大分には“巨人”がいます。日田市出身の漫画家が描いた、あの世界的なヒット作の話ではありません。
外国人留学生が学生の半数近くを占める別府市の立命館アジア太平洋大学(APU)の学長、出口治明さんです。世界1200以上の都市を訪れ、1万冊を超える本を読破したことから、“現代の知の巨人”と呼ばれています。
その“巨人”が去年、脳出血に倒れました。1年余りの療養を余儀なくされ、右半身に重いまひが残りました。それでも職務に復帰した出口さんは意気消沈するどころか、学生たちに「一緒にチャレンジしよう!」と呼びかけます。
揺るぎない前向きな気持ちはいったい、どこから来るのか。大分が誇る“巨人”の復活の日々を見つめました。
還暦で起業、古希で学長、病に倒れても“挑戦”!?
ことし4月1日、別府市内で開かれたAPUの入学式。電動車いすに座ってステージに進み出た出口さんは、脳出血の後遺症でことばが出にくいものの、力強く新入生たちにこう呼びかけました。
『きょう、この別府で、皆さんと会えることを心待ちにしていました。
ぜひ、いろんなことにチャレンジしてください。僕もチャレンジを続けます。
一緒にチャレンジしましょう。』
およそ1年半ぶりとなった公の場で、出口さんの口から飛び出したのは意外にも“チャレンジ”という言葉でした。大手生命保険会社を経て、
60歳でインターネット専門の保険会社を起業。さらに70歳でAPUの学長に就任した出口さん。体に重いまひを負ってもなお、自らに
課す挑戦とはいったい何なのか?私は学長に復帰したばかりの出口さんを密着取材することにしました。
突然の病…それでも諦めなかった復帰
出口さんが突然の病に倒れたのは去年1月。県外で脳出血を発症しました。実はその数週間前の年末、私は出口さんにインタビュー取材をしていました。2020年の県内の出来事を出口さんと一緒に振り返ろうという夕方のニュース番組の企画に協力いただいたのです。
記録的な豪雨災害や猛威を振るう新型コロナウイルス、さらには宇宙港の話題まで。膨大な知識に裏打ちされた深い考察を明朗に語ってくれた出口さん。インタビューの最後をこう締めくくりました。
『来年(=2021年)1年を考えれば、僕はよくなるに違いないと信じています』
新型コロナをはじめ、各地で相次ぐ災害や事件事故に、とかく気持ちがふさぎがちになる中、出口さんのこの前向きなメッセージに励まされたのは私だけではなかったはずです。それだけに、出演からまもなく出口さん自身が病に襲われたことを知り、大きなショックを受けました。
ところが、出口さん本人の受け止めは全く違っていたことが1年余り後の取材で分かりました。当時の心境を次のように書面で寄せてくれました。
『早く学長として復帰したいと考えていました。とにかくリハビリを頑張って、
復職を果たして、学生の支援に尽力したいということだけを考えていました』
『周囲とは反対に、僕自身は楽観的でした」
常々「後悔のない人生が一番」と話してきた出口さん。病という大きな壁が目の前に立ちはだかっても、復帰への希望を決して失わなかったのは、こうした前向きな姿勢があったからかもしれません。
進化を続ける“知の巨人”
復活を強く印象づけた入学式から2週間余りたった4月中旬。学長室に出口さんを訪ねました。
療養前と変わらず机に向かう出口さん。右半身に重いまひが残る状態でいったい、どんな風に仕事をこなしているのか?興味津々の私をよそに、出口さんは利き手とは逆の左手の人さし指でパソコンのキーボードを1つ1つ打ったり、ペンを握って文字を書いたりと、いたって涼しい顔で業務をこなしていました。
大学の職員によると、療養中の懸命なリハビリのたまものだとのこと。「出口さん、まだ進化を続けているんですよ。」と冗談めかして話す職員の言葉もあながち嘘ではないように感じました。
それでも一瞬だけ、出口さんがさみしそうな表情を見せた瞬間がありました。読書量について質問した時のことです。
記者 『いまも毎日、本を読んでいるのですか?』
出口学長 『はい、でも・・・片手で、本を持つのが・・・難しい。
