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東日本大震災から3月11日で12年が経った。宮城県石巻市の大川小学校では津波で児童と教職員あわせて84人が犠牲になった。そこで、妹を亡くした女性がその後、映画を作り、全国で上映会が開かれている。製作した女性の12年目の思いと、小学校が縁となって開かれた長野県上田市での上映会を伝える。
大川小で妹を亡くした女性が製作
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津波で、ともに妹を亡くした女子中学生の2人。
(映画「春をかさねて」より)
みすずたち、まだ小学生だったけど、これから先、中学生になっていろんなこと経験して、好きな人ができて、恋もしたりしたんだろうなって。だけどもう何も知れないでしょ、一生。それなのに、自分だけそんなことやってられないなって
映画「春をかさねて」。小学校で多くの犠牲者がを出した石巻市大川地区を舞台にした作品だ。
2月、上田市で上映会が開かれた。
監督・脚本・佐藤そのみさん:
2歳年下の妹を大川小学校というところで亡くして、そこから今までとはまるで違う日常が始まって、その中で感じたことをどちらも入れたような作品になっています
映画を作った佐藤そのみさん(26)。作品は自身の経験に基づいている。
佐藤さんの母校でもある大川小学校。あの日、大きな揺れの後、児童たちは校庭に集まった。その後、裏山など高い所への避難が遅れ、津波に襲われた。
小学校では児童74人、教職員10人が犠牲になった。
佐藤さんは当時小学6年の妹・みずほさんを亡くした。
佐藤そのみさん(2011年取材/当時中3):
歩いて大川小に行こうとしたら「みずほさんも遺体上がったよ」って言われて、何も考えたくなかったし、何も言いたくなかったし。みずほとしかできないこと、みずほにしか話せないことだらけだったので、今、そういう存在がないので
「校舎を未来に残して」
妹を失った現実、多くの犠牲者を出した地域と向き合ってきた佐藤さん。悲惨な過去を持つ校舎を取り壊そうという動きが出ると、仲間と未来に残す必要性を訴えた。
佐藤そのみさん(2015年取材/当時18歳):
子どもたちがそこで生きた証と、二度とあのような悲劇を繰り返さないために、あの校舎を通して伝えていくことが大切です。あの校舎にはそれだけの説得力があります
その後、小学校は「震災遺構」として残された。
語り部の父「防災は希望」
今回の上田での上映会は、この大川小学校が「縁」となって開催された。
佐藤さんの父・敏郎さん。大川小で語り部として活動している。
語り部・父・敏郎さん:
防災は助かるためです。死なないためにやるのが防災です、防災はハッピーエンドです。ハッピーエンドの未来まで想定しきる。そしたら恐怖じゃなくて、希望なんです。そのために、ここで起きた悲しみ、恐怖、失敗、後悔、それが材料になればいいんだ
上映会を開いた有志の一人、長野市の小学校の校長、中山久貴さん。
2017年、教員の勉強会で大川小を訪ね、敏郎さんの話を聞いた。以来、毎年、足を運んでいる。
上映会・上田有志の会・中山久貴さん(小学校校長):
大川小は絶望の場所でも、みじめな場所でもなく、未来を開く場所だと(敏郎さんに)強く言われた。毎年、防災訓練・防災学習を行っているが、東日本や大川小学校を訪れる前はどこか人ごとだったんだろうなという気はする。いつか災害がやってくる、ではなく必ず災害がやってくると。その時に学校として、大人として、できることを最大限考えましょうという考えに変わった
「溝を乗り越えて分かり合いたい」
父・敏郎さんと交流のあった有志が上映会を企画。娘の佐藤さんを招いた。
この日、上映された作品は二つ。冒頭で紹介した映画「春をかさねて」は、佐藤さんが学生時代の2019年に製作したものだ。
ともに妹を亡くした「祐未」と「れい」。「妹の分も真面目に生きなければ」と考える「祐未」は、ボランティアの大学生に恋をする「れい」にいら立ちを感じる。
れい(「春をかさねて」より):
すごいね、祐未は
祐未(「春をかさねて」より):
