東日本大震災発生から11年。被災者の中には、被災県からほかの自治体が管理する応急仮設住宅に避難し、そのまま転居先に移住した方々もいます。1997年厚生省通知では、被災者が転居先に定住を希望する場合は、応急仮設住宅を提供した自治体が恒久住宅への移転を推進・支援することを示しています。
ところが、東京都目黒区は、宮城県気仙沼市から区内の区民住宅に転居してきた60代の女性Aさんに対し、代替となる恒久住宅のあっせんをすることもなく、2021年に区民住宅の明け渡しと巨額の弁償金の支払いをもとめて提訴しました。被災者に寄り添い支援すべき自治体が、なぜこのような非情な対応をとるのでしょうか。区民有志が立ち上げた「めぐろ被災者を支援する会」で活動するノンフィクション作家の中部博さんに、その経緯を寄稿していただきました。
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「応急仮設住宅から退去せよ」との通知が届く
この東京都目黒区でおきた「人権蹂躙事件」を知ったとき、私は驚き、そして恐いと思い、何とかして目黒区の公権力から総攻撃をされている被災者のAさんを救援したいと思った。ひとりの人の人権が侵されたことは、すべからく私たちの人権が侵されたことだと考える。人権とはそういうものだと私は思う。
この事件のいきさつは複雑なので、まとめて後述するが、目黒区でAさんに寄り添う市民運動「めぐろ被災者を支援する会」が活動を開始していたので、遅ればせながらその末端に連なった。
私は目黒区(市町村に準じる東京特別区。約16万世帯で人口約28万人。今年度の予算1,152億円)で生まれ育ち、いまも暮らしているが、地域の市民運動の経験が浅いので勝手がわからない。しかし、Aさんがこれ以上ひどい目にあわないように、目黒区長と目黒区、そして目黒区議会による公権力の行使を押し返したいので、時間をみつけて「めぐろ被災者を支援する会」の活動に参加するようになった。
この原稿で私は、Aさんの人権が蹂躙されている事件のあらましを伝えたい。そしてもうひとつ「密室の区議会」と呼びたいような、議会制民主主義の限界現実を見てしまったことも述べたい。目黒区の議会政治がこういうものだとは、ちっとも知らなかった。
ことのおこりは2011年の東日本大震災である。
宮城県気仙沼市で暮らしていたAさんと夫は、地震と津波によって住居兼店舗を失った。気仙沼市で被災した人びとは、気仙沼市を窓口として国や地方自治体の支援を受けて、生活の再建を開始した。Aさんと夫も応急仮設住宅での暮らしを始めていた。しかし夫は、震災前にがん手術を受けていて、その病状を悪化させていった。
生命の危機を感じた夫へ、気仙沼市が手を差し伸べた。多くの医療インフラを失った気仙沼市から、気仙沼市の友好都市である目黒区へ転居し、東京で治療を再開する提案だった。東京に移ることを選んだのは、夫が東京都出身であり過去に夫婦で長く生活していた町でもあったからだ。
気仙沼市と目黒区と夫の三者同意で、この提案が2011年5月に実行された。これは災害救助法にもとづいた自治体からの支援の提案で、夫は目黒区の指示どおりに区民住宅Hへ引っ越した。当然のことながら、その区民住宅Hの家賃は、国から宮城県を通じて受け入れ自治体である目黒区に全額支払われるので、夫の自己負担はない。つまり目黒区が用意した区民住宅Hは「(みなし)応急仮設住宅」(※1)であった。
その3カ月後、気仙沼に残り生活と事業の再建活動をしていたAさんが、再建の目処が立たないとして目黒区への転居を決め、夫とともに区民住宅Hで夫婦二人の生活を始めた。
さらに震災から5年後の2016年に、Aさん夫婦は目黒区の指示で区民住宅Mへ転居した。どういうわけか区民住宅Mは、中堅所得子育て世帯を対象にした月額19万円という高額な家賃の住宅だった(※2)。
翌2017年になると夫の病状がさらに悪化し、別のがんが発見され、脳梗塞をおこし、歩行困難になり車椅子が必要になった。
その頃に目黒区から通知があった。2018年3月に実施される宮城県の「応急仮設住宅打ち切り」にしたがって、区民住宅の支援も終了するので退去せよとの通告だった。打ち切り実施まで正味半年である。
Aさんは困窮を極めていた。夫は余命宣言をうける深刻な病状になっていた。生活費は多くない年金だけが頼りだった。Aさんは公営住宅をもとめて応募するが今日まで当選できず、目黒区へ何度か生活相談をもちかけている。しかし目黒区は最初から「出ていってもらわないと困る」との回答一本槍だったとAさんは言っている
