2地域居住で能登活力向上、石川 被災者支援、地震復興へ計画案 - 沖縄タイムス

2地域居住で能登活力向上、石川 被災者支援、地震復興へ計画案 - 沖縄タイムス

16.31
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 石川県は20日、能登半島地震復旧・復興本部会議を開き、復興計画案をまとめた。人口減加速による地域の衰退を防ぐため、都市と地方を行き来する2地域居住などを推進して地域の活力を向上させる。2032年度末までの9年間で、災害に強いインフラ整備、なりわいやコミュニティーの再建、被災者への生活支援に取り組むことが柱。6月に決定する。

 計画案は、半島では地震前から人口減や高齢化が進んでいたと指摘し「被災前への復元ではなく、未来志向で良い状態へ持っていく」と強調。

 2地域居住は、平日は都市部で暮らす人が、休日には能登で復興活動に携わるといった生活を想定。推進に向けた具体策の検討に入る。(共同通信)

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「仮放免中だけど……」 ウガンダ人ら9人が被災地へ - 毎日新聞

「仮放免中だけど……」 ウガンダ人ら9人が被災地へ - 毎日新聞

13.31
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被災地に向けてマイクロバスに乗り込む仮放免中の外国人ら=愛知県津島市で2024年5月5日(真野明美さん提供)
被災地に向けてマイクロバスに乗り込む仮放免中の外国人ら=愛知県津島市で2024年5月5日(真野明美さん提供)

 在留資格を失ったものの、入管施設への収容を一時的に解かれた「仮放免」中の外国人らを乗せたマイクロバスが今月5日、愛知県から能登半島地震で被災した石川県穴水町に向かった。仮放免者は原則、県外に出ることを禁止されている。そんな彼らがなぜ、被災地を目指したのか。

  <主な内容>
 ・頭をよぎった祖国の内戦
 ・入管からのGOサイン
 ・たどり着いた被災地
 ・仮放免中でも力になりたい

 バスに乗っていた外国人は、愛知県で暮らすウガンダ、コンゴ民主共和国、ブラジル、ウズベキスタン国籍の30~40代の男女計9人。そのうちの8人は、留学や就労、難民認定を求めて来日したが在留資格を失い、現在は仮放免中の身だ。入管の許可なしに県外に出ることは禁止されている。

頭をよぎった祖国の内戦

 そのうちの一人で、難民申請中のウィリアムスさん(46)=ウガンダ国籍=は現在、愛知県津島市で暮らす。今年1月、能登半島地震の被災状況を伝えるニュースを見て言葉を失った。跡形もなく崩れ落ちた家々、町中を焼き尽くす火災……。その様子は、かつて祖国で経験した紛争の惨…

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石川 輪島 梅雨に備えブルーシート配布 被災家屋の雨漏り防ぐ | NHK - nhk.or.jp

石川 輪島 梅雨に備えブルーシート配布 被災家屋の雨漏り防ぐ | NHK - nhk.or.jp

11.31
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輪島市では、ことしの元日の地震で震度7の揺れを観測し、今月14日までに全壊や半壊などの住宅の被害が1万4000棟余り確認されていますが、解体や壊れた屋根などの修理は進んでいません。

こうした状況を受けて市は家屋の雨漏りなどを防ぐため19日、市の文化会館で、被害を受けた市民に対してブルーシートと取り付けるためのロープの無料配布を行いました。

シートはサイズが異なる3種類のものを一世帯当たり5枚まで持ち帰ることができ、市民が次々と訪れて受け取っていました。

訪れた人たちによりますと、配布されたシートは被災した家屋の雨漏りを防ぐためや、倒れた墓石が傷まないように覆うためなどに使うということです。

訪れた40代の男性は、「家から取り出したものを雨から守るために使おうと思います。車が家の下敷きになってしまったので、子どもと歩いて持って帰ります」と話していました。

また、80代の女性は「家の壊れた部分にかぶせるためにもらいに来ました。家屋の解体がなかなか進まない中、無料でもらえるのはありがたいです」と話していました。

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歌手 大黒摩季さんが石川 輪島でライブ 被災者を励ます | NHK - nhk.or.jp

歌手 大黒摩季さんが石川 輪島でライブ 被災者を励ます | NHK - nhk.or.jp

15.31
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大黒摩季さんは、チャリティーライブの収益などを義援金として能登半島地震で被災した自治体に届けるため、17日から石川県内を訪れています。

