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<北京五輪>母国の祭典 見守る 熱海土石流で被災の中国人・徐さん - 東京新聞
taritkar.blogspot.com北京冬季五輪が4日、開幕した。昨夏の東京に続き、世界的な新型コロナウイルス流行下での異例の大会は、隔絶されたバブルの「内」は祝祭ムード。一方、「外」では中国の人権問題を巡る批判が絶えず、平和の祭典の意義が問われる。東京五輪で自転車競技が実施された県東部では、熱海市の土石流災害で被災した中国人男性も、テレビで母国開催の五輪開会式をじっと見守った。
◆進まぬ原因究明 踏み出した生活再建
急峻(きゅうしゅん)な坂道を上ったところにある熱海市の市営住宅の一室。北京冬季五輪・パラリンピックの公式マスコットなどをデザインしたポスターが壁に張られている。
「自分の国でオリンピックが開催されるのはうれしい」。同市伊豆山(いずさん)で昨年七月三日に起きた土石流災害の被災者で、応急仮設住宅となったこの部屋に住む中国人・徐浩予(じょこうよ)さん(28)は、五輪開幕を心待ちにしてきた。四日夜は自宅のテレビで開会式を見て、「すごい。感動した」と喜んだ。
徐さんにとって北京五輪は同じ五輪でも、土石流災害直後の昨年七月二十三日に開幕した東京五輪とは、事情が異なる。母国開催ということはもちろんだが、東京五輪は市内の避難所で生活を始めてから、わずか一週間程度しかたたない中で始まった。「あの時は土石流で被災した気持ちが強くて、オリンピックどころではなかった。お金もなく、これからどうしようと不安がたくさんあった」と振り返る。
徐さんは「宿泊施設を営もう」と、伊豆山に二階建ての一軒家を購入、被災したのは引っ越しを終えたばかりの翌日だった。外出中で無事だったが、住宅は流され、何もかもを失った。
あの日から七カ月。多くの人の支援もあって生活再建が進み、被災前に始めようとしていた宿泊施設のオープンを目指して、新たな物件探しも始めた。「今は頑張りたい気持ち。みんなの力をもらってここまでやってきた。熱海の人に恩返ししたい」と前を向く。
そうした中での北京五輪を「オリンピックは平和のイベント。このときばかりは、純粋に観戦を楽しみたい」と、母国での祭典に期待を寄せる。
ただ、半年以上が過ぎた今も土石流の原因究明は終わっておらず、被害を甚大化させたとされる起点の盛り土を造成した業者などから謝罪や損害賠償もないことには納得がいかない。
「私は家や家具だけ流されたけど、他の被災者は命を失い、子どものころからの思い出などを流された。このまま終わりではない」(山中正義)
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