Judul : ヨルシカロングインタビュー!「好かれてるから嫌われたい。“破壊衝動”があった」新アルバム『盗作』をめぐって - ダ・ヴィンチニュース
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ヨルシカロングインタビュー!「好かれてるから嫌われたい。“破壊衝動”があった」新アルバム『盗作』をめぐって - ダ・ヴィンチニュース
comot.prelol.comオスカー・ワイルドを敬愛し、種田山頭火など近代俳人の句に触発されてきたコンポーザー・n-buna(ナブナ)の書く詞は極めて文学的だ。楽曲が生み出されていくところは、みずからつくり出した“物語”=コンセプトから。そのストーリーの場面、場面を、ボーカリスト・suis(スイ)が透明感ある深い歌声で表現していく。約1年ぶりとなる新アルバム『盗作』は、“音楽の盗作をする男”を主人公とした男の“破壊衝動”を形にした全14曲が収められている。アルバムタイトルが発表されるなり、“そこにはどんな意味が、あるいは意図が隠されているのだろうか”と、リスナーの間で物議も呼んだこの一作で、ヨルシカは何をしてみたかったのだろうか――。
他の方向に線を描いて、最後はつなげて円になる
――アルバム『盗作』のなかにある物語=コンセプトが生まれた経緯は、どのようなものだったのでしょう。
n-buna コンセプト重視の作品づくりを、これまでヨルシカというもののなかでしてきましたが、前回のアルバム『エルマ』を作り終えたとき、次は自分がずっと考えてきたこと、音楽の主張のようなものを織り込んで作品が作れたらいいなと思ったんです。僕は文学が大好きなので、文学作品からの引用を楽曲のなかにかなり取り入れているんですね。それはいわゆるオマージュと呼ばれるものなんですけど、やっていることは、情報だけで見たら盗作にあたるんだろうなと。なのに、“ここは、この作品のこの部分から持ってきた”と公言した瞬間、“盗作”は“オマージュ”に変わる。作品自体の内容はまったく変わらないのに。そして、僕の価値観のなかでは、盗作と題した作品すら、ひとつの作品になるんじゃないか、という気持ちがあったので、自分のなかで考える機会の多い、それを表題に据えたコンセプトアルバムを作ってみようと思ったんです。
――初回限定版のパッケージは“本”。そこに綴られている130ページを越える小説が、今回のコンセプトですね。
n-buna 今はサブスク、音源単体で聴かれる時代になっていますし、販売はダウンロードで成立してしまう。そのなかにあってヨルシカは、実際に手に取ってもらうためのアナログ的な形=CDとしての作品づくりをこれまでも進めてきました。前回の『エルマ』では日記帳、その前の『だから僕は音楽を辞めた』では手紙と写真でコンセプトを示してきましたが、次なるアナログ的な表現方法として何があるか?と考えたとき、最初に僕のなかから出て来たのが小説だったんです。
――アルバムのなかの楽曲が、その小説のストーリーをなぞるように進んでいくのは、“音楽の盗作をする男”の物語。“俺は泥棒である”“昔から、美しいメロディには目が無かった”という男の独白から始まる物語は、雑貨店で盗みを働いた少年との出会いから、インタビューに答える“俺”、そして少年との日々を語る“私”の間を漂っていきます。
n-buna 小説は以前にも何回か書いていましたが、小説そのものを楽曲のバックグラウンドとして書くのは初めてのことだったので、いい経験になりました。最初に浮かんだのは、インタビューで盗作の自白をする男。その合間には一人称で彼の物語が挟まってきて。その男の人生の1シーンが、それぞれの楽曲には詰め込まれています。
――前作『エルマ』では、n-bunaさんの書いたストーリーをレコーディングの際、自分のなかに入れないまま歌われたというsuisさんですが、今作では?
suis プロットはn-bunaくんからもらっていたので、おおまかな物語は頭に置いてレコーディングに臨みましたが読みませんでした。実は、今もまだ(笑)。 CDが出来てから、ちゃんと本で読みたくて。データはもらっているんですけど。
n-buna いいと思います(笑)。レコーディング前、曲のテーマや、僕が書きたかったことについては共有していたので。
suis はははは(笑)。
n-buna 僕はsuisさんに楽しんでもらいたいなと思っているので、本として出てから読むというのは逆にうれしいです。
suis ヨルシカの1ファンとして読みたかったんです。
n-buna 制作者側ではない気持ちで読んでくれると、すごくうれしい。実は僕も、原稿を入稿してから一切、読んでないんです。発売してから新しい気持ちで触れたいなと思って。
――歌う際にはどんな形で、そのコンセプト=物語を表現していったのですか?