19日は輪島市を訪れて、市役所で坂口茂 市長と面会し「母が輪島塗が大好きで、私はこの地に呼んでいただいてコンサートを開かせてもらい、恩返ししたくて来ました。日本中が被災地を応援していることを忘れないでください」と述べて、義援金500万円の目録を手渡しました。

これに対し、坂口市長は「市民の皆さんも元気をもらえると思います。復興を進めるためにも大切に使わせていただきます」と感謝を伝えました。

続いて大黒さんは市の中心部にある広場でライブを開き、およそ2000人を前に自身のヒット曲「ら・ら・ら」など9曲を披露しました。

集まった人たちは手拍子でリズムをとったり、歌ったりしながら大黒さんの力強い歌声に聞き入っていました。

輪島市の自宅が全壊して避難生活をしているという50代の女性は「大黒さんの歌を聴いたら自然と涙がこぼれてしまいました。元気をもらいました」と話していました。

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能登半島地震の被災者に 手作りの布団を贈る取り組み 名古屋|NHK 東海のニュース - nhk.or.jp

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13.31
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能登半島地震で被災した人たちのために手作りの布団を贈ろうという取り組みが、名古屋で行われています。

これは、名古屋に本部を置く布団職人の団体「全国寝具技能士会連合会」が行っています。
能登半島地震の被災地で布団が足りていないという声が寄せられたことなどから企画したということで、19日は名古屋市の愛知県製綿センターに愛知、岐阜、三重、滋賀の4県から「寝具製作技能士」という資格をもつ20人の職人が集まりました。
今回製作するのは、手入れをすれば数十年使えるという木綿の手作りの布団です。
職人たちは、布に綿を詰め込み1枚1枚丁寧に手縫いして製作していきました。
この団体では、敷き布団と掛け布団のセット75組を作り、今月28日に石川県穴水町の役場に直接届けて仮設住宅などで使ってもらうということです。
「全国寝具技能士会連合会」の丹羽正行会長は「大変な避難生活のなか、布団でぐっすり休んであしたの活力にしてほしいです」と話しています。

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災害時の被災者への傾聴「そばにいることが大事」 岡谷市でボランティア研修会|信濃毎日新聞デジタル 信州・長野県 ... - 信濃毎日新聞デジタル

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13.31
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 県内の傾聴ボランティア団体でつくる県傾聴ボランティア連絡協議会は17日、災害の被災者傾聴について考える研修会を岡谷市内で開いた。被災地に赴いて傾聴活動をする会員もおり、能登半島地震があったことから今回のテーマを設定。県内各地から会員約70人が参加し、被災者への接し方を考えた。

 東日本大震災発生約…

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[新潟地震60年]2日間駆け回った"焼け野原"で捉えた被災者の苦悩…ピュリツァー賞カメラマン沢田教一の写真30枚 ... - 新潟日報デジタルプラス

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11.31
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 元日に能登半島地震に見舞われた2024年は、新潟地震から60年、7・13水害、中越地震から20年の節目でもあります。新潟日報社では当時の被災状況や復興への思い、その後の防災・減災の取り組みを伝え、頻発する災害に向き合う記事を展開していきます。

×    ×

 ベトナム戦争の写真でピュリツァー賞を受賞したカメラマン沢田教一(青森市出身・1936〜70年)が戦地に向かう前年の1964年、新潟地震1964年6月16日午後1時ごろに発生した地震。新潟県沖から山形県沖に広がる断層が引き起こした。震源は粟島付近で、マグニチュードは7・5。新潟県内の最大震度は、当時の観測方法で震度5だった。新潟県の資料によると、県内の死者が14人、負傷者は316人。新潟市では液状化現象とみられる被害で県営アパートが倒壊し、完成したばかりの昭和大橋が崩落した。製油所の石油タンクで起きた火災が約2週間にわたって続いた。の際に新潟市内で撮った30枚の写真が見つかった。写真を保管している東奥日報社(青森市)から連絡を受け、新潟日報社が5月17日までに撮影場所などを調査した。萬代橋周辺に避難した被災者や壊れた建物が写っており、すでに写真展などで公開されたものも含むが、関係者は「ほとんどが知られていない貴重な写真」とみている。

 これらは沢田の妻の...

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