Judul : 「弟の面影が忘れられない」 対馬丸撃沈から78年:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル
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「弟の面影が忘れられない」 対馬丸撃沈から78年:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル
comot.prelol.com疎開船「対馬丸」が米潜水艦に撃沈されてから22日で78年。那覇市若狭の慰霊碑「小桜の塔」では前日の21日、強い日差しの中を遺族らが訪れた。「弟の面影が忘れられない」「戦争さえなければ」。犠牲者の冥福と平和を祈って手を合わせた。
那覇市の儀間秀子さん(92)は、末弟の眞雄さん=当時(11)=を失った。眞雄さんとは「一緒によく遊び、よくけんかした」と懐かしむ。
1944年8月、垣花国民学校に通っていた眞雄さんは九州に疎開することに。だが、到着を知らせる電報は届かなかった。
秀子さんはその後の10・10空襲で家を焼かれ、地上戦では南部の戦場をさまよった。一緒に逃げていた両親は亡くなり、長男は兵隊、次男は学徒隊として戦死。家族の中で一人、生き残った。
刻銘板には、眞雄さんの名もある。「戦争は本当に嫌」。塔に向かって、じっと手を合わせた。
約5年ぶりに訪れたのは、豊見城市の古波蔵伸子さん(94)。弟の又吉常幸さん=当時(15)=が犠牲になった。「ここに来ると、いろんなことを思い出すよ」。常幸さんとは、畳の上で疎開船に乗る「予行演習」をして遊んだという。
母は亡くなるまで、対馬丸のことを口にしなかった。あの戦争が「ただただ悔しい」と静かに語った。
対馬丸は疎開学童らを乗せて那覇港から九州へ向かう途中、鹿児島県の悪石島沖で撃沈された。犠牲者は氏名が判明しただけで1484人で、うち学童は784人に上る。
近くを通りかかり手を合わせた那覇市の40代女性は「今も争いがある。世界からなくなってほしい」と願いを込めた。
22日に行われる対馬丸慰霊祭は去年と同様、コロナ禍のため、来賓や遺族は招かず、記念館の職員で法要のみを行う。(沖縄タイムス)
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August 23, 2022 at 08:00AM
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