それなのに彼は、いつも飄々としてスマートな存在感を放つ。
スキー・ノルディック複合という競技に長く挑み続けられた理由、そしてスキーが教えてくれたことなど、ハンティング・ワールド創設者ボブ・リーの半生とオーバーラップさせつつ語ってくれた。
(以下 ハンティング・ワールド 特設サイトより転載)
徹底した“準備”が生んだ強さ
2021年夏へと延期が決まった東京オリンピック。2度の大会で金メダルを獲得したアスリートは何を思うのだろうか。
「大会の時期が変わろうと、場所が変わろうと、アスリートは与えられた場に向けてアジャストするだけです。それをできるのが、真のアスリートなのだと自分は考えます。大会の時期を決めるのは、アスリートが関与できるものではない。その機会に向けて、100%の力が発揮できるよう“準備”を尽くしていくだけです。なぜこのような考え方をするようになったかと言うと、競技への不安や心配ごとを取り除くのに、“準備”をすることが自分には一番効果的だったから。
1992年 のアルベールビルオリンピックに出た後、調子が悪かったり成績が伸びなかったりした原因を、天候や、風向き、滑降順など、周囲のことへ責任転嫁していました。しかし、全ては自分が招いた結果だと気づき、こんな考えでは世界で勝てないと悟り、結果を残すために“準備”し尽くすことに取り組みました。練習、装備、イメージトレーニング、些細なことまで、とにかく“準備”をし尽くしたうえで競技に挑む。
そうすると、競技を終えた後で悪かったところ、足りなかったところが見えてきて、『次はここを準備すれば良い』と、先に向けての明確なデータが得られるんです。“準備”を徹底的にすることで、自分がやるべきことの方向性がはっきりしてくる。また不調の時でも、ここではこうすれば良いという選択肢が増える。『自分ができること』の選択肢を増やしておけば、ゲーム運びを頭の中でシミュレーションできるから、競技へ冷静に挑める。本番でごちゃごちゃ考えてパニックになったりせず、やることがひとつに絞られて、勝つことへ集中できるようになりました」
好きという気持ちを、ないがしろにしてはいけない
日本、そして世界のトップに君臨しながら、4度のオリンピック出場を可能にしたモチベーションを、どのようにして維持し続けることができたのだろうか。
「自分にとっては金メダルを獲るのが一番のモチベーションではありました。ただ、優勝すれば気分が良いということではなく、その内容に物足りなさを感じることもありました。スキーのジャンプはもう少しこうしておけばよかった、クロスカントリーではああいう風にできたんじゃないかと省みることの繰り返しです。優勝したいのと同時に、100%納得できる競技内容を追い求めていたことが自分の背中を押し続けていました。
1998年の長野オリンピックでは、周りも自分も金メダルを獲れると思っていました。そこに油断みたいなものが出てきちゃったんでしょうか(笑)。 4位で終わった後悔はものすごくて、夢にも出てきたほどです。失望感でいっぱいになってしまい一時はスキーも雪も見たくないほどでした。引退も考えて、だいぶ葛藤しましたが、その時にあらためて、スキーを始めたきっかけを考えてみたんです。なぜ自分はここまでスキーを続けることができたのだろう?と。そして、子どもの頃に初めてスキーをして、楽しくて大好きになった気持ちが自分をここまで連れてきてくれたのだということを思い出しました。あんなに好きだったものを否定したまま辞めてはいけないのかもしれないという思いから、再びスキーを続ける気持ちが湧いてきました。
2002年のソルトレークオリンピックでは個人11位という結果に終わり、その後に引退しました。その時はスキーを好きなまま辞めることができたので、晴れ晴れとした気持ちでした。子供の頃から弟(荻原次晴氏)とはずっと一緒で、スキーを好きな気持ちを一番身近な存在とシェアできたのも良かったのでしょう。弟とは仲が良いので、若い頃はよく一緒に服を買いに行ったりもしました。双子ですから弟に試着させれば、自分は試着せずに済むといった利点もありましたし(笑)。
好きという気持ちは、自分らしさと繋がっていますから、ないがしろにしてはいけないのです。ハンティング・ワールドの創設者、ボブ・リーさんの原点と同じで、挑み続けることができたのは、好きだったからだと思います。自分が好きだったことを否定して辞めてしまうことは、自分自身を否定することと同じ。思い通りにならないと辛いし、好きだからこそ悔しい。でも、それを放棄することは自己否定に繋がるのです。
現在、自分の経験を生かしスキージャンプ用のソックスを作っています。あちこちのスポーツソックスを試してきたのですが、なかなかいいものに出会えなかったので、靴下メーカーさんのお力をお借りして本当に自分が欲しかったものを作りました。ハンティング・ワールドのバチュー・クロスも、ボブ・リーさんの体験を経て生み出されたもの。その時点でオンリーワンのブランドですよね。こういうボブ・リーさんの好きであることをモチベーションにした行動力にはとても共感できます」
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指導する立場になって得た新しい視点
不思議なことが起きているんです、と話す荻原。聞けば2002年に第一線を退いたにもかかわらず、現役時代に感じていたスランプに似た感覚から、最近になって抜けつつあるそうだ。
「今年2月の国体へ出た時にも感じたのですが、現役の時にできなかったことが20年以上経ってできるようになったんです。恐らく、子どもたちへスキーを基礎から教えることがきっかけになったのだと思います。自分では特に考えずにパッとできてしまうことを、分かりやすく言語化して子どもたちに伝える。それがインスピレーションを与えてくれたのでしょう。スキーの基本を思い起こして競技の現場で実践すると、『コレだ!』という感触が得られたんです。
代表選手だった時は、応用をアレコレ模索していたのですが、基本を見直すことで違う視点が得られました。スキーヤーのすそ野を広げるべく本格的に取り組むようになったジュニア向け指導の現場で、思いがけず自らのスキーを進化させることができたのです。ほかにも、多くの気づきを得ました。アスリートは競技でのパフォーマンスはもちろん、若い世代の憧れの存在でないといけない。子どもたちが『あの選手みたいになりたい!』と思ってくれることがスポーツを始めるきっかけになる。そういう環境を作っていくのが、アスリートの役割だと思います。教えている時も、指導者として『こんな人になりたいな』と思われるようでいないといけないんです」
荻原健司(おぎわらけんじ)◎1969年生まれ。群馬県草津町出身。スキー・ノルディック複合選手として1992年のアルベールビルオリンピックから通算4度のオリンピックに出場。オリンピック団体戦では2大会連続(1992年・1994年)で金メダルを獲得。世界選手権大会は合計4個の金メダル。ワールドカップでは個人総合3連覇などを含め通算19勝の快挙を成し遂げた。2002年に競技生活を引退。その後2004年7月参議院議員選挙全国比例代表区で初当選。スポーツ振興、教育問題や環境問題を中心に取り組み10年の任期満了まで務める。現在はジュニアスポーツ振興に注力すると同時にSDGsの重要性を未来ある子どもたちに伝えている。長野県教育委員会教育委員、長野県スポーツ協会理事などを務める。
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