が建てられている。(編集委員・石橋英昭)
関西学院大(兵庫県西宮市)の学生14人が阪神大震災(1995年)の被災者らに聞き取りをした研究活動の成果を1冊の本にまとめた。書名は「五感でとらえなおす 阪神・淡路大震災の記憶」(関西学院大学出版会、税別1900円)。震災以降に生まれた世代が、今なお生々しく残る記憶や感情と向き合った。
社会学部の金菱(かねびし)清教授(災害社会学)のゼミに所属する4年生がまとめた。2年ほど前から聞き取りを重ね、「記憶に残りやすいとされる視覚以外に着目した場合、記憶はどのように残っているのか」を問い直した。
人間の五感に応じて6章で構成。「匂う」では、遺体安置所に広がる特有のにおいについて業務に携わった行政職員らの証言を基に、記憶の鮮明さに差があることを考察した。「聴く」では、犠牲者の声を参考に救命活動に従事した元救急隊員が今でも抱え続ける後悔や葛藤を取り上げた。
4章の「見えない」をテーマに取り組んだ吉川友貴さん(22)は、視覚障害者4人の証言を参考に震災を振り返った。全盲の男性が残していた日記には、屋根から瓦が落ちたりガラスが割れたりする音が響き渡り、「私の命は終わったと思った」としたためられており、「実際に見えているかのように書かれていた」と振り返る。
一方、別の視覚障害者は街並みを見ることができないため、周囲の人の声色の変化や、車に乗っている時の振動で路面が整備されているかどうかで復興の進み具合を感じていたという。吉川さんは「研究を通じて、晴眼者とは違う復興の感じ方を持っていることがわかった」と話す。
7日には神戸市立盲学校を訪れ、聞き取りに協力した教員の長尾隆一郎さん(54)に著書を手渡した。長尾さんは「若い世代の人が知られる機会の少ない視覚障害者の視点に関心を持ってくれたことに感銘を受けた」と語った。
金菱教授は「震災から29年という歳月がたっても、五感を通じることで記憶は色あせることなく立ち上がってくることに新たな発見があった」とゼミの活動を総括。「若い世代が今後起こり得る震災にどう向き合うか、この本から考えてほしい」と話した。【山本康介】
7月上旬の大雨で泥水に漬かって汚れた写真を元の姿に戻そうと、益城町の中高生ら約30人が10日、益城町宮園の町復興まちづくりセンター「にじいろ」で被災した写真の洗浄を体験した。専門家の指導を受けながら、1枚ずつ丁寧に汚れを洗い落とし、被災者...