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アート熊手がかき寄せる新たな幸せのかたち。清水屋インタビュー - Qetic

アート熊手がかき寄せる新たな幸せのかたち。清水屋インタビュー - Qetic

17.50
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毎年11月の酉の日、関東各地の神社では「酉の市」が賑々しく行われる。各神社の境内では商売繁盛や家内安全を願う縁起熊手を販売する露店が立ち並び、熊手を買い求める客でごった返す。

そんな熊手の風習にとある老舗熊手商が新風を吹き込もうとしている。大正4年創業の清水屋が近年展開している「アート熊手」だ。仕掛け人は清水屋の4代目、清水雄太と泰子夫妻。清水雄太は良質なダンスミュージックを提供することで国内外からの支持を得ている音楽フェスティヴァル<RAINBOW DISCO CLUB>(以下RDC)のオーガナイズ・メンバーでもあり、Yoshinori HayashiやFORCE OF NATUREなどのマネージメントも手掛けるエージェンシー「Eild」を経営している。熊手商の世界では異色の存在といえるだろう。

昨年は田名網敬一天野タケルなどさまざまなアーティストとのコラボレーションを果たしたアート熊手だが、今年は天野タケルに加え、タカハシマホkomiといった新たなアーティストを迎え、制作・販売される。その背景には、人々の幸福を願う熊手の本質を見つめながら、多様化する現代のライフスタイルに対応すべく熊手の文化そのものをアップデートしようという清水屋の思いがあった。清水雄太・泰子夫妻に話を聞いた。

INTERVIEW:清水屋

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©︎TORI no ICHI タカハシマホ×清水屋

アート熊手のはじまり

諸説あるが、熊手は秋の収穫物や農具が並ぶ農業市が原点とされている。落ち葉をかき集める熊手が「福をかき集める」ことから一種の縁起物とされるようになり、一年に一度熊手を購入し、家や店に飾る風習が定着した。そこには商売繁盛や家内安全、学業成就などを願う、その時代に生きる人々のライフスタイルが反映されている。

「当初は農村の収穫祭だったものが江戸時代の大衆文化のなかで現在のような形になったと考えています」──そう話すのは清水屋の4代目、清水雄太だ。1983年生まれの清水は、子どものころ、熊手商という家業についてどう感じていたのだろうか。

清水雄太「以前は大晦日にも熊手市が行われていて、家族でずっぱりで神社で年越ししていました。今と比べるとまだまだ熊手市の人出も多くて、賑やかな年越しでしたね。うちの父親は(家業を)無理やり継がせようという気はなかったようで、僕に仕事を教え込まそうともしなかったし、家に置いておけないから連れてこられたという感じでした」

そんな清水も思春期を迎えるころには音楽やアートへと関心が移り、家業に触れる機会も減ってしまう。熊手の文化を意識するようになったのは大人になってからのことで、アートやストリートカルチャーの文脈から熊手の魅力を再発見することになった。

清水雄太「それまでは熊手の意味やデザイン性についてあまり考えていませんでした。でもSNSに熊手の写真を上げると、外国の友達やアーティストから『あれはなに?』と聞かれるんですよ。そういった質問に答えるためいろいろ調べるなかで、熊手の歴史や背景を知っていったんです」

公私にわたる清水のパートナーである清水泰子もまた、夫の家業を手伝うなかで熊手への関心を高めていった。

清水泰子「私はもともと物を作るのが好きだったので、雄太のお父さんのお手伝いをするなかで『こういう熊手を作ってみたいな』『こういう熊手があったらいいのに』と妄想が膨らんできたんです」

そうしたなかで清水夫妻はアート性の高いオールブラックやオールホワイトの熊手を考案。「試行錯誤するなかでそういった熊手を酉の市で売ったりSNSに乗せたりしてたんですけど、結構反応が良かった」(清水雄太)ということから、さらなる展開を模索するように。それがやがてアート熊手という前例のないプロジェクトへと結実していくことになるのだ。

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2020年に発売した限定90個の小型熊手2種。わずか10分でソールドアウトし話題に。

アート熊手がつなぐ伝承のバトン

アート熊手の背景にあるのは、熊手という伝統文化に対する清水たちの危機感だ。アート熊手のコンセプトを解説するプレスリリースのなかで清水はこう書いている。「人々のライフスタイルが多様化した現代において、熊手の飾りが江戸時代からほとんど変化がないのは、その本質に沿ってはいないのではないか?」。清水はその言葉をこう解説する。

清水雄太「よくこんな質問をされます。『熊手って商売をやってないと買っちゃいけないんでしょ?』とか『毎年大きくしないといけないんでしょ?』とか『絶対値切らないといけないんでしょ?』とか。確かにこれらは当時「粋」とされていた行為ですが、絶対ではなく本質から逸れたイメージが広がっているんです。熊手はもともと豊作を祝うものだったわけですけど、それから商売繁盛や長寿を願うものとなっていった。でも、今は幸せの形も多様化していますよね。それなのに熊手の形は江戸時代のままで、現代人からするとピンとこないのも当然だと思うんですよ」

これはあらゆる伝統行事や伝統文化が抱える課題でもあるだろう。たとえば、かつては農村のなかで五穀豊穣を願うという目的のもと行われていた祭りが、周囲が宅地化されたことで従来の目的を見失うというケースは日本各地で見られるものである。祭りの目的が現代の暮らしとマッチしていないわけで、そうなると担い手たちのモチベーションもなかなか維持しにくい。そうやって多くの祭りや伝統行事の伝承が途絶えているのが現状だ。

熊手商の世界もまた、伝承に対する危機感を抱えている。

清水雄太「僕らが出店している酉の市は東京も埼玉も確実に人が減ってきていますね。当然売れる本数も少なくなっているし、熊手商以外の露店の数も減りつつある。僕は今、39歳なんですけど、かなり若いほうなんですよ。跡継ぎがいないところもすごく多いんじゃないかな。熊手商は「キワモノ」と言われる、いわゆる季節商売なので、続けていくのはなかなか厳しいというのが現状です」

現代アーティストの視点を借りながら、現在のライフスタイルにマッチした熊手を作ることはできないだろうか?――清水屋のそうした試みは、クリエイティヴなものであると同時に、伝承のバトンを次世代へと繋ぐためのチャレンジでもあるのだ。

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大正4年創業の清水屋の熊手。今年も田無神社にて、色とりどりの熊手が販売される。

<RDC>で気づいたコスパを考えない暮らしの大切さ

清水雄太はプレスリリースのなかでこのようにも書いている。「合理的だったり、コスパという言葉が持て囃される時代において、熊手のような全く別のベクトルを持つものに惹かれる人は多い」――熊手に限らず、伝統文化や伝統芸能、アート、音楽は合理性やコスパを重要視する価値観とは相容れないものであって、本来真逆のベクトルにあるものである。清水はこう続ける。

清水雄太「不要不急っていう言葉がありますけど、音楽にしろイヴェントにしろ、僕は普段から不要不急の仕事しかしてないんですよ。熊手だって制作には手間暇かかってるけど、基本的に一年で交換しちゃうものだし、正直ないと困るものじゃないですよね。部屋のなかでも場所をとるし、コスパとか合理性を考えたらまずいらないものだとも思います(笑)。でも、そういうものこそが人の気持ちを支えてくれると思うんですね。それに気づいたとき、自分のなかですごく腑に落ちる感覚がありました」

そのスタンスは清水雄太がオーガナイズに関わる<RDC>にも共通している。

清水雄太「<RDC>は基本的に3日間やってるんですけど、3日間伊豆の野外で過ごすこと自体ハードルが高いし、来る側からしたら大変なことも多いと思うんですよ。でも、僕らは3日間でひとつの作品だと考えていて、そのなかで音楽が中心ですが、同じくらいお客さん1人1人がどういう経験をするかということも大事だと思っています。だから、便利にしようと思えばできる部分もあるんですけど、あえてハードルを下げない。トイレとかご飯に関してはホスピタリティをしっかり持とうと思ってるんですけど、すべてにおいて下げすぎないということは意識しています」

毎度東伊豆で開催される<RDC>では誰もが普段の生活から強制的に切り離されることになる。だからこそ、特別な開放感を得ることができるのだろう。清水もまた「<RDC>のお客さんは東京か海外の人が多いんですけど、1日目ってみんな東京の顔をしていて。でも、3日目になると顔が違うんです」と話す。

合理性とコスパを重視した生活空間はそれはそれで居心地のいいものだ。だが、無駄なものを廃した空間には特有の息苦しさがある。熊手は決して生活に欠かせないものというわけではないが、「福をかき集める」というある種のとんちが効いた縁起物があるだけで、生活空間は色鮮やかになる。熊手の素朴な信仰心は、日々の支えにもなることだろう。そこには現代における熊手の存在意義・意味があるようにも思えるのだ。

天野タケル、タカハシマホ、komi…アップデートするアート熊手

2020年、清水屋は画家・天野タケルと3種のアート熊手を制作する。制作された熊手のうち、限定90個が作られた小型熊手2種はわずか10分でソールドアウト。大型熊手もアートコレクターが購入し、各メディアで話題を集めた。

清水雄太「自分たちで試行錯誤してる時期が何年かあって、もうちょっと大きくしたいからアーティストとやってみようと考えたときにまず頭に浮かんだのがタケルくんでした。タケルくんは古い友人なんですよ。昔から僕のイヴェントで絵を描いてくれていたし、うちの熊手を買ってくれていました」

天野がデザインした熊手は女性のキャラクターなどが乗ったポップなものだが、「熊手として変えちゃいけない部分」もはっきりと意識されている。そこには熊手という伝統文化を継承するものとしての清水屋の矜持も表れている。

清水泰子「熊手は伝統文化でもあるので、最低限守らないといけないものがあると思っています。熊手には幸せをかき集めるという意味があるし、熊手についている桝には『ますます繁盛』という意味があるんですね。そういった部分もゼロにしてしまうのは抵抗感があります」

清水雄太「熊手に乗せるものには厳しい決まりはないんですよ。でも、なぜこれが乗っているのか説明できないといけない。例えばオールブラックの熊手にしても、黒だから不吉な色なのかというとわけではなくて、僕らとしては『黒字の黒』なんです。アート熊手なんて作っていると、当然『これってどうなの?』という人も出てくると思います。でも、作ったものの意味を自分たちが理解していて、なおかつ『幸せを願うものである』という熊手としての本質を見失わない。そこが一番大切な部分だと思っています」

2021年には前年度の企画を拡大する形でアート熊手企画展が開催。田名網敬一、天野タケル、愛☆まどんな、KINJOといったアーティストが参加し、前年以上の話題も集めた。また、同年にはウォルトディズニー社からの依頼で「スター・ウォーズ」のドラマシリーズ『ボバ・フェット』の成功を祈願したオリジナル熊手を制作。2022年1月の数日間、原宿の東急プラザ入口に展示され、こちらも大きな注目を集めた。

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第3弾となる天野タケルとのアート熊手。今年はネオンも制作された。

