国の「要請」に従っていたら住民の命は… 「指示権拡大」議論のいま 被災地が大切にする「現場感覚」:東京新聞 ... - 東京新聞

国の「要請」に従っていたら住民の命は… 「指示権拡大」議論のいま 被災地が大切にする「現場感覚」:東京新聞 ... - 東京新聞

19.31
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 非常時に自治体に対する国の指示権を拡大する地方自治法改正案を巡っては、実態にそぐわない指示が現場に飛び、かえって混乱を招くとの懸念の声が相次いでいる。実際に、2016年の熊本地震で観測史上初めて震度7を2回記録した熊本県益城(ましき)町では、国の判断に従っていた場合に、さらなる死傷者を出す事態に発展しかねない局面があった。(三輪喜人)

 熊本県熊本地方で16年4月14日夜、最大震度7の地震が発生した。強い揺れが続き、建物内で過ごすことを恐れて外を選ぶ人や車中避難をする人が続出した。

◆益城町には屋内避難を求める政府の「要請」が

 当時、安倍晋三首相は河野太郎防災担当相に被災者への迅速な対応を命じた。河野氏は4月15日の動きとして「首相から屋外に避難している人を確実に今日中に屋内に収容せよという指示があった」とブログに書き込み、震度7を観測した益城町には、政府から屋内避難を求める連絡が何度も来ていた。

 法的には自治体への「指示」ではなく、「要請」の位置付けだったが、そうであっても自治体にとって政府からの要請は重い。町役場は、指定避難所の町総合体育館で、メインアリーナに避難者を入れるかどうか、難しい判断を迫られた。

益城町総合体育館メインアリーナ。熊本地震で被災する前(左)と、2016年4月14日の前震で、天井パネルの一部が落下した後の様子(右)=益城町提供提供

益城町総合体育館メインアリーナ。熊本地震で被災する前(左)と、2016年4月14日の前震で、天井パネルの一部が落下した後の様子(右)=益城町提供提供

 メインアリーナはつり天井の一部が落下し、一時閉鎖の状態だった。入り口のロビーや屋外は避難者であふれ、地元住民や報道機関から開放を求める声が強まっていた。

◆アリーナ開放を求める強い声にぶれなかった町長

 だが、体育館の被災状況を聞いた西村博則町長は、強い余震が頻発していたことで、町職員からの報告なども基に「屋内の設備の損壊など、被害がさらに拡大する恐れがある」と判断。メインアリーナを開放しないことを決めた。当時、益城町の防災係長で災害対策本部事務局次長も務めた岩本武継・産業振興課長は「開放しなかったので、『何て被災者に冷たい町だ』とおしかりを受けた」と振り返る。

2016年4月16日の本震で、天井のパネルや照明がほぼすべて落下したメインアリーナ(益城町提供提供)

2016年4月16日の本震で、天井のパネルや照明がほぼすべて落下したメインアリーナ(益城町提供提供)

 状況が一変したのは4月16日未明。震度7の本震が再び町を襲った。メインアリーナの高さ約30メートルの天井から、1枚5キロ超のパネルや1基7キロの照明がほぼすべて落下した。「パネルが床に突き刺さっていた。中を公開したら、誰も何も言わなくなった」。「要請」に従って屋内に避難させていたら、メインアリーナで多数の犠牲者が出ていた可能性がある。町の検証報告書でも「人的被害を未然に防いだ」とまとめている。

 地方自治法の改正で、国が自治体に必要な事務処理を指示できる「指示権」が広がれば、国の誤った判断に自治体が従わざるを得ない場面が生じる恐れが高まる。岩本課長は、改正案の是非には明言を避けるが、「災害対策本部も逐一指示を出さず、生死に関わる部分以外は、避難所運営もある程度担当者に任せていた」と現場感覚の重要性を強調した。

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渚清掃 被災者の癒やしに 長野市職員 山田さん、風間さん 珠洲派遣「海眺め遊べるように」:北陸中日新聞Web - 中日新聞

