高木美帆、1500mでW杯総合優勝 引退のレジェンドへ惜別の力走「あなたと滑れて良かった」 - スポーツ報知

高木美帆、1500mでW杯総合優勝 引退のレジェンドへ惜別の力走「あなたと滑れて良かった」 - スポーツ報知

03.15
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◆スピードスケート W杯最終戦 第1日(12日、オランダ・ヘーレンフェイン)

 女子1500メートルで高木美帆(日体大職)が1分53秒32で優勝した。今季のW杯は出場4レース全勝で種目別の総合優勝も果たした。

 高木美は主戦場の1500メートルでは今季最後のレースで全力の滑りを見せた。最初の300メートルを24秒75とハイペースで飛ばし、銀メダルだった北京五輪の1分53秒72を0秒4も上回った。2位に約1秒差をつける圧勝にも「滑りの完成度でいえばそんなに高くはない」と冷静だったが、「でもそれ以上に私にとって大切なものがあった。大事にしたいものは全部出し切れた」と明かした。

 この日はイレイン・ブスト(オランダ)の現役最後のレースだった。五輪5大会で13個のメダルを獲得したレジェンド。1500メートルで平昌、北京でブストに阻まれ銀メダルだった高木美にとっても尊敬する選手だ。最終組で同走が決まり「レジェンドのラストレースという中で滑れるのはそうそうあることではない。ありがたいなっていう気持ちと、私自身も最後一緒に滑りたいなと思っていたので、それがかなったことでこみ上がってくる気持ちを楽しみながら飛ばしていった」と振り返った。

 ブストからはハグを求められ、「グッドラック。ありがとう」と言葉をかけられた。「あなたと滑れて良かった」。感謝の気持ちで返した高木美にとっても、忘れられないレースになった。

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スポーツ
「あと何キロ?」「今どのあたり?」…家族がウクライナから避難、日本で待ちわびる日々 - 読売新聞オンライン

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00.50
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 ロシアによる侵攻で混乱するウクライナから、日本に避難してくる母親ら家族を待ちわびる女性がいる。ウクライナ東部のドニプロ出身で、鹿児島市に住む郡山 虹夏にか (ルドルフ・ベロニカ)さん(25)。家族は空襲警報が鳴り響く中、ポーランドに出国してビザ(査証)の発給を待っている。郡山さんは「一日も早く元気な姿を見せてほしい」と願う。(古島弘章)

 郡山さんは日本文化に興味を持って5年前に来日し、鹿児島市の専門学校に通った。夫の優貴さん(32)と結婚し、昨年には長男の 祥緒さちお ちゃん(1)が生まれた。しかし、幸せな生活はロシアの侵攻で一変。戦禍に巻き込まれた祖国にいる母親のビクトリアさん(48)、妹のマリアさん(13)を思い、苦しい日々が続いている。

 岸田首相が3月2日、ウクライナから第三国に逃れた難民を国内で受け入れる方針を表明したことから、すぐにビクトリアさんに連絡。マリアさんと、ドニプロ郊外に住む伯母のイリナさん(58)の3人で、ポーランドを経由し日本に来るよう伝えた。

 ビクトリアさんは車に2人を乗せ、ドニプロから直線で約1000キロ離れたポーランドの首都ワルシャワを目指した。福岡―福島間に相当する距離。安全と思われるルートを走ったが、各地で空襲警報が鳴り響いていた。暗くなると運転をやめて屋内にとどまり、朝になるのをじっと待った。

 3人が無事に到着できるか心配だった郡山さんは、車の位置情報を示すスマートフォンの画面を一日中見続けた。車の動きが止まると「何かあったのだろうか」と不安に押しつぶされそうになった。「あと何キロ?」「今、どのあたり?」。何度もマリアさんに安否確認のメッセージを送った。

 出発から3日後、無事にワルシャワに到着したと知り、胸をなで下ろした。今後は鹿児島で一緒に暮らす予定だ。母や妹に会うのは3年ぶりで、祥緒ちゃんの顔を見せるのも初めて。郡山さんは「ママに孫を抱いてほしいし、みんなで穏やかに過ごしたい。そして、ウクライナに早く平和が戻るよう願っています」と話した。

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March 13, 2022 at 05:07PM
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被災地の同級生様 メッセージで桜が満開です - 朝日新聞デジタル

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11.50
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 被災地の「同級生」を思い、花びらにメッセージを書いた桜が、東京都多摩市の公民館で満開を迎えている。福島県浪江町の小学校と交流してきた市内の小中学生が、ピンク色の紙片にびっしりと言葉を記した。

