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福島県内の放射線量を手書きグラフに 10年以上で40メートル「負の歴史を後世に」 - 東京新聞
comot.prelol.com 東京電力福島第一原発事故から10年以上、福島県二本松市の元中学校美術教師、大槻
◆避難者に接し、原発に憤り
2011年3月の事故当時、二本松には避難指示が出ず、原発に近い、主に浪江町から避難した住民を受け入れた。暮らしを奪われた人たちに接し、原発への憤りが湧いた。事故8日後の3月19日、記録を始めた。
この日は二本松で毎時9.27マイクロシーベルト。自然の放射線量の全国平均毎時0・04マイクロシーベルトの約230倍に上った。以後、半減期が短い放射性ヨウ素は急減したが、セシウムはなかなか減らない。5年後の3月11日に0・16マイクロシーベルト、10年後の3月11日は0・11マイクロシーベルト。国の除染の長期目標の0・23マイクロシーベルトを下回っているものの、下げ止まっている。
福島市は11年3月19日に9・30マイクロシーベルトだったが、今年3月11日は0・12マイクロシーベルトだった。
グラフには「散歩」「アトリエ」といったその日の行動や、天気を一言書き添える。雪が積もると放射線を遮って、線量が下がることを知った。線量が掲載されない土日・祝日の分は、点線でつないだ。今年4月からは二本松市の線量が掲載されなくなり、他市の記録を続けながら、今後、市に問い合わせてさかのぼって記録する。
◆風化しないようにの思い、油絵でも
東京都内の美術大を卒業し、県内の中学校で美術教師を52歳まで続けた。退職後は自宅のアトリエで美術教室を開き、子どもやお年寄りらに油絵や木彫りなどを教えてきた。一時は20人ほど通っていた子どもらは、事故後の避難や家計の悪化などで、今は1人。
「多くの人の生活が激変し、賠償金が入って人生が狂った人も多い」
事故の記憶が風化しないようにとの思いを、美大時代に専攻した油絵にも注ぐ。廃炉作業が進む福島第一原発の遠景とともに、不安そうな表情の少女、すさんだ無人の街と男性の横顔、農地を奪われ、一時帰宅でトラクターから離れられない男性の姿などを、毎年1枚ずつ描いてきた。
今月上旬には福島市の県文化センターで、仲間の美術家、写真家計50余人と「記憶展」を開催し、線量のグラフと油絵を展示した。
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September 16, 2021 at 10:00AM
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