「ペレストロイカで議論された課題の多くは未解決のまま」 ゴルバチョフ氏インタビュー詳報 - 東京新聞

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 ソ連崩壊の「引き金」となった1991年8月の保守派クーデター未遂事件から、19日で30年を迎えた。東京新聞(中日新聞)は、旧ソ連のミハイル・ゴルバチョフ元大統領に、北海道新聞と合同で書面インタビューを行い18日に記事を掲載した。書面インタビューの詳報は以下の通りである。今年3月に90歳を迎えたゴルバチョフ氏は、新型コロナウイルス感染予防のため、メディアとの対面でのインタビューは行っていない。

◆ソ連崩壊は望んでいなかった

 ―あなたが導入したペレストロイカ(立て直し)とグラスノスチ(情報公開)の意義についてどう考えるか。ソ連崩壊から30年が経過したが、その理念は現在のロシアで成熟したのか。 

 まず強調したいことは、ソ連崩壊はペレストロイカの最終的な結果ではなかったということだ。当然、われわれはソ連崩壊を望んでいなかった。ペレストロイカを始めた時、われわれには今日「ロードマップ」と呼ばれているものはなく、あるはずもなかった。しかし、向かうべき方向は明確に理解していたし、何をすべきかも分かっていた。社会の停滞を終わらせ、全てが「上層部」で決定され、国民に選択肢がない体制を拒否すべきだということだ。われわれは国民が求める「変革」へと歩み出した。もとより、変革には深刻なリスクが伴うことは承知の上だった。 

書面インタビューのゴルバチョフ氏の回答書。右上はゴルバチョフ氏の自筆サイン=小柳悠志撮影

書面インタビューのゴルバチョフ氏の回答書。右上はゴルバチョフ氏の自筆サイン=小柳悠志撮影

 もちろん誤りもあった。共産党改革、連邦制の改革をより早期に始めるべきだったし、もっと大胆な経済改革を実施すべきだった。残念ながら、歴史がわれわれに与えた時間は短かった。それにもかかわらず、6年余りで信じがたい成果を得ることができた。(外交では)冷戦終結、前例のない核軍縮条約、ドイツ統一だ。国内では表現、集会の自由、信教の自由、出国の自由、選択肢のある選挙、複数政党制など、市民の権利と自由が獲得されたのだ。 

◆われわれの努力は無駄でなかった

 重要なことは、ペレストロイカは後退できない地点まで進んでいたことだ。だからこそ1991年のクーデターは失敗したのだ。ただ、損失は巨大だった。クーデターは大統領と連邦に対する攻撃だった。その後、急進派や分離主義者は結果を考えずに、連邦を破壊した。

 ペレストロイカは中断された。新政権は多くの面で民主主義的な原則から逸脱していた。われわれの志向とは非常に異なった人々が国の統治を担ったからだ。彼らにとって唯一の目的は権力だ。自分の利益のために権力を利用し始め、あらゆる手段を使った。(ロシア南部)チェチェン共和国で戦争を始め、議会に銃口を向けた。 

 これらが全て、今日の状況につながっている。民主主義の原則の否定、形骸化した選挙、野党や反体制運動に対する脅し、独立系メディアへの圧力といった問題だ。一向に減らない汚職問題、縁故主義はそう遠くない過去(ソ連崩壊後の時期)に由来する。スターリン主義の正当化の試み、シロビキ(軍・治安機関)の強化についても同様だ。 

1991年8月22日、軟禁されていたゴルバチョフソ連大統領(当時)はクーデターの失敗後、クリミアからモスクワの空港に帰還し安堵の表情を浮かべた=AP

1991年8月22日、軟禁されていたゴルバチョフソ連大統領(当時)はクーデターの失敗後、クリミアからモスクワの空港に帰還し安堵の表情を浮かべた=AP

 これに関連して私が1990年8月に「1920~50年代の全ての政治的抑圧犠牲者の権利回復について」という大統領令に署名したことを想起していただきたい。政治的抑圧を正当化しようとする動きを防ぐために必要な措置だった。国民への抑圧を正当化する試みなどが(現在も)続いており、ペレストロイカのこの成果を今でも守る必要がある。「そういう時代だったから仕方ない」「何かを成し遂げるには犠牲はつきものだ」とも言われることがあるが、容認し難く、これに反対すべきだ。国家の指導部はこのような抑圧の試みを退け、法治国家の基準と原則を定めるべきだ。 

 ペレストロイカが設定した広範かつ歴史的な課題、その思想と原則(政治的、民主主義的なプロセスへ国民を参加させることにより社会的問題を解決すること、変革の進化的性質、現代世界の相互関連性を理解すること、世界政治と世界経済に国を統合したいと願うこと)は、現在も有効であると確信している。

 ロシアでは、ペレストロイカで議論されていた課題の多くが未解決のまま残っている。多元的で競争的な政治システムを構築し、真の複数政党制、権力のチェックアンドバランスの仕組みを形成し、定期的な政権交代を確保するという課題だ。

 そして今日、われわれが目の当たりにしているのは何なのか。国家や社会(の諸機関や諸組織)が効果的に機能せず、実際には重みも影響力もない模造品のような(政治)構造だ。ロシアでは権威主義的な傾向が強まり、個人による権力体制が出現する兆しがある。社会が深く、長期にわたり分裂する危険性があり、その結果、悲劇的な事態が起きる可能性があり、すでにそうなりつつある。 

 ロシアの安定性は、石油・ガス収入と、大統領への高い信頼により、維持されてきた。しかし、社会にとって安定は目的ではない。政治的停滞や潜在的な競争相手の排除、公共的なイニシアチブの阻害と引き換えに達成した安定なら、そのような安定は早晩崩壊するだろう。 

 しかし、私は楽観主義者だ。困難や失敗、後退があっても、(ペレストロイカに懸けた)われわれの努力は無駄ではなかった。すべきことはこれからも続く。ロシアは真の民主主義への残り半分の道を歩み、それは他の国々にも有益な影響を与えるだろう。 

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