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アート熊手がかき寄せる新たな幸せのかたち。清水屋インタビュー - Qetic

アート熊手がかき寄せる新たな幸せのかたち。清水屋インタビュー - Qetic

17.50
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毎年11月の酉の日、関東各地の神社では「酉の市」が賑々しく行われる。各神社の境内では商売繁盛や家内安全を願う縁起熊手を販売する露店が立ち並び、熊手を買い求める客でごった返す。

そんな熊手の風習にとある老舗熊手商が新風を吹き込もうとしている。大正4年創業の清水屋が近年展開している「アート熊手」だ。仕掛け人は清水屋の4代目、清水雄太と泰子夫妻。清水雄太は良質なダンスミュージックを提供することで国内外からの支持を得ている音楽フェスティヴァル<RAINBOW DISCO CLUB>(以下RDC)のオーガナイズ・メンバーでもあり、Yoshinori HayashiやFORCE OF NATUREなどのマネージメントも手掛けるエージェンシー「Eild」を経営している。熊手商の世界では異色の存在といえるだろう。

昨年は田名網敬一天野タケルなどさまざまなアーティストとのコラボレーションを果たしたアート熊手だが、今年は天野タケルに加え、タカハシマホkomiといった新たなアーティストを迎え、制作・販売される。その背景には、人々の幸福を願う熊手の本質を見つめながら、多様化する現代のライフスタイルに対応すべく熊手の文化そのものをアップデートしようという清水屋の思いがあった。清水雄太・泰子夫妻に話を聞いた。

INTERVIEW:清水屋

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©︎TORI no ICHI タカハシマホ×清水屋

アート熊手のはじまり

諸説あるが、熊手は秋の収穫物や農具が並ぶ農業市が原点とされている。落ち葉をかき集める熊手が「福をかき集める」ことから一種の縁起物とされるようになり、一年に一度熊手を購入し、家や店に飾る風習が定着した。そこには商売繁盛や家内安全、学業成就などを願う、その時代に生きる人々のライフスタイルが反映されている。

「当初は農村の収穫祭だったものが江戸時代の大衆文化のなかで現在のような形になったと考えています」──そう話すのは清水屋の4代目、清水雄太だ。1983年生まれの清水は、子どものころ、熊手商という家業についてどう感じていたのだろうか。

清水雄太「以前は大晦日にも熊手市が行われていて、家族でずっぱりで神社で年越ししていました。今と比べるとまだまだ熊手市の人出も多くて、賑やかな年越しでしたね。うちの父親は(家業を)無理やり継がせようという気はなかったようで、僕に仕事を教え込まそうともしなかったし、家に置いておけないから連れてこられたという感じでした」

そんな清水も思春期を迎えるころには音楽やアートへと関心が移り、家業に触れる機会も減ってしまう。熊手の文化を意識するようになったのは大人になってからのことで、アートやストリートカルチャーの文脈から熊手の魅力を再発見することになった。

清水雄太「それまでは熊手の意味やデザイン性についてあまり考えていませんでした。でもSNSに熊手の写真を上げると、外国の友達やアーティストから『あれはなに?』と聞かれるんですよ。そういった質問に答えるためいろいろ調べるなかで、熊手の歴史や背景を知っていったんです」

公私にわたる清水のパートナーである清水泰子もまた、夫の家業を手伝うなかで熊手への関心を高めていった。

清水泰子「私はもともと物を作るのが好きだったので、雄太のお父さんのお手伝いをするなかで『こういう熊手を作ってみたいな』『こういう熊手があったらいいのに』と妄想が膨らんできたんです」

そうしたなかで清水夫妻はアート性の高いオールブラックやオールホワイトの熊手を考案。「試行錯誤するなかでそういった熊手を酉の市で売ったりSNSに乗せたりしてたんですけど、結構反応が良かった」(清水雄太)ということから、さらなる展開を模索するように。それがやがてアート熊手という前例のないプロジェクトへと結実していくことになるのだ。

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2020年に発売した限定90個の小型熊手2種。わずか10分でソールドアウトし話題に。

アート熊手がつなぐ伝承のバトン

アート熊手の背景にあるのは、熊手という伝統文化に対する清水たちの危機感だ。アート熊手のコンセプトを解説するプレスリリースのなかで清水はこう書いている。「人々のライフスタイルが多様化した現代において、熊手の飾りが江戸時代からほとんど変化がないのは、その本質に沿ってはいないのではないか?」。清水はその言葉をこう解説する。

清水雄太「よくこんな質問をされます。『熊手って商売をやってないと買っちゃいけないんでしょ?』とか『毎年大きくしないといけないんでしょ?』とか『絶対値切らないといけないんでしょ?』とか。確かにこれらは当時「粋」とされていた行為ですが、絶対ではなく本質から逸れたイメージが広がっているんです。熊手はもともと豊作を祝うものだったわけですけど、それから商売繁盛や長寿を願うものとなっていった。でも、今は幸せの形も多様化していますよね。それなのに熊手の形は江戸時代のままで、現代人からするとピンとこないのも当然だと思うんですよ」

これはあらゆる伝統行事や伝統文化が抱える課題でもあるだろう。たとえば、かつては農村のなかで五穀豊穣を願うという目的のもと行われていた祭りが、周囲が宅地化されたことで従来の目的を見失うというケースは日本各地で見られるものである。祭りの目的が現代の暮らしとマッチしていないわけで、そうなると担い手たちのモチベーションもなかなか維持しにくい。そうやって多くの祭りや伝統行事の伝承が途絶えているのが現状だ。

熊手商の世界もまた、伝承に対する危機感を抱えている。

清水雄太「僕らが出店している酉の市は東京も埼玉も確実に人が減ってきていますね。当然売れる本数も少なくなっているし、熊手商以外の露店の数も減りつつある。僕は今、39歳なんですけど、かなり若いほうなんですよ。跡継ぎがいないところもすごく多いんじゃないかな。熊手商は「キワモノ」と言われる、いわゆる季節商売なので、続けていくのはなかなか厳しいというのが現状です」

現代アーティストの視点を借りながら、現在のライフスタイルにマッチした熊手を作ることはできないだろうか?――清水屋のそうした試みは、クリエイティヴなものであると同時に、伝承のバトンを次世代へと繋ぐためのチャレンジでもあるのだ。

