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「見えない島」を一緒に見たい 復帰50年、沖縄に関わる意味/上 - 毎日新聞 - 毎日新聞
comot.prelol.com戦後、米軍統治下にあった沖縄が日本に復帰して今月で50年。太平洋戦争での沖縄戦の記憶や米軍基地問題などで、本土との溝は今も残る。沖縄地元紙の沖縄タイムス元記者で東京在住のジャーナリスト、渡辺豪さん(53)と沖縄の高校に通った石川県珠洲市の宿経営、坂本菜の花さん(22)の2人が、本土で「沖縄問題」に関わり続ける意味について対談した。上下2回に分けて紹介する。【構成・鈴木英生】
モノレールと少女暴行事件から始まった
――沖縄との出会いをお聞かせください。
坂本 2012年、中学1年生で初めて沖縄に行ったときに、那覇市のモノレールに乗って驚きました。乗客がみんな、ぱっちりと目を開けておしゃべりしていたり、ずっと外を見たりしていた。ヤマト(本土)の電車では、朝でも寝ていたり、スマホをいじったりしている人ばかりだったので、「なんて生き生きとした人たちだろう」と感じました。その後、本島北部、東村高江の米軍ヘリパッド基地建設反対運動などを扱ったドキュメンタリー映画「標的の村」(三上智恵監督)を見て「日本にこんなところが……」と衝撃を受け、知り合いに現地へ連れて行ってもらいました。他にもいくつか理由があり、高校は那覇市(現在は南城市に移転)のフリースクール、珊瑚舎スコーレの高等部に入りました。
渡辺 沖縄の人は、モノレール開業まであのアングルで街を見下ろす経験がなかったので、当初は風景が珍しかったんですよね。僕もそうでした。03年に開業した頃、モノレール建設を推進した親泊康晴元那覇市長と偶然乗り合わせたら、親泊さんも景色とおしゃべりに夢中で降りる駅を乗り過ごしていた(笑い)。沖縄との本格的な出会いが、高江のヘリパッド問題だったというのは新鮮です。僕より10歳くらい下までは、1995年の米兵少女暴行事件がきっかけという人が圧倒的に多い。高江は辺野古の陰で目立たず、沖縄県内でも「標的の村」が上映された頃、ようやく注目されるようになった印象があります。
95年当時、僕は毎日新聞記者として1月に発生した阪神大震災の被災地取材をしていました。秋口に遅い夏休みを取り、取材の疲れを癒やそうと泊まった沖縄のリゾートホテルで開いた地元紙に引き込まれました。この年の9月に起きた少女暴行事件は知っていましたが、それ以外にも米軍絡みの課題が大量に載っている。こんな矛盾が日本に残っている現実を知らなかった自分を、「記者として恥ずかしい」と思いました。本土に戻ってから地元紙を2年間購読し、「ここは記者が必要とされる土地だ」と確信しました。本…
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May 07, 2022 at 05:00AM
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