<今こそノムさんの教え(42)完>「感謝、感謝、感謝」 - 河北新報オンライン

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<今こそノムさんの教え(42)完>「感謝、感謝、感謝」 - 河北新報オンライン

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 春は卒業の季節。この連載も一区切りします。今までお世話になった皆さんへ向けて、今回の語録は「感謝、感謝、感謝」。長文ですが、最後までお付き合いを。

 仰げば尊し我が師の恩―。試合前の東北楽天ベンチ、次から次と野村門下の卒業生たちが恩師のもとへやって来る。「お元気ですか」。監督はだいたい冗談で返す。「お前、遠い存在になったな。お前が引退して監督になったら、俺をヘッドコーチで使ってくれよ。いい仕事するぞ」

 ヤクルト監督時代の稲葉篤紀(日本ハム)、阪神での赤星憲広(阪神)、社会人シダックス監督での武田勝(日本ハム)、森福允彦(ソフトバンク)。ほかに井端弘和(中日)、G・G・佐藤(西武)の姿も。以前、野村監督が少年野球チームを指導した時に接点があった。稲葉を筆頭に、プロに導いてもらったと多少なりとも思っている人は、特に義理堅い。

 監督はある選手が来た後、特にうれしかった思い出を記者たちに語った。ヒントは野村監督退任2年後の2003年、阪神のリーグ制覇を支えた4番打者で選手会長。

 「『今になって野村監督が言っていた意味が分かる。おかげで優勝できた』みたいなコメントを新聞で見たんだ。そんなこと言ってくれたのは一人だけ。さほど教えた実感がなかった分、うれしかったなあ」。桧山進次郎のことだ。

 桧山は1998年まで中軸を打つ看板選手だった。しかし99年野村監督になると、控えが増えた。それでも2001年に外野の定位置を奪還。夏場以降4番に定着、自身初の打率3割を記録して復権。05年のリーグ制覇にも貢献。

 監督はあいさつに来た桧山を面と向かって冷やかした。「お前、すっかり立派になって。俺が阪神の時は今ほど働かなかったじゃないか」。桧山は苦笑いして「あの頃はまだ野球が分かっていなかったんです」。

 桧山はぼんやりとベンチにおらず、野村監督がぶつぶつ言う配球予想に耳を傾けていた。野村流勝負の駆け引きを学んだという。

 二人が旧交を温める姿を見て、筆者は野村監督の語録を2つ思い出した。

 「努力に即効性はない」

 すぐ結果に結びつかなくても辛抱強く頑張るのが大事、という意味。

 実際、野村監督の教えは一朝一夕では血肉化しない。人によっては言葉の意味が心から理解できるようになるのに、年単位で時間を要する。そもそも考え方から大人になる必要がある。ゆえに野村監督は言った。

 「人間的成長なくして技術的進歩なし」

 そんなこんなで、教えた本人も忘れた頃に、熟成期間を終え「門下生です」と名乗り出る選手がいた。桧山のように。しかし、東北楽天の選手たちはまた別の話。「種をまき、水をやり…」の段階だから仕方ないのだが、野村監督は指導成果を実感できずにいた。

 「王がうらやましいよ」。09年開幕前、今季限りでの退任が既定路線と言われてきた野村監督はぼやいた。引き合いは先にソフトバンク監督を退いた終生のライバル王貞治。

 「小久保(裕紀)とかがインタビューで言っているのをさ、聞いたことがあるんだ。『監督を胴上げしたい。男にするんだ』って。俺なんか言われたこともない。これは人望の差か?」

 単なるねたみにしか思えなかった。聞いた当時の筆者には。しかし13年が過ぎ、一つの問いかけが潜んでいたと気づく。

 「感謝」とは何なのか?
 そして野村哲学から筆者が推察した結論。感謝は周囲を生かし、よくしていくものだということ。そして「情け」ならぬ「感謝」は人のためならず、で自分にも巡り巡るもの。