渚清掃 被災者の癒やしに 長野市職員 山田さん、風間さん 珠洲派遣「海眺め遊べるように」:北陸中日新聞Web - 中日新聞

05.31
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海岸を清掃する山田伸晃さん(左)と風間皓平さん(右)=珠洲市鉢ケ崎海水浴場で

海岸を清掃する山田伸晃さん(左)と風間皓平さん(右)=珠洲市鉢ケ崎海水浴場で

 珠洲市役所に派遣されている応援職員の有志が、日本の渚(なぎさ)100選にも選ばれている鉢ケ崎海岸を清掃している。近くには職員の滞在拠点があり、被災者の仮設住宅も完成。「海を眺めたり、遊んだりできれば気分転換になるのでは」と始めた。 (奥田哲平)

 中心となっているのは長野市職員の山田伸晃(のぶてる)さん(52)と風間皓平(こうへい)さん(38)の2人。18日午前5時過ぎから、ビニール袋を手に海岸に落ちたペットボトルなどを拾い集めた。中には津波で流されたとみられる仏壇の一部やチャイルドシート、漁具も。1時間ほどで終えた山田さんは「今後は砂浜に出る道の草刈りも進めたい」という。

 2人は4月から1年間の任期で派遣され、仮設住宅での生活支援や解体ごみの受け入れ業務などに当たる。風間さんがランニングの途中で海岸のごみを片付けはじめたのをきっかけに、4月下旬から週2回程度にペースで清掃し、この日で10回目となった。ほかの応援職員やボランティアが加わることもある。

 珠洲市は2019年10月の台風19号災害で、長野市に最も長く応援職員を派遣していた自治体の一つ。その恩返しとして、長野市は今回の能登半島地震の中長期派遣職員として6人を送った。風間さんは熊本地震などでボランティアに参加した経験があり、「長期派遣なら継続的に支援できる」と手を挙げた。

 珠洲市観光交流課によると、例年7月の海開きは未定。風間さんは「今年は無理でも、いつか観光客が来られるようなビーチにしたい」と願い、今後も清掃を続けるつもりだ。

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能登地震、災害ごみ置き場閉鎖に被災者困惑…「避難中で作業間に合わない」 - goo.ne.jp

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15.31
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支援の場は 再会の場、励ましの場 金沢の物資センターに被災者カフェ:北陸中日新聞Web - 中日新聞

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12.31
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語り合う「みんなの畑の会」の西田敏明さん、被災した人や ボランティアら。寄せられた生活必需品が並ぶ=金沢市湊4で

語り合う「みんなの畑の会」の西田敏明さん、被災した人や ボランティアら。寄せられた生活必需品が並ぶ=金沢市湊4で

 生活必需品を広く募り、能登半島地震で被災した人たちに無料で提供している被災者支援物資センター。NPO法人「みんなの畑の会」が金沢、羽咋両市内に設けているが、カフェも備えられ、ふるさとを離れて暮らす被災者の再会の場、励ましの場になっている。(沢井秀和)

 「あーっ」「あーっ、久しぶり」。お互いに顔を見合わせ、声をかけ合う。6月15日の昼下がり。金沢市湊4の14の3の被災者支援物資センターでは、地震直後以来の再会を喜び合う2人の女性がいた。

 ともに珠洲市熊谷町(くまんたにまち)の自宅で被災した釣谷綾奈さん(32)、杉野倫子(みちこ)さん(33)。釣谷さんが8歳の長男と6歳の長女の生活環境を考えて小松市内に家を購入したことを語れば、杉野さんは支援物資センターでボランティアとして活動する近況を伝えた。

 「救急車、消防車のサイレンの音が震災直後の3日3晩鳴り響き、子どもたちがその音をいやがるようになった」「地震の前まで海が遊び場だったけど、家の裏まで津波が来て海を怖がるようになった」