suis 物語があることは頭に置きつつなんですけど、歌うときは一曲一曲のイメージのほうに気持ちを持っていって、というか、自分で勝手に、“こっちのほうが面白い”ということをやっていました。物語を読まないままに曲だけ聴いて、自分で解釈すると、大体の場合、n-bunaくんが曲に込めた意図と、全然違う解釈を私はするんですよ。
n-buna ふふっ(笑)。
suis 違う人間ですし、n-bunaくんと私は全然似ていませんから。たとえば、“言勿れ 愛など忘れておくんなまし”と廓言葉が、詞のなかに出てくる『春ひさぎ』でも、n-bunaくんは、商売としての音楽のメタファーをテーマに書いていたと思うんですけど、私は普通に色っぽい、身を売るイメージで歌っているんです。けれど、そうすることで広がりが生まれるというか、n-bunaくんが描いた線を私がなぞるというのではなく、他の方向に私が線を描いて、最終的にはつなげて円になる。ヨルシカらしさというものには、余白や可能性があってほしいなと思って、勝手に違う方向に行っています。本来の意味を知らないままやるほうが面白いかなって。
n-buna いや、これだからヨルシカ、楽しいんですよね。自分の想像に収まるものばかり出て来たらつまらない。今のsuisさんの、“線をつなげて円にする”という表現も僕からは絶対、出てこないもの。だからこそ一緒にやっていて楽しいんですよね。いつも新しい風が吹いていてほしい。想像を越えるものを共に生み出したいんです。
男の破壊衝動は僕が今、しようとしていること
――今、お話に出た『春ひさぎ』は、MVが配信された途端、視聴者のコメントが見ている瞬間にも次々と書き込まれていきましたね。歌への解釈が、色とりどりと言えるほど異なっているところも“ヨルシカらしいな”と思いました。
suis 聴いた方にそれぞれの解釈をしてもらえるというのが楽しいですよね。
n-buna それは今のsuisさんの話につながるところもあると思っていて。商売としての音楽のメタファーという本来のテーマについて、レコーディング前、僕は、suisさんに言わないでおこうと思ったんですね。suisさんは、たぶん、売春の曲として受け取るだろうなと思ったから。実際、僕は2つの見方ができるように、ダブルミーニングで楽曲全体の構成をしたので、バックグラウンドを僕から明かされると、楽曲の見方が変わる、みたいな、そういうことをしたかったんです。配信で聴かれた方たちも、普通に売春の曲だと思って聴いて、そこからダブルミーニングとしてのメタファーを探っていたと思うんです。そういう聴かせ方ができたのはsuisさんが、本来のテーマではないほうの気持ちで歌を表現してくれたから。このズレが気持ちいいことになっているんじゃないかなって。
――“早く、僕を満たしてくれ”「思想犯」、“まだ足りない、まだ足りない”“この歌が僕のものになれば、この穴は埋まるだろうか”「盗作」など、詞には満たされない数々の“穴”が表現されています。小説にはそれが直喩、あるいは隠喩として、明確に記されている。この“穴”とは?