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大正4年創業の清水屋の熊手。今年も田無神社にて、色とりどりの熊手が販売される。

<RDC>で気づいたコスパを考えない暮らしの大切さ

清水雄太はプレスリリースのなかでこのようにも書いている。「合理的だったり、コスパという言葉が持て囃される時代において、熊手のような全く別のベクトルを持つものに惹かれる人は多い」――熊手に限らず、伝統文化や伝統芸能、アート、音楽は合理性やコスパを重要視する価値観とは相容れないものであって、本来真逆のベクトルにあるものである。清水はこう続ける。

清水雄太「不要不急っていう言葉がありますけど、音楽にしろイヴェントにしろ、僕は普段から不要不急の仕事しかしてないんですよ。熊手だって制作には手間暇かかってるけど、基本的に一年で交換しちゃうものだし、正直ないと困るものじゃないですよね。部屋のなかでも場所をとるし、コスパとか合理性を考えたらまずいらないものだとも思います(笑)。でも、そういうものこそが人の気持ちを支えてくれると思うんですね。それに気づいたとき、自分のなかですごく腑に落ちる感覚がありました」

そのスタンスは清水雄太がオーガナイズに関わる<RDC>にも共通している。

清水雄太「<RDC>は基本的に3日間やってるんですけど、3日間伊豆の野外で過ごすこと自体ハードルが高いし、来る側からしたら大変なことも多いと思うんですよ。でも、僕らは3日間でひとつの作品だと考えていて、そのなかで音楽が中心ですが、同じくらいお客さん1人1人がどういう経験をするかということも大事だと思っています。だから、便利にしようと思えばできる部分もあるんですけど、あえてハードルを下げない。トイレとかご飯に関してはホスピタリティをしっかり持とうと思ってるんですけど、すべてにおいて下げすぎないということは意識しています」

毎度東伊豆で開催される<RDC>では誰もが普段の生活から強制的に切り離されることになる。だからこそ、特別な開放感を得ることができるのだろう。清水もまた「<RDC>のお客さんは東京か海外の人が多いんですけど、1日目ってみんな東京の顔をしていて。でも、3日目になると顔が違うんです」と話す。

合理性とコスパを重視した生活空間はそれはそれで居心地のいいものだ。だが、無駄なものを廃した空間には特有の息苦しさがある。熊手は決して生活に欠かせないものというわけではないが、「福をかき集める」というある種のとんちが効いた縁起物があるだけで、生活空間は色鮮やかになる。熊手の素朴な信仰心は、日々の支えにもなることだろう。そこには現代における熊手の存在意義・意味があるようにも思えるのだ。

天野タケル、タカハシマホ、komi…アップデートするアート熊手

2020年、清水屋は画家・天野タケルと3種のアート熊手を制作する。制作された熊手のうち、限定90個が作られた小型熊手2種はわずか10分でソールドアウト。大型熊手もアートコレクターが購入し、各メディアで話題を集めた。

清水雄太「自分たちで試行錯誤してる時期が何年かあって、もうちょっと大きくしたいからアーティストとやってみようと考えたときにまず頭に浮かんだのがタケルくんでした。タケルくんは古い友人なんですよ。昔から僕のイヴェントで絵を描いてくれていたし、うちの熊手を買ってくれていました」

天野がデザインした熊手は女性のキャラクターなどが乗ったポップなものだが、「熊手として変えちゃいけない部分」もはっきりと意識されている。そこには熊手という伝統文化を継承するものとしての清水屋の矜持も表れている。

清水泰子「熊手は伝統文化でもあるので、最低限守らないといけないものがあると思っています。熊手には幸せをかき集めるという意味があるし、熊手についている桝には『ますます繁盛』という意味があるんですね。そういった部分もゼロにしてしまうのは抵抗感があります」

清水雄太「熊手に乗せるものには厳しい決まりはないんですよ。でも、なぜこれが乗っているのか説明できないといけない。例えばオールブラックの熊手にしても、黒だから不吉な色なのかというとわけではなくて、僕らとしては『黒字の黒』なんです。アート熊手なんて作っていると、当然『これってどうなの?』という人も出てくると思います。でも、作ったものの意味を自分たちが理解していて、なおかつ『幸せを願うものである』という熊手としての本質を見失わない。そこが一番大切な部分だと思っています」

2021年には前年度の企画を拡大する形でアート熊手企画展が開催。田名網敬一、天野タケル、愛☆まどんな、KINJOといったアーティストが参加し、前年以上の話題も集めた。また、同年にはウォルトディズニー社からの依頼で「スター・ウォーズ」のドラマシリーズ『ボバ・フェット』の成功を祈願したオリジナル熊手を制作。2022年1月の数日間、原宿の東急プラザ入口に展示され、こちらも大きな注目を集めた。

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第3弾となる天野タケルとのアート熊手。今年はネオンも制作された。

2021年はウォルト・ディズニー社からの依頼で、スター・ウォーズのスピンオフドラマシリーズ「ボバ・フェット」の熊手を制作。

そして、本年度。レギュラーメンバーとなった天野タケルに加え、今回は4組のアーティストが参加することになった。

ひとりめは成田山にルーツを持ち、スケートボードのデッキなどをキャンバスに腕を振るうSkateboard Shaper / 画家のkomi。彼とのコラボレーションでは清水屋にとっても初のアイデアが試されている。

清水雄太「熊手の世界には熊手問屋さんがいます。熊手のパーツをたくさんストックしていて、各熊手屋さんは熊手問屋さんから好きな絵柄を仕入れ、自分たちのスタイルで組んでいくんですね。そこは熊手商の腕の見せ所なんですけど、パーツに関してはどこも一緒だったりする。今回はパーツ自体もオリジナルにしちゃおうと思って、komiくんに何枚か描いてもらいました。アーティストとの限定コラボだと、どうしても制作コストも膨らんでしまうので、販売価格は通常よりどうしても高くなってしまうんです。komiくんは、昨年一緒に熊手を作ったアーティストのKinjo君が紹介してくれたんですけど、作品を見たら熊手にバッチリだし、ストリートシーンで活動しながら、なおかつ実家は成田山でお祭りにも積極的に参加している。アート熊手のデザイン性の部分を昔ながらの熊手にも取り入れていきながら、手にとってもらいたい、という考えを一緒にやってくれる人としては、物凄い良縁だと思い、お声がけさせてもらいました。彼が描いてくれたパーツは清水屋の熊手に使用されて、酉の市で販売されます。来年もまた少し彼の絵柄を増やしたいし、同様のことを別のアーティストともやりたいです。