※1:大規模な災害時に被災者の住宅を確保するため、当該自治体のほか、住宅の確保で協力できる自治体が被災者を「(みなし)応急仮設住宅」で受け入れることができる。災害救助法にもとづく措置。
※2:目黒区の指示によりAさん夫妻が転居した区民住宅Mの管理状況等については、文末の「めぐろ被災者を支援する会」パンフレットの号外(1ページ目)をご参照ください。
規則をたてに聞く耳をもたない区の担当職員
実は、東日本大震災の被災者を受け入れていた東京都は、この2017年に応急仮設住宅打ち切りの対策として、被災者が引き続き都営住宅で生活できるように、その運営規則に被災者専用枠を設ける対応策を打ち出していた。しかし目黒区はそのような対応をしていない。したがって東京都が受け入れていた被災者は、応急仮設住宅支援の続行をうけて恒久的な住宅をえるまでにこぎつけたが、目黒区は被災者へ退去を迫るだけであった(※3)。
なぜ目黒区は、東京都のような臨機応変な施策がとれなかったのか。現在、Aさんの代理人をつとめている弁護士は、災害救助法の精神と役割、そして「(応急仮設住宅を設置した自治体が)恒久住宅への移転を推進・支援すること」という国の指針(1997年厚生省通知)を、区の担当職員が知らなかった可能性を指摘している。「責任をもって被災者を受け入れる」という自治体の主体性が感じられない対応を目黒区がとってきたからである。
しかし、いくらなんでも目黒区の職員全員が、法律の基本的な考え方と国の方針を、そして福祉の精神を知らなかったとは私には考えられない。おそらく区民住宅を運営管理する職員たちが知らなかったか、知らないふりができたのだろう。ようするに身勝手な縦割り行政によって発生した失敗だったのではないか。失敗であるのならば取り返しがつくことなので、失敗したと認めて区役所がみずから調査をしてほしいところだ。
この時点から目黒区は、Aさんと夫へ「退去を迫る以外の対応をしていない」とAさんは言っている。夫は二度目の脳梗塞を発症しAさんの看病で治療を続けていたが2018年10月に亡くなられた。
その闘病生活のあいだも、Aさんは夫が移動困難にあるという診断書や治療費の支払い状況がわかる書類を区役所へ提出して、退去の猶予をもとめているが、区役所は規則をたてにして聞く耳をもたなかったそうだ。区役所がすることは退去勧告と、退去しないことから発生する弁償金の請求だけだった、と手記(※4)に書いている。
目黒区は通告どおり2018年3月に応急仮設住宅の支援を打ち切った。6月に区はAさんと夫へ退去を勧告し、弁償金を請求する書類を送付する。その後、7月には退去し弁償金を支払わなければ、裁判をおこすという予告通知をした。区長と目黒区からすれば、目黒区の区民住宅の規則にしたがっている「正しい手続き」なのであろう。
この「正しい手続き」は、もう一度さらに区議会で決定的な方法でおこなわれる。
※3:東日本大震災後、住居を失った被災者の中には、全国の都道府県、または市区町村が管理する「応急仮設住宅」に入居した方々も多い。東京都の場合は、宮城県が決定した応急仮設住宅利用打ち切りを受けて被災者にアンケートをとり、引き続き都内での生活を希望する被災者には、廉価な家賃の都営住宅などの特定入居をあっせんした。
※4:手記は、文末の「めぐろ被災者を支援する会」パンフレット(2ページ目)「被災者(Aさん)のメッセージ」をご参照ください。
被災者に寄り添う区議は一人もいなかった
2019年から2020年まで、夫が亡くなった後もAさんは区民住宅Mで暮らしながら、目黒区に何度か相談をもちかけている。しかし、目黒区が歩み寄って相談をうけとめることはなく、結果的にAさんは区民住宅Mでの生活が続いていた。
そして2021年6月になると、区長と目黒区は、Aさんの退去と弁償金支払いを求める裁判をおこすという議案を、目黒区議会へ提起する。この議案は、担当職員からの説明をうけて企画総務委員会で審査議論され、委員(区議)全員一致で可決し、区議会本会議にかける議案となり、本会議でも区議会議員の全員一致で可決されてしまった。
区長と目黒区はただちにAさんを被告とする区民住宅からの退去と弁償金約750万円(当時、滞納とされた家賃)を求める裁判を東京地裁でおこした。
Aさんは手記にこう書いている。
「居座ろうと思って退去しなかったのではなく、どうすることもできず相談していたのです。それなのに、目黒区から被災者ではなく不法占拠者のように扱われ、裁判まで起こされたことが、本当に悲しいです」