n-buna 男の人物を考えたとき、創作者個人として、僕が自己投影をできたもののほうが、自分にとって気持ちいいものになるなと思って。自分のなかの欲求のひとつとして、一感覚みたいなものを男に投影した結果、創作的な意味、人生的な意味での満たされなさ、飢餓感を抱えた人間が出来上がりました。
――エイミーをなくし、彼の訪れた土地を辿る「エルマ」(『エルマ』所収)、“幽霊になった僕”に“口に出して 声に出して 君が言って”と願う『言って。』(『夏草が邪魔をする』所収)の女の子など、“穴”や“欠損”が、ヨルシカの詞のなかではいつも大きな存在感を持っていますね。
n-buna 人にとっての欠落感のようなものの根源って、なくすことにあると思うんですよね。その一番大きなものが人との別れ。表現として、僕はそういうものが好きで、そういうものを書きたいと思っているところがあります。そう、それはヨルシカの根底にあるものかもしれない。
suis その部分も、私はn-bunaくんのなかにあるものとは違うものを受け取っているなぁという気がいつもするんです。自分のなかにある欠損の記憶と、今、自分が持っているもので私は表現するので。でもそこも一緒にならないから面白い。欠損や死の記憶はそれぞれみんな違うものだから。
――そして“終わりの瞬間”も、ヨルシカの楽曲ではいつも大きな存在感を放っています。“男”は“自分にしかできない美しい破滅の瞬間”へと向かっていきます。
n-buna 小説は結びの美しいものしか、僕は認めたくないので、そういう意味で、終わり方というものに固執する人間ではあるんですよね。実は『盗作』では、物語の終わり方を最初に考えたんです。前作までは、死というものによる別れを描きましたが、この作品では、人間的な死ではなく、創作者、表現者としての死というものを書きたかった。そこを起点にストーリーは生まれていきました。美しい破滅の瞬間、創作者としての死の瞬間をどう描いていこうかというところから。盗作品としてものを作り、それによって破滅するというのは、その様も、とてもきれいなものになると思ったから。
――そして、その終着点につながっていく“破壊衝動”が楽曲で奏でられていく。『思想犯』『爆弾魔』『昼鳶』……。
n-buna 僕が今、ヨルシカでやろうとしていることがそれなので。今までのヨルシカは、清潔感のある切なさというか、思い出のなかにしかない夏みたい概念をきれいにアウトプットした作品を描き続けてきたわけじゃないですか。それを破壊したかったんです。それを破壊することで、僕の破滅願望みたいなものを満たしたかった。『盗作』というタイトルだけで、批判する人はいると思うんです。“そういうタイトルで釣りだしたか”とか、“刺激的なものを出すことで、世間の注目を浴びようとしている”とか。タイトルやテーマに不快感を持つ人もいると思う。『春ひさぎ』のテーマのなかに、売春があるということも、人によってはセンシティブなことであるし、『昼鳶』というのは空き巣の隠語ですし、そうした自分にとって、誰かにとって、不快な表現というものはあると思っていて。それをわざと打ち出すことによって、今までヨルシカとして組みあげてきたものを壊したい。
――これまで積みあげてきたものを破壊したかったのはなぜだったのでしょう。
n-buna 僕は基本的に他人からの評価というものが信頼できないんです。今、ヨルシカというものが、だんだん大きくなってきて、たくさんの人に聴いてもらえるところまで来たという自覚があるんですけど、その“評価されている”ということに対し、カウンターというか、逆のことがしたくなる。好かれてるから嫌われたい、みたいな。『盗作』というテーマに目を背ける人も離れ、僕を叩いてくれると思うんですよ、“ヨルシカ、つまんないな”と。それがしたかったんです。単純に嫌われたいな、と思った。僕は、人のために作るという状況がめちゃくちゃ嫌いで。自分のために作ってこそ美しいものになると思っている。偶々、自分たちの作品性が受け入れられる幸運な時代に生きているだけ。ヨルシカというものが世間に寄り添いだしたら終わりだと思うんですよね。自分たちだけの表現を突き詰めていくべきで。そうなりたくない、というところからの“破壊衝動”があったんだと思います。
suis 昔から、こういうこと言ってる(笑)。
n-buna ずっと言ってるよね(笑)。
suis 私はn-bunaくんの感情、知らない感情が多いので、知らないものとして、“あぁ、そういうの、あるんだ”と。きれいなヨルシカを作っているときも、私は歌っていて、“あ、いいじゃん”って。今回、『盗作』という、前のヨルシカからは違うものを作ると聞いたときも、“あ、面白いじゃん、新しいことするの楽しいね”って、私はそれだけなんです。“ああ、またn-bunaくん、言ってるな”と思いながら(笑)、一緒に作品を作っていますね。
“私はヨルシカで自分の感情の葬式をしている”と思った
――楽曲のアレンジやサウンドメーキングについて、このアルバムでしてみたかったことは?