タカハシマホさんは新宿・花園神社前のギャラリー、New C’s Studioさんが引き合わせてくれました。New C’s Studioさんは熊手に関するアート作品をやりたいと常々思っていたところ、うちの活動を見てくださったようで、『ぜひ一緒にやりたいです』とお話をいただきました。マホさんに関しては、僕らが問屋さんにお連れしたり、サンプルを貸し出ししたり、監修のような形で関わっています。

あとの2組はNFT熊手なんです。データだからこそできる熊手の表現があると思っていて、コストや設計の問題で現状は難しいものもNFTだとできる。熊手を海外に伝えるための足がかりになればと考えていて、僕は去年から興味を持っていました。今回はコレクティブスタジオXYZAの企画で、新星ギャルバースさんと、sneakerwolfさんの2組が参加してくれています。こちらは12月の中旬までにはリリースできると思います」

居住空間の狭い現代の都市では、熊手をセッティングする場所も取りにくい。NFTはそうした課題を解消するだけでなく、海外に向けて熊手の精神性を広くアピールすることもできる。そうした意味でも今回のプロジェクトは熊手の「これから」をはっきりと意識したものでもあるのだ。

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タカハシマホのアート熊手はNew C’s Studio.で展示販売中。
©︎TORI no ICHI タカハシマホ×清水屋

清水屋が立ち返る熊手の本質とは?

アート熊手の世界は年を追うごとに拡張しつつあるわけだが、清水夫妻はアート熊手という手法を清水屋オリジナルのものにしておきたいのだろうか。あるいは彼らの手を離れてミーム的に広がることを望んでいるのだろうか。清水の回答は淀みないものだった。

清水雄太「僕の考えは完全に後者ですね。うちでアート熊手を囲い込むのは自分たちの最初の動機からかけ離れる行為だと思うんですよ。だからどんどん広がってほしいです。ただ、文化や意味、基本的な作り方みたいなものは理解した上でやってほしいなとは思います」

その言葉には清水が今回の取材中何度か口にしていた「熊手の本質」が踏まえられている。暮らしのなかでの多種多様な願いを受け止め、生活空間を豊かにするもの。それは「豊作を祝うもの」という縁起熊手の原点から今も変わらない。

なお、清水夫妻はアート熊手という新しい領域に挑みながらも、毎年の酉の市にも清水屋の一員として立ち続けている。いくらNFTによる熊手にチャレンジしつつも、彼らの原点は常に酉の市という現場にあるのだ。

清水雄太「熊手の魅力はやっぱり現場にあると思うんですよ。僕らもお客さんとは1年に1回、酉の市で会うだけの関係性なんですが、それが2、30年単位で積み重なってくると、お客さんの息子たちも一緒に来るようになる。なかには泰子からしか買わないというお客さんもいます。『1年前買ったときに彼女と話したことが忘れられなくて、今年も来ました』という。そこにはコスパや合理性とは無縁の、酉の市ならではのコミュニケーションがあると思うんです。パーティーやアーティストエージェンシーもそうですけど、誰かの気持ちに残る時間に関わりたいんだと思います、きっと」

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Interview, Text:大石始
Photo:YUTARO TAGAWA

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内田雄馬、初の武道館公演に感激「みんなと一緒に歩いてここまで来た」 - スポーツ報知

内田雄馬、初の武道館公演に感激「みんなと一緒に歩いてここまで来た」 - スポーツ報知

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 声優・内田雄馬が13日、東京・日本武道館で、12日から2日間に渡り単独ライブを行った。

 1日目を「Gratz!」、2日目を「your world, our world」とし、それぞれで異なるコンセプトのステージを披露。内田にとって過去最大規模の会場で、初めて生バンドを携えた。各日ともに2時30分に及ぶ公演で、デビューシングル「NEW WORLD」など22曲を披露。2日間で1万6000人を魅了した。

 アーティストデビュー5周年を迎える中で、初の武道館公演を実現した内田は、「こうして武道館に立たせていただける日が来るとは.…。本当にこれは皆さんのおかげです。内田雄馬は1人では本当に何もできないんです。ただ、そんな僕には支えてくれるたくさんの仲間、そしてみんながいます。ここは、そんなみんなと一緒に歩いてここまで来た武道館です」と感謝を言葉にした。

 ライブでは、来年5月14日の新潟県民会館を手始めに、6都市9公演のツアー開催を発表した。

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「来るたび元気もらう」 ジャズピアニスト小曽根さん、掛川・ねむの木学園で演奏|あなたの静岡新聞 - あなたの静岡新聞

「来るたび元気もらう」 ジャズピアニスト小曽根さん、掛川・ねむの木学園で演奏|あなたの静岡新聞 - あなたの静岡新聞

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 世界で活躍するジャズピアニスト小曽根真さんが7日、掛川市上垂木のねむの木学園を訪れ、利用者に演奏を届けた。「ここに来るたびに元気と生きる力をもらっている」と語り掛け、再訪を約束した。

利用者にピアノ演奏を届ける小曽根さん=掛川市上垂木のねむの木学園
利用者にピアノ演奏を届ける小曽根さん=掛川市上垂木のねむの木学園

 小曽根さんは学園創設者の故宮城まり子さんと共通の知人を介して知り合ったのが縁で、たびたび同学園を訪れている。「ただいま」とあいさつしながら音楽仲間2人と共に入場し、即興曲やオリジナル曲を演奏した。利用者は手拍子を交えて鑑賞し、歌とダンスで返礼した。
 小曽根さんは7月に兵庫県内で開かれたコンサートの帰路も単独で同学園に立ち寄り、利用者に「次は友人と一緒に演奏を披露する」と約束していた。

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岸谷 香《東京 MY STORY》「焼き鳥 彦一」目黒区・学芸大学(前編):東京新聞 TOKYO Web - 東京新聞