2021年はウォルト・ディズニー社からの依頼で、スター・ウォーズのスピンオフドラマシリーズ「ボバ・フェット」の熊手を制作。

そして、本年度。レギュラーメンバーとなった天野タケルに加え、今回は4組のアーティストが参加することになった。

ひとりめは成田山にルーツを持ち、スケートボードのデッキなどをキャンバスに腕を振るうSkateboard Shaper / 画家のkomi。彼とのコラボレーションでは清水屋にとっても初のアイデアが試されている。

清水雄太「熊手の世界には熊手問屋さんがいます。熊手のパーツをたくさんストックしていて、各熊手屋さんは熊手問屋さんから好きな絵柄を仕入れ、自分たちのスタイルで組んでいくんですね。そこは熊手商の腕の見せ所なんですけど、パーツに関してはどこも一緒だったりする。今回はパーツ自体もオリジナルにしちゃおうと思って、komiくんに何枚か描いてもらいました。アーティストとの限定コラボだと、どうしても制作コストも膨らんでしまうので、販売価格は通常よりどうしても高くなってしまうんです。komiくんは、昨年一緒に熊手を作ったアーティストのKinjo君が紹介してくれたんですけど、作品を見たら熊手にバッチリだし、ストリートシーンで活動しながら、なおかつ実家は成田山でお祭りにも積極的に参加している。アート熊手のデザイン性の部分を昔ながらの熊手にも取り入れていきながら、手にとってもらいたい、という考えを一緒にやってくれる人としては、物凄い良縁だと思い、お声がけさせてもらいました。彼が描いてくれたパーツは清水屋の熊手に使用されて、酉の市で販売されます。来年もまた少し彼の絵柄を増やしたいし、同様のことを別のアーティストともやりたいです。

タカハシマホさんは新宿・花園神社前のギャラリー、New C’s Studioさんが引き合わせてくれました。New C’s Studioさんは熊手に関するアート作品をやりたいと常々思っていたところ、うちの活動を見てくださったようで、『ぜひ一緒にやりたいです』とお話をいただきました。マホさんに関しては、僕らが問屋さんにお連れしたり、サンプルを貸し出ししたり、監修のような形で関わっています。

あとの2組はNFT熊手なんです。データだからこそできる熊手の表現があると思っていて、コストや設計の問題で現状は難しいものもNFTだとできる。熊手を海外に伝えるための足がかりになればと考えていて、僕は去年から興味を持っていました。今回はコレクティブスタジオXYZAの企画で、新星ギャルバースさんと、sneakerwolfさんの2組が参加してくれています。こちらは12月の中旬までにはリリースできると思います」

居住空間の狭い現代の都市では、熊手をセッティングする場所も取りにくい。NFTはそうした課題を解消するだけでなく、海外に向けて熊手の精神性を広くアピールすることもできる。そうした意味でも今回のプロジェクトは熊手の「これから」をはっきりと意識したものでもあるのだ。

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タカハシマホのアート熊手はNew C’s Studio.で展示販売中。
©︎TORI no ICHI タカハシマホ×清水屋

清水屋が立ち返る熊手の本質とは?

アート熊手の世界は年を追うごとに拡張しつつあるわけだが、清水夫妻はアート熊手という手法を清水屋オリジナルのものにしておきたいのだろうか。あるいは彼らの手を離れてミーム的に広がることを望んでいるのだろうか。清水の回答は淀みないものだった。

清水雄太「僕の考えは完全に後者ですね。うちでアート熊手を囲い込むのは自分たちの最初の動機からかけ離れる行為だと思うんですよ。だからどんどん広がってほしいです。ただ、文化や意味、基本的な作り方みたいなものは理解した上でやってほしいなとは思います」

その言葉には清水が今回の取材中何度か口にしていた「熊手の本質」が踏まえられている。暮らしのなかでの多種多様な願いを受け止め、生活空間を豊かにするもの。それは「豊作を祝うもの」という縁起熊手の原点から今も変わらない。

なお、清水夫妻はアート熊手という新しい領域に挑みながらも、毎年の酉の市にも清水屋の一員として立ち続けている。いくらNFTによる熊手にチャレンジしつつも、彼らの原点は常に酉の市という現場にあるのだ。

清水雄太「熊手の魅力はやっぱり現場にあると思うんですよ。僕らもお客さんとは1年に1回、酉の市で会うだけの関係性なんですが、それが2、30年単位で積み重なってくると、お客さんの息子たちも一緒に来るようになる。なかには泰子からしか買わないというお客さんもいます。『1年前買ったときに彼女と話したことが忘れられなくて、今年も来ました』という。そこにはコスパや合理性とは無縁の、酉の市ならではのコミュニケーションがあると思うんです。パーティーやアーティストエージェンシーもそうですけど、誰かの気持ちに残る時間に関わりたいんだと思います、きっと」

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Interview, Text:大石始
Photo:YUTARO TAGAWA

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内田雄馬、初の武道館公演に感激「みんなと一緒に歩いてここまで来た」 - スポーツ報知

内田雄馬、初の武道館公演に感激「みんなと一緒に歩いてここまで来た」 - スポーツ報知

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 声優・内田雄馬が13日、東京・日本武道館で、12日から2日間に渡り単独ライブを行った。

 1日目を「Gratz!」、2日目を「your world, our world」とし、それぞれで異なるコンセプトのステージを披露。内田にとって過去最大規模の会場で、初めて生バンドを携えた。各日ともに2時30分に及ぶ公演で、デビューシングル「NEW WORLD」など22曲を披露。2日間で1万6000人を魅了した。

 アーティストデビュー5周年を迎える中で、初の武道館公演を実現した内田は、「こうして武道館に立たせていただける日が来るとは.…。本当にこれは皆さんのおかげです。内田雄馬は1人では本当に何もできないんです。ただ、そんな僕には支えてくれるたくさんの仲間、そしてみんながいます。ここは、そんなみんなと一緒に歩いてここまで来た武道館です」と感謝を言葉にした。

 ライブでは、来年5月14日の新潟県民会館を手始めに、6都市9公演のツアー開催を発表した。

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「来るたび元気もらう」 ジャズピアニスト小曽根さん、掛川・ねむの木学園で演奏|あなたの静岡新聞 - あなたの静岡新聞

「来るたび元気もらう」 ジャズピアニスト小曽根さん、掛川・ねむの木学園で演奏|あなたの静岡新聞 - あなたの静岡新聞

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 世界で活躍するジャズピアニスト小曽根真さんが7日、掛川市上垂木のねむの木学園を訪れ、利用者に演奏を届けた。「ここに来るたびに元気と生きる力をもらっている」と語り掛け、再訪を約束した。

利用者にピアノ演奏を届ける小曽根さん=掛川市上垂木のねむの木学園
利用者にピアノ演奏を届ける小曽根さん=掛川市上垂木のねむの木学園

 小曽根さんは学園創設者の故宮城まり子さんと共通の知人を介して知り合ったのが縁で、たびたび同学園を訪れている。「ただいま」とあいさつしながら音楽仲間2人と共に入場し、即興曲やオリジナル曲を演奏した。利用者は手拍子を交えて鑑賞し、歌とダンスで返礼した。
 小曽根さんは7月に兵庫県内で開かれたコンサートの帰路も単独で同学園に立ち寄り、利用者に「次は友人と一緒に演奏を披露する」と約束していた。

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岸谷 香《東京 MY STORY》「焼き鳥 彦一」目黒区・学芸大学(前編):東京新聞 TOKYO Web - 東京新聞

岸谷 香《東京 MY STORY》「焼き鳥 彦一」目黒区・学芸大学(前編):東京新聞 TOKYO Web - 東京新聞

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ミュージシャンの岸谷香さんが、東京の街と体験を重ねて綴ります。人生の大半を東京で過ごしてきた岸谷香さんが、それぞれの時代の東京の街模様を、自らの体験や大切な思い出と重ねて書き綴るエッセーです。リアルだからこその共感あふれる連載です。

第18回「焼き鳥 彦一」目黒区・学芸大学(前編)

 東急東横線の学芸大学駅。
 特別大きな駅でもないですが、私にとってこの学芸大学駅はたくさんのストーリーが詰まった、大切な駅です。改札を右に出て、すぐの小道を右に入っていくと、右手に小さな焼き鳥屋さん、「彦一」がありました。

 カウンターがL字型になっていて、12~13人も入れば満席の、細長い小さなお店でした。公にお酒が飲めるようになってすぐの頃、同じ事務所の先輩バンド、「レベッカ」のキーボードの土橋さんに連れていってもらったのが最初でした。「香、美味しい焼き鳥食べに行くぞ!」大先輩に誘われてくっついて行ったのです。土橋さんは常連客だったようで、私もすぐに顔を覚えてもらい、通うようになりました。

 お父さんとお母さんが2人で仲良く、時に口喧嘩をしながら(笑)細長い調理場の奥でお父さんが焼き鳥を焼き、手前側でお母さんが、おにぎりや炒め物のお料理をしていました。自家製明太子を作ったり、夏にはきゅうりと大根の糠漬け、冬は白菜を漬けて、お漬物が変わると、あ〜季節が変わったんだなー、と感じていたものでした。

 20代、30代前半は、本当に常連さんです!と胸を張れるぐらい通っていました。もしかしたら、私の55年の人生の中で最も回数通ったお店かも…いや絶対そうですネ、あんなに通いつめたお店は後にも先にも「彦一」だけです。

 メニューは至って普通の焼き鳥屋さん。でも、お父さんお母さんが熊本の方で、焼き物以外の自慢のメニューは「馬刺し」で、私は馬肉は食べられないので、実は食べたことは無いのですが、数多くの私が連れて行った友人知人スタッフ…馬肉好きの人は皆さん「さすが熊本の馬刺し!!」と言って食べていました。そしてその馬肉の一部と(よくわからないですが、いわゆるモツと)大根やこんにゃくとをグツグツした「煮込み」も看板メニューで、大人気でした。…が、私は実はモツも苦手で(笑)…最初は友人知人の注文するモツ煮込みのコンニャクや大根をちょっとつまんでみては「味は美味しい〜♡」と思っていましたが、10年以上通う間にいつの間にか食べるようになっていました(笑)。

 さて、焼き鳥屋さんですから、主役は串です!!
 私のイチオシは「つくね」でした。どうしてなのか、何度もお父さんが説明してくれましたが、だいたい酔っぱらっていてあまり覚えていないのですが、とにかくふわっふわでまん丸で大きなつくね…本当に本当に大好きでした。まず1本目はつくね。いつの日か「ニラ入りつくね」が登場していましたが、プレーンもニラ入りもどちらも甲乙つけ難いつくね達でした。あーたべたい(涙)。

 私の2本目はレバー(ウェルダンで)です。基本レバーは苦手で(なんだか大好きなお店の割に苦手ばかりですネ…笑)他ではほとんど食べなかったのですが、ある日お父さんが美味しいよって言うもんで、「じゃ、よーく焼いてネ」とお願いして食べてみると、モフモフしてとても美味しく感じたのです! そこからここぞとばかり栄養とるぞー!といつもレバーを塩でウェルダンで注文していました。他のお客さんは、きっと皆さんレアのプリッとしたレバーがお好きだったんでしょうけど、私のレバーだけは特別仕様でした!