n-buna 前半に低音が響くような、ちょっと重たいもの、ロック調のものを、ということはアルバムの構成をつくるときから頭のなかにあって。さらに、スイングジャズを取り入れるなど、これまでのものよりも、ジャンルを幅広くしたいと思いました。今までやらなかったことをやりつつ、これまでのヨルシカを辿りつつ。
――『昼鳶』での低音をはじめ、そのなかでは、これまでのヨルシカではまったく聴いたことのないsuisさんの歌声も響いてきますね。
suis 私は、けっこう自分の歌声に飽きてしまうというか、きれいな曲をたくさん歌っていると、きれいな曲を歌う自分の歌声にどんどん飽きてしまうところがあるんです。今までに歌ったことのないものを求められるというか、違う歌声を出させてくれる曲を、今回、n-bunaくんが書いてくれて、わくわくしたというか、すごく楽しかったです。
n-buna ありがとうございます。
――アルバムタイトル曲『盗作』は、男の、言い換えるとn-bunaさんの抱えている矛盾、満たされなさや衝動が、アップテンポなメロディのなかに宿っているようです。
n-buna この曲では、男の盗作という破壊衝動の全容みたいなことを歌詞にアウトプットしたくて。そこにあったのは、世の中の音楽評や作品評を読んだときに抱いていた違和感です。“この作品はロックのこういうところに源流があって、そうしたものに影響を受け、今、この音楽家がいる”みたいな。そういう“影響を受けたもの”は肯定し、当たり前のものとして受け取るのに、なぜ盗作として作られたものは作品足りえないのかって。どちらも変わらないんじゃないかと思うんです。たとえばそれはジャズのスタンダードにも言えることで、どこがオリジナル源流かもわからないなか、ベースとされるラインは、これまで世界中で、何千、何万と使われて来ている。その創作で重視されるのは、まったく同じコード進行のなか、己れをどう表現するかということで、それも盗作行為と何ら変わらないんじゃないかと。けれど既存の作品の一部を取り入れ、自分のなかでものにして出す、という行為については、世の中のみんなが攻撃する。“こことここがつながっている”とか、“これはここからパクった”とか。僕はそういう人たちを安全な場所から殴りつけたかったんです、表現という武器を使って。
suis 私にとって『盗作』は、このアルバムのなかで難しいというか、一番大変な曲でした。これじゃない、これでもない、この感情じゃない、と、何日かけても、全然いいものが出てこなかった。今の自分のなかにはない感情だったもので。そこで自分の記憶みたいなもののなかを、気の進まない場所にまで潜っていったんです。重い蓋をして、海の底に沈めておいた“開けるな、危険”みたいな壺を取りに。それを引っ張り出してきて、大笑いしながら、中身を海面にぶちまけたような感じで歌いました。偶然、というのともまた違うんですけど、そうしながらレコーディングした『盗作』は、そのあと何回歌っても、その一回しか出てこなかった。その一回だけで、ぶちまけて、見つけた曲だったから、自分のなかに残らなかったんでしょうね。自分の人生のすごく嫌なものを持ち出してはきたんですけど、ただ、歌っているときはその分、すごく気持ち良くて。『盗作』のメロディが、私にはすごくキラキラして聴こえるんですけど、そのキラキラ感のなかに、自分の後ろめたい感情のようなものがばらまかれて、自分にとっても、ある種の供養というか、呪いが解かれたというか、そのとき、“私はヨルシカで自分の感情の葬式をしているんだ”って思ったんです。解き放たれたような満足感がありました。
情報も評価も作品の価値にはまったく影響しない
――そしてこのアルバムには、映画『泣きたい私は猫をかぶる』の主題歌『花に亡霊』と挿入歌『夜行』が収められています。映画とアルバム、異なる世界観のなか、どのような過程でこの2曲は作られていったのでしょうか。
n-buna ヨルシカ自体がコンセプトありきの作品を作るバンドで、今、作ろうとしている『盗作』というアルバムに収録する曲になります、ということを、打ち合わせのとき、監督にお話ししたんです。“自由にやってください”という心強いお言葉をいただき、映画と調和する形の尖った作品をヨルシカとして書き、映画の雰囲気とマッチしたら、それをそのまま使ってください、という意識で書いた曲たちです。
suis 『花に亡霊』は私、最初、何曲か、ワンコーラスのデモテープをn-bunaくんから貰ったとき、“ダントツでこれが好きだ、これがいい、これがいい”と言っていた曲なんです。
n-buna うん、言ってたね。