岸谷 香《東京 MY STORY》「焼き鳥 彦一」目黒区・学芸大学(前編):東京新聞 TOKYO Web - 東京新聞

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ミュージシャンの岸谷香さんが、東京の街と体験を重ねて綴ります。人生の大半を東京で過ごしてきた岸谷香さんが、それぞれの時代の東京の街模様を、自らの体験や大切な思い出と重ねて書き綴るエッセーです。リアルだからこその共感あふれる連載です。

第18回「焼き鳥 彦一」目黒区・学芸大学(前編)

 東急東横線の学芸大学駅。
 特別大きな駅でもないですが、私にとってこの学芸大学駅はたくさんのストーリーが詰まった、大切な駅です。改札を右に出て、すぐの小道を右に入っていくと、右手に小さな焼き鳥屋さん、「彦一」がありました。

 カウンターがL字型になっていて、12~13人も入れば満席の、細長い小さなお店でした。公にお酒が飲めるようになってすぐの頃、同じ事務所の先輩バンド、「レベッカ」のキーボードの土橋さんに連れていってもらったのが最初でした。「香、美味しい焼き鳥食べに行くぞ!」大先輩に誘われてくっついて行ったのです。土橋さんは常連客だったようで、私もすぐに顔を覚えてもらい、通うようになりました。

 お父さんとお母さんが2人で仲良く、時に口喧嘩をしながら(笑)細長い調理場の奥でお父さんが焼き鳥を焼き、手前側でお母さんが、おにぎりや炒め物のお料理をしていました。自家製明太子を作ったり、夏にはきゅうりと大根の糠漬け、冬は白菜を漬けて、お漬物が変わると、あ〜季節が変わったんだなー、と感じていたものでした。

 20代、30代前半は、本当に常連さんです!と胸を張れるぐらい通っていました。もしかしたら、私の55年の人生の中で最も回数通ったお店かも…いや絶対そうですネ、あんなに通いつめたお店は後にも先にも「彦一」だけです。

 メニューは至って普通の焼き鳥屋さん。でも、お父さんお母さんが熊本の方で、焼き物以外の自慢のメニューは「馬刺し」で、私は馬肉は食べられないので、実は食べたことは無いのですが、数多くの私が連れて行った友人知人スタッフ…馬肉好きの人は皆さん「さすが熊本の馬刺し!!」と言って食べていました。そしてその馬肉の一部と(よくわからないですが、いわゆるモツと)大根やこんにゃくとをグツグツした「煮込み」も看板メニューで、大人気でした。…が、私は実はモツも苦手で(笑)…最初は友人知人の注文するモツ煮込みのコンニャクや大根をちょっとつまんでみては「味は美味しい〜♡」と思っていましたが、10年以上通う間にいつの間にか食べるようになっていました(笑)。

 さて、焼き鳥屋さんですから、主役は串です!!
 私のイチオシは「つくね」でした。どうしてなのか、何度もお父さんが説明してくれましたが、だいたい酔っぱらっていてあまり覚えていないのですが、とにかくふわっふわでまん丸で大きなつくね…本当に本当に大好きでした。まず1本目はつくね。いつの日か「ニラ入りつくね」が登場していましたが、プレーンもニラ入りもどちらも甲乙つけ難いつくね達でした。あーたべたい(涙)。

 私の2本目はレバー(ウェルダンで)です。基本レバーは苦手で(なんだか大好きなお店の割に苦手ばかりですネ…笑)他ではほとんど食べなかったのですが、ある日お父さんが美味しいよって言うもんで、「じゃ、よーく焼いてネ」とお願いして食べてみると、モフモフしてとても美味しく感じたのです! そこからここぞとばかり栄養とるぞー!といつもレバーを塩でウェルダンで注文していました。他のお客さんは、きっと皆さんレアのプリッとしたレバーがお好きだったんでしょうけど、私のレバーだけは特別仕様でした!

 ここで焼き鳥好きだと砂ぎもやハツなどにいくのでしょうが、ほんと書きにくいのですが、砂ぎももハツもあまり得意ではなくて…(笑)。

 私の3本目はいつも「ナンコツ」。コレがいい塩梅でお肉が付いていて、あの微妙なバランスは、未だかつて他の焼き鳥屋さんで出会った事がありません。お父さんこだわりのバランスだったんだと思います。よーく語ってくれました。

 そして、このお店は串の1本1本が大きくて、3本食べてビールをジョッキ(これが冷凍庫でキンキンに凍ったジョッキでくるんです!) 2杯飲むと、一旦休憩しておしゃべりでもしないと、次が食べられません。

 焼き鳥のお皿に添えられてくるおかわり自由のキャベツ(と、何やらサッパリしてとても美味しいドレッシング)をつまみながら、日本酒や焼酎に移ります。気分で日本酒の日もあれば、ボトルキープ(常連の友人と連名で入れて、ボトル飲み干した方が次のボトルを入れるルール!)してある焼酎にキュウリの輪切りを入れてロックで飲むのがお気に入りでした。
 
 キュウリ嫌いの人は倒れそうでしょうけど(笑)。コレが、何故だかメロンの香りがして、すごくサッパリして塩味の焼き鳥と相性バツグンでした。

 そうそう、ある時一緒にレコーディングをしていた(私が曲を提供してプロデュース)森口博子ちゃんを連れていった時の事です。彼女は福岡の子なんですが、その焼き鳥と一緒にやってきたキャベツを見て、「懐かしい!!!お父さんお母さん九州の方ですか!?」と叫んだのです。「九州の焼き鳥屋さんは必ずこのキャベツ(生のキャベツをただザク切りにしただけ)にドレッシングかかって出てくるんですよ!懐かしいーー!!!」と盛り上がっていました。なんかいいなぁ〜田舎のない東京っ子の私にはちょっと羨ましい瞬間でした。

 さて、脱線しましたが次のメニューにいくと…私がよく次に注文していたのは「銀杏」です。カラ付きのまま、割れ目を入れて焼いて、お皿の端っこに盛ってあるお塩をチョンチョンして食べます。おしゃべりしながらカラをむいてチョンチョンする…なんとも丁度良いおツマミでした。
ここでお腹がすいている日は、「野菜炒め」や「豚キムチ炒め」「豚ナンコツ炒め」などにいきます。このナンコツは、串のナンコツとは形状が違い、コリコリしていて、玉ねぎなどの野菜と一緒に炒められていて、これもチビチビつまむのに最高でした。

 どっぷり飲みたい時は「お母さん手作りの自家製明太子!!」。全然しょっぱくなくて、なめなめしながら日本酒…は最高でした。本当に本当に美味しい明太子でした。あー今でもお母さんの味が、口の中に蘇ってくるようです!