「私たちは震災ですべてを失い、目黒区のお世話になりました。そのおかげで夫は治療を受けることができました。目黒区の皆さまには本当に感謝しております。しかし、750万円はあまりにも高額で、私には支払えないです」
Aさんは裁判で話し合いによって解決する「和解」を希望したが、目黒区側の代理人弁護士は言ったものだ。
「和解はしない。とことん闘う。なぜなら目黒区議会で決まったことだから」
目黒区議会には33名(定員36名)の議員がいる。自由民主党目黒区議団10名、公明党目黒区議団6名、日本共産党目黒区議団5名、立憲民主・無所属の会3名、無所属の会派である新風めぐろ3名、無所属や党派に所属するが会派を組まない無会派6名で、これらの選挙で選ばれた区議たちが全員一致で提訴に賛成したのである。区民の100%の民意が反映された決議だと裁判所は判断するにちがいない。
議案を審査議論した委員会では、この議案を問いただす質問をしたり要望をつけくわえたりした委員(議員)はいたが、Aさんの話を聞こうとした議員は一人もいない。目黒区の担当職員からの説明だけを聞き、それを信じて全会一致の賛成決議をして、区議会本会議へ送った。そして区議会議員の全員が一致して本会議でも可決された。
だがその決議は「人権蹂躙」としか言い様がなかった。なぜ、そんなことが、おきたのだろうか――。
「区議会の慣例」で提訴が決定してしまう
私が最初にこの全員一致の賛成決議の事実を知ったときの驚きと憤りといったら、それは恐怖にちかいものだった。Aさんに対して目黒区の公権力が総力をあげて、このような決議をするならば、それは目黒区で生活する人びとへ、同じことをする可能性がある。
しかし不思議だった。なぜ、こういう決議がまかり通るのか、よくわからなかった。
Aさんから意見を聞いてから判断しようと反対した議員が一人もいないというのは、なぜなのだろう。
目黒区役所に長年勤務して区議会に精通する人が「この程度の金額の区営住宅にまつわる議案だったら全会一致は当たり前。それが区議会の慣例なのです」と解説してくれたときは、議会制民主主義におけるリアリズムの行き着くところは、このような決議になるのかと思った。いまさら落胆したのではない。私は世間知らずだと思いつつ、考えただけである。
「区議会の慣例」はたしかにひとつの見識だ。しかしこのAさんのケースは前例がないのだから、慣例で判断できるはずがない。だが、そのような全員一致の決議があった。朝、目の前で人が突然倒れたのに、礼儀正しく慣例通りおはようと挨拶をして素通りした、ということが起こったとしか思えない。
Aさんの代理人である弁護士は「目黒区の議事録を読むと、区役所の説明で区議が騙されたのではないか」という見立てを述べていたが、区議全員が目黒区の担当職員からの「Aさんが対話を拒否している」などといった、Aさんの話とは異なる一方的な説明を信じたことになる。
ようするに区議会は「慣例と良識」にしたがって全員一致の議決をしてしまった。結果的に魔が刺したという議決だろう。人の世には、思わぬ間違いがあるわけで、間違いに気づいたら謝罪や反省、さらに償いがある。だから間違いを認めれば、そこが真の解決のスタート地点になるはずだ。
このAさんの「人権蹂躙事件」が、手痛い社会問題になっているのは、区議会が問題解決能力を失っているからだと思う。
この決議がおこなわれたのは昨年2021年6月の区議会で、区長と目黒区がAさんを被告とした裁判をおこしたのが翌月7月だ。
そのことが社会的な問題として表面化したのは、Aさんの窮状を知った区民有志が集い、秋になって「めぐろ被災者を支援する会」の活動を開始したからである。区民有志が「目黒区は提訴を取り下げ、Aさんと話し合いで解決すべき」と主張し、街頭行動、署名運動、議会ロビー活動などを起こすまで、目黒区の住民の生活と権利を守るはずの区議は誰一人も問題意識をもたなかったようだ。
Aさんが裁判の被告とされて約2カ月後に、Aさんは区民住宅Mから退去した。目黒区が要求する退去がおこなわれ、裁判の争点のひとつが解消し、裁判の構成要件が大きく変化したにもかかわらず、裁判は続き、区長と目黒区は「とことん闘う」姿勢を変えていない。
私が残念に思うのは、この全員一致の決議に賛成したことは間違いで「自分の汚点であった」と公表した目黒区議会議員は、私が知る限りたった一人だということだ。「お役所誤謬せず」は聞いたことがある日本の現実だが、「議会誤謬せず」はマジかよと思うわけである。