 「『なみえっ子カルタ』を実際にやってみたいし、『なみえ焼きそば』も食べてみたい。『んだげんちょ』も、また踊りたい」

 多摩市立多摩中学校1年の中村仁奈子さん(13)は2年前、通っていた多摩第一小学校で福島の同級生と一緒に踊った経験を思い出し、メッセージを書いた。浪江町立津島小の最後の卒業生となった須藤嘉人さんと交流し、「遠い地域」だった東北の震災を「自分のこととして考えられるようになった」という。

 11年前の東日本大震災は、保育所にいたことしか記憶にない。交流を通じ、友達が少なくなる被災地の現実を知った。一生懸命練習した「んだげんちょ」が、うまく踊れた達成感も忘れられないという。

 メッセージ花びらの企画は、被災地支援を続ける地元の京王線聖蹟桜ケ丘駅周辺の商店主らが呼びかけた。中学生になっても被災地のことを考えたいと思っていた中村さんら一小出身の5人は、多摩中の1年生の各クラスを回り、須藤さんとの思い出を説明した。交流を体験していない人も多い中、137人全員がメッセージを書いてくれた。「みんな真剣に書いてくれた」と中村さん。

 一小出身の小野田楓蓮(かれん)さん(13)は「どんな未来が来るか、思うだけでわくわくしちゃう! そんな日常をつくれるように私たちも精いっぱい生きていきます」とつづった。震災は、机の下に猫と逃げ込んだおぼろげな記憶しかないが、須藤さんとの交流で気づかされたことが多かったという。「大変な思いをした人たちがいて、一生懸命生きている。前向きにいこうという思いをこめた」

 メッセージは一小の5年生112人も寄せた。被災地との交流活動はしていないが、「被災地のことを考え、先輩たちの活動をつないでいく」(岡芳弘校長)という。平野順奈さん(11)は「避難訓練をしっかりやる」などと書いた。「震災はいつ来るかわからないから、まじめにやります」と話した。

 桜の展示は31日まで。聖蹟桜ケ丘駅そばの関戸公民館の7階。交流の様子を写真などで紹介している。前川浩之

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「このあと2~3年後にはまた氷河期が来る」平成ノブシコブシ・徳井健太が語る、お笑いブームの現在地 - リアルサウンド

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06.50
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 平成ノブシコブシ・徳井健太が著書『敗北からの芸人論』(新潮社)を刊行した。

 本著は、以前「週刊新潮」にて吉本芸人を題材としたコラムを執筆していた東野幸治から指名を受けて始めたネット連載を一冊にまとめたもの。徳井が実際に心揺さぶられた芸人や賞レース、バラエティ番組関係者への愛のある語り口と、お笑い界の荒波に揉まれた経験者ならではの説得力ある考察が話題を呼び、累計700万PVを突破した。

 「本当のことしか言えない。違うことが言えていたら、もっと売れていると思う」と本人が語るように、嘘偽りのなく伝えられる言葉は、売れたい、みんなに知られたいと葛藤する若手芸人たちに突き刺さるのだろう。ライブシーンでは数々の芸人から意見を求められる徳井に、本著や芸人への熱い思い、今後についてなど語ってもらった。(タカモトアキ)

敗北からの芸人論の商品画像

全員、ラブレターのつもりで書いてる


――デイリー新潮での連載は、東野幸治さんからの指名がきっかけで始まったそうですね。

徳井健太(以下、徳井):嬉しい話ですけど、東野さんが直接連絡をくれたわけじゃないんで、いい「留守電」を聞いたような感じでした。東野さんが言って下さったならやるしかないし、ぶっちゃけ芸人のことを書くなら僕がいちばん向いているだろうと思ったので、がんばりました。

――以前、東野さんに「自分と似てる芸人さんを誰か挙げるとすれば?」と伺ったところ、しばらく考えて「徳井くんかなぁ」と答えていただいたことがありました。

徳井:いやぁ、そうなんだ。とても嬉しいです。『千鳥のクセがスゴいネタGP』(フジテレビ系)のYouTube版で『ノブコブ徳井のクセがトクいネタ WAKATE GP』をやらせてもらった際、例えばインディアンスのようにちゃんと面白いことをしている芸人に対してコメントするのは難しいな、みたいなことをぼんやりと思ったんです。そのあと、『あらびき団』(TBS系)を観てみたら、東野さんはゴールデン番組のMCとしてスムースな進行をやりつつ、出演者がちょっと嫌がるだろうなって思うような目線のコメントを言ったり、ゲストにコメントを振ったり……みたいな感じで1人3役くらいやってて、改めて東野さんのすごさや丁寧さを実感したんですよ。そんな東野さんと僕が似てるなんて全く思えないですけど……。レベルは全然違いますが、そう言ってもらえたのは素直に嬉しいです。

――本著は東野さんについても書かれていますが、芸人さんのみならず、バラエティ番組や『M-1グランプリ』、番組プロデューサーなどテーマは多様です。お笑い全体を題材として選んだのは、何か理由があったんですか?