 因みにこれぐらいになると、当然ビールも2杯は飲んでるし(夏はもっと!)トイレに行きたくなります。これが、トイレが一番奥にあるので、入口近くの席に座ると全お客さんの背後を通って「あ、すいません」とか言いながらトイレに行くことになるのですが、L字型のカウンターなので、お客さんの顔を見渡す事は簡単で…いつの間にか、なんとなくよく見るお客さんと、いわゆる顔見知りになり、「あらどーもー」とか言いながらトイレに行くのも悪くない感じでした。昭和な感じ!?(笑)

 私もそもそもレベッカの土橋さんに連れて来てもらったのが最初でしたが、バンド全盛時代という事もあり世間はバンドブームだったので、ミュージシャンが友人ミュージシャンを連れてきたり、又、近くに音楽事務所があったり…とかで、音楽業界のスタッフやバンドマンの出入りがとても多い時期がありました。ガラッと入口を開けると、たまたま偶然いくつものバンドのメンバーがそれぞれ友人知人と飲んでいたこともよくありました。そんな時は、あえて挨拶せずに席に座り、トイレに立った時に「あー、どーもー、プリプリで〜す」「あ!どーもー、B’zでーす」とか、「おや!ジュンスカじゃーないですか!!」「おや!プリプリじゃーないですか!!」などとオチャメに挨拶を交しながらトイレに行ったりしていました(笑)。

 カウンターのみのお店だけに、あまり大人数で行くお客さんは居なかったので、そのプライベート感と、一応挨拶ぐらいはね、のバランスがとても良い店で、例え友人でも、合流して一緒に飲むことはあまりない、それぞれが一緒に来た友人知人と飲むのを楽しむお店でした。

 お父さんお母さんは絶妙なタイミングで話しかけたりかけなかったり…。深刻な話をしてるのか、どーでも良い話をしてるのか、見りゃ一発なんでしょうね。話したい時はいつも必ず話しかけてくれて、それどころじゃない時はたったの一度も話しかけられた記憶はありません。プロだったんだなーと今、書いてて思います。

 こんなエピソードもありました。
 私が20代前半の頃は、まだ携帯電話がなく、飲みに行く時は、必ず母に「○○の店に××さんと一緒に行く」と伝えなくてはいけませんでした。

 午前0時近くまで飲んだくれていると、ナント母から店に電話があり(彦一にはカウンターの真中にピンク電話がありました)「香ちゃん、お母さんからよ〜」とよーく電話をつないでもらいました。うちの母のスゴイところは、例えばスタッフの○○さんと2人で飲んでると言うと、その人と替われって言うんです。「お世話になります」と母は挨拶。

 その後必ず「申し訳ないんですが、1人でタクシーに乗せるのが心配なんで、できたら送ってもらえませんでしょうか!?」って言うんですヨ! 普通男性スタッフだったら逆に「何かあってもいけないから一人でちゃんとタクシーで帰ってきなさい」と言われるのがポピュラーかと思うのですが、うちの母は「家までタクシーで送ってください」って言うんですヨ。
 
 びっくりですよね(笑)。 どうやら母は一人でタクシーに乗って嫌な思いをしたことや怖い思いをした事があったようで、よくタクシーには一人で乗るなって言っていましたが、散々飲んで家まで送ってくれって言われる友人知人、スタッフ…みんな内心「え〜!?」と思ったに違いありません。もちろん、年下の後輩などには言いませんでしたヨ、でも年上の友人、スタッフには、よーくお願いしていました。

 しまいに、頻繁に飲む相手は、家までタクシーで送ってくれた上に母に挨拶までして帰っていましたよ、きっと、ちょっと迷惑な母でした(笑)。

 さて、またまた話がそれましたが、メニューに戻りましょう。
 そろそろベロベロですからシメないと、ですね。
 大人気は「しぐれのおにぎり」「おじや」でした。しぐれのおにぎりは、あさりのつくだ煮のおにぎり。程よく小さめ1個をお母さんが握ってくれます。おじやは玉子のおじや、飲んだ後には本当に最高の一品でした。

 お米の気分じゃない時は、私は「うずらの玉子」の串や、最後に再びつくねでシメたり。お父さんが美味しい焼き鳥屋は実は手羽先が美味いんだ!と口ぐせのように言っていたので、時間をかけて焼いた塩の効いた手羽先も、最後の一品に本当によく食べました。

 裏メニューもありました。
 お父さん自慢の「皮」です。丁寧に丁寧に下処理をして、無駄な油(脂肪)をキレイに落として、ゆっくりカリカリに焼いた皮。下処理に時間と手間がかかるので、一日に沢山仕込めず、いつの日か、気付くとメニューから姿を消していて、「アレ!?お父さん皮は!?」と聞くとコソコソ声で、「皮はね、下処理が大変で一日ちょっとしか仕込めなから メニューから外したんだけど…香ちゃん食べたい!?」「もちろん食べたいよー!」…てな感じで皮ファンの、常連さんにはコッソリ出していたようで、しまいに「来る前一本電話ちょうだい、皮仕込んどくから!!」ってな具合で、人気の裏メニューとなった訳です。

 海外から帰ってきて、彦一恋しいモードになっている時、たとえ仕事の終わりが本来の閉店時間の午前0時近くでも「片付けしながらで良ければいいよ、おいで」と言ってくれて、お父さんお母さんがお店ののれんをしまって片付けしている中で恋しい彦一を味わったり、仕事がちょっとキツい時に、「焼き鳥食べておいしいお酒飲んでリラックスして、また明日頑張ればいーんだよ〜」なんて言ってもらうと、ホント泣きそうでした。

 そして、そろそろもう帰んなさいの合図は、お味噌汁。お母さんが、黙ってササッと作ってお味噌汁を出してくれて、「ハイ、これ飲んで帰りなさい〜」と言ってくれるんです。なんか、本当に「お母さん」でした。みんなのお母さん。