 ここで焼き鳥好きだと砂ぎもやハツなどにいくのでしょうが、ほんと書きにくいのですが、砂ぎももハツもあまり得意ではなくて…(笑)。

 私の3本目はいつも「ナンコツ」。コレがいい塩梅でお肉が付いていて、あの微妙なバランスは、未だかつて他の焼き鳥屋さんで出会った事がありません。お父さんこだわりのバランスだったんだと思います。よーく語ってくれました。

 そして、このお店は串の1本1本が大きくて、3本食べてビールをジョッキ(これが冷凍庫でキンキンに凍ったジョッキでくるんです!) 2杯飲むと、一旦休憩しておしゃべりでもしないと、次が食べられません。

 焼き鳥のお皿に添えられてくるおかわり自由のキャベツ(と、何やらサッパリしてとても美味しいドレッシング)をつまみながら、日本酒や焼酎に移ります。気分で日本酒の日もあれば、ボトルキープ(常連の友人と連名で入れて、ボトル飲み干した方が次のボトルを入れるルール!)してある焼酎にキュウリの輪切りを入れてロックで飲むのがお気に入りでした。
 
 キュウリ嫌いの人は倒れそうでしょうけど(笑)。コレが、何故だかメロンの香りがして、すごくサッパリして塩味の焼き鳥と相性バツグンでした。

 そうそう、ある時一緒にレコーディングをしていた(私が曲を提供してプロデュース)森口博子ちゃんを連れていった時の事です。彼女は福岡の子なんですが、その焼き鳥と一緒にやってきたキャベツを見て、「懐かしい!!!お父さんお母さん九州の方ですか!?」と叫んだのです。「九州の焼き鳥屋さんは必ずこのキャベツ(生のキャベツをただザク切りにしただけ)にドレッシングかかって出てくるんですよ!懐かしいーー!!!」と盛り上がっていました。なんかいいなぁ〜田舎のない東京っ子の私にはちょっと羨ましい瞬間でした。

 さて、脱線しましたが次のメニューにいくと…私がよく次に注文していたのは「銀杏」です。カラ付きのまま、割れ目を入れて焼いて、お皿の端っこに盛ってあるお塩をチョンチョンして食べます。おしゃべりしながらカラをむいてチョンチョンする…なんとも丁度良いおツマミでした。
ここでお腹がすいている日は、「野菜炒め」や「豚キムチ炒め」「豚ナンコツ炒め」などにいきます。このナンコツは、串のナンコツとは形状が違い、コリコリしていて、玉ねぎなどの野菜と一緒に炒められていて、これもチビチビつまむのに最高でした。

 どっぷり飲みたい時は「お母さん手作りの自家製明太子!!」。全然しょっぱくなくて、なめなめしながら日本酒…は最高でした。本当に本当に美味しい明太子でした。あー今でもお母さんの味が、口の中に蘇ってくるようです!

 因みにこれぐらいになると、当然ビールも2杯は飲んでるし(夏はもっと!)トイレに行きたくなります。これが、トイレが一番奥にあるので、入口近くの席に座ると全お客さんの背後を通って「あ、すいません」とか言いながらトイレに行くことになるのですが、L字型のカウンターなので、お客さんの顔を見渡す事は簡単で…いつの間にか、なんとなくよく見るお客さんと、いわゆる顔見知りになり、「あらどーもー」とか言いながらトイレに行くのも悪くない感じでした。昭和な感じ!?(笑)

 私もそもそもレベッカの土橋さんに連れて来てもらったのが最初でしたが、バンド全盛時代という事もあり世間はバンドブームだったので、ミュージシャンが友人ミュージシャンを連れてきたり、又、近くに音楽事務所があったり…とかで、音楽業界のスタッフやバンドマンの出入りがとても多い時期がありました。ガラッと入口を開けると、たまたま偶然いくつものバンドのメンバーがそれぞれ友人知人と飲んでいたこともよくありました。そんな時は、あえて挨拶せずに席に座り、トイレに立った時に「あー、どーもー、プリプリで〜す」「あ!どーもー、B’zでーす」とか、「おや!ジュンスカじゃーないですか!!」「おや!プリプリじゃーないですか!!」などとオチャメに挨拶を交しながらトイレに行ったりしていました(笑)。

 カウンターのみのお店だけに、あまり大人数で行くお客さんは居なかったので、そのプライベート感と、一応挨拶ぐらいはね、のバランスがとても良い店で、例え友人でも、合流して一緒に飲むことはあまりない、それぞれが一緒に来た友人知人と飲むのを楽しむお店でした。

 お父さんお母さんは絶妙なタイミングで話しかけたりかけなかったり…。深刻な話をしてるのか、どーでも良い話をしてるのか、見りゃ一発なんでしょうね。話したい時はいつも必ず話しかけてくれて、それどころじゃない時はたったの一度も話しかけられた記憶はありません。プロだったんだなーと今、書いてて思います。

 こんなエピソードもありました。
 私が20代前半の頃は、まだ携帯電話がなく、飲みに行く時は、必ず母に「○○の店に××さんと一緒に行く」と伝えなくてはいけませんでした。

 午前0時近くまで飲んだくれていると、ナント母から店に電話があり(彦一にはカウンターの真中にピンク電話がありました)「香ちゃん、お母さんからよ〜」とよーく電話をつないでもらいました。うちの母のスゴイところは、例えばスタッフの○○さんと2人で飲んでると言うと、その人と替われって言うんです。「お世話になります」と母は挨拶。

 その後必ず「申し訳ないんですが、1人でタクシーに乗せるのが心配なんで、できたら送ってもらえませんでしょうか!?」って言うんですヨ! 普通男性スタッフだったら逆に「何かあってもいけないから一人でちゃんとタクシーで帰ってきなさい」と言われるのがポピュラーかと思うのですが、うちの母は「家までタクシーで送ってください」って言うんですヨ。
 
 びっくりですよね(笑)。 どうやら母は一人でタクシーに乗って嫌な思いをしたことや怖い思いをした事があったようで、よくタクシーには一人で乗るなって言っていましたが、散々飲んで家まで送ってくれって言われる友人知人、スタッフ…みんな内心「え〜!?」と思ったに違いありません。もちろん、年下の後輩などには言いませんでしたヨ、でも年上の友人、スタッフには、よーくお願いしていました。

 しまいに、頻繁に飲む相手は、家までタクシーで送ってくれた上に母に挨拶までして帰っていましたよ、きっと、ちょっと迷惑な母でした(笑)。

 さて、またまた話がそれましたが、メニューに戻りましょう。
 そろそろベロベロですからシメないと、ですね。
 大人気は「しぐれのおにぎり」「おじや」でした。しぐれのおにぎりは、あさりのつくだ煮のおにぎり。程よく小さめ1個をお母さんが握ってくれます。おじやは玉子のおじや、飲んだ後には本当に最高の一品でした。

 お米の気分じゃない時は、私は「うずらの玉子」の串や、最後に再びつくねでシメたり。お父さんが美味しい焼き鳥屋は実は手羽先が美味いんだ!と口ぐせのように言っていたので、時間をかけて焼いた塩の効いた手羽先も、最後の一品に本当によく食べました。

 裏メニューもありました。
 お父さん自慢の「皮」です。丁寧に丁寧に下処理をして、無駄な油(脂肪)をキレイに落として、ゆっくりカリカリに焼いた皮。下処理に時間と手間がかかるので、一日に沢山仕込めず、いつの日か、気付くとメニューから姿を消していて、「アレ!?お父さん皮は!?」と聞くとコソコソ声で、「皮はね、下処理が大変で一日ちょっとしか仕込めなから メニューから外したんだけど…香ちゃん食べたい!?」「もちろん食べたいよー!」…てな感じで皮ファンの、常連さんにはコッソリ出していたようで、しまいに「来る前一本電話ちょうだい、皮仕込んどくから!!」ってな具合で、人気の裏メニューとなった訳です。

 海外から帰ってきて、彦一恋しいモードになっている時、たとえ仕事の終わりが本来の閉店時間の午前0時近くでも「片付けしながらで良ければいいよ、おいで」と言ってくれて、お父さんお母さんがお店ののれんをしまって片付けしている中で恋しい彦一を味わったり、仕事がちょっとキツい時に、「焼き鳥食べておいしいお酒飲んでリラックスして、また明日頑張ればいーんだよ〜」なんて言ってもらうと、ホント泣きそうでした。

 そして、そろそろもう帰んなさいの合図は、お味噌汁。お母さんが、黙ってササッと作ってお味噌汁を出してくれて、「ハイ、これ飲んで帰りなさい〜」と言ってくれるんです。なんか、本当に「お母さん」でした。みんなのお母さん。

 プリプリのコンサートに家族でご招待した時もありました。日曜日、お店がお休みの日にコンサートがあり、「たまには酔っぱらいじゃないところも見て〜」とご招待したら、なんとつくねをスタッフ楽屋とメンバー楽屋に、合わせて100本ぐらい焼いてきてくれて…せっかくのお休みの日に申し訳ない事したなー…と思いましたが、スタッフはもう大喜びで「ビール飲みてー」とか言いながらみんなつくねをほおばっていました。最高の差し入れでした。
 
 今になって思えば、小さなお店ですから、会話だって聞こえちゃうし、顔だってバッチリ見えます。きっと私だけではなく、仕事で疲れて彦一に立ち寄って、大切な時間を過ごしているお客さんの一人一人のリラックスを最優先してくれていて、時にお店を覗いてみた一見さんを「今日はもう予約いっぱいで…すみませんねー」とかお断りしている姿や、お父さんがちゃんとお店のお客さん一人一人の事情を理解して守ってくれてる感じがひしひしと伝わっていました。お父さんの愛にあふれた店、焼き鳥彦一だったなぁ。胸がキューンとします。

 その彦一は、数年前、閉店となりました。ご高齢のお父さんお母さんが引退して、息子さん夫婦が後を継いでいました。その時も何度も足を運びました。私よりちょっと年上の息子さんでした。その2代目彦一もついに閉店。

 今はもうない、学芸大学駅のすぐ側の焼き鳥彦一。私の人生で一番慌ただしく駆け抜けていった20代30代。ゆっくり心を休めて美味しいお酒と焼き鳥とおしゃべりを楽しめた、人生で一番通った大切な思い出のお店。きっと生涯、彦一を越えるお店は現れないと思います。何故ならそこには店と常連客の関係だけではなく、心の繋がりがあったからですね。彦一は、一生大切な私の焼き鳥屋さんです!! お父さんとお母さん、改めて沢山の思い出をありがとうございました。

 前編は学芸大学の焼き鳥屋さんにまつわる美味しいMY STORYでした。後編もお楽しみに!!