徳井:芸人について書くのもバラエティについて書くのも、僕にとってあまり違いはなくて。劇場に出ている頃から愛のあるスタッフさんと仕事している時のほうがより楽しかったですし、東野さんは(どんなスタッフと巡り合えるかを)“旅だ”みたいに表現されていましたが、テレビでもお笑いに愛のあるスタッフさんと巡り合えるかって当然ながら大事なことなんですよ。だから、芸人を書くことはテレビ番組、そしてスタッフのことも書くことになるなと連載開始前から思っていたので、(お笑い全体を題材としたのは)自然な流れでした。

――書く題材は、どんなふうに決めていったんですか?

徳井:特に個人的な思い出が深くある方から書いていきました。というのは、最初、「東野さんの後が徳井さんで大丈夫かな……」と不安がる編集担当者さんから「どれくらい書けます?」って言われた時、安心させるために「無限に書けますよ」みたいなことを言ったんですけど、4000~5000字にもなると事実はもちろん、分厚いエピソードが必要というか、当然、テレビをただ観ているだけでは書けないんですよね。で、最初にタイトルを書いて、いつも書きたいことをわーっと書き出してから(それらの1つひとつに)順番をつけて、うまいことまとまるように書いてました。今思えば、あまり話したこともないコンビ、コウテイについてなんかは、よく書けたなと思いますよ(笑)。

――衝動的に書きたくなった?

徳井:そうですね。とにかくカッコよかったし、あいつら、仲悪かった時期もあるみたいで、うまくいかなくなったら解散しそうだから……。そういう時に(僕のコラムが)ストッパーになればいいなと思ったし、(世間から批判されたとしても)凹まないでほしいっていうエールを送りたかったんだと思います。

――すべての項目に愛が溢れていますが、題材となった芸人さんからレスポンスはありましたか。

徳井:全員、ラブレターのつもりで書いてるんですけど、特にジャングルポケットは太田に向けて書いたものだったんですよ。太田はどう見ても3人の中でいちばん苦労してますし、誰にも誉められてこなかった芸人人生だったはずなので。掲載されたあと、太田に「徳井さんのコラムを読みながら、酒を1杯飲みました」って言ってもらいました。あと、かまいたちの濱家から「読んでると、なんか泣きそうになるんですよね」って言われたのは嬉しかったですね。かまいたちは元々面白いけど、ある時から、売れるためにギアをチェンジしていて、それがカッコいいんだって伝えたかった。けど、僕が書かれた本人だったら、その意見を飲み込めるかどうかは正直不安だったんです。だって、売れるために変化するのはダサいっていう意見もあるじゃないですか。かまいたちの生き方がカッコいいなと思ったから取り上げたんですけど、うまく書けたか不安だなと思っていたら、濱家が誉めてくれたのであぁ、よかったなと安心しました。

ネタについてどうこう言うことは今後もない


――徳井さんはダウンタウンさんに憧れて芸人を目指したそうですが、NSC(吉本の養成所)に入って、自分の才能のなさに愕然としたそうですね。その後、向いてないと思いながらも、吉村さんと平成ノブシコブシを結成して活動するわけですけど、若手時代のモチベーションって一体なんだったんですか。

徳井:いやぁ……ただ辞めるタイミングを失っただけで、モチベーションなんてなかったですよ(笑)。強いて言うなら、吉村より面白くなりたい、面白くいたいっていうのと、芸人からバカにされない生き方をしようっていうのがモチベーションだったのかもしれないですね。

――若手の頃から、自分以外の芸人さんには嫉妬よりもリスペクトの気持ちのほうが大きかったんですか?