 プリプリのコンサートに家族でご招待した時もありました。日曜日、お店がお休みの日にコンサートがあり、「たまには酔っぱらいじゃないところも見て〜」とご招待したら、なんとつくねをスタッフ楽屋とメンバー楽屋に、合わせて100本ぐらい焼いてきてくれて…せっかくのお休みの日に申し訳ない事したなー…と思いましたが、スタッフはもう大喜びで「ビール飲みてー」とか言いながらみんなつくねをほおばっていました。最高の差し入れでした。
 
 今になって思えば、小さなお店ですから、会話だって聞こえちゃうし、顔だってバッチリ見えます。きっと私だけではなく、仕事で疲れて彦一に立ち寄って、大切な時間を過ごしているお客さんの一人一人のリラックスを最優先してくれていて、時にお店を覗いてみた一見さんを「今日はもう予約いっぱいで…すみませんねー」とかお断りしている姿や、お父さんがちゃんとお店のお客さん一人一人の事情を理解して守ってくれてる感じがひしひしと伝わっていました。お父さんの愛にあふれた店、焼き鳥彦一だったなぁ。胸がキューンとします。

 その彦一は、数年前、閉店となりました。ご高齢のお父さんお母さんが引退して、息子さん夫婦が後を継いでいました。その時も何度も足を運びました。私よりちょっと年上の息子さんでした。その2代目彦一もついに閉店。

 今はもうない、学芸大学駅のすぐ側の焼き鳥彦一。私の人生で一番慌ただしく駆け抜けていった20代30代。ゆっくり心を休めて美味しいお酒と焼き鳥とおしゃべりを楽しめた、人生で一番通った大切な思い出のお店。きっと生涯、彦一を越えるお店は現れないと思います。何故ならそこには店と常連客の関係だけではなく、心の繋がりがあったからですね。彦一は、一生大切な私の焼き鳥屋さんです!! お父さんとお母さん、改めて沢山の思い出をありがとうございました。

 前編は学芸大学の焼き鳥屋さんにまつわる美味しいMY STORYでした。後編もお楽しみに!!

★次回更新は、11月23日(水)更新予定です。
お楽しみに。

岸谷 香
1996年5月31日、武道館公演をもってプリンセス プリンセスを解散。1996年結婚。
1997年奥居香ソロとしてシングル「ハッピーマン」を発売し、ソロ活動をスタートさせた。
2001年子供を授かったことをきっかけに岸谷香に改名。
2012年、東日本大震災復興支援の為、16年振りにプリンセス プリンセスを一年限定で再結成。
2014 年ソロの活動を本格的に新たにスタート。2015年6月24日シングル「DREAM」を発売、
2016年5月、10年ぶりのオリジナルアルバム「PIECE of BRIGHT」リリース。
「KAORI PARADISE」と題し、ひとり弾き語りライブを毎年実施。
2018年ガールズバンドプロジェクトを立ち上げ、ミニアルバム「Unlock the girls」をリリース。
2019年3月豊洲PITにて東日本大震災復興支援ライブ「The Unforgettable days」を実施。
2020年2月には岸谷香感謝祭と題しゲストを迎えてのコラボライブを毎年実施。
2021年2月ミニアルバム「Unlock the girls3-STAY BLUE-」をリリース。
2022年5月からは3年ぶりになるバンドライブ55th SHOUT!ツアーを実施、
9月からはKAORI PARADISE2022が予定されている。


お知らせ
レギュラー
・ラジオNHK-FM「岸谷香Unlock the heart」
毎週金曜23:00〜スタート
・ニッポン放送「オールナイトニッポンMUSIC10」
毎月第四水曜日22:00~スタート

LIVE情報

【ROCKS FORCHILE TOYONAKA 2022】

【KAORI PARADISE 2022】

■11月12日(土)東京・江東公会堂ティアラこうとう
開場16:00/開演16:30 チケット料金 全席指定\6,000-
※2歳以下膝上1名まで無料(座席が必要な場合有料)3歳以上はチケットが必要。

【宝くじ文化公演 KAORI PARADISE 2022】

愛媛2公演は宝くじ文化公演となります。
チケットの販売は愛媛県在住の方のみが対象となりますので予めご了承ください。

■11月19日(土) 愛媛・八幡浜市文化会館 ゆめみかん
開場15:30/開演16:60
チケット料金 一般¥2,500- 高校生以下\1,500-
一般発売 2022年9月11日(日)
※宝くじの助成による特別価格
問合せ>八幡浜市文化会館 ゆめみかん 0894-36-3040

■11月20日(日) 愛媛・四国中央市土居文化会館(ユーホール)
開場15:15/開演16:00
チケット料金 一般¥2,500- 高校生以下\1,500-
一般発売 2022年9月14日(水)
※宝くじの助成による特別価格
問合せ>四国中央市土居文化会館(ユーホール) 0896-28-6353

【KAORI PARADISE 2022年末スペシャル】

■2022年12月27日(火)
ビルボードライブ大阪
1st ステージ 開場16:30/開演17:30
2ndステージ 開場19:30/開演20:30
サービスエリア¥8,400- カジュアルエリア¥7,900-(1drink付)
※追加ご飲食代は別途ご精算となります。
[お問い合わせ] ビルボードライブ大阪: 06-6342-7722

■2022年12月30日(金)
ビルボードライブ東京
1st ステージ 開場14:30/開演15:30
2ndステージ 開場17:30/開演18:30 サービスエリア
¥8,400- カジュアルエリア¥7,900-(1drink付)
※追加ご飲食代は別途ご精算となります。
[お問い合わせ] ビルボードライブ東京:03-3405-1133

Club BBL会員先行(先着)=11/7(月)正午より
一般予約(先着)=11/14(月)正午より

【岸谷香 感謝祭 2023】

出演:岸谷 香/Unlock the girls (ゲストあり)
公演日:2023/2/23(木祝)
会場:EX THEATER ROPPONGI
開場_16:45 開演_17:30
席種・料金(税込):全席指定 9,000円 (ドリンク代別)
一般券売日:12/17(土)予定
(問い合わせ)DISK GARAGE 050-5533-0888(平日12:00-19:00)

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「第2回リラックマアンサンブルLIVE〜一緒に広げようごゆるりSDGs〜」 - PR TIMES