★次回更新は、11月23日(水)更新予定です。
お楽しみに。

岸谷 香
1996年5月31日、武道館公演をもってプリンセス プリンセスを解散。1996年結婚。
1997年奥居香ソロとしてシングル「ハッピーマン」を発売し、ソロ活動をスタートさせた。
2001年子供を授かったことをきっかけに岸谷香に改名。
2012年、東日本大震災復興支援の為、16年振りにプリンセス プリンセスを一年限定で再結成。
2014 年ソロの活動を本格的に新たにスタート。2015年6月24日シングル「DREAM」を発売、
2016年5月、10年ぶりのオリジナルアルバム「PIECE of BRIGHT」リリース。
「KAORI PARADISE」と題し、ひとり弾き語りライブを毎年実施。
2018年ガールズバンドプロジェクトを立ち上げ、ミニアルバム「Unlock the girls」をリリース。
2019年3月豊洲PITにて東日本大震災復興支援ライブ「The Unforgettable days」を実施。
2020年2月には岸谷香感謝祭と題しゲストを迎えてのコラボライブを毎年実施。
2021年2月ミニアルバム「Unlock the girls3-STAY BLUE-」をリリース。
2022年5月からは3年ぶりになるバンドライブ55th SHOUT!ツアーを実施、
9月からはKAORI PARADISE2022が予定されている。


お知らせ
レギュラー
・ラジオNHK-FM「岸谷香Unlock the heart」
毎週金曜23:00〜スタート
・ニッポン放送「オールナイトニッポンMUSIC10」
毎月第四水曜日22:00~スタート

LIVE情報

【ROCKS FORCHILE TOYONAKA 2022】

【KAORI PARADISE 2022】

■11月12日(土)東京・江東公会堂ティアラこうとう
開場16:00/開演16:30 チケット料金 全席指定\6,000-
※2歳以下膝上1名まで無料(座席が必要な場合有料)3歳以上はチケットが必要。

【宝くじ文化公演 KAORI PARADISE 2022】

愛媛2公演は宝くじ文化公演となります。
チケットの販売は愛媛県在住の方のみが対象となりますので予めご了承ください。

■11月19日(土) 愛媛・八幡浜市文化会館 ゆめみかん
開場15:30/開演16:60
チケット料金 一般¥2,500- 高校生以下\1,500-
一般発売 2022年9月11日(日)
※宝くじの助成による特別価格
問合せ>八幡浜市文化会館 ゆめみかん 0894-36-3040

■11月20日(日) 愛媛・四国中央市土居文化会館(ユーホール)
開場15:15/開演16:00
チケット料金 一般¥2,500- 高校生以下\1,500-
一般発売 2022年9月14日(水)
※宝くじの助成による特別価格
問合せ>四国中央市土居文化会館(ユーホール) 0896-28-6353

【KAORI PARADISE 2022年末スペシャル】

■2022年12月27日(火)
ビルボードライブ大阪
1st ステージ 開場16:30/開演17:30
2ndステージ 開場19:30/開演20:30
サービスエリア¥8,400- カジュアルエリア¥7,900-(1drink付)
※追加ご飲食代は別途ご精算となります。
[お問い合わせ] ビルボードライブ大阪: 06-6342-7722

■2022年12月30日(金)
ビルボードライブ東京
1st ステージ 開場14:30/開演15:30
2ndステージ 開場17:30/開演18:30 サービスエリア
¥8,400- カジュアルエリア¥7,900-(1drink付)
※追加ご飲食代は別途ご精算となります。
[お問い合わせ] ビルボードライブ東京:03-3405-1133

Club BBL会員先行(先着)=11/7(月)正午より
一般予約(先着)=11/14(月)正午より

【岸谷香 感謝祭 2023】

出演:岸谷 香/Unlock the girls (ゲストあり)
公演日:2023/2/23(木祝)
会場:EX THEATER ROPPONGI
開場_16:45 開演_17:30
席種・料金(税込):全席指定 9,000円 (ドリンク代別)
一般券売日:12/17(土)予定
(問い合わせ)DISK GARAGE 050-5533-0888(平日12:00-19:00)

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November 09, 2022 at 07:55AM
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岸谷 香《東京 MY STORY》「焼き鳥 彦一」目黒区・学芸大学(前編):東京新聞 TOKYO Web - 東京新聞
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「第2回リラックマアンサンブルLIVE〜一緒に広げようごゆるりSDGs〜」 - PR TIMES

「第2回リラックマアンサンブルLIVE〜一緒に広げようごゆるりSDGs〜」 - PR TIMES

12.50
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サンエックス株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:千田 洋史)と株式会社CDG(本社:大阪市北区、代表取締役社長:小西 秀央、以下「CDG」)はこの度、リラックマ20周年記念イベント「アンサンブルツアー」の一貫として、2022年12月1日(木)に「第2回 リラックマ アンサンブルLIVE ~一緒に広げよう♪ごゆるりSDGs ~」を開催します。


本LIVE配信では、CDGのグッズ開発YouTubeチャンネル「MonoLabo Channel」にて、2022年7月13日からスタートしているアンサンブルツアーの最新情報をはじめ、ごゆるりSDGsの活動内容の紹介、前回のLIVE配信でファンの皆様と制作したオリジナルグッズの紹介などを予定しております。

また、今回はコリラックマと、アンサンブルツアーの連動企画で各地のこども食堂で料理を披露している、若手俳優の池田航さんを引き続きMCに迎え、番組を盛り上げます。

「アンサンブルツアー」のテーマは、SDGsをリラックマの観点で捉えた「ごゆるりSDGs」を広めることです。(詳しくはこちらhttps://www.san-x.co.jp/rilakkuma/sdgs/

本ツアーに直接来ることができない方も、視聴者参加型のオンラインライブを通して、リラックマやコリラックマと一緒にSDGsについて知り、考えることでそれぞれができるアクションをしていきながら、「ごゆるりSDGs」を一緒に進めていけたらと思っています。
 

  • 「第2回 リラックマ アンサンブルLIVE ~一緒に広げよう♪ごゆるりSDGs~」の概要
期間:2022年12月1日(木)20:00~
出演者:池田航さん、コリラックマ
配信:YouTube「MonoLabo Channel」
https://www.youtube.com/channel/UC7W3Szfy9C8LErPVnMpdjVQ
参加料:無料
参加申込:申し込み不要(当日、配信URLにアクセスするだけで参加可能)
内容:アンサンブルツアー・ごゆるりSDGsの最新情報をお届け
※ライブの内容や出演者は変更になる場合がございます。
特設サイトURL
アンサンブルツアー▶https://www.san-x.co.jp/rilakkuma/ensembletour/
ごゆるりSDGs▶https://www.san-x.co.jp/rilakkuma/sdgs/
 
  • 出演者情報


池田航さん

富山県出身 27歳
俳優。主な出演作はTokyoMX2「鎧勇騎 月兎」、TBS「グランメゾン東京」、NHK前期連続テレビ小説「ちむどんどん」レギュラー出演。
TikTokではフォロワー数120万人突破。「オム王子」としてたまご料理をはじめ、オリジナリティあふれる料理を発信している。

公式サイト▼
https://www.koh-ikeda.polarstar.tokyo/

 

コリラックマ

どこからともなくやってきた、白いクマの子。
リラックマの知り合いではなかったようだけど、胸に 赤いボタンがついているので、本物のクマではないみたい。
コリラックマと名付けたのはキイロイトリ。
いたずら大好きな、元気でやんちゃなコです。

  

  • 第1回ライブ配信での様子
7月29日(金)に配信したアンサンブルLIVE第1回目では、LIVE視聴者とコミュニケーションを取りながら、「ごゆるりSDGs」を後押しするようなオリジナルグッズを製作する商品開発企画を実施しました。
製作したグッズは「りらっくま茶房オンラインストア」にて12月10日(土)まで予約販売を受付しております。
りらっくま茶房オンラインストア▼
https://rilakkumasabo.shop/news/63368c8cabc35c75850050b8
 

 

●リラックマとは
リラックマはOLのカオルさんの家にいきなり住みついた着ぐるみのクマ。
毎日だらだらゴロゴロしています。
背中にチャックがありますが、中身は秘密です。
いたずら好きなやんちゃなクマの子・コリラックマと、働き者でキレイ好きなキイロイトリと暮らしています。
はちみつの森に住むチャイロイコグマは、コリラックマのお友達です。
詳しくは、https://www.san-x.co.jp/rilakkuma/profile/

●サンエックス株式会社について
リラックマ、すみっコぐらし、たれぱんだなど、自社デザイナーによる100%オリジナルキャラクター商品の製造・販売・ライセンスビジネスを手掛けています。
見た目はかわいいのに、くすっと笑えるシュールさがあり、人の心に寄り添い、包み込んでくれるような優しさを持つキャラクターたち。
その不思議な魅力と世界観に多くの人々が引きこまれています。世界中にキャラクターの癒しの力、優しさを届けるべく、様々なイベント、企業とのタイアップなど企画しています。
公式ホームページは https://www.san-x.co.jp/

●株式会社CDGについて
店頭からオンラインまでをつなぐプロモーショナル・マーケティング(IP×デジタル×リアルを軸としたマーケティング領域)の企画立案・実施をはじめ、クライアント企業の営業促進に向けた幅広い販促ソリューションサービスを提供。
消費者起点で立案・実施する効果の高いソリューションは、各業界のトップブランドを含む21業種以上の企業に導入いただいている。
1974年大阪で創業、2022年3月度連結売上高11,261百万円、グループ従業員数268名(2022年3月末現在)。
大阪本社とともに、千代田区有楽町に東京本社を構える。東証上場(証券コード2487)。
公式ホームページは https://www.cdg.co.jp

©2022 SAN-X CO., LTD. ALL RIGHTS RESERVED.
 

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ペン粒選手を倒す為の戦術と注意点|頭で勝つ!卓球戦術 | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ) - 株式会社ピンポン

ペン粒選手を倒す為の戦術と注意点|頭で勝つ!卓球戦術 | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ) - 株式会社ピンポン

08.50
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卓球ライター若槻軸足がお届けする「頭で勝つ!卓球戦術」。今回は「ペン粒選手を倒す為の戦術」というテーマでお伝えしておく。「ペン粒」とは御存知の通りペンホルダーの表面に粒高ラバー、裏面に裏ソフトラバーを使用し、主に粒高の特性を活かして前陣で相手を揺さぶるプレーを得意とする戦型である。

このスタイルはある一定以上のレベルよりも勝ち上がるのはどうしても難しく、トップレベルで活躍する選手で目にすることはほとんどない。そのため、ペン粒の選手の数は少なく、ペン粒の選手への有効な戦い方がわからないという方も多い。そんな方は今回の記事を参考に、ぜひ一緒にペン粒対策を学んでいこう。

このページの目次

ペン粒選手を倒す為の戦術①:下回転に対して強打してはいけない

ペン粒の最大の特徴、それはどこのコースへ打っても粒高ラバー独特のボールで返ってくる、ということである。シェークバック粒の場合はフォア面には粒高ではないラバーを貼っているため、フォア側を狙うなどの作戦が立てやすいのだが、ペン粒だとどこに打っても基本的に粒高で返球される。

そこでやってしまいがちなのが、下回転のボールを強打し、その後も全部のボールを攻撃しようしてしまうことだ。これは絶対にやってはいけない。

粒高の基本的な性質として、こちらのドライブ回転のボールは下回転になって返ってくる。それをドライブで打っても、また下回転で返ってくる。いわば、前陣カットマンと試合をしているようなものである。これは非常にやっかいである。

卓球台から下がった位置にいるカットマンに対してドライブを連打するのでさえ、それなりに体力を使うはずだ。それが前陣となると、こちらに返ってくるまでの時間的余裕がほとんどなくなり、結果的に十分な打球準備が整えられずに打ちあぐねる、あるいは山なりのボールになる、そして相手にチャンスを与えてしまう。