この事態のなかで、区議たちには、これが「人権蹂躙事件」であることを認識し、生活者としての恐怖感を共有してほしいと願うだけだ。
この問題は区民一人ひとりの問題でもある
すこしばかり話が飛ぶが、私は3年前に初めて区議会を傍聴した。50名以上の席がある傍聴席には、そのとき3名だけであった。もちろん、その日の区議会で何がおこなわれたのかを報道するメディアはひとつもない。目黒区の広報紙に短く掲載され、目黒区のホームページで録画と会議録が公開されて終わりである。
これは「密室の議会」だと思った。国政の動向は毎日のように報道される。都道府県議会やおもだった市議会だって、おそらく東京の区議会よりは多くの報道がなされると思う。民主主義の議会というのは、議会での審議が報道され知らされ、社会との相互批判が発生するから成立しているのだろう。目黒区議会は社会との緊張関係が薄くなりすぎて、孤絶状態にちかいと思った。
そのような議会で、こうした「人権蹂躙事件」がおきたのは、本当のところそれほど不思議がないのかもしれない。あるいは「間違っていました。ごめんなさい」が言えない人たちが引き起こした、そこらによくある社会問題なのかもしれない。
「めぐろ被災者を支援する会」が活動していることだけが救いだと友人の区民は言ったが、私もそう思ってこの運動に連なった。この市民運動はとても柔軟で、街頭アピール、傍聴活動、裁判支援、陳情、議会ロビー活動、情報公開をもとめる調査活動と多彩だ。助け合うコミュニティ連合であることの救いがある。
しかし、この8月には、Aさんが被告にされた裁判が早々に結審する可能性があると聞く。判決は目黒区の言い分が認められたものになる可能性も高いそうだ。しかし判決がどうであれ、問題の全容があきらかになっていないのだから、社会問題としては解決しないままに長期化して泥沼化するだろう。そこで掘り起こされる事実、たとえば「なぜAさんに高額家賃の区民住宅が割り当てられたのか」といった行政問題は、区長と目黒区にとって決して名誉な結果にはならないと思う。不名誉といえば全員一致の議決そのものに疑問をもった区議たちも同じだろう。
ここまでくると、Aさんが人権を蹂躙されて生活をおびやかされているだけの事態ではない。「事件」を知った目黒区の住民全員が不安をつのらせて自治体への不信を深め、「事件」を引き起こした目黒区長と区役所職員、そして議員たちが、倫理観を問われて苦しみキャリアを傷つけられることだってありうる。誰にとっても傷つき失うことばかりの事態になってくる。
いま目黒区長と目黒区が提訴を取り下げ、話し合いで解決すると決めれば、まだ間に合う。多くの人たちをこれ以上に傷つけず、引き返すことができるはずだ。
来年2023年春には目黒区議会議員選挙がある。今回の「事件」を解決し、そこを出発地点として、住民の生活と権利を守るために区議選挙に立候補する現職の議員は、いったい何人いるのだろう。どうぞみなさん、ご注目ください。
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●「めぐろ被災者を支援する会」は紙の署名活動のほか、オンライン署名も行っています。
●「めぐろ被災者を支援する会」パンフレットの号外はこちら
●「被災者(Aさん)のメッセージ」(「めぐろ被災者を支援する会」パンフレット・2ページ目)はこちら
中部博(なかべ・ひろし) 1953年生まれ。週刊誌記者とテレビ司会者のジャーナリスト時代を経てノンフィクションの書き手となる。デビュー作は編著書『暴走族100人の疾走』(第三書館)。主な著書に『Honda F1 1000馬力のエクスタシー』(集英社)、『いのちの遺伝子 北海道大学遺伝子治療2000日』(集英社)、『正伝 本田宗一郎伝』(小学館)、『炎上-1974年富士・史上最大のレース事故』(文藝春秋)、『スーパーカブは、なぜ売れる』(集英社インターナショナル)、『プカプカ西岡恭蔵伝』(小学館)などがある。日本映画大学「人間総合研究」非常勤講師。
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からの記事と詳細 ( 【特別寄稿】東日本大震災の被災者を追い詰める自治体-東京都・目黒区が被災者女性を提訴(中部博) - マガジン9 )
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