 カフェのいすに腰かけると、釣谷さんが話し出す。「珠洲の家は更地になるけど、固定資産税を小松の家とダブルで支払わないといけないのかな。どうしたらいいんだろう」と不安を口にした。

 「私たちは住宅ローンを組めない。現金一括支払いしか認められない」。輪島市町野町寺山から避難している窪田正代さん(65)がローンにおける年齢のハードルに触れて応じた。

 カフェでは、さまざまな話題に。輪島市河井町で被災し、内灘町の長男のアパートで生活する品川正人さん(57)は自宅の被害認定について「縁の下の基礎部分を見ると、傾いている。調査が不十分」。居合わせた人たちが「大規模半壊、半壊も住めないという点で、全壊と同じ」と口をそろえる。「県の部局長、担当者も一度、奥能登に行ってほしい。そうすれば、支援の仕方が変わってくる」との声も根強い。

 センターは午前10時~午後3時。休みは金沢のセンターが月、火曜、羽咋市中央町サ5の羽咋労働福祉会館にある羽咋センターが水、木曜。夏用の衣類・寝具、扇風機のニーズがあり、提供を呼びかけている。

 みんなの畑の会の西田敏明代表理事(77)は「全体の来場者は合わせて3万人を超えたが、センターを知らない人もいる。車のない避難者もおられるので、助け合ってより多くの人に来ていただくと、うれしい」と話している。

 問い合わせ、申し出は=minnanohatake.nishida@gmail.com=へ。

木村まさ子さん

木村まさ子さん

キムタク母 来月7日講演

 タレントの木村拓哉さんの母で、「言の葉語り」と名付けた語り、傾聴をしている木村まさ子さんの講演が7月7日午後2時半から、金沢市大額町の金沢国際ホテルで開かれる。みんなの畑の会主催。前売り券は3千円(当日500円増)。収益金は被災者支援に充てる。チケットは、国際ホテル、金沢、羽咋の両センターで販売している。
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被災者 頭すっきり 仙台の美容室 富来で善意の散髪 - 47NEWS

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被災者 頭すっきり 仙台の美容室 富来で善意の散髪  47NEWS
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【石川】希望つなぐ 望遠鏡 次は能登へ 東北で被災 移住の新人学芸員橋渡し:北陸中日新聞Web - 中日新聞

【石川】希望つなぐ 望遠鏡 次は能登へ 東北で被災 移住の新人学芸員橋渡し:北陸中日新聞Web - 中日新聞

13.31
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被災地をつないできた望遠鏡を見つめる佐藤凜さん=石川県能登町の「県柳田星の観察館『満天星』」で

被災地をつないできた望遠鏡を見つめる佐藤凜さん=石川県能登町の「県柳田星の観察館『満天星』」で

兵庫 → 宮城 → 「満天星」

 能登半島地震で休館し、今月8日に再開した石川県能登町の「県柳田星の観察館『満天星』」に、2011年の東日本大震災で被災した宮城県の天文施設から、イタリアの科学者ガリレオ・ガリレイの望遠鏡レプリカが無期限で貸与された。元々、1995年の阪神大震災があった兵庫県の施設から復興を願って宮城に移った作品。両被災地が立ち上がる姿を見届けてきた望遠鏡が、復興のバトンとして次は能登の復興を見守る。 (柴田一樹)

 レプリカは、ガリレオが初めて望遠鏡で星を観察してから400年を記念する「世界天文年」(09年)に、国内の天文学関係者らでつくる委員会が制作した30本の一つ。長さ約92センチで、口径16ミリ。革張りや金模様の装飾など、史料研究で当時を振り返りながら外見の細部まで忠実に再現された。

 委員会メンバーで、阪神大震災を経験した兵庫県の明石市立天文科学館の井上毅館長が私蔵していたが、東日本大震災を機に宮城県大崎市の大崎生涯学習センターに無期限で貸与。11年5月から展示されてきたが、能登半島地震を受けてセンター長の遊佐徹さんが満天星への貸与を決めた。