こうなると、ペン粒プレイヤーの思うつぼである。

特に下回転のボールはゆっくり飛んでくるので、つい打ち込みたくなるのだが、そうするとペン粒の土俵に引きずり込まれてしまう。いきなり下回転のボールを攻めようとするとどうしても打点が落ちたループ気味のドライブになってしまい、簡単にブロックされてしまう。

しかも、こちらの攻撃が良いボールであればあるほど、返ってくるのは下回転が強く、球足の早い良いボールであることが多い。浮いたチャンスボールで確実に決めきれる自信があるときは強打してもよいが、そうでない場合、ペン粒選手の下回転に対して強いボールを打ち込むことは得策ではないのである。

ペン粒選手を倒す為の戦術②:上回転をねらう

では、いよいよペン粒選手に対して有効な戦術についてお伝えしていこう。それはずばり、「上回転を狙う」という作戦だ。

まずサーブを持ったときは基本的にはロングサーブで攻めていく。回転はさほど気にしなくてよいので、低く早く、質の高いロングサーブを、まずは相手のバックに出そう。粒高でレシーブされたら、次の返球は下回転のボールで返ってくるはずだ。

それに対して3球目攻撃はせずに、ツッツキで相手のバック深くへ返球しよう。次はおそらく粒高でプッシュ性の上回転のボールが返ってくるはずだ。こちらのフォア側にストレートに速いボールが来ることも待ち構えて、やや距離をとり両ハンドで構えておく。そして、返ってきたボールをなるべく早い打点で相手のフォア側へドライブするのだ。

ロングサーブを出す、ツッツキをする、返ってきた上回転を早い打点でフォアへ5球目攻撃。これが初心者にもおすすめできる最も簡単な戦術だ。

5球目攻撃時は「決めきろう」と考える必要はなく、なるべく早い打球点で打つことを意識すると良いだろう。うまくいけばそのまま得点になるし、返ってきたボールが甘ければ、再びフォアサイドを狙って強打で決める。これが、私が考えるペン粒に対しての鉄板の戦術だ。

注意点①:裏面での攻撃

ペン粒と対戦するときに注意したいのが裏面での攻撃だ。ペン粒選手は基本的に裏面に裏ソフトラバーを貼っていることが多いので、粒高ラバーとの球質の違いに翻弄されないようにしたい。警戒すべき点は2つで、ツッツキをバックに送った際の裏面バックドライブと、こちらの攻撃に対する裏面を使った「伸びるブロック」だ。

とはいえ、裏面バックドライブは実はそれほど警戒する必要はない。なぜなら先述の通り、ペン粒選手が得意とするプッシュは上回転のボールであり、裏面バックドライブも同性質のボールだからだ。

しっかり台と距離を保ち、打てそうならフォアにカウンター、無理なら落ち着いてブロック。次のボールを強打されても焦らずラリーを続けて、また上回転のボールが来たらそれを狙う、という作戦で問題ない。

問題は裏面での「伸びるブロック」や、裏面でのカウンターだ。こちらが回り込んでフォアドライブを打っても、裏面でストレートにブロック、もしくはカウンターをされてノータッチで抜かれる、といったケースが多い。

この場合の対処法としては、相手のバック側に強いボールを打たないことである。仮にバックに打つ場面があっても、繋ぎのドライブ程度に留めるべきであり、ペン粒相手には、強いボールはフォアサイドに打つということを徹底しなければならない。

注意点②:フォアハンドでの攻撃

そうなると次に注意しなければならないのは、ファハンドでの攻撃である。粒高といえども攻撃が上手な選手は多い。しかも粒で打たれると非常にいやらしいボールになるので、ブロックするのは相当やっかいである。粒高で攻撃されるという展開はできるだけ避けたい。

ただし、もし粒高で打たれそうなときでも、打たれる可能性が高いコースというのがある。それは相手のフォアからストレート、つまりこちらのバック側にシュート気味に来るコースだ。

これはラケット面を被せるよりも開いた方が強いボールが出やすいことと、それでも粒高のボールのスピードは裏ソフトには劣るので、受け手が取りにくいストレートコースを選択する、ということが理由として挙げられる。なのでフォアサイドに浮いた場合は、やや下がってバック側でブロックで待てばよいだろう。

もちろん、粒高で強打するのも相当緻密な技術が必要であるのも事実であるため、「フォア側のボールが全部打たれる」ということはまずないだろうが、それでも安易に浮いたボールを送るのだけは避けたい。

まとめ

簡潔にまとめると、ペン粒選手に対する戦術はこうだ。

①ロングサーブからの5球目攻撃
②上回転のボールを狙ってフォアへ強打
③打たれるときはストレート待ち

これだけを意識すれば、ペン粒との戦いは相当楽になるだろう。普段対峙するケースが少ないので戦い方が分からなくて負けてしまう、ということにならないよう今回の記事を参考に対策して頂ければ幸いである。

若槻軸足インタビュー記事

>>『頭で勝つ卓球戦術』シリーズ著者・若槻軸足が社会人で全国5回でられたワケ

若槻軸足が書いた記事はこちらから

>>【連載】頭で勝つ!卓球戦術

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November 08, 2022 at 07:00AM
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夫が20歳も若い女性とデートした日|ウートピ - ウートピ

夫が20歳も若い女性とデートした日|ウートピ - ウートピ

12.50
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小説家の森美樹さんが自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する日々を綴るこの連載。今回はパートナーの「デート」についてのお話です。旦那さんが若い女の子とデートしたのをきっかけに、恋人を奪われたトラウマが蘇った森さん。女のプライドや嫉妬にまつわる赤裸々な語りに、恋人と異性の関わりでモヤっとしたことがある人なら思わず頷いてしまうはず。

*本記事は『cakes』の連載「アラフィフ作家の迷走性(生)活」にて2018年11月24日に公開されたものに一部小見出しなどを改稿し掲載しています

先日、旦那さんが若い女性(仮にEとしておこう)とデートをした。高級ホテルでアフタヌーンティーを嗜み、ウインドーショッピングをして、クリスマスのイルミネーションを鑑賞、その後は居酒屋でしこたま飲み、旦那さんが帰宅したのは午前様だった。

私より20歳も若い!

すでに寝落ちしていた(寝たふりともいう)私の頬にキスをして旦那さんは、

「遅くなってごめんね」

とささやいた。旦那さんも私も複数恋愛を遂行しているわけではないので、これは読み方によっては由々しき事態である。しかもEは私より20歳も若い! それだけでキィーッと歯噛みして地団駄踏んでしまう。しかしデートの詳細を私が知っているあたり、由々しきというよりはややこしい案件なのである。

Eは旦那さんと同じ職場だ。わりと親しくしているようで、一度私を交えて3人で食事をしたこともある。なかなか美人で賢く、好感度も高い。だが、いかんせん20歳も年下である、感覚がかなり違う。単純に若さがまぶしくて、私が勝手に萎縮してしまうというのもあるのだけど。

世代の違いというか、昭和生まれと平成生まれとの世界観の隔たりを、対男性だと「感覚のおもしろさ」として受け止め、ちぐはぐながらも会話が進むようだ。実際、Eと私よりも、仕事という共通点も手伝ってかEと旦那さんとのほうがやりとりはスムーズだった。

若い女性のまぶしさを、男性は朝露もしくは水面を反射する光のように尊く感じ、片や熟し過ぎて腐りかけた私はそのまぶしさがレフ版の光のように突き刺さる。「ちょっと! まぶしすぎて目が痛いんだけど!」と悔しさのあまりに一言クレームつけたくなってしまうのだ。年齢を重ねたら、人としての豊かな情緒や思いやりといった人間味で勝負すべきだ、というのは体のいい常套句で、やはり若さ(美しさがセットになってたらなおのこと)は羨ましく、目の前でちらついていたら妬ましくなってしまうのだ(こう断言するあたり、私には人間味のかけらもない)。

男は1秒も野放しにできないと痛感した日

旦那さんとEがデートをしたのは、Eが何やら仕事に関連する検定試験に合格したので、そのご褒美をしてあげたい、という旦那さんのやさしさからだった。Eも最近失恋したばかりで、疑似彼を演じてほしかったのかもしれない。

「俺、男として見られてないんだよ」と旦那さんは一笑に付し(女装家だしね)、あらかじめ私に許可を取った。その上、詳細なタイムテーブルまでメールで知らせてきたので、表面上は3人とも穏やかだった。しかし、旦那さんは私のトラウマを知らない。過去、私はたった一日、当時付き合っていた彼を野放しにしただけで、私の知人に彼を奪われたのである。

もう20年以上も昔だ。付き合ったばかりの彼が引越しをして、部屋の整理を手伝うために私は日参していたのだが、どうしてもはずせない用事ができて、さらに彼のほうも切羽詰った仕事があり、手伝いを所望していた。苦肉の策として、私は信頼できる知人女性を紹介し、一日だけ手伝いを頼んだ。するとその翌日に知人女性から私に電話があり、「私、彼と一緒に暮らすから」と一言。はぁ? 彼が私の彼だということを知人に伝えていなかったのは私の落ち度だし、そのくらい察してくれるよね、との思い込みも私の驕りに過ぎない。のちに知人から謝罪はあったにしても、泥沼の三角関係に突入したのだから後の祭りだ。

モテない男とは付き合いたくないけど、自分の男がモテるのは嫌

この経験は、私の胸に暗く深い影を落とした。男女間は1分、いや1秒でもあれば恋愛関係に発展する可能性があるのだ。年齢も国籍も職業も、性別すら飛び越えてしまうもの、それが恋愛。不条理が許されてしまうのも恋愛で、理不尽に心が傷つけられるのもまた恋愛だ。私は、Eと旦那さんがデートするのが、嫌というよりは不安だったのだ。だって私には、若さに太刀打ちできる豊かな情緒も思いやりもない。たとえそれらがあったとしても、万が一、私が人格者だったとしても、若さと美しさに寸分も威圧されない女性がこの世にいるだろうか。

さて、ここで皆様に問いたいのだが、自分の夫もしくは彼が異性と交遊する際の許容範囲はどの程度だろう。異性とふたりきりで会うのはNG、という人から、LINEもメールも絶対にアウト! な人がいたり、別にたまには他の人とセックスしてもいいよ、なんて寛大な人もいるかもしれない。

私の場合は、事前か事後に報告してくれればふたりきりで会って飲んだり食事しでもOK派だ。仕事上の付き合いでふたりきりで会うなんて日常的にありそうだし、あまり制限するのも大人気ない。と、広い心でかまえたふりして、正直に申し上げると心中は大海原みたいにゆったりしているわけではない。

私は旦那さんのことは100%信頼しているけれど、「男性」は100%信頼していないのである。旦那さんの中にある男性は、旦那さん自身にも制御不能だと思うから。これ、矛盾しているようでけっこうまっとうな意見じゃないでしょうか。そもそも100%信頼できる男性なんて、モテない証みたいだ。これも矛盾しているようなのだが、女性は自分の彼が他の女性にモテるのは嫌なくせに、自分がモテない男性と付き合っているというのは我慢ならない。