徳井:この連載を書くにあたって記憶を遡ってみると、そうだったんだと思います。昔、『プリプリプリンス』っていう、毎日いろんな芸人が新ネタを下ろす謎のライブがあったんですよ。で、週1くらいのペースで僕らも出てたんですけど、そこでエピソードトークした「ゆったり感」の中村に、そんなに仲よくなかったにもかかわらず、「面白いから、そういうのを毎回喋ってよ」って言ったみたいです。中村はその後、毎回エピソードトークを喋ってましたし、「徳井さんに言われたからずっとやってました」って言われました。

――ネタを観た芸人さん本人に直接、感想を伝えることは当時からしていたんですね。

徳井:元々、クラスでいちばん人気があった人間じゃなかったので、自分よりいいところとか面白いところが目に入りやすいんだと思います。一緒の舞台に出ていてもテレビを観ていても、こいつのこういうところがめちゃくちゃ面白いなと思ったら、本人によかったよって言いたくてしょうがなくなるんですよ。

――そうするうちに、徳井さん=若手にアドバイスする人みたいなポジションが確立されていったんですね。最初にテレビで取り上げられたのは、『333(トリオさん)』(注:パンサー、ジャングルポケット、ジューシーズという吉本に所属する3組のトリオによるバラエティ番組)だったと記憶しているんですが。

徳井:そうです。売れてもいない僕がえらそうにテレビでお笑いを語るっていうボケのつもりだったんですけど、『333』はそのあともずっと呼んでもらいましたし、あそこからほかの番組にも呼んでもらえるようになりました。けど、(意見を求められて)ネタに対して何か言ったことはほぼないですけどね、誉めることはあっても。

――なぜですか?

徳井:僕自身の経験で、自分たちのネタを他人から言われて変えて面白くなったことがないんですよ。吉村がファーストインプレッションで考えたぶっ飛んだ設定を、なんとかしようとしながらどんどん壊していく感じのネタが多かったんですけど、自分たちが面白いと思ったことは他人から何を言われても変えないほうがいいだろうなって。「ここって伝わりづらいですかね?」って聞かれたら答えられますけど、たとえ面白くなくても、それが2人の作品ならそのままのほうがいいかなと思うので、ネタについてどうこう言うことは今後もないですね。

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スピードスケートW杯 高木美帆が1500メートルで総合優勝 - nhk.or.jp

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03.15
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スピードスケートのワールドカップ最終戦は12日、オランダで大会初日のレースが行われ、高木美帆選手が女子1500メートルで優勝し、この種目の総合優勝を果たしました。

スピードスケートのワールドカップの今シーズン最終戦はオランダのヘーレンフェーンで12日開幕し、初日に行われたレースのうち、女子1500メートルには、先月の北京オリンピックのこの種目で2大会連続で銀メダルを獲得した高木選手が出場しました。

高木選手は最終組に登場し、北京大会のこの種目でオリンピック連覇を果たし、この日が現役最後のレースだった地元・オランダのイレーン・ビュスト選手と同じ組で滑りました。

高木選手は序盤からスピードを出して前半の700メートルを全体トップで通過すると、後半は持ち味の持久力を生かしてスピードを保ち、2位におよそ1秒の大差をつける1分53秒32でフィニッシュして優勝しました。

これで高木選手は今シーズン出場したワールドカップのこの種目すべてで優勝し、総合優勝を果たしました。

一方、ビュスト選手は4位でフィニッシュし、たくさんの観客の声援を受けて競技人生を終えました。

また女子500メートルには、小平奈緒選手が北京オリンピックのあと初めて出場し、ことし1月に負った右足首のけがの影響を感じさせない滑りで、スタートから加速し37秒72で3位に入りました。

男子500メートルは、この種目の日本記録保持者の新濱立也選手が34秒38で優勝、北京オリンピックのこの種目で銅メダルを獲得した森重航選手は34秒53で2位でした。

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岸田首相 “震災被災者の心のケアやなりわいの復興を支援” - nhk.or.jp

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13.31
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東日本大震災の発生から11年が経過するのに合わせて岸田総理大臣は12日、岩手県と宮城県の被災地を訪れ、引き続き自治体と連携しながら被災者の心のケアやなりわいの復興を支援していく考えを示しました。

東日本大震災の発生から11年が経過するのに合わせて東北の被災地を訪れた岸田総理大臣は12日午前、岩手県陸前高田市の追悼祈念施設で献花台に花を手向け黙とうをささげました。

そして、岩手県の達増知事や陸前高田市の戸羽市長と復興の課題について意見を交わし、災害公営住宅の入居者の高齢化や孤立化が進んでいることから被災者の心のケアへの支援に一層取り組むよう要望を受けました。

