【千歳】市は9日午前9時から、市防災学習交流センター「そなえーる」(北信濃631)で、本年度の市総合防災訓練と防災に関する知識を学ぶイベント「そなえーる防災フェスタ」を開く。...
からの記事と詳細 ( 防災の大切さ実感しよう 9日、千歳市が催し 被災者向け足湯の体験も:北海道新聞デジタル - 北海道新聞 )
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【千歳】市は9日午前9時から、市防災学習交流センター「そなえーる」(北信濃631)で、本年度の市総合防災訓練と防災に関する知識を学ぶイベント「そなえーる防災フェスタ」を開く。...
食料はやはり重要
火は被災時に生活の質を上げる
カセットコンロだけではなく、カセットコンロも家族の人数に応じて1週間程度利用できるように用意しておく必要があります。注意すべきは、カセットコンロにも使用期限があること。保管場所は、湿度の低い冷暗所と覚えておきましょう。
避難所にペットと入れないということも
非常時でも清潔に保ちたいもの
そのため、実際には「幸い避難はせずに済んだが、お水やお米がなくなってしまったときに、スーパーも売り切れで困った(女性/51歳)」「コンビニからパンやおにぎりがどんどんなくなりました(男性/43歳)」「すぐ食べられる食料が全然売ってなかった(女性/47歳)」という声も……。
災害発生時には、その後の品不足を予測し、残念ながら「買占め」が起きることもあります。発災してから物資を入手することは基本的に難しいことをしっかりと理解して、備蓄しておくことが必要です。
また自宅が被災し、水道が使えない状況下でも、近くの銭湯を利用することができれば清潔を保つことができるでしょう。読者からは「風呂が使えないので助かった(女性/47歳)」という声がありました。また「ガスが2カ月半止まっていたので、お風呂はもらい湯していました(女性/74歳)」なども。お風呂に困る声がありました。災害時には断水やガスの停止で入浴できないこともよくあること。
生活用水として水道水をウォータージャグやペットボトルに備蓄しておくと、水浴や洗髪、洗濯などに利用できます。水道水は塩素が使用されているので一定期間保存が可能です(ただし冷暗所で保存し、定期的に入れ替える必要があります)。保存性を高めるために空気をなるべく入れないようにするのがコツです。
以上、被災者が「なくて困った」と感じたアイテムとその活用方法をご紹介しました。未曽有の自然災害に立ち向かうために、日頃からの備えと防災意識がいかに重要であるかを再認識しましょう。
【調査概要】
期間:2023年7月18日~2023年7月24日
有効回答数:389人(20~76歳の男女)
調査対象:All About読者
設問:被災時に「なくて困った」ものがあれば、具体的なエピソードを交えて教えてください
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。
2023年9月6日 11:00
米人気司会者のオプラ・ウィンフリーと米人気俳優のドウェイン・ジョンソンが、マウイ島で発生した山火事の被災者支援のために手を組んだ。二人は「ピープルズ・ファンド・オブ・マウイ」という基金を設立し、1000万ドルを寄付。この基金は、被災したラハイナ地域の住民に対して、1人当たり月額1200ドルを提供する。
火災は8月8日に発生し、強風によって燃え広がった。マウイ島西部のラハイナでは、100名を超える死者が出て、数百人の行方不明者がいる。大半の家屋が焼失したなかで、二人の寄付は被災者に大きな救いとなるだろう。
ちなみに、ドウェイン・ジョンソンはサモア系アメリカ人であることからハワイと深い繋がりがあり、ウィンフリーはラハイナ近くに別荘を所有している。
(映画.com速報)
44人が犠牲になった胆振東部地震から6日で5年になります。被災地では主要なインフラ整備はほぼ完了するなど復旧から復興へと向かっていますが、被災者の心のケアや大きな被害を受けた森林の再生など課題も残されています。
5年前の2018年9月6日、最大震度7の揺れを観測した胆振東部地震では、大規模な土砂崩れが起きるなどして災害関連死を含めて44人が死亡、785人がけがをしました。
地震から5年となり、大きな被害が出た厚真町、安平町、むかわ町の3つの町では道路や河川といった主要なインフラの復旧工事がほぼ完了するなど被災地は復旧から復興へと向かっています。
一方、被災者の中には現在も心のケアが必要な人も少なくなく、住民どうしが支え合えるようコミュニティーを再建するなどしながらこうした人たちをいかに支援していくかが課題となっています。
また地震では、記録が残る明治以降、国内最大となるおよそ4300ヘクタールの森林が被害を受け、去年からは再生計画に基づいて林道の整備や植林などが集中的に進められていますが、森林の再生には少なくとも数十年を要する見通しです。
