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YouTube世代の僕がラジオに就職した理由。いつか2つのメディアの融合を - Business Insider Japan
1995年生まれ。2018年、TBSラジオ入社。担当番組は「たまむすび」(毎週月〜金曜日13時〜15時半)「ジェーン・スー生活は踊る」(毎週月〜金曜日11時〜13時)「TALK ABOUT」(毎週土曜日22時〜24時)。
撮影・今村拓馬
パーソナリティーが番組内で、プロデューサーやディレクターの話をする。ラジオでは時にあることだ。
TBSラジオの入社3年目の松重暢洋さん(24)も、だから番組で時々話題になる。先日の「たまむすび」(月〜金曜、午後1時〜3時半)では、山里亮太さんがこんなふうに言っていた。
「お父さんがよく孤独にご飯食べてて、音楽が好きだから半蔵門のラジオ局受けたけど落ちて、それでここに来たっていう」そういうディレクターだよね、と。
山里さんのこのトーク、ホントとウソが混ざっている。
「お父さんがよく孤独にご飯食べてる」のはホント。父は俳優の松重豊さんで、松重さんといえば「孤独のグルメ」。音楽好きもホント。それがあっての「半蔵門のラジオ局」、つまり東京FM受験失敗説を山里さんは唱えているのだが、これはウソ。ニッポン放送とTBSラジオを受けて、TBSラジオに入社した。
スマホやパソコンでラジオが聞ける「ラジコ(Radiko)」がスタートして10年。人気は復活しているとはいえ、父の活躍するテレビの世界に比べて地味さは否定できないラジオ。松重さんがなぜ目指したのか。現場で感じるラジオの魅力とは。そんなことを聞きに行った。
ふわっとした動機で受けたアナウンサー試験は全敗
最初からラジオを志望していたわけではなかった。
松重さん、最初からラジオ局を目指していたわけではないという。
立教大学映像身体学科時代はYouTubeサークルを立ち上げ、映像コンクールに応募したり、YouTube動画を撮ったりと、映像中心の日々。ところが大学3年の春、2歳上の姉が入った映像関係の会社が大変な長時間労働職場だったことから、「これは仕事にしたくないな」と思うようになった。
サークル仲間と方向性が合わなくなったことなどもあって家にばかりいたところ、親から言われたのが「アナウンサーを目指しては」。ふわっとしたその話から、アナウンサースクールへ。楽しかったが、そもそもアナウンサーになりたいという強い動機があるわけでなく、秋から始まった採用試験は落ちまくる。
中途半端さは自覚していたものの、現実に落とされれば自尊心が傷つく。キー局すべて不採用と決まった1月から、テレビを一切見る気がしなくなった。
「落ち込んでいる時に寄り添ってくれるメディア」
同世代はラジオもYouTube経由で聞いている。
「あー、俺、終わりだ」的に落ち込んだ。接することができたメディアは、YouTubeとラジオだけ。YouTubeはサークルを立ち上げるくらい好きだったが、ラジオも好きだった。そして、前提として音楽とお笑いが好きだったことに思い至る。
「どうせだったら好きなことを仕事につなげたらって。音楽とお笑いなら、アナウンサーよりずっと情熱をかけられる。それを実現できる場所って、と考えたら、ラジオが面白いかもしれないと思ったんです。すごいヘビーリスナーではなかったですけど、落ち込んでる時の弱者なマインドに寄り添ってくれるメディアだったし、いいなって」
そこから会社のこと、番組のこと、懸命に調べて受かったのがTBSラジオ。内定をもらった唯一の会社だった。
入社した今も、意識するのはYouTubeだ。同世代でラジコの存在を知っている人は少ないし、ラジオを聞いている人でも、YouTubeに上がっている5分程度のものを聞いているだけ。
2時間の番組から面白いワードを見つけ、それを見出しにすると再生回数がすごく伸びる。ラジオを知ってもらうきっかけにはなっても、それがマネタイズには結びつかない。一方のYouTubeは、再生回数がしっかりマネタイズと結びつく。そのことが悩ましい。
ラジオは、回を重ねるごとに好き度が増していくメディアだと思う。ファンになるまでの時間が必要なのだが、若い人はそこが難しい。