suis 純粋に曲として、大好きな感じの歌でした。歌として、メロディとか、歌のつくりとかがすごく好きだなと。歌うときは、どういう感情になるとか、そういった解釈はせず、ただ花が揺れるのを見て、歌って気持ちいい歌を、聴いていて気持ちのいい歌を、そのまま出そうと思いました。
n-buna いや、もう同じです。純粋に、きれいなメロディ、きれいな情景を並べた歌を作ろうと思ってできた曲なので。だからこそ、映画の世界観ともマッチしたと思うんです。そのときの僕は、意味を込めた歌への反発をしたかったんです。ヨルシカというものには、オマージュの元や、テーマなど、そのとき書きたいものがはっきりあって、聴いた方たちがそれを汲み取ろうと考えてくださる。そういうものへの反発がしたかったんです。その作品がどうやってできたかという情報にめちゃくちゃ重きを置く世の中に対しても。それって、自分がその作品に感動した理由を探そうとしているんですよね。“この作品はこんな過酷な経験から生まれた”とか、“魂を削って、何日も食べずに創作した”とか、そういうことが尊ばれる。でもそれは情報でしかない。作品の価値にはまったく影響しないと僕は思うんです。だから、自分のなかで純粋に綺麗だと思うこと、溢れてきた言葉、メロディを、意味を含めずにつなぎ合わせても、絶対に美しい作品になる、という曲を書きたかったんです。
――ヨルシカの楽曲のなかに、リフレインするように現れてくる、“夏の匂いがする”という言葉が『花と亡霊』でも印象的に響いていますね。
n-buna この“夏の匂いがする”という言葉、僕、ほんとに好きなんですよね。夏の匂いってあると思うんですよ。僕はそれが好きで、ただ純粋に入れたかったという、それだけのことなんですけど、春から初夏にかけての空気感を描いてきたアルバムの最後の一曲となる『花と亡霊』で、この言葉をsuisさんにぼそっと言ってもらう、それはすごくきれいな流れになると思って、最後にこの言葉を入れました。
――このアルバムが届いていくとき、メッセージを添えるとしたら?
suis それぞれの楽しみ方をしてほしいですね。n-bunaくんの小説に寄り添って聴いても、自分自身を投影しても、最近だと、好きなキャラクターとか、自分の好きな存在に歌詞をあてはめて聴く、という文化もありますので、そういうことをしてもらっても楽しいだろうなと思います。何も考えず、音だけ聴いていただくのもいい。n-bunaくんと私は、自分のために、自分の好きなように、ヨルシカをつくってきたので、届いた作品を聴く皆さんにも、自分のためだけに、ヨルシカを聴いて使っていただければ、うれしい。
n-buna このテーマでアルバムを作ったことによって、皆さんが知りたいこと、それは僕が曲をつくるにあたって、盗作をしたのか否かということだと思うんですが、これについて、僕は触れない。“このメロディ、あの曲のここと似ている”と思ったとして、ほんとにそこから持ってきているかもしれないし、逆に持ってきていないかもしれない。ただ、自分のなかから生み出したものをそのまま書いたら、たまたま似ていただけかもしれない。それを作者が口にしたか、していないかで作品の評価が変わるなんておかしいことだと思いませんか? 事実だけなら、現代音楽のメロディの殆どは盗作なのに。音楽の歴史の何処かで流れたものと一致しないメロディなんて、もう存在しないのに。
“盗んだ”かどうかというのは、結局ただの情報にしかすぎないんですよ。作品を聴いて、”好き”と感じたらそれでいい。気に入らないものだったら、気に入らないものとして処理する。音楽だけじゃない、すべての作品はあなたが幸せになるための手段でしかない。情報や評価に惑わされず、あなたが幸せになる為に消費してください。
よるしか●ボカロPであり、コンポーザーとしても活動中の“n-buna(ナブナ)”が、女性シンガー“suis(スイ)”を迎えて結成したバンド。 2017年4月より活動を開始。同年1stミニアルバム『夏草が邪魔をする』、18年、2ndミニアルバム『負け犬にアンコールはいらない』を発売。2019年4月1st フルアルバム『だから僕は音楽を辞めた』、8月に2nd フルアルバム『エルマ』をリリース。『エルマ』はオリコン初登場3位を記録した。映画『泣きたい私は猫をかぶる』では、エンドソング(『嘘月』)も手掛けている。
取材・文=河村道子
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August 11, 2020 at 09:03AM
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