「第2回リラックマアンサンブルLIVE〜一緒に広げようごゆるりSDGs〜」 - PR TIMES

12.50
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サンエックス株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:千田 洋史)と株式会社CDG(本社:大阪市北区、代表取締役社長:小西 秀央、以下「CDG」)はこの度、リラックマ20周年記念イベント「アンサンブルツアー」の一貫として、2022年12月1日(木)に「第2回 リラックマ アンサンブルLIVE ~一緒に広げよう♪ごゆるりSDGs ~」を開催します。


本LIVE配信では、CDGのグッズ開発YouTubeチャンネル「MonoLabo Channel」にて、2022年7月13日からスタートしているアンサンブルツアーの最新情報をはじめ、ごゆるりSDGsの活動内容の紹介、前回のLIVE配信でファンの皆様と制作したオリジナルグッズの紹介などを予定しております。

また、今回はコリラックマと、アンサンブルツアーの連動企画で各地のこども食堂で料理を披露している、若手俳優の池田航さんを引き続きMCに迎え、番組を盛り上げます。

「アンサンブルツアー」のテーマは、SDGsをリラックマの観点で捉えた「ごゆるりSDGs」を広めることです。(詳しくはこちらhttps://www.san-x.co.jp/rilakkuma/sdgs/

本ツアーに直接来ることができない方も、視聴者参加型のオンラインライブを通して、リラックマやコリラックマと一緒にSDGsについて知り、考えることでそれぞれができるアクションをしていきながら、「ごゆるりSDGs」を一緒に進めていけたらと思っています。
 

  • 「第2回 リラックマ アンサンブルLIVE ~一緒に広げよう♪ごゆるりSDGs~」の概要
期間:2022年12月1日(木)20:00~
出演者:池田航さん、コリラックマ
配信:YouTube「MonoLabo Channel」
https://www.youtube.com/channel/UC7W3Szfy9C8LErPVnMpdjVQ
参加料:無料
参加申込:申し込み不要(当日、配信URLにアクセスするだけで参加可能)
内容:アンサンブルツアー・ごゆるりSDGsの最新情報をお届け
※ライブの内容や出演者は変更になる場合がございます。
特設サイトURL
アンサンブルツアー▶https://www.san-x.co.jp/rilakkuma/ensembletour/
ごゆるりSDGs▶https://www.san-x.co.jp/rilakkuma/sdgs/
 
  • 出演者情報


池田航さん

富山県出身 27歳
俳優。主な出演作はTokyoMX2「鎧勇騎 月兎」、TBS「グランメゾン東京」、NHK前期連続テレビ小説「ちむどんどん」レギュラー出演。
TikTokではフォロワー数120万人突破。「オム王子」としてたまご料理をはじめ、オリジナリティあふれる料理を発信している。

公式サイト▼
https://www.koh-ikeda.polarstar.tokyo/

 

コリラックマ

どこからともなくやってきた、白いクマの子。
リラックマの知り合いではなかったようだけど、胸に 赤いボタンがついているので、本物のクマではないみたい。
コリラックマと名付けたのはキイロイトリ。
いたずら大好きな、元気でやんちゃなコです。

  

  • 第1回ライブ配信での様子
7月29日(金)に配信したアンサンブルLIVE第1回目では、LIVE視聴者とコミュニケーションを取りながら、「ごゆるりSDGs」を後押しするようなオリジナルグッズを製作する商品開発企画を実施しました。
製作したグッズは「りらっくま茶房オンラインストア」にて12月10日(土)まで予約販売を受付しております。
りらっくま茶房オンラインストア▼
https://rilakkumasabo.shop/news/63368c8cabc35c75850050b8
 

 

●リラックマとは
リラックマはOLのカオルさんの家にいきなり住みついた着ぐるみのクマ。
毎日だらだらゴロゴロしています。
背中にチャックがありますが、中身は秘密です。
いたずら好きなやんちゃなクマの子・コリラックマと、働き者でキレイ好きなキイロイトリと暮らしています。
はちみつの森に住むチャイロイコグマは、コリラックマのお友達です。
詳しくは、https://www.san-x.co.jp/rilakkuma/profile/

●サンエックス株式会社について
リラックマ、すみっコぐらし、たれぱんだなど、自社デザイナーによる100%オリジナルキャラクター商品の製造・販売・ライセンスビジネスを手掛けています。
見た目はかわいいのに、くすっと笑えるシュールさがあり、人の心に寄り添い、包み込んでくれるような優しさを持つキャラクターたち。
その不思議な魅力と世界観に多くの人々が引きこまれています。世界中にキャラクターの癒しの力、優しさを届けるべく、様々なイベント、企業とのタイアップなど企画しています。
公式ホームページは https://www.san-x.co.jp/

●株式会社CDGについて
店頭からオンラインまでをつなぐプロモーショナル・マーケティング(IP×デジタル×リアルを軸としたマーケティング領域)の企画立案・実施をはじめ、クライアント企業の営業促進に向けた幅広い販促ソリューションサービスを提供。
消費者起点で立案・実施する効果の高いソリューションは、各業界のトップブランドを含む21業種以上の企業に導入いただいている。
1974年大阪で創業、2022年3月度連結売上高11,261百万円、グループ従業員数268名(2022年3月末現在)。
大阪本社とともに、千代田区有楽町に東京本社を構える。東証上場(証券コード2487)。
公式ホームページは https://www.cdg.co.jp

©2022 SAN-X CO., LTD. ALL RIGHTS RESERVED.
 

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ペン粒選手を倒す為の戦術と注意点|頭で勝つ!卓球戦術 | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ) - 株式会社ピンポン

ペン粒選手を倒す為の戦術と注意点|頭で勝つ!卓球戦術 | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ) - 株式会社ピンポン

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卓球ライター若槻軸足がお届けする「頭で勝つ!卓球戦術」。今回は「ペン粒選手を倒す為の戦術」というテーマでお伝えしておく。「ペン粒」とは御存知の通りペンホルダーの表面に粒高ラバー、裏面に裏ソフトラバーを使用し、主に粒高の特性を活かして前陣で相手を揺さぶるプレーを得意とする戦型である。

このスタイルはある一定以上のレベルよりも勝ち上がるのはどうしても難しく、トップレベルで活躍する選手で目にすることはほとんどない。そのため、ペン粒の選手の数は少なく、ペン粒の選手への有効な戦い方がわからないという方も多い。そんな方は今回の記事を参考に、ぜひ一緒にペン粒対策を学んでいこう。

