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【特別メッセージ】阪神・和田TA、監督になって気付いたノムラの考え - サンケイスポーツ
tinggalaja.blogspot.com阪神・和田豊テクニカルアドバイザー(TA、58)が28日、本紙の取材に応じ、故・野村克也さんに特別メッセージを送った。1999年から3年間、阪神の監督を務めた野村さんのもとでプレー。ヤクルト-阪神の追悼試合を終え、改めて感謝の思いを語った。
今でもよく、「野村監督の言葉で一番印象に残っているのは?」と聞かれる。そのたびに答えに困っている。
備えが大事と繰り返しおっしゃっていた。「先入観は悪」というのも心に残っている。でも、いっぱいあり過ぎて、1つに絞り切れないというのが正直なところ。すべての言葉が心に残っているし、自分自身が監督になって、選手と話している時に、「あっ、これは野村さんがよく言っていた言葉だな」と気付くことが何度もあった。
野村監督という存在を意識したのは、阪神の選手、ヤクルトの監督として対戦するようになってから。戦っているうちに、試合の中で「いったいどんな野球をやっているのか?」と感じることが頻繁に起きた。
たとえば、ヤクルトが走者二塁や、二、三塁で打席に投手が入る。そしてカウントが2-0や3-0になる。こういうケース、30年近く前の時代のセオリーは「待て」。ところがヤクルトは「打て」だった。結果、タイムリーヒットを打たれるケースが、2度や3度じゃなかった。なんで投手が打てるんだ、という思いを何度もしていた。どのカウントでどんな球を投げてくるかを予測したうえでの作戦だった。
後に「そんなことまでやっていたのか」と感じたし、当時は守りながら、どんな野球をしてくるのか、疑心暗鬼になることもあった。
野村野球を知りたい、というよりも、「ヤクルトに勝ちたい」。その思いから野村さんの著書を片っ端から読んだ。たぶん、すべて読んでいるんじゃないかな。
毎日、ミーティングをしていると聞いて、その内容も知りたいと思った。でも、直接は聞けない。間接的に聞いても、微妙なニュアンスの違いがあるかもしれないから、いつか、何とか直接聞いてみたい。対戦しながら、ずっと思っていた。
そう思わせることも、野村さんの作戦だったはずだ。なにか仕掛けてくるぞ、くるぞと思わせて、何もしない。そういうことがすべて分かったのは、現役を辞めてからだったけれど(笑)。
1999年、野村さんが阪神の監督に就任されることになった。ずっと追求していた野村さんの考え、ついに直接、聞ける。ワクワクしたのを覚えている。
当時、世間は「野村さんが監督になったから、阪神はすぐにでも優勝できる」ぐらいに盛り上がったけれど、僕らはそんな単純なことではない、浸透するには時間がかかると分かっていた。時間は要したが、野村さんの考えは確かにタイガースに浸透していったと思っている。監督になって、生かされたことも山ほどある。
追悼試合を見ながら、改めて「できれば、もう少し早く、野村さんからいろいろな野球を学びたかった」と感じている。亡くなられて1年、その思いは強い。感謝は尽きない。(阪神タイガース第32代監督、現テクニカルアドバイザー)
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