ほだされるのは男のやさしさ

たいてい、ずるずると浮気や不倫に引きずり込まれるのは男性だ。男性はやさしいから、女性が罠を仕かけていると承知していながら、あえて引っかかる。女性が酔ったふりをするのも、帰りのタクシーの中でしなだれかかってくるのも、わざとだと本能でキャッチしている。「このままずるずるいくとヤバいな」と牽制しつつ、妻または彼女からのメール「そろそろ飲み会終わった? お茶漬け作っておこうか?」を横目で見つつも、下半身すれすれに押しつけられた女性の胸に、もう降参してしまっている。つい欲情してしまうのは勿論だが、男性は「こうまでして俺とやりたいのか。健気だな」と揺れ動いてしまうのではないか。意思が弱いというよりは、やさしいのだ。なし崩し的に、女性の情熱にほだされてしまう。

そんな男性の、弱さと紙一重のやさしさを女性は利用する。当然、その男性が好きだから、付き合いたいから、やりたいから、という確固たる目的の上で、わざとらしい色気が功を奏すのだ。

女性の必死な作為や策略が、私は嫌いではない。テレビドラマや映画でも主人公よりは悪役やライバル役に惹かれるし、自分が書く小説でも、実は主人公よりは悪役やライバル役に心血をそそいでいる。なぜかというと、ほしいものが明確で、そのためなら手段を選ばないからだ。最後の最後で主人公が勝つように物語はできているけれど、一時は悪役やライバル役が主人公を脅かす。それがあくどければあくどいほど、私はそそられる。

旦那のデートについて行くのは女のプライドが許さない

で、Eと旦那さんのデートだが、別にEは悪役でもライバル役でもない。若くて美人で賢くて好感度の高い女性だ。同時に、私がたちうちできる相手でもない。過去のトラウマにより、その日一日、私は世にも鬱陶しい悲劇のヒロインになっていた。「ああ、きっと、20年前のように旦那さんをとられてしまう。あの頃は私も若かったけれど、今は若さがない。情緒も思いやりもない、人格者でもない(しつこい)。絶対に終わりだ」。

すいません、バカみたいなのだが本当に一日中滅入っていたのだ。人間が誰しも1分1秒で恋愛関係に突入するわけじゃないだろ、と頭では勿論理解しているのに、だ。だったら、デートを許可しないか、一緒にくっついて行けばよかったのだ。事実、旦那さんには「一緒に来る?」と誘われたのだ。が、「うんうん!」とは言えませんよね、女性の方々、年季の入った妻として、または彼女として、尻尾ふって行けますか? この女性のやっかいなプライド、男性の方々には理解できないだろう。

それに、前述したように私は悪役やライバル役が好きなのだ。いやいや、だからEは別に悪役でもライバル役でもないのだけど。旦那さんは旦那さんで私に気を使ってか、いちいち「今、ここにいます」といったツーショット写メを送ってくるし、これがまた仲が良さそうなのだ。すっかり小姑気分になった私は、「あら、可愛いわね、素敵ね。楽しんでね」なんて、ひとかけらも思っていないことを笑顔の絵文字付きで返信したりして。

そして旦那さんが帰宅したのが午前様だ。私は精一杯の虚勢で寝たふりしていたけれど。

「おかえり。一発やった?」

くらいの意地悪は、してもよかったかもしれない。まさか、そんな一撃をくらわしたところで自分が虚しくなるだけだ。それがわかるくらいの理性はある。

女性の方々、男性の方々も。夫(妻)または彼(彼女)が他の女性(男性)とデートした時の心境はいかがでしょうか。モヤっとした感情が1ミリも湧かない方がいるとしたら、それは悟りをひらいた人か、もしかしたら人間ではなく神ではないかと思うのだ。

森美樹 1995年、講談社から少女小説家としてデビュー。恋愛小説を7冊刊行したのち、2013年、新潮社R-18文学賞読者賞受賞。『主婦病』『私の裸』『母親病』以上新潮社刊。『神様たち』光文社刊。アンソロジー『黒い結婚 白い結婚』講談社刊。女性専用カウンセリングサイト『語りませんか?』にて、カウンセリング活動も行う。

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夫が20歳も若い女性とデートした日|ウートピ - ウートピ
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[現場]惨事から一週間、梨泰院…市民はこぶしで胸を叩いた - The Hankyoreh japan

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04.50
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「行政惨事、誰も責任を取らない」 
週末を迎え、追悼に訪れる人相次ぐ

4日、ソウル龍山区の梨泰院駅1番出口前の惨事追悼空間を訪れた市民たちが、事故現場を見つめている/聯合ニュース

 地下鉄6号線の梨泰院(イテウォン)駅1番出口の周辺は、犠牲者を追悼する人々が置いて行った白い菊と色とりどりの付箋で幾重にも囲まれていた。国家公式哀悼期間の最終日の5日、多くの市民が梨泰院惨事の犠牲者の弔問に訪れた。

 週末のこの日、ソウル龍山区(ヨンサング)の緑莎坪(ノクサピョン)広場と中区(チュング)のソウル広場に設置された合同焼香所と梨泰院駅の追悼空間には、午前から多くの市民が訪れた。市民たちは焼香所と追悼空間で白い菊を献花したり、追悼の気持ちを記した付箋を地下鉄駅や道路などのあちこちに貼ったりしていた。

 平日とは異なり、家族で弔問に訪れた市民が目立った。1歳の子どもと緑莎坪の焼香所を訪れた龍山区住民のキム・ヒョンジさん(36)は「若い頃は梨泰院でよく集まったが、このようなことが起きて残念だ」と話した。黒い服を着て小学校1年生と5年生の子どもと追悼空間に献花したLさん(43)は「職場がこっちの方なのだが、通り過ぎる度に胸が痛む。(子どもたちには)周囲の人たちや大変な目にあった人たちを慰められる人になってほしいという気持ちで一緒に来た」と話した。

 すでに成人している子どもたちと共にやって来る家族もあった。両親や妹と連れだってやって来たイ・スジンさん(37)も、「父が若くして逝った人たちにあいさつしたいと言ったので、家族で来た。惨事後は憂鬱だった。いつも通っていた道でこんなにも多くの人がこんな死に方をするというのが痛ましく、悲しかった」と話した。

市民がソウル地下鉄6号線の梨泰院駅1番出口の周辺に置いた菊と付箋。5日正午ごろ=ソ・ヘミ記者//ハンギョレ新聞社

5日午前、ソウル龍山区の緑莎坪合同焼香所。文学団体「詩山脈」の会員たちが弔問している=ソ・ヘミ記者//ハンギョレ新聞社

 団体も追悼に訪れた。文学団体「詩山脈」の13人の会員は、登山の前に緑莎坪の焼香所と梨泰院の追悼空間を訪れた。詩人のパク・スヒョンさん(70)は、「安全な国が作れなかったことについて、大人としてとても申し訳ない。対処も不十分だったが、惨事なのか事故なのか、謹弔なのかそうでないのかを問題にする政治を見て情けなくなる」と言って涙を流した。

 惨事が起きた時間帯に近くにいた市民も梨泰院に初めてやって来た市民も、犠牲者を見送るために梨泰院を訪れた。惨事当日に梨泰院で人と会う約束をしていたという会社員のMさん(27)は、「人が多すぎて、10時過ぎに緑莎坪駅の方へ抜け出したので惨事を免れることができた。幸いだと言うのも申し訳なくて来ねばならないような気がした」と語った。梨泰院に来るのは今回が初めてだという大学生のイ・ユナさん(20)は、こぶしで胸を叩きながら「心が痛んだので来た」と言って言葉を詰まらせた。惨事が発生したハミルトンホテル横の路地を眺めていた市民たちは、なかなかその場を離れられずにいた。立冬を控えた風に菊の香りが漂っていた。

 ソウル中区のソウル広場に設けられた合同焼香所にも、市民が続々と犠牲者を追悼しにやって来た。5日午後1時ごろ、70人あまりの市民が菊の花を一輪ずつ持って並び、順番を待っていた。京畿道安山市(アンサンシ)から7歳の娘と追悼にやって来たチョ・スニョンさん(46)は、「セウォル号惨事の後も大きな変化がないみたいで、既成世代の一人として犠牲者に本当に申し訳ない。(警察や消防などには)災害に関する対応マニュアルがないわけでもなく、惨事を防ぐ方法がなかったわけでもないのに、それが実行できなかったためにこのような惨事が発生したということがとても残念だ」と述べた。

 この日、合同焼香所に追悼に訪れた市民たちは、梨泰院惨事についての政府関係者たちの無責任な発言に対しても怒りをあらわにした。夫と共にソウル広場の合同焼香所を訪れたチョン・ウォンギョンさん(29)は「今回の梨泰院惨事は『行政惨事』だと思う。責任逃れするイ・サンミン行政安全部長官、パク・ヒヨン龍山区長の発言を聞いて腹が立った。遺族を再び傷つけるもの」だと批判した。京畿道金浦市(キンポシ)から家族とソウル広場の合同焼香所を訪れたチュ・ソンホさん(45)も、「これまでの政府の対応を見ると、たいへん卑怯に感じられる。国の災害対応システムが完全に崩壊してしまっている中、誰かが無条件に謝罪し、無限責任を負うと言うべきなのに、惨事の主な責任者は全く口をつぐんでいる」と述べた。

5日午後、ソウル中区のソウル広場に設けられた「梨泰院惨事犠牲者合同焼香所」に追悼にやって来た市民が並んでいる=パク・チヨン記者//ハンギョレ新聞社

ソ・ヘミ、パク・チヨン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1065880.html韓国語原文入力:2022-11-05 14:59
訳D.K

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[現場]惨事から一週間、梨泰院…市民はこぶしで胸を叩いた - The Hankyoreh japan
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【連載】六大学野球秋季リーグ戦応援対談【第三回】野球部×応援部 特別対談編 野球部・菊池聡太主務×応援部・玉城大基学生誘導対策責任者 - wasedasports.com

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08.50
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 第三回に登場するのは、野球部・菊池聡太主務(商4=福岡・東筑)と応援部・玉城大基学生誘導対策責任者(基理4=沖縄・昭和薬科大付)。別の部ではありながらも親交のある2人の対談を実施し、秋季リーグ戦の運営、集客活動について語っていただいた。

※この取材は10月19日に行われたものです。

早稲田キャンパスで知り合った2人は両部の最上級生に

出会いを語り合う菊池(左)と玉城

――自己紹介をお願いします

菊池 早稲田大学野球部主務の菊池聡太と申します。4年生で学部は商学部、福岡の東筑高校出身です。よろしくお願いします。

玉城 早稲田大学応援部で、4年生で、学生誘導対策責任者を務めております玉城大基です。学部は基幹理工学部に所属しております。よろしくお願いします。

――お互いに面識、交流はありましたか

玉城 俺最初声かけたんだっけ? 違う?

菊池 そうかも。確か赤嶺(大哉、教4=東京・早実)と一緒にいて。

玉城 飲み行ったんだっけ? 違う?

菊池 一番最初は違うかも。でも先にキャンパスの前で声かけてもらって。

玉城 戸山キャンパス? 東伏見キャンパス?

菊池 早稲田の本キャン(早稲田キャンパス)の前で。

玉城 俺声かけたんだっけ?