「長尺で音声を聴くのも苦手、慣れていないと思います。TikTokのような短くて面白い刺激に慣れ過ぎてしまっているので、よく知らない話を3分間、聞かされるだけでもしんどい子っていると思うんです。そこは常に悩んでますね」
イベントは盛り上がっているのだけど…
ラジオの熱心なリスナーは40代から60代。なんとか若い世代との接点をつくりたいと思っている。
実は、松重さんもラジオを知るきっかけは、YouTubeにアップされた松本人志の「放送室」(2001年〜2009年、東京FM)だった。初回から最終回までアップされているのを聞きまくった。
それから好きな音楽のアーティストの番組を聞くようになった。その一つが「ZOO ZOO ZOO」(J-WAVE)。大好きだったバンドnever young beachのボーカル兼ギター・安部勇麿と写真家・奥山由之の番組だ。はっぴいえんどや松任谷由実の曲がかかっていた。
「はっぴいえんどとか僕も好きだったんで、自分に近い世代の人が今の時代にアップデートして作っていることがうれしくて。好きなアーティストのルーツをラジオで探って、あの曲はもしかしてあの曲のオマージュ入ってるのかなとか、点と点を結びつける作業をしてましたね」
「好きなもの」がある子なら、ラジオは聞いてもらえると思うけど、そういう子は少数派。10代向けに番組を作っても、聞いている大半が実は40代以上だったりして、複雑な思いになる。
ラジオは40代から60代の熱心なリスナーに支えられている。ディレクターをしている「たまむすび」の2000回イベント(2019年12月)には平日の昼に3500人、TBSラジオ主催「RADIO EXPO」(2020年2月)には2日間で2万1000人も集まった。
一方でイベントが盛り上がっても、すぐに収益には結びつかない現実もある。
売れる番組を作らなくては、とばかり言われるのもつらい。
「僕はくだらないことをずっとやっていたい人間なんで、お金のことばかり言われると、どうなのかなって。あんまり大きな声では言えないんですけど」
そう言いながらも、ラジオ局で働く喜びも日々感じている。
「ラジオ局でうれしいのは、キャリアと関係なく企画実現ができることですね。こんな人呼びたい、こんな企画やりたいが実現できるし、ラジオだからこそ会える人がいる」
ラジオとYouTubeの融合を考えたい
同級生たちはYouTube業界に就職していった。
入社1年目に大きな成功体験があった。
最初にアシスタントディレクターとして担当した番組「アフター6ジャンクション」で、ロサンゼルスの音楽レーベル「ブレインフィーダー」の企画を提案した。話せる人を見つけ、パーソナリティーのライムスター宇多丸さんにプレゼンしたところ、「最終的に面白いねって言ってもらえて」、企画が通った。
特集<ジャズもヒップホップもテクノもファンクも。アンダーグラウンドで溶け合うブラックミュージックの最前線、音楽ファン注目の“LAビート”シーンを牽引する「ブレインフィーダー」とは何か?>が、2018年11月にオンエアされた。
「初めて親父に『聴いてね』って言いました。親父も音楽がすごく好きで、たまに実家に帰ったら、ほとんど音楽の話しかしないんですけど、『今度ブレインフィーダーやるんだ、めちゃくちゃいいよ』って。
「感想は『俺にはちょっとマニアック過ぎる云々カンヌン』とLINEで来たので、『うっせーっ』て無視しました」
立教大学の身体映像学科は、男子が2割という少数派。その中でも就活をして「会社」に入ったのは松重さんだけで、ほぼ全員が「YouTube業界」に進んだのだそうだ。登録数が120万を超すユーチューバー、ユーチューバーに企画を出すYouTube作家、ブランディングから企画までトータルで請け負う「YouTube制作会社」を起業した友人もいる。みな成功しているという。
「友人も含め、YouTubeの世界にはやはり面白い人がたくさんいる。少し前ならテレビに行ったような人たちが流れていっているのだと思う。そういう人たちとのつながりを密にし、『ラジオとYouTubeの融合』を考えたい」
YouTubeと重なるラジオの「村」感
YouTube業界の人から、「ラジオに出たい」と言われることが嬉しい。
「昨日初めて会ったYouTube制作会社の人がめちゃくちゃラジオ好きで、『ラジオに出たい』と。最先端の人たちがラジオの価値を見出してくれていて、それがうれしいですね」