ページをめくるのが・・・難しい』
聞けば、療養前は1日1500ページは読んでいたということですが、いまは1000ページまでペースが落ちてしまったとのこと。忙しさにかまけてすっかり本から遠ざかっている私はぐうの音も出ませんでしたが、出口さんにとっては、本から得られる知識や情報がまさに血肉となっているのだと改めて感じました。
待ちわびた“ごちゃ混ぜ”の学びの場
学長室を訪ねたこの日は、偶然にも出口さんの74回目の誕生日でした。いつも以上にニコニコとした出口さんでしたが、その笑顔の理由は別にありました。新型コロナウイルスの感染対策のため、これまで中止を余儀なくされてきた大学の対面授業が実に2年ぶりに再開されたのです。外国人留学生の入国規制も緩和され、キャンパスには大勢の学生たちが戻ってきていました。
早速、電動車いすでキャンパス内を見て回る出口さん。「あっ、出口さんだ!」と、行く先々で学生たちから声をかけられます。出口さんもうれしそうに左手をあげて応じたり、立ち止まって握手を交わしたりしていました。
ある教室の前にさしかかった時のこと。思わぬサプライズが待ち受けていました。学生の1人が出口さんのもとに駆け寄り、花束を手渡したのです。教室のホワイトボードには「おかえりなさい」の文字。学生たちもこの日が来るのを待ち続けていたのです。しばらく教室の隅で授業の様子を見つめていた出口さん。学長室に戻る道すがら、私に感慨深げにこう話してくれました。
『学生たちみんなの集まりが、パワーになって、大学を作っている。
みんなが、輪になって・・・混ざって・・・これがAPU』
90を超える国や地域から集まった学生たちが、言語や文化、価値観の違いを乗り越え、文字通り“ごちゃ混ぜ”になりながら、一緒に大学という学びの場を作り上げていく。出口さんは、その現場に再び戻ってくることができた喜びを改めてかみしめている様子でした。
“知の巨人”が挑む新たなチャレンジ
出口さんの密着取材を始めて2か月余りがたったある日。私は出口さんがいま向き合っている大きな挑戦の現場をかいま見ました。その挑戦とは、APUにとって“第2の開学”と位置づける新たな学部、「サステイナビリティ観光学部(仮称)」の設置です。ポストコロナを見すえて観光や地域の開発について専門的に学ぶ、この学部では、日本有数の温泉地でもある別府を研究フィールドに、新たな観光資源の創出や地域経済の発展に貢献できる人材の育成を目指します。
来年4月の開設に向けて準備が進む中、出口さんも連日のように学内の会議に出席し、職員たちに指示を出しています。この日は、新学部の理念をより多くの人に知ってもらうための広報戦略をめぐって職員たちと意見を交わしました。
職員「保護者も含めて新学部をもっとPRすべきではないか」
職員「関係者がどんな情報を求めているのか、的確につかむ必要がある」
議論が白熱する中、突然、出口さんが資料の片隅になにやら書き込み、職員たちに見せながら発言しました。
出口「コントでもいい!!」
予想の斜め上を行く出口さんの発言に一瞬たじろぐ職員たち。でもすぐに、その場に笑い声が響きました。真っ正面からの正攻法だけでなく、若い世代を意識した片意地張らないやり方でいこう、ということかもしれません。どんな時もユーモアを大切にする出口さんらしい提案でした。
ハンディキャップを抱えながらも、出口さんが自らに課した新たなチャレンジ。新学部の開設を通じて、どんなことを実現しようとしているのか。取材の最後に出口さんにたずねました。
『新学部では、地域が抱える課題の解決に実践的に取り組むことができる人材を育成していきます。地域の課題を発見することにより、
世界の課題がリアルに見えてくる。そして、それをどうしたらいいのか考えて行動できる人になる、世界に向けて行動できる人になる、
そういう学びができる学部にすることが新しい学部の成功だと思っています』
長い沈黙を経て、ついに完全復活を果たした“現代の知の巨人”、出口治明さん。
とことん前向きなその目は、すでにコロナ後、さらに先の未来を見すえています。