 「野球は人生そのもの」を基本理念に監督は人生観を最重視して選手に伝えた。「『人の間』と書いて人間だ。人の間で人のためになってこそ人間なんだ」。

 そして次が最も重要な人生訓だ。

 「自分のために技術を高め、チームのために戦い、ファンのために勝利を見せる。それが家族のためになり、最後は自分に返ってくる。だから自分はまわりに生かされていると自覚し、感謝の心を持とう。そうすれば自分の向上心、他者との信頼、絆につながっていく」

 謙虚であってほしいから、慢心を排除させようとした。「自分を過大評価した時から、思考の硬直が始まる」「『おかげさま』という言葉が出てくるようでなければいけない」

 観念的な説明が長くなったが、詰まるところ、野村監督は野球という団体競技を通じて、感謝の気持ちのある自立した社会人を育てようとした。

 さて、当の野村監督は野球人生で頂点に立った瞬間、どんな振る舞いをしていたのか? 1993年、ヤクルトを率いて念願の日本一達成。その勝利監督インタビューに人柄がのぞく。監督の個人的心境への質問をかわして言った。

 「ファンの皆様、選手諸君、コーチ、球団の方々、本当に皆さんに感謝、感謝、感謝です」

 感謝のいわれは、感じた言葉を射るようにして相手に発することとされる。つまり、口にしてこそ感謝なのだ。

 「王がうらやましいよ」に話は戻る。本当に東北楽天に「野村監督を男にしたい」と感謝を公言する教え子はいなかったのか? 一人だけいた。苦難続きだったからこそ監督の数々の言葉を意気に感じ、別人のように生まれ変わった人が。

 時は初の2位に躍進した2009年秋。舞台は本拠地、3位ソフトバンクとのクライマックスシリーズ(CS)第1ステージ第2戦だ。

 野村監督はほんの一瞬、恍惚(こうこつ)の表情を浮かべた。予期せず教え子に抱きしめられた。野村楽天の4年間、本拠地で一番と言い切れる幸せな瞬間。

 東北楽天に五回、4―0と一気に試合の主導権を握る3ランが出た。打った山崎武司がベンチに戻る。日本シリーズ出場を懸けた第2ステージ進出が事実上決まったような瞬間。球場は歓声の渦に包まれた。

 監督は珍しくベンチ前に出ようとした。普段は腰が重いのに。「危機管理する立場なのに、一緒に両手を合わせて大喜びする若い監督の心境が分からん」と言って。それが、ついうれしさからハイタッチを求めてしまった。すると山崎の巨体が迫る。監督はとっさに受け入れた。

 失意とやり場のない怒りに支配されていた監督の心は和らいだ。CS直前に球団から契約満了を告げられ、「日本シリーズまで進んで、球団を困らせてやる」とくそったれ精神に火が付いていたから。

 抱擁は山崎からの無言の感謝。どう見ても明らかだった。前日のCS第1戦開始直前「監督と少しでも長く試合をするんだ。今までどれだけ世話になったと思っているんだ」と恩義を言い、実際に2試合連続で一発を放ったのだから(第38回「くそったれ」参照)。

 山崎は理不尽さを嫌う性格が災いし、監督との関係がこじれて中日、オリックスで居場所を失った。球界ではちょっとした問題児的存在だった。ある年、優勝へと前進する劇的なサヨナラ弾を打った。その時の監督に山崎はわだかまりを抱いていた。だから監督が近寄り祝福の抱擁をしても、笑顔さえ見せなかった。

 それが野村監督には自ら抱きついた。

3ランを放ちベンチに戻った山崎武(手前)と抱き合って喜ぶ野村監督=2009年10月17日、Kスタ宮城(当時)

 東北楽天で「考える野球」に開眼。40代目前で本塁打、打点のタイトルを獲得し、輝きを取り戻したとはいえだ。「やんちゃだった頃に野村監督と出会っていたら、反発もしていただろう。俺も年齢を重ねて変わった」。野村監督もチームの模範となる「かがみの存在」と認めるほど、山崎は精神的にも成長していた。

 続くリーグ戦王者日本ハムとのCS第2ステージは劣勢が続いた。あと1敗で日本シリーズ出場が夢と消える第4戦試合前。「もし負けなら、野村監督を胴上げで送り出そう」とチームは裏で準備を進めていた。

