元早大監督の応武篤良氏が7日、死去した。64歳だった。
黄金期を支えた教え子の一人である西武の大石達也2軍投手コーチ(33)は「謹んでお悔やみを申し上げます。応武監督は、野手として早稲田に入学した自分を投手として育ててくれました。僕自身、投手をやりたいとずっと言っていたのですが、入学してすぐにばったりお風呂で一緒になった時に『ピッチャーやりたいのか』と声をかけてくれたんです。翌日から投手としての練習を始めました。本当に感謝しています」と恩師の早すぎる死を悼んだ。
応武氏は崇徳(広島)3年時の76年春夏の甲子園に出場し、選抜では「5番・捕手」として優勝に貢献。この年のドラフトで近鉄から3位指名を受けたものの、拒否して早大に進学。早大卒業後の81年から社会人野球の新日本製鉄広畑でプレーし、88年のソウル五輪にも出場した。
現役引退後には新日鉄君津(現日本製鉄かずさマジック)の監督を務め、元ソフトバンクの松中信彦氏や元ロッテの渡辺俊介氏(現日本製鉄かずさマジック監督)らプロ野球選手を育てた。04年夏から早大コーチ。05年からは早大監督に就任し、元日本ハムの斎藤佑樹氏、楽天・福井優也、元西武で現コーチの大石達也氏らを指導し黄金期を築く。10年秋の明治神宮大会で優勝して退任した。18年に母校の崇徳監督に就任したが、病気療養のために監督を退いていた。
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