続いて宮城県石巻市の復興祈念公園を訪れ献花と黙とうを行ったあと、宮城県の遠藤副知事や石巻市の齋藤市長から新型コロナの影響で集団移転した住民のコミュニティーの形成が遅れている状況などについて説明を受けました。

このあと岸田総理大臣は記者団に対し「震災と原発事故の貴重な教訓を後世に継承し防災や減災に生かしていくことは私たちの責務だ。今後も被災地の自治体とも連携しながら努力していく」と述べました。

そのうえで「震災から11年を迎える中、引き続き心のケアや産業、なりわいの復興といったソフト面での取り組みを着実に進めていかなければならない。生活再建のステージに応じて切れ目なく支援するという考え方に基づき自治体の取り組みを後押ししたい」と述べました。

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「忘れることは楽だけど」 あれから11年、被災者たちは [核といのちを考える] - 朝日新聞デジタル

「忘れることは楽だけど」 あれから11年、被災者たちは [核といのちを考える] - 朝日新聞デジタル

12.31
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 東日本大震災から11年がたった11日、広島県内でも各地で犠牲者への祈りが捧げられた。この日を広島で迎えた被災者たちは、「あの日」からの体験を分かち合い、被爆地・広島から「忘れない」とのメッセージが発信された。

 この日、原爆ドーム元安川を挟んだ対岸の平和記念公園親水テラスでは、150本のキャンドルで「3・11」の文字がかたどられた。被災地支援にかかわった人たちによる実行委員会が企画し、地震発生時刻の午後2時46分に黙禱(もくとう)が捧げられた。

 公園内のレストハウスではボランティア団体「震災復興子ども支援」が主催したイベントがあり、岩手県出身横浜市在住の菅原忍さん(47)が体験を語った。

 菅原さんの母、由美子さん(当時64)は、大槌町で美容院を営んでいた。震災直後、連絡が取れなくなり、当時、神奈川県横須賀市に住んでいた菅原さんは毎月のように大槌町へ通って捜した。美容院や近くの実家は津波に流され、跡形もなかった。由美子さんは今も行方不明のままだ。

 菅原さんは当時を振り返り、「がれきがだんだんと片付いていくにつれ、母が見つかる可能性がなくなる悲しみがあった」と語った。11年がたち、「忘れることは楽だけど、覚えていないといけない。今も見つかる可能性があると願っている」と話した。

 広島市西区では、被災地から県内に避難した人たちでつくる「ひろしま避難者の会『アスチカ』」の代表、三浦綾さん(49)らのトークイベントがあった。

 「目をつむれば、いつも思い浮かびます。建物が崩れ、全てが変わってしまった街の様子です」。福島県いわき市で被災した三浦さん。原発事故による放射線被害が心配で、小学生や幼稚園児だった3人の娘だけ飛行機に乗せ、実家がある広島市安芸区に避難させた。夫はいわき市に残り、三浦さんは毎月1回、広島市と行き来する生活を送る。

 あれから11年。前を向いて動き続けられる理由は、娘たちの成長だという。長女の莉衣菜さん(22)は昨春に就職。山口大3年の次女、友菜さん(21)は小学校教員を目指して勉強中で、この日のイベントでは「震災があったから出会えた人もいる。周りの人を幸せにする母のようになりたい」と語った。

 三浦さんは最後にこう締めくくった。「東北から離れた場所でも生きて、頑張っている人がいる。そんな人たちのことを忘れないでほしい」

 今年の「3・11」はウクライナにロシアが侵攻する中で迎えた。災害と戦争の違いはあるが、奪われる命や核の脅威を目の当たりにし、被災地だけではなくウクライナにも思いを寄せる人たちがいた。

 この日、原爆ドーム対岸の壁に掲げられたのは、高さ3・5メートル、幅7・8メートルの大きな絵。2017年にウクライナの子どもたちが制作したもので世界の5大陸の様子が色とりどりに描かれる。「3・11」に合わせ、ウクライナのことも考えてもらおうと展示された。18年に現地を訪れた造形作家の加藤宇章さん(61)は、出会った子どもたちの笑顔が浮かぶ。「災害でも戦争でも亡くなった人は同じように苦しい思いをしたと思う。絵を通して共有できたら」と話した。(三宅梨紗子、福冨旅史、岡田将平)

空から見た被災地 11年後の現在地

東日本大震災から11年。特に甚大な被害を受けた東北の被災3県はどう変化したのでしょうか。それぞれの場所の2011年と2022年の様子を、動画や写真で見比べられます。

【動画】空から見た被災地 11年後の現在地

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