 情報は筆者の耳にも入った。ベンチ裏、一人でいた山崎を見つけ、声を掛けた。彼は心から胴上げに賛成ではなく、少し不機嫌そうだ。そしていつも通りに問わず語りを始めた。

 「お前は『負けて胴上げなんておかしい、それが監督の花道になるのか』って言いたいんだろう。そんなの俺だって分かってる。監督にはやっぱり優勝の胴上げで晴れがましく喜んでもらいたい。そう願ってずっと戦ってきた。何より戦う今から負けた後を考えてちゃいけないだろう」

 試合後、野村監督は両軍選手によって宙を舞った。山崎はその下にいた。門下生の稲葉らと一緒に音頭を取って。

 「優勝の胴上げをしたい。そう心から思える初めての人だったのに。本当に悔しい」。山崎は試合後もただ無念そうにぽろぽろと涙を流した。見ている方までぐっと来るほどに。結実せずとも、感謝の気持ちを公言して最後まで戦い、散った彼の姿は輝いていた。

 時は流れて2021年。野村門下生の多くが指導者として花開いた。

 阪神、東北楽天で指導を受けた中谷仁が監督を務める智弁和歌山高は夏の甲子園大会で頂点に。東京五輪では稲葉監督率いる日本代表が金メダル獲得。そして秋には1993年野村ヤクルト初の日本一達成時の優勝投手、高津臣吾監督率いるヤクルトが日本シリーズ制覇した。

 年の瀬に明治神宮野球場で行われた「野村克也さんをしのぶ会」。高津監督は小春日和の青空を見上げ、弔辞を読んだ。

 「私の役目は野村野球を継承していくこと、残すこと。そしてそれに新しいものを加え、今の選手に伝えていくことではないかと思っています。頭でやる野球の遺伝子は今も、未来も生き続けています」

 そして最後、優勝投手として聞いたあの言葉で、恩義を表現した。

 「感謝、感謝、感謝」

 25日プロ野球が開幕した。今年こそ石井一久監督、田中将大投手がけん引する東北楽天の番。空の上からノムさんも見ている。いつものようにぼやきながら。

試合終了後、両チームの選手に胴上げされる東北楽天・野村監督。手前右は日本ハム・梨田監督=2009年10月24日、札幌ドーム

届いた封筒には…

 ここまで書き終えて、原稿を送ろうかと思った時。ちょっと不思議な出来事が起きた。ノムさん本人のメッセージが届いた。

 封筒には「感謝」と書いてある。差出人は遺族で「これからも父の記事を書き続けていただけたらと思います」。同封のQRコードにスマートフォンをかざすと、いつものぼやき声が聞こえてきた。

 「人間って人の間と書く。人と人の間で生きているんだ。それをついつい人間って言うのは忘れがちだ。そこに感謝が生まれてくる…。年寄りみたいなこと言ってすいません」

 ここに来てまたノムさんに背中を押されるなんて(第29回「河北新報を味方にできなかった」参照)。また機会を改めてノムさんの教えを語り継いでいかなくちゃ。「感謝」を忘れないために。
(一関支局・金野正之=元東北楽天担当、ツイッターのアカウント名は「金野正之@河北新報『今こそノムさんの教え』の人」)

[のむら・かつや]京都府網野町出身(現京丹後市)。峰山高から1954年にテスト生で南海(現ソフトバンク)へ入団、65年に戦後初の三冠王に輝いた。73年には兼任監督としてリーグ制覇。77年途中に解任された後、ロッテ、西武で80年までプレーした。出場試合3017、通算本塁打数657は歴代2位。野球解説者を経て、90年ヤクルト監督に就任し、リーグ制覇4度、日本一3度と90年代に黄金時代を築いた。99年から阪神監督となるも3年連続最下位に沈み、沙知代夫人の不祥事もあって2001年オフに辞任。社会人シダックスの監督を経て、06年から東北楽天監督に。07年に初の最下位脱出し、09年には2位躍進で初のクライマックスシリーズ進出に導いた。監督通算1565勝1563敗76分けで、勝利数は歴代5位。20年2月11日、84歳で死去。

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