 「バトン」がつながれるきっかけをつくったのは、宮城県多賀城市出身で、4月に満天星に就職した学芸員の佐藤凜(りん)さん(26)。学生時代に同センターのボランティアに参加していた縁で、天文施設の震災復興について遊佐さんにアドバイスを求めた際、貸与を打診された。佐藤さんは「2カ所の被災地と復興の様子を見届けてきた望遠鏡。この地までつないだ多くの人の思いを能登の人に知ってほしい」と話す。

 佐藤さんは中学1年生の時に東日本大震災を経験した。家は断水し、県外の緊急車両が町を行き交った日常を覚えているが、「宮城は完全に復興したわけじゃない。でも応援される側から、やっと次は応援する立場になれたんだなって」。被災地で育ち、そして被災地をつなぐことができた今、前へと進む故郷の確かな歩みを実感する。

 新天地での慣れない環境と仕事で、気付いたら1日が終わるせわしない日々。相次ぐ余震が怖くないと言ったらうそになる。だが、佐藤さんは「能登の星空は本当にきれい。こんな時こそ、つながれた望遠鏡をきっかけに、きれいな星を見上げてみてほしい」と呼びかけている。

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被災地をつないできた望遠鏡を見つめる佐藤凜さん=石川県能登町の「県柳田星の観察館『満天星』」で

被災地をつないできた望遠鏡を見つめる佐藤凜さん=石川県能登町の「県柳田星の観察館『満天星』」で

兵庫 → 宮城 → 「満天星」

 能登半島地震で休館し、今月8日に再開した石川県能登町の「県柳田星の観察館『満天星』」に、2011年の東日本大震災で被災した宮城県の天文施設から、イタリアの科学者ガリレオ・ガリレイの望遠鏡レプリカが無期限で貸与された。元々、1995年の阪神大震災があった兵庫県の施設から復興を願って宮城に移った作品。両被災地が立ち上がる姿を見届けてきた望遠鏡が、復興のバトンとして次は能登の復興を見守る。 (柴田一樹)

 レプリカは、ガリレオが初めて望遠鏡で星を観察してから400年を記念する「世界天文年」(09年)に、国内の天文学関係者らでつくる委員会が制作した30本の一つ。長さ約92センチで、口径16ミリ。革張りや金模様の装飾など、史料研究で当時を振り返りながら外見の細部まで忠実に再現された。

 委員会メンバーで、阪神大震災を経験した兵庫県の明石市立天文科学館の井上毅館長が私蔵していたが、東日本大震災を機に宮城県大崎市の大崎生涯学習センターに無期限で貸与。11年5月から展示されてきたが、能登半島地震を受けてセンター長の遊佐徹さんが満天星への貸与を決めた。

 「バトン」がつながれるきっかけをつくったのは、宮城県多賀城市出身で、4月に満天星に就職した学芸員の佐藤凜(りん)さん(26)。学生時代に同センターのボランティアに参加していた縁で、天文施設の震災復興について遊佐さんにアドバイスを求めた際、貸与を打診された。佐藤さんは「2カ所の被災地と復興の様子を見届けてきた望遠鏡。この地までつないだ多くの人の思いを能登の人に知ってほしい」と話す。

 佐藤さんは中学1年生の時に東日本大震災を経験した。家は断水し、県外の緊急車両が町を行き交った日常を覚えているが、「宮城は完全に復興したわけじゃない。でも応援される側から、やっと次は応援する立場になれたんだなって」。被災地で育ち、そして被災地をつなぐことができた今、前へと進む故郷の確かな歩みを実感する。

 新天地での慣れない環境と仕事で、気付いたら1日が終わるせわしない日々。相次ぐ余震が怖くないと言ったらうそになる。だが、佐藤さんは「能登の星空は本当にきれい。こんな時こそ、つながれた望遠鏡をきっかけに、きれいな星を見上げてみてほしい」と呼びかけている。

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