このページの目次

ペン粒選手を倒す為の戦術①:下回転に対して強打してはいけない

ペン粒の最大の特徴、それはどこのコースへ打っても粒高ラバー独特のボールで返ってくる、ということである。シェークバック粒の場合はフォア面には粒高ではないラバーを貼っているため、フォア側を狙うなどの作戦が立てやすいのだが、ペン粒だとどこに打っても基本的に粒高で返球される。

そこでやってしまいがちなのが、下回転のボールを強打し、その後も全部のボールを攻撃しようしてしまうことだ。これは絶対にやってはいけない。

粒高の基本的な性質として、こちらのドライブ回転のボールは下回転になって返ってくる。それをドライブで打っても、また下回転で返ってくる。いわば、前陣カットマンと試合をしているようなものである。これは非常にやっかいである。

卓球台から下がった位置にいるカットマンに対してドライブを連打するのでさえ、それなりに体力を使うはずだ。それが前陣となると、こちらに返ってくるまでの時間的余裕がほとんどなくなり、結果的に十分な打球準備が整えられずに打ちあぐねる、あるいは山なりのボールになる、そして相手にチャンスを与えてしまう。

こうなると、ペン粒プレイヤーの思うつぼである。

特に下回転のボールはゆっくり飛んでくるので、つい打ち込みたくなるのだが、そうするとペン粒の土俵に引きずり込まれてしまう。いきなり下回転のボールを攻めようとするとどうしても打点が落ちたループ気味のドライブになってしまい、簡単にブロックされてしまう。

しかも、こちらの攻撃が良いボールであればあるほど、返ってくるのは下回転が強く、球足の早い良いボールであることが多い。浮いたチャンスボールで確実に決めきれる自信があるときは強打してもよいが、そうでない場合、ペン粒選手の下回転に対して強いボールを打ち込むことは得策ではないのである。

ペン粒選手を倒す為の戦術②:上回転をねらう

では、いよいよペン粒選手に対して有効な戦術についてお伝えしていこう。それはずばり、「上回転を狙う」という作戦だ。

まずサーブを持ったときは基本的にはロングサーブで攻めていく。回転はさほど気にしなくてよいので、低く早く、質の高いロングサーブを、まずは相手のバックに出そう。粒高でレシーブされたら、次の返球は下回転のボールで返ってくるはずだ。

それに対して3球目攻撃はせずに、ツッツキで相手のバック深くへ返球しよう。次はおそらく粒高でプッシュ性の上回転のボールが返ってくるはずだ。こちらのフォア側にストレートに速いボールが来ることも待ち構えて、やや距離をとり両ハンドで構えておく。そして、返ってきたボールをなるべく早い打点で相手のフォア側へドライブするのだ。

ロングサーブを出す、ツッツキをする、返ってきた上回転を早い打点でフォアへ5球目攻撃。これが初心者にもおすすめできる最も簡単な戦術だ。

5球目攻撃時は「決めきろう」と考える必要はなく、なるべく早い打球点で打つことを意識すると良いだろう。うまくいけばそのまま得点になるし、返ってきたボールが甘ければ、再びフォアサイドを狙って強打で決める。これが、私が考えるペン粒に対しての鉄板の戦術だ。

注意点①:裏面での攻撃

ペン粒と対戦するときに注意したいのが裏面での攻撃だ。ペン粒選手は基本的に裏面に裏ソフトラバーを貼っていることが多いので、粒高ラバーとの球質の違いに翻弄されないようにしたい。警戒すべき点は2つで、ツッツキをバックに送った際の裏面バックドライブと、こちらの攻撃に対する裏面を使った「伸びるブロック」だ。

とはいえ、裏面バックドライブは実はそれほど警戒する必要はない。なぜなら先述の通り、ペン粒選手が得意とするプッシュは上回転のボールであり、裏面バックドライブも同性質のボールだからだ。

しっかり台と距離を保ち、打てそうならフォアにカウンター、無理なら落ち着いてブロック。次のボールを強打されても焦らずラリーを続けて、また上回転のボールが来たらそれを狙う、という作戦で問題ない。

問題は裏面での「伸びるブロック」や、裏面でのカウンターだ。こちらが回り込んでフォアドライブを打っても、裏面でストレートにブロック、もしくはカウンターをされてノータッチで抜かれる、といったケースが多い。

この場合の対処法としては、相手のバック側に強いボールを打たないことである。仮にバックに打つ場面があっても、繋ぎのドライブ程度に留めるべきであり、ペン粒相手には、強いボールはフォアサイドに打つということを徹底しなければならない。

注意点②:フォアハンドでの攻撃

そうなると次に注意しなければならないのは、ファハンドでの攻撃である。粒高といえども攻撃が上手な選手は多い。しかも粒で打たれると非常にいやらしいボールになるので、ブロックするのは相当やっかいである。粒高で攻撃されるという展開はできるだけ避けたい。

ただし、もし粒高で打たれそうなときでも、打たれる可能性が高いコースというのがある。それは相手のフォアからストレート、つまりこちらのバック側にシュート気味に来るコースだ。

これはラケット面を被せるよりも開いた方が強いボールが出やすいことと、それでも粒高のボールのスピードは裏ソフトには劣るので、受け手が取りにくいストレートコースを選択する、ということが理由として挙げられる。なのでフォアサイドに浮いた場合は、やや下がってバック側でブロックで待てばよいだろう。

もちろん、粒高で強打するのも相当緻密な技術が必要であるのも事実であるため、「フォア側のボールが全部打たれる」ということはまずないだろうが、それでも安易に浮いたボールを送るのだけは避けたい。

まとめ

簡潔にまとめると、ペン粒選手に対する戦術はこうだ。

①ロングサーブからの5球目攻撃
②上回転のボールを狙ってフォアへ強打
③打たれるときはストレート待ち

これだけを意識すれば、ペン粒との戦いは相当楽になるだろう。普段対峙するケースが少ないので戦い方が分からなくて負けてしまう、ということにならないよう今回の記事を参考に対策して頂ければ幸いである。

若槻軸足インタビュー記事

>>『頭で勝つ卓球戦術』シリーズ著者・若槻軸足が社会人で全国5回でられたワケ

若槻軸足が書いた記事はこちらから

>>【連載】頭で勝つ!卓球戦術

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