「そういう人たちが認めてくれているラジオの面白さってむき出しなところ、嘘をつかないところだと思います。YouTubeも素の部分でやっている。今の若い人は嗅覚が鋭いから、少しでもいやらしい、ビジネスの部分が見えると引くんです」
松重さんは「ラジオって、一つの村みたいな感じがします」という。この人が言うから信頼できる、この人についていこう。そんな感じでパーソナリティーごとにコミュニティーができ、リスナー同士が面白いことを共有し、助け合ったりもする。
「それぞれがそれぞれの色で面白いことをするのってすごく今っぽいし、コミュニティーのスケールが大き過ぎないところも今っぽさ。YouTubeと重なりますよね」
親和性は確かだから、あとはどう融合させるか。そのことばかり考えている。人気のユーチューバーをラジオのパーソナリティーに起用しても、大抵のファンはYouTubeで満足しているから、聴いてもらえるとばかりは限らない。
「友だちとかに絶賛相談中です。絶賛悩み中です」
チルしている場合じゃない
どうしてもついても回ってしまう父親の名前。二世俳優を「尊敬している」と言う。
今個人的に刺さる音楽はパンクだという。
新型コロナウイルスの影響で株価も大幅ダウン、リーマン・ショック以上の景気悪化で、日本経済はどうなるかわからない。直接的には新型コロナが原因だが、それはきっかけに過ぎない。大人のうまい言い方にだまされているだけで、数十年後にしんどくなるのは我々世代。大変なことになりつつあるのに、
「チルしてる場合じゃないって思うんですよ。危機感、もう少し持たないと、マジでヤバイ状況じゃないですか」
だからこそのパンク音楽だという。既得権益に抗うスタイルはダサく見えるかもしれないが、そのマインドは大事だと思う。
「甲本ヒロトさんとか宮本浩次さん、めちゃくちゃカッコいいじゃないですか」
ディレクターをする「たまむすび」で、甲本さんの歌う「英雄にあこがれて」(THE BLUE HEARTS)をかけた。2020年1月、アメリカによるイランのソレイマニ司令官殺害の直後だったことから、生出演したアメリカ在住の映画評論家・町山智浩さんが「今日の選曲、最高だった」とほめてくれた。
「町山さんが深読みしてくださったんですけど。時代の閉塞感というのかな、自分の中でモヤモヤしてるものはあったし、認めていただけてうれしかったですね」
最後に「俳優になろうとは思わなかったですか」と聞いてみた。
「(二世俳優のこと)めちゃくちゃ尊敬します。どんだけの覚悟でやってるんだろうなって」
そう返ってきた。
彼らも親のことは超えたいに違いない。「二世」としての扱いに、抗いたい気持ちもあるだろう。でも親の存在は大きく、そこから脱却するには血の滲むような努力が必要だ。だから、その道に進んだ人はすごいと思う。自分にはそれをするほど、役者へのモチベーションがなかったという。
高校の文化祭で劇をした。主役、演出、脚本、全部、俺がやると言ったら40人クラスで7人くらいしかついてきてくれず悲しかった。そう笑い話をして、こう語った。
「もしアナウンサー試験に受かっていたら、個人的にしんどい状況だったと思います。そんなにモチベもない状態で、おそらく松重豊の息子だということが一人歩きして。アナウンサーは立場上、今のようにやりたいこともできない。もし受かっていたらちょっと怖いなって、ゾッとしたりします」
(文・矢部万紀子、写真・今村拓馬)
矢部万紀子:1961年生まれ。コラムニスト。1983年朝日新聞社に入社、「AERA」や経済部、「週刊朝日」などに所属。「週刊朝日」で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長を務めた後、2011年退社。シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に退社し、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』。最新刊に『雅子さまの笑顔』。
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April 14, 2020 at 09:06AM
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