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被災地の「今」走る 道半ばの復興、胸に刻み - 日本経済新聞
駅前のかつての更地には真新しい6階建てのオフィスビルが建ち、役場前の公設商業施設は買い物客らでにぎわう。東京電力福島第1原子力発電所事故後、全町民が一時避難した福島県広野町の風景はここ数年で大きく変わった。それでも福島県立ふたば未来学園高1年の荒川礼奈さん(16)は思う。「震災前より住民の姿が少なく、やっぱり寂しい」
国は今回の東京五輪を「復興五輪」と位置づける。約4カ月かけて全47都道府県を巡る聖火リレーは3月26日、同町と楢葉町にまたがるサッカー施設「Jヴィレッジ」を出発。ランナーが走る沿岸部は原発事故の影響が大きく、事故後に整備された建物も少なくない。
2011年3月の原発事故後、周辺住民は長期避難を強いられた。聖火ランナーを務める荒川さんもその一人。家族7人で広野町から避難し、約5年間、沖縄の親戚宅や東京で過ごした。「住み慣れた町を急に離れることになって不安だった」と振り返る。
東日本大震災や原発事故による全国の避難者数は当初、推計約47万人に上った。復興庁によると、20年2月時点でなお約4万7千人が避難生活を余儀なくされている。12年3月に避難指示が解除された広野町の人口は、20年3月時点で約4700人。事故当時の約5400人に比べると、1割以上少ない。
高校で陸上部に所属する荒川さんだが、当初は地元を代表して走ることにためらいもあった。しかし「一生に1回の機会だから」と母らに薦められ、締め切り当日に応募。新型コロナウイルスの影響で関連行事は縮小され、沿道で見守る人も少なくなる可能性があるが、「東北が頑張って復興に向かっている姿は伝わるはず。ランナーとして精いっぱい走る」。
戦後最悪の災害となった東日本大震災では津波などで1万5千人以上が犠牲となった。悲しみと向き合い続けるなかで、聖火リレーに複雑な思いを抱く被災者もいる。
6月にランナーとして聖火をつなぐ宮城県大崎市の田村孝行さん(59)は「復興五輪という言葉に違和感を持っていた」と打ち明ける。今なお2千人以上の行方不明者がいる。にもかかわらず、復興を成し遂げたかのような社会のムードを感じたからだ。
長男の健太さん(当時25)は震災当時、同県女川町の沿岸部にある勤め先の銀行の支店屋上に避難したが、津波にのまれて犠牲になった。支店の近くには高台があり、「助かる命だったのではないか」との思いは今も消えない。週末になると支店の跡地近くを訪れ、震災の教訓を伝える語り部活動を続けている。
津波で壊滅的な被害を受けた女川町の中心部は震災後に再建された建物ばかり。健太さんが暮らした町の風景は失われた。「息子がこの町で過ごしたことを心に刻みたい」。五輪に関心は持てなかったが、そんな思いでランナーに応募した。
街には、更地のままで震災の爪痕が残る場所も少なくない。「聖火リレーが被災地の実情を正しく知ってもらえる機会になればいい」。田村さんはそう願っている。
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March 22, 2020 at 09:30AM
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