菊池 多分そう。

玉城 覚えてない(笑)。

菊池 大哉が確かいて。

玉城 野球部の赤嶺大哉選手というピッチャーがいて、彼は沖縄県出身なんですね。私も沖縄県出身で、赤嶺大哉の従兄弟が私中高6年間一緒で、結構仲が良いんですね。そういうつながりがあって、元々お互いを何となく知っている感じで、菊池がたまたま一緒に歩いていて、声をかけた感じです。

――お二人の役職での仕事を教えてください

菊池 野球部の主務はリーグ戦の運営だったり、OB関係のことだったり、あとはチームの方だと、練習のスケジュールをいつにするか相談して決めるというのと、オープン戦を組んだり審判を呼んだりしています。個人的に学年に2人マネジャーがいて、会計と広報でいるので、自分は会計の方を担当して、決算を報告会に向けて準備しています。

玉城 私は学生誘導対策責任者という長い役職名なのですが、元々はですね、学生誘導といって、神宮球場内大変混雑する早慶戦でその人員整理をしていたというのが元々の役職の役割なのですが、今はどちらかというと神宮球場にどうやって現役学生を動員するか、早稲田文化をどう現役学生に発信していくか、そこにフォーカスして活動しております。直近ですと早慶戦がございますので、早慶戦にどうやって現役学生を呼ぶか、現役学生に関わらず、色々な人をどう動員するかといったことを考えて実行しております。

リーグ戦の運営を、集客を語る

ベンチ内でスコアを書く菊池(左)と指揮台でセンターリーダーを務める玉城

――今年はどのような取り組みを行っていますか

玉城 今年やっていることとして、まず1つ大きなものは競技スポーツセンターと協力して観戦ツアーを行っています。体育各部の早慶戦に現役の学生を動員する取り組みを行っています。こちらは皆さんにWasedaメールで配信されていますので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。あともう1つやっていることとしましては、集客について考えるのですが、応援部の部員一人一人がそれぞれの知り合いを神宮球場に連れてくる、そういう意識付けだったり、それを実行に移させたりといったことに力を入れています。

菊池 野球部として行っていることは、TwitterやInstagramなどの公式SNSを使って、カウントダウンの動画を上げるなど、どちらかといえば今までのファンの方向けではあるかもしれませんが、リーグ戦の周知などを行っています。

――活動の中で心掛けていることはありますか

玉城 応援部は広報部門という専門の分野がいて、広報媒体などで集客などを行ったりしているのですが、私は現役の学生にいかに寄り添えるかどうかということを心掛けています。応援部という部活動に所属していながら、その他のコミュニティに所属している人たちも引き込むわけですから、やはりいろいろな人間関係とか価値観を大事にして、一つ一つの人間関係を大切にしていきたいと思っていますし、そのネットワークを広げていきたいと常に思っていますので、そういったことを意識して、日頃の部活動に取り組んでいます。

菊池 マネジャーとしては最終的に選手がより良い環境で練習ができるように、何もなくキャンプが終えられるようにつなげたいと思っていますが、結局野球が強くないと応援に来てもらえないと思っています。早慶戦とかで優勝決定戦とかになるとすごく観客が増えると思うので、最終的にはそこに持っていけるようにしたいです。結果はなかなか見えないですが…。

玉城 いやいや、菊池の努力は目に見えているよ!

菊池 ありがとうございます(笑)。今は結構いい感じになりつつあって。すぐには目に見えない部分での取り組みが多いですね。

――新型コロナウイルスなどによる制約で苦労したことはありますか

菊池 めちゃくちゃあります。

玉城 めちゃくちゃある菊池くんからで。

菊池 今年の1月に野球部でクラスターが起きて、その時に大学でも部活動のガイドラインができていなくて、ちょうど試験期間も被ってしまって。何人以上出たら部員全員自宅待機とかもなかったのですが、とりあえず全部止めて自宅待機にさせて、各学部と競スポなどいろんなところに連絡したのが今年一発目に大変なことでした。基本的にはコロナ関係ですが、部員1人が感染したら2、3人も芋づる式に感染していくので、そうならないように、濃厚接触者を出さないようにできることをしました。寮だったら、今まで4人1組でご飯を食べていたのを1人にするとか濃厚接触者を出さない取り組みを寮内とグラウンドでもやっていて、これが一番効果がありました。あと苦労したことは、春5位だったことがシンプルにきつくて、「ああ、5位か…」というところからの夏のキャンプがあって、今年は初めて南魚沼市に行きました。これは同期の岩井(寛汰副務、スポ4=大阪・早稲田摂陵)というマネジャーが頑張ってくれて、なんとか成功して今に至ります。

――リーグ戦関連で苦労したことはありますか

菊池 今年はちょっとルールが緩くなったんですよ。感染者が1人でも出たらだめとかではなくて。去年まではメンバーの中に1人でもいたら試合ができなかったんですけど、それが緩くなったおかげで少し楽になりました。運営面でも前までは選手と観客が接触OKで緩めなところもありました。それが、バスを降りて野球場に入るときや出る時に接触できなくなりました。選手にもベンチにいる時にマスクつけさせるとか、そういうところは大変だったと思います。

玉城 菊池は主務なので部活動全体の運営だったり大変さだと思うんですけど、私は学対責任者としての難しさをお話ししようと思います。やはり学生を神宮球場だったりその他の応援活動場所に呼ぶのが私の役割ですが、神宮球場以外だと観客の動員の制限があったりしました。あとは春だとわれわれは外野にいるのに内野に呼ぶ、観客はわれわれに呼ばれたのにわれわれは外野にいるという状況が発生したりとか。今でも集客活動こそできるのですが、応援方法が制限されたりしているので、観客をあおったりができない中で、人を呼ばなければいけない。でも人を呼んだら思うように応援できない。このもどかしさの中で私の役割を遂行していかなければいけないことが非常に難しかったです。あとは、神宮球場でのわれわれの在り方。昔はもう少し応援部が好き放題できた神宮球場だったのですが、やっぱりコロナ禍で神宮球場側や野球連盟、神宮球場を運営している委託業者などからいろいろと制限を受けてしまっているところで、われわれが今までやってきたやり方が制限されてしまっているので、部活動全体として見た時に寂しいと思いますね。

――2019年まで学生応援席があったと思うのですが、こちらの復活は先送りになりますか

玉城 まだ復活はしないです。

菊池 まだ復活しないですね。

――現在の集客状況についてはどのように感じていますか

玉城 だいぶ入っている印象ですね。

菊池 入っていますね。

玉城 コロナ禍で応援方法が制限されている中では、立教戦では1万人ちょっと入っていましたし。内野席でも応援部がいる側といない側で分かれていると思うんですけれども、応援部がいる側だけで概算ですけども結構入っている印象でしたね。なので、多くなっていると思います。

菊池 去年だと上限も5000人と決まっていて、それでも「人入っているな」という印象でした。今年は上限もなくなってパンパンに入っている感じです。

――コロナ以前に比べるとやはり来場者数は少なくなっていますか

菊池 応援席のエリアを囲っている分、そもそも入れる人数が少し少なくなっている状況ですね。前は応援部が通路を行き来できる分、前の方まで観客の方が入れたんですけども、そこが完全に応援部ゾーンとなっているのが惜しいなと感じます。

――今は応援席のエリアと客席のエリアが分かれている状況となっていますが、観客が前の方の座席まで着席できる元の形態に戻っていきたい気持ちは強いですか

玉城 それはその通りですね。

――今秋から内野応援席が復活して観客と応援部の距離が近くなりましたが、野球部として、応援部としてそれぞれどのように感じていますか

玉城 早稲田の応援部として、応援「団」じゃなくて応援「部」であることを大事にしているんですね。応援「団」というと自分たちの有志でやっているイメージを持っているのですが、応援「部」というと応援部員以外の学生を巻き込んで全体で大きな応援をつくりあげることをわれわれは大事にしています。昨シーズンまでは外野での応援だったので、なかなか難しい部分もありましたが、内野に戻ってくると(観客の方に)声を出したり手拍子をあおることはできないながらも、われわれの曲に合わせて自然と観客の方々が手拍子をしてくださったり盛り上がってくださったりするところを見ると、「少しずつ戻ってきてるな」という気持ちになります。

菊池 野球部から見ると、去年までの外野からの応援も良かったのですが、内野に近い方が球場との一体感は感じられますね。特に点が入った時の『紺碧の空』の盛り上がり方が外野の時とは違う感じがするので、選手にとっても後押しになっているなと感じます。

これからを見据えて

ポスターの写真を見せながら早慶戦への思いを語る玉城

――お2人とも間もなく引退を迎えますが、後輩に託したいことはコロナ以前の原型に戻すことになりますか

玉城 そうですね。元に戻していってほしい気がしますけど、(菊池に対して)どうですか?

菊池 今度の早慶戦のような内野と外野に応援部がいる形態に戻してほしいです。

玉城 われわれが1年生の時の早慶戦の盛り上がりを復活させてほしいです。多分われわれの先輩方の時代だともっと盛り上がっていたと思うので、六大学野球というものと応援というものを盛り上げて早稲田全体も盛り上げていってほしいなと思います。

菊池 全然関係ないですけど、学生注目を久々に近くで見たら結構面白いな思いました。今までは遠くで何を言っているか聞こえない状態だったんですけど、たまに応援部の方に行ってみたりするとやってたりするので。

玉城 何戦? 東大戦? 印象に残った学注(学生注目)は?

菊池 東大戦での玉城の「お母さんありがとうコール」ですね。母の日だっけ?

玉城 応援席に来てて。

菊池 そうだそうだ、お母さんが来てて。「あの人が母親です!」それで「お母さんコール」で、お母さんありがとうなんちゃらちゃらみたいな。

玉城 やってましたね。

菊池 あれは面白かったです。

玉城 (笑)。

――早慶戦がさらに盛り上がるために必要だと思っていることはありますか

玉城 神宮球場の応援席に来ることの価値をもっと上げたいです。昔の学生って変な話やることがないので、とりあえず「週末神宮球場行こうか」みたいな感じだったと思うんですけど、今はいろいろな楽しいものがあると思うんですね。野球応援はとても楽しいんですけど、それ以外にも魅力的なコンテンツがたくさんあるので、神宮球場の応援席に来ること自体にもっと価値をつけていく、そして学生がもっと来たいと思えるような空間をつくり上げていく必要があると思いますね。

――具体的な方法は思いついていますか

玉城 例えば、連盟などとの兼ね合いは抜きにして考えると、例えば早稲田の有名なパフォサー(パフォーマンスサークル)や有名なOBをたくさん呼んで何かやってもらったりすることですかね。コロナ禍だと難しいことは多くあると思うんですけども、将来的には応援部が持っている伝統ややり方は残しつつも、今の時代に合わせて適切な形で組み込んでいくことが早稲田を盛り上げることには必要なことだと思います。

――コロナ以前の早慶戦ではサークルの方をお呼びしていましたよね

玉城 そうですね、ああいったことを通常のリーグ戦でもできたらなと思います。ただ今はなかなか難しいですね。

――菊池さんは、早慶戦がさらに盛り上がるために必要だと思っていることはありますか

菊池 年配の方が来てくれるのもありがたいんですけど、早稲田の学生が来てくれるのが一番盛り上がると思うので、サークルがパフォーマンスしてほしいですね。今はバスを借りて早稲田キャンパスから神宮まで走らせて学生に簡単に来てもらおうという企画をやっていて、神宮に来る敷居はこれからも下げていきたいですね。