別に普通だよ。れいみたいに化粧とか、そういうのできる方がすごいと思う、私にはできないもん
れい(「春をかさねて」より):
別に何も考えてないわけじゃないよ
祐未(「春をかさねて」より):
ごめん
登場人物は佐藤さん自身や身近にいた人たちがモデルとなっていて、震災後の戸惑いや希望が等身大で描かれている。
監督・脚本・佐藤そのみさん:
震災があってから、みんなそれぞれすごく大変で、周りを思い合うとか相手の立場を考える、それどころではなかったという状況がみんなあって、溝が生まれてしまった。でも大好きな地域で、本当はみんな仲が良かったはずだから、いつかその溝を乗り越えて分かり合えたらいいなっていう願いが「春をかさねて」には込められています
震災で亡くなった大切な人へのメッセージ
もう1つは同じく大学時代に作ったドキュメンタリー「あなたの瞳に話せたら」。
佐藤そのみさん(「あなたの瞳に話せたら」より):
みずほへ、元気ですか。みずほはもう21の年だろうか。おねえちゃんはあの後、中学と高校を卒業して、その後、東京へ出て映画を勉強する大学に入りました
震災で亡くなった大切な人へのメッセージだ。
生き残った男性からクラスメートへ(「あなたの瞳に話せたら」より):
あまりみんなのところに顔を出しに行けなくてごめんね。本当はみんなの家に手を合わせに行きたかったけど、遺(のこ)されたみんなの家族に悲しい思いをさせてしまうと感じて行けませんでした。みんなはそんなことないって言ってくれるかな
亡くなった妹へ(「あなたの瞳に話せたら」より):
おねえちゃんの今の暮らしを見てどう思う?楽しそう?心配?さとがいなくなってから私、変わったんだ。私が明るくなってみんなを楽しませなくちゃって。神様をものすごくうらんでるよ。なんで連れていったの、なんで会えないの、いつもみたいにお姉ちゃんって走って抱き付いてきてよ
経験が重荷 「震災に区切りをつけたい」
震災前から映画の世界を志していた佐藤さん。映画にしたかった大川地区は震災で一変した。それでもふるさとを舞台に作品にしたのは…。
監督・脚本・佐藤そのみさん:
これを撮らないと次に進めないなと思って、自分のために作ったのが一番大きいかもしれない、自分の人生のために。自分が考えてきたことにここで一旦、区切りを付けたいという気持ち
ずっと震災と向き合い佐藤さんは、いつしか「被災者であることをやめたい」と思うほど、自身の経験を重荷に感じるようになっていた。
心境に変化 「被災者であることをやめなくてもいい」
しかし、各地で作品が上映されるようになると心境に変化が。それは小学校が「震災遺構」として残されたことと重なる。
監督・脚本・佐藤そのみさん:
(過去を)なかったことにして次に行こうと思っていたんですけど、ゆっくりですけど上映活動をしていく中で、被災者であることをやめなくてもいいかなって思うようになりました。これが私のひとつのプロフィールだし、肩書だし
上田での上映会では100人以上が鑑賞―。
来場者(元教員):
たんたんと語っているあの姿が、叫びでもなくなんでもない、それが本当の、それしかできない姿なのかなと思いましてね。当時、自分だったら何ができただろうと思う
来場者(大学生):
自分たちも向き合わなければいけないということも教えられたような気がしますし、若い年代、震災を経験してない時代に生まれてきた子に伝えることが多くあるのかなと、すごく感じます
上映会・上田有志の会・中山久貴さん(小学校校長):
佐藤監督はこれからも各地で上映会を重ねていくだろうし、そんな輪が広がって、東日本に、大川小に足を運ぶ人が途絶えることなく続いていくんだろうなと。(自分も)行き続けたいなって思います
今は東京で会社員として忙しく働く佐藤さん。今後も、上映会に足を運び、経験を伝えたいと考えている。
監督・脚本・佐藤そのみさん:
私たちがなかったことにせずに、言葉にできるときはしていくべきなのかなって。つらかったら離れてもいいんですけど、貴重な経験をもっているんだということは自覚していたい
(長野放送)
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