さらに地震の記憶を風化させることなくその教訓を後世に伝えていくことも求められていて、厚真町では地震から5年となるのにあわせ当時の証言をまとめた冊子や動画を作成するなど取り組みを進めています。
【胆振東部地震とは】
胆振東部地震は5年前の2018年9月6日午前3時7分に北海道の胆振地方中東部を震源に発生し、厚真町で最大震度7、安平町とむかわ町で震度6強の揺れを観測しました。
山林の大規模な土砂崩れに厚真町の多くの住宅が巻き込まれるなどして道内では災害関連死を含めて44人が死亡、785人がけがをしました。
また厚真町にある道内最大の火力発電所の苫東厚真火力発電所が緊急停止し、道内全域の295万戸が停電する「ブラックアウト」が発生しました。
札幌市清田区では大規模な液状化現象で住宅が傾いたり道路が陥没したりする被害が相次ぎました。
住宅の被害は、全壊491棟、半壊1818棟などを含むあわせて4万9400棟あまりに上りました。
また厚真町、安平町、むかわ町の3つの町では、地震のあとおよそ960人がプレハブ型の仮設住宅やみなし仮設住宅などでの生活を余儀なくされました。
地震から5年となり、3つの町では、道路や河川などの復旧工事はほぼ完了したほか、復旧作業用に使われていた農地で来年度から営農が再開され、農業も地震前の姿に戻る見込みです。
一方、地震による土砂崩れでおよそ4300ヘクタールにのぼる森林が被害を受け、去年から再生計画にもとづいて集中的な取り組みが進められていますが、これまでに植林などの作業が行われたのは被害を受けた森林の6%程度にとどまっています。
被害が出た森林の多くは自然回復によって再生させる方針となっていて、森林の復興には長い年月が必要だとされ今後の課題のひとつとなっています。
静岡県の川勝知事は「復興に全力を投じていきたい」と述べました。
2021年7月 土石流災害で被害を受け、9月1日に警戒区域が解除された熱海市伊豆山地区を4日 川勝知事が視察しました。
土石流災害によって関連死を含め28人が死亡した熱海市伊豆山地区では、1日警戒区域が解除され自由に立ち入りできるようになりました。
視察に訪れた川勝知事は逢初川の護岸改修について職員から説明を受けたあと、川幅が広がる現場に足を踏み入れ、イメージ図を元に工事の状況を確認していました。
静岡県・川勝平太 知事:
警戒区域が解除されたので、これからここの地域の被災者の生活復興に全力を投じていきたいということでこちらに来た
川勝知事は安全を守ることを前提に、県の改修計画を住民に示した上で話し合いを重ねながら事業を進めていきたい考えです。
テレビ静岡
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関東大震災で津波に襲われた鎌倉市沿岸部で3日、地震や歴史の研究者らが当時の被災地域を視察した。津波が到達した地点と地形などの状況を確かめ、現在の浸水リスクを見極めた。
案内役を務めたのは、鎌倉に押し寄せた津波の実態を調査している同市の浪川幹夫学芸員と、県温泉地学研究所の萬年一剛主任研究員。鎌倉には震災時の津波を捉えた写真や体験者の手記などが残り、解明に役立てられている。また、当時の鎌倉町がまとめた「鎌倉震災誌」には、第2波が高かったとの記述がある。
この日は材木座の海岸付近を訪ね、津波が門前に迫った光明寺と周辺の状況を確認。付近を流れる豆腐川を津波が遡上(そじょう)し、海水が及んだと伝えられる一帯も歩いた。
浪川さんはこれまでの調査成果を踏まえ、「浸水範囲は広くないが、川沿いでは内陸に津波が及んでいる」と指摘。海沿いまで住宅がひしめいている豆腐川については「今は暗渠(あんきょ)になっており、当時と比べて川幅も狭い」などと解説した。
参加者からは「再び津波が押し寄せてきた場合には、より内陸へ到達する可能性もある」といった指摘が出た。(渡辺 渉)
東京電力福島第1原発事故の被災者と湘南エリアの市民が鎌倉市の臨済宗大本山・建長寺で一緒に過ごし、きずなを深めるイベント「建長寺で会いましょう」が8月初旬、4年ぶりに開催された。被災者を無料で招待し、寝食を共にしながら交流するユニークな被災者支援は市民団体「未来・連福プロジェクト」(斉藤美代子代表)の看板行事だが、宗教者、芸術家、医師ら多くのエキスパート・ボランティアが、その活動を支えている。プロカメラマンの石川慶和さん(42)=横浜市=もその1人だ。【因幡健悦】
8月5日夕、建長寺・龍王殿で福島県飯舘村の被災者32人の歓迎式が開かれた。小学生のジャズビッグバンド「植木リトゥル・エコー・アンサンブル」の華麗な演奏に出迎えられ、緊張した面持ちの被災者の顔がほころんだ。斉藤代表の呼びかけに、避難生活での苦労やイベントに参加できた喜びなどさまざまな思いが吐露されていく。男性被災者が声を震わせた。