玉城 早慶戦と早稲田祭が同日開催なんですよね。どうしても対立構造になっちゃうんですよ。早慶戦に行くか、早稲田祭に行くか。でも早稲田文化を大いに楽しむ意味では、私としても早稲田祭に行ってほしくないという気持ちはないんですね。それはそれで早稲田を楽しんでいるので。早慶戦に行くことも早稲田文化なので、つなげたいなという思いがあって、3年前にもやっていたんですが今年度もバス企画をやるということで調整を進めていて、大隈講堂の前から神宮球場を往復して早稲田祭を楽しみつつ早慶戦に行くということができればいいなと思います。

――これまでの役職の活動で楽しかったことはありますか

菊池 自分はリーグ戦の運営が楽しかったですね。他校の主務やマネジャーとつながりが深くなって、そこで仲良くなったマネジャーのみんなと遊びに行ったりもしています。基本部内でやっていることは地味なことだったり陰でやることが多い中で神宮に行くと新たなつながりができたのが、すごく楽しかったです。

――運営として具体的にどのような活動をしていましたか

菊池 朝からの流れで言うと、まず球場に来て記者席などの準備をして、メーカーから来たボールの検査をして、あとは東京六大学野球のホームページで速報が上がっていると思うんですけど、それもマネジャーが打ち込んでいますね。試合前のノックのタイムキーパーや整列の指示もマネジャーが仕切っていますし、特に1試合目は開始時刻より前に始めてはいけないことになっているので、そこの時間管理もしています。

――玉城さんは、これまでの役職の活動で楽しかったことはありますか

玉城 部活動中もそれ以外でも、いろいろな方とのネットワークやつながりを個人的には大事にしたいと思って日々活動してきました。役職上必要なことではありますが、私個人としてもそういったつながりを、外部の方々との関わりを持っていくこと自体が楽しかったです。オフィシャルな活動ですと、野球部員と一緒に神宮に来たお客さんに対して声掛けをしていて、オフィシャルな活動以外ですと飲み会を開催したりしてネットワークを広げていく、それがやはり楽しかったですね。

――やりがいを感じるのも、人とのつながりを持つことになりますか

玉城 そうですね。

――菊池さんがやりがいを感じるのはどのような時ですか

菊池 仕事自体へのやりがいはあまり普段は感じることがないんですけど、もともと応援部の『紺碧の空』や応援が好きだったこともあって、リーグ戦で応援を聞いたり勝った時に『紺碧の空』を聞くと良かったなと思うことが多くて。それ以外だと自由にしているときにみんなと楽しくできるのがすごくやりがいになっています。

――早慶戦に向けて取り組んでいきたいことはありますか

玉城 いっぱいあります。残り2週間くらいしかないんですけど、やっぱり私はお客さんを見たいですね。体育各部であったり、サークルの皆さんに声掛けをしてお客さんを集める。そういったことをやっていきたいし、先ほど言ったように早稲田と神宮を結ぶバス企画もそうですし、役職の仕事に立ち返ってという点から言うと、人をたくさん明治神宮に呼んで早慶戦を盛り上げる。これに尽きますね。

菊池 まずは立教を応援することですね(笑)。早慶戦を優勝決定戦にすることと、そこに勝つためのコンディションを整えるということが一番ですね。

――早慶戦で観客の皆さんに協力をお願いしたいことはありますか

玉城 応援にもう少しのってほしいですね(笑)。われわれは神宮球場で「もっと声出せ」とか「もっと叩いてください」とも言えないので、みんなで盛り上がっていけたらより良い応援席になるのではないでしょうか。

菊池 とにかく応援に来てくださいという感じですね。より多くの人に来てもらってそれを選手の力に変えたいという思いがあるので、来てもらって、一挙手一投足に盛り上がってもらいたいですね。

――最後に観客の皆さんに向けてメッセージをお願いします。

菊池 春5位というのもあって応援してくれる皆さんにとっても残念に思われる方も多かったと思いますが、ここまで上位で来ていて早慶戦では感動を与えられるような試合をできるような準備をしているのでぜひ応援に来てください。

玉城 普段来ていただいている観客の方々に対して、いつも一緒に応援できることが本当に楽しいことなので、感謝の気持ちを伝えたいです。まだ来たことない学生さんたちに関しては、本当に神宮球場に来てほしいですね。日常生活でも感動するシーンがもちろんたくさんあると思うんですけど、神宮球場で味わう勝利、慶應を倒したときに味わう勝利、そしてみんなで歌う『紺碧の空』に勝るものはないんじゃないかなと思います。

菊池 ないです。

玉城 我々が早慶戦に向けてポスターを作成したんですけど、ポスターに「人生変えたきゃ神宮来い」って書いてあるんですね。これを早稲田に張りまくっているんですけど、人生変わるんじゃないですか、神宮来たら(笑)。(菊池に対して)変わります?

菊池 変わります(笑)。

玉城 そのくらい盛り上がっていただきたいですね。ぜひ神宮球場にいらしてください。そこで伝えたいことはすべて伝わると思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 藤田珠江、横松さくら、横山勝興、橋本聖)

早慶戦に向けた目標を書いていただきました! おのおのの目標を掲げ、早慶戦に挑みます!

◆菊池聡太(きくち・そうた)(※写真左)

2000(平12)年9月12日生まれ。福岡・東筑高出身。商学部4年。野球部所属。役職は主務。マイブームはゴルフの動画を見ることだそうです!

◆玉城大基(たまき・だいき)

2000(平12)年9月23日生まれ。沖縄・昭和薬科大付高出身。基幹理工学部4年。応援部所属。役職は学生誘導対策責任者。マイブームはないそうですが、今は部活のことを熱心に考えている時間が多いそうです!

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認知症は人生の終わりではない~一人受診、本人の会で変わる状況~ - 時事メディカル

認知症は人生の終わりではない~一人受診、本人の会で変わる状況~ - 時事メディカル

04.51
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 認知症という病名はよく知られているが、いまだに誤解も多い。決して「認知症イコール人生の終わり」ではない。東京慈恵会医科大学の繁田雅弘教授は「認知症は基本的に治らない病気だ。できないことはある。しかし、できないことが増えたとしても生きる意味はある」と前置きした上で、「患者は気分が沈み、不安になったり、強いストレスを感じたりする。その苦しみを和らげ、それまでの生活を続けることが大事だ」と力説する。

誰でも認知症になる可能性がある=Adobe Stockより

誰でも認知症になる可能性がある=Adobe Stockより

 ◇誤ったイメージ

 一般的に、自分自身や家族が認知症になることを極度に恐れる傾向がある。それは誤ったイメージに基づいている、と繁田教授は指摘する。「認知症の進行が速い人はごく一部だ。ひとくくりにして、皆が一気に厳しい状況に陥ると恐れることは適切ではない」。誤ったイメージを変えようと、繁田教授は努力してきた。社会の認識を変えるためには、どうしたらよいのか。繁田教授の答えは明解だ。

 「認知症になっても普通に暮らしている人は多い。一人でも多く、そういう人たちと会って話を聞くことだ。そうすれば、大変な生活をしているが、認知症ではない自分たちと変わらないことが分かる。それを実感してほしい」

 ◇以前の生活を続けよう

 本人や家族は認知症を恐れ、心配する。特に家族は医師に「本人は何もしないし、いくら言ってもやろうとしない」などと訴える。確かに、一つの事をするのに苦労するし、それまでと同じ事をするのにも苦労する。しかし、日常生活や仕事の能力は低下しているが、能力がなくなったわけではない。本人は仕事を続けたいと思っているし、家族も続けさせてあげたいと考えている。仕事を続けることは、大きな励みだ。

 家族は本人と一緒に時間を過ごし、空間を共にする運命共同体と言える。だからこそ、日々の接し方が大切になる。周囲の人たちも、「一緒に仕事をしよう」「一緒に遊ぼう」と声を掛けることが患者の支えになる。繁田教授は「そうする事が救いになり、少しでも元気になってもらえる」と言い、できる限りそれまでの生活を続ける意義を強調する。

 ◇過保護と管理にならないで

 家族らに気を付けてほしい行動がある。過保護になり、世話を焼き過ぎる事だ。物を散らかしたり、食べ物をこぼしたりするために、家族がずっとそばにいる。これは、本人にとっては大変息苦しい。「認知症になる前はそんな事はなかっただろう。一種の〝管理〟に他ならない」と指摘した上で、本人と一定の距離を取るようにアドバイスする。

 認知症になった夫の銀行キャッシュカードを妻が取り上げる事は、よくあるかもしれない。しかし、夫の方は長年の趣味を取り上げられてしまい、生活がつまらなくなってしまう。繁田教授はそういう例を多く見てきた。患者にこう勧めたこともある。「それでも、まだ家に居たいですか。施設に入ったらどうでしょうか。もっと優しくしてくれますよ」

 ◇一人で受診が半数

 受診の形も変わってきた。以前は、受診をちゅうちょする本人を無理やり病院に連れて来るケースが多かった。繁田教授は「今は一人でやって来るケースが増えた。割合は半々くらいだろう」と分析する。後者では、現役で仕事をしている人がかなりの数に上る。

 一人で受診する人の場合、「自分は認知症ではないか」という疑いがきっかけになることが多い。繁田教授は早期発見という意味で、本人自身による気付きを重視する。受診するタイミングをどうするか。認知症だとしても続けられる事は何か。介護が必要になった場合はどうするか。早期発見によって、そういった事を考える準備期間を持てる。

繁田雅弘教授

繁田雅弘教授

 ◇脳トレに意味はない

 認知症の治療薬の開発や承認は大きなニュースになる。薬ではこの病気を根本的に治すことはできないが、進行を遅らせる効果がある。繁田教授は「治療する側としては、病気の進行を少しでも遅らせたい。症状の悪化に合わせて、服用量を増やすというのはおかしな話だ。吐き気下痢などの副作用に配慮しつつ、最初から目いっぱいの量を処方すべきだ」と話す。

 認知症を予防するために脳を鍛えるトレーニング(脳トレ)が有効だとする説がある。しかし、繁田教授は「ほとんど意味がない」と否定する。アルツハイマー型認知症の治療薬は人によって効き目が異なるが、きちんとした医学的データが存在する。一方、脳トレには医学的データがない、という理由からだ。

 ◇活発な本人たちの活動

 繁田教授によれば、最近の認知症をめぐる動向で重要なのは、本人たちの会やグループによる活動だ。発祥の地はスコットランドだが、日本でも盛んになった。時には首相と面会し、政策を提言することもある。背景には、「認知症の施策が本人たちの意見を聴くことなく決められてきた。もっと私たちの意見を聴いてほしい」という切実な思いがある。

 「認知症カフェ」などの集まりも各地で運営されている。会やカフェなどで出会った人と一緒に旅行したり、ボランティア活動をしたり、メンバーの相談に乗ったりする。それが絶望感に打ちのめされず、前向きに生きることにつながる。繁田教授は「とても大事な事